侍エムブレム戦国伝 邂逅編 エイリークの章 帝
これで怪異を見るのは幾度目になるだろうか。
初めてそれを目の当たりにしたのは齢五の頃。
月明かりに照らし出された妖とその者を断ち切った鎧武者。
橋の上の怪異は忘れがたいあの夜を思い起こさせるに充分であった。
銀髪の巫女が鬼に追い詰められている。
夜毎人死にの出る橋にもしやと思ってきてみれば…ともあれ捨て置くわけにはいかぬ。
若き公家は腰に差した太刀を抜き取り投げつけた。
こんなものは通じはすまいが、あの巫女の術であれば隙を作ってやればあの妖を滅ぼす事ができるであろう。
公家の読みどおり橋の上に一条の光が輝き、後に残る物は漆黒の静寂のみであった…
公家は静かに歩み寄ると太刀を拾い上げる。
都の夜に怪異を鎮めた巫女にいささかの興味が沸いていた。
だがそれはさておき注意は促さねばならない。かつて己がかの武者から聞かされたように。
「巫女殿、見事な術でした。なれど都の夜は鬼門の方位より物の怪が現れます。ゆめゆめお忘れなきように」
だが目の前の巫女は瞳を見開いて己を見つめている。
はて、どこかであった事があるだろうか? とんと覚えがないが…
それとも怪異を滅した後の事で気が立っているのであろうか?
公家が再び声をかける前にその巫女は言葉を紡いだ。
「エイリーク……っ!」
「……巫女殿、何故に私の名を存じておられるのですか? そなたと顔を合わせるのは初めてのはずですが…」
だが言葉に出しつつもエイリークにはもしや…という思いがあった。
いまわの際に父ファードが残した言葉。
臨終の床にあってファードはエイリークにその出生の事情を話していた。
そなたは我が実子にあらず…と…
「驚いたとは思うけれど…私はミカヤ。ゴルドア国の龍神の社の巫女…そしてあなたの姉よ」
すぐに受け入れられる話でもないが…寒風吹きすさぶ橋の上でする話でもない。
エイリークはともあれミカヤをルネス家に伴おうとしてもう一人の男に気がついた。
「ヒーニアス様…」
「うむ、このヒーニアス、都の安寧を守らんがために妖怪変化を打ち倒してやった。
わが武勇は歌となり草子となりて千年万年語り継がれるであろうな」
誇らかに胸を張る若き検非違使にエイリークは苦笑いを返すしかない。
この男はいつもこの調子で自分がいかに勇敢で教養がある若者であるかエイリークに誇示して見せているのだ。
それもこれも自分の気を引きたいがゆえ、もらった恋文の枚数は三桁に届くであろうか。
一度も返事を出した事は無いのによく諦めが付かないものだ。
「なに言ってるのよこの阿呆。退治したのはミカヤでしょうが。あんたは糞の役にも立たなかったじゃないの」
ミカヤの肩に留まった小鳥が容赦の無い口調ではき捨てた。
すでに幾度かの怪異を見た事のあるエイリークは取り立てて驚きはしなかったが…
道すがらよく事情を聞く必要があるようだ。
三人がルネス家の屋敷に戻ったのは戌の刻の事である。
門の所でヒーニアスと別れるとエイリークはミカヤとユンヌを客間へとあげて持て成した。
ささやかなものである。雑炊と漬物を見て白い米が食えるものと期待していたユンヌは落胆を隠せなかった。
「…これ…なんの冗談? ここって公家よね? 大納言まで勤めた重臣の家よね」
「神様をしっかりお持て成ししたいのはやまやまですが…残念ながら今の公家に昔日の栄華は無いのです。
我が家に限らずどこの屋敷でも夕餉はこんなところですよ」
苦笑を返すとエイリークは座布団に腰を下ろした。
「世の中には奇縁というものがあるのでしょうが…父上が逝ったのは二年前になります。
その時に私が養子である事を明かしてくださいました」
二年前…炎正十一年に大納言ファードは五十四年の生涯を閉じた。
栄養や衛生の改善により飛躍的に寿命の延びた現代と違い、人生五十年と言われた時代の事である。
決して早死にではない。
ただ、ルネス家の行く末を案じすぎたのであろうか。
晩年のファードは酒量が明らかに増えていた。
彼の死因は現代では肝硬変との説が有力である。
「病の床にて父上は言われました。帝の安寧をお守りするのがルネス家の役目であると、ゆえに…」
「エイリーク様は家督を継承されルネス家当主となられました。
現在では朝廷の大納言として御所に参内されておられまする」
ルネス家の家僕ゼトが言葉を引き継ぐ。
彼は蔵からユンヌに出すお神酒を見繕ってきたのだ。
「そう…貴女も貴女の人生を歩んできたのね。私の知らないうちと言うのが少しだけ寂しいけれど…」
巫女は少しだけ切なげに瞳を伏せた。
公家の答えて曰く、
「私とて幼い頃は幾度か兄弟がいたら…と想像した事があります。ずっと一人っ子でしたから…
同じ年頃の子が兄弟と遊んでいると羨ましくも思ったものですわ。
ゆえに父上より私に兄様姉様がいると聞き及んだ時はどのような方々であるのかずっと思い浮かべておりました」
若き公家はどこまでも穏やかで柔らかく微笑んでいた。
彼女にもあるいは確信があったのであろうか。
エイリークはゼトに下がるよう命じるとお神酒を舐める小鳥に目をやる。
すでに酔いどれているユンヌを優しく手で包むと布団代わりに座布団に寝かせてやった。
月明かりとほのかな蝋燭の明かりの中、二人は夜を徹して語り合った。
それは今までの十数年を凝縮したような濃密な時間であったかも知れない。
目の前の巫女…今宵会ったばかりの姉と名乗る巫女…だが不思議と疑う気持ちにはなれなかった。
社の暮らし…親の事…都の生活……話題が現在の事に及ぶとエイリークは小さく眉を引き締めた。
「姉上…姉上が橋の上で調伏した鬼は鬼神フォデスが力を与えた者。
今の都は姉上が思う以上の危険地帯です」
「そう…そのようね…都はアスタルテ様の加護が最も強固な地のはずなのに、完全に鬼門が開いているわ。
鬼門の方位は…」
「ラグドゥ山、フォデスの本陣です。かの者が生み出す呪いはますます強まり都を覆いつくさんばかりです。
姉上…こうしてお会いできたのはとても嬉しいのですが…姉上がこれからも旅を続けるのであらば私は…」
その言葉は見当がついた。
どこか苦々しげに眉を歪める可憐な妹の気持ちのみをミカヤは受けていた。
「わかっているわエイリーク。一緒に行こうなんて言わないから。貴女には貴女の人生があるんだもの。
私はただ…ただ…一目あって…長い長い生の中で一瞬でもとね…一度も会う事の無いままに終わるなんてあまりにも寂しいもの」
その時である…
ミカヤの脳裏を雑音のようなものが覆いつくした。
頭痛がする。この感覚は過去に幾度か経験した事がある。
うめき声をあげて頭を抱え込んだミカヤにエイリークは慌てて駆け寄った。
「姉上!?」
「だ……だめ…いま…なにか大事な事を……?」
そうだ…これは神託だ……人の理の及ばぬ世界からなにか偉大な神の霊がミカヤに言伝をしているのだ…
これは………
「わ…ざ…わ…い……お……に…け…か…ぜ…かぜ…が……」
そして…そのままにミカヤの意識は途絶えた――――――――
翌朝、炎正十三年一月二日……
あれから眠り続ける姉ミカヤの事は気になるがエイリークは御所へと参内しなければならない。
もはや落日の朝廷といえども正月三が日はそれなりの儀式があるのだ。
ゼトにミカヤの面倒をしかと申し付けるとエイリークは御所へとたった。
そこはこの国を治める天子の住まう社。
都の地脈の要に座するアスタルテの子孫、現人神たる帝サナキの屋敷である。
往年の繁栄はすでになく、崩れかけた柱が寂しげに佇んでいる。
出迎える者とて少ない御所の門を潜るとエイリークは一人溜息をついた。
「都を覆う怪異は強まり…私などが少しばかり陰陽師の真似事をして退治たところでそれを減じる事はかないませぬ。
巫女様たる姉上が来てくだされた事は吉兆なのでしょうけれど…」
だが…いつまでも都に留まってほしい…などとは言えなかった。
まだ十三人もの兄弟が各地にいるという。それを思えばエイリークとて無心にはいられない。
そういえば……幼い頃に見た夢。見も知らぬ少年の夢…あの者も自分と血肉を分け合った誰かなのであろうか……
その時である。
幾人かの公家達が慌しく行き来しているのが瞳に映った。
なにやら尋常な様子ではない。異な事と思いエイリークは見知った者に声をかけた。
「これはヘイデン殿。まだ朝も早いうちから随分な騒ぎようですけれど、何事でございましょうや?」
「おおエイリーク殿か。一大事だ。大陸の使節が皇帝の親書を届けに参っておる」
それはあまりにも意外な言葉であった。
大陸の皇帝というとアカネイア皇帝ハーディンの事であろうが…
大陸と紋章の国とは商人が多少行き来しているのみでほとんど交流は無いのだ。
平安の過去には幾度も使節を交換したらしいがそれも過去の事である。
「なれどそのような話、私めの耳には入っておりませぬ。使節を送る前に先触れを出すのは当然の礼節ではありませぬか?」
「…我が国を小国と侮っての事であろう…ともあれこれより陛下がご引見される。主だった公家もみな同席せよとの陛下の仰せだ」
引見の間はどこか張り詰めた空気が漂っていた……
両脇には幾人もの公家達が腰を下ろして帝のおなりを待っている…
帝の座…薄幕が引かれて直接尊顔を拝する事かなわぬようにされた、一段高い座にはいまだ帝は姿を見せてはいない。
そこに正対する位置に案内された大陸の使節は腰を降ろして周囲に切れ長の瞳を向けている。
エイリークは自らの席からその男を見た。
どこか草の香りのする若い男であった。
ややあって…女官長たるシグルーンが重々しい十二単を纏って姿を見せる。
「紋章の国の正当なる継承者、現人神たる神の末裔、第百七代帝サナキ陛下のおなりにございまする」
一同に会した公家達が深々と頭を下げる。
薄幕の向こうに小さな人影が写った。
幕を引いているのは帝の尊顔は簡単に衆目に晒すものではないとされている為だ。
使者の男も頭を下げたまま口を開かない。
下位の者が貴人に先に声をかけることは礼節に劣る事とされていた。
最低限の礼儀は知っているようだ。ヘイデンも考えすぎたのではないか。
エイリークはそう思い軽く一息をついた。
「……朕が紋章国帝…サナキである。大陸よりの使節であるとか。遠路大儀であった。ハーディン陛下は息災であろうか?」
使節の男の傍らに控えていた従者が男の耳元で何かを囁く。
通訳であろう。それに対して使節は軽く小首を傾げるとやや強い語調で言葉を返した。
通訳の男が声をあげる。
「ハーディン? そのような者は過去の存在となりはてました。それがしはシンと申す者。
大陸の覇者たる偉大なるハーン…ダヤン様よりの親書を届けに参った次第であります」
引見の間にざわめきが走る。この男は何を言っているのだ?
アカネイアの支配者といえばハーディンではないか?
「我らサカはアカネイアに変わりて大陸を支配するもの。正当なるニケ様の末裔。
その力は西は西洋、北は氷の海、南は砂の国まで及ぶもの。諸国の王たちはこぞって貢物を送りハーンより金印を授かって国を治めております。
なれどこの国よりはハーンの即位以来一度も使節を送って来ておらぬゆえこうして私めがハーンの勅命を受けて参ったものです」
ハーンとは遊牧民の君主が受ける称号である。
だが公家達はそのような事など知るよしもない。
それよりも何よりも重大な事は…アカネイアが過去の存在となった事である。
東洋世界の勢力図が変わりつつあるのだ。
東の果ての島国にいてはなかなか知りようもない事だが。
…公家の一人、右大臣ルカンが口を開く。
「つまりは貢物を送って臣従せよと申されるか? わが国が大陸に貢物を贈っておったのは千年の過去の事。
ぶしつけであり無礼ではありませぬかな?」
合わせるようにヘイデンも言葉を告いだ。
「貢物を送って印を授かるという事は我が帝に王に堕ちろという事。
到底受け入れられませぬぞ使者殿」
口々に公家達は拒否の声をあげはじめる。
だがシンはどこか楽しげでさえあった。
小さく唇を吊り上げる様はまるで牙を向いた狼のようであった。
「我がハーンは偉大であり寛容であります。いかな愚者にも一度は機会を与えサカの兄弟となる道を開く。
だが拒まれるというならそれもまたよし。それが陛下のご返答という事でよろしいか?」
階の上に座す帝は声を発さなかった。
沈黙が場を満たしていく。
「陛下…」
シグルーンが言葉を促す。
薄幕の向こうの小さな影が揺らめいた。
「使者殿よ。大陸には天に二君無し…と称しアカネイアが立つまで骨肉の争いが続いたと聞き及ぶ。
なれど朕は西の国には西の天子、東の国には東の天子が立てばそれでよいと考えておる。
返書を取らせて遣わすゆえしかとダヤン殿にお伝え願いたい」
「御意、しかと承ります…なれど期待はなさらぬがよろしいかと。
……サカの戦士は何よりも強く武勇を尊ぶもの。
誰もがこの国のサムライと刃を合わせる事を楽しみにしておりますぞ…」
座を立ち姿を消す帝を見送りながら…エイリークは首筋に汗が滲み出るのを抑える事ができなかった。
今、自分達の周りで嵐が始まろうとしている。
なんということだろうか。諸大名は争いにあけくれ、鬼神フォデスが都の鬼門に陣取っているというのに。
大陸から海を越えてから牙をむいた狼たちが押し寄せようとしている……
公家達は慌てふためき、さっそく護国鎮護を祈って儀式をはじめる算段をしていた。
だがその前にやるべき事があるはずだ。天命を待つ前に人事を尽くさなくては…
「まずは陛下に一筆したためていただきましょう。諸大名に西国の守りを命じるのです」
公家の一人が無念そうにうめいた。
「だが…百年前ならそれでよいが…今や誰も帝の勅命を真剣に聞く者はおりませぬぞ?
何かと理由をつけて出陣を渋るに決まっておる。どこの大名も近隣に敵を抱えたまま西国に兵を送れるとは思えませぬ」
「それでもやらぬわけには行きませぬ。昔日の権威を嘆く前に…」
今は亡きファードが生きていたらどうしたであろうか…
きっと公家達を叱咤して動かし少しでも出来る事をするであろう。
ならば若年とはいえルネスの当主にして大納言としてなすべきことを成さねばならない。
こうして炎正十三年の三が日は大変な災厄とともに終わりを告げた。
ルネス家の邸宅に帰ったエイリークは重苦しい沈黙のうちに空を仰ぐ。
輝いている星は確か天狼の星であろうか……
サカの始祖とされるニケは狼の神と聞いているが……
「…災厄…ね…」
「姉上?」
振り向くと背後に巫女の装束を纏ったミカヤの姿があった。
「昨夜…私に龍神様よりお告げがあったの。災厄を鎮めよと…災厄を吹き飛ばす風をもって」
………それは天啓であったかも知れない。
もはや人界で力を振るう事かなわなくなったかつての主、龍神デギンハンザーが途切れ途切れながらも高位の世界から言葉を送ってきたのだ。
「行きましょう西国へ。そこに求めしものがあるわ……」
「そなたが西国へか…そうか…」
帝は幼い顔を小さく伏せたようだ。薄幕の向こうにて窺い知ることはできないが。
「御意…我ら公家の力は小さく成せる事はいくつもありませぬが…なれどなさねばならないのです。
細い一本の糸のような望みでもこのエイリーク。朝廷の大納言としてしかと勤めてみせましょう」
エイリークはさっそく翌日にも帝に謁見を願い出たのであった。
神託に従うミカヤとともに西に立つ事としたのだ。
「神託か……エイリークよ、朕は現人神でありアスタルテ様の末裔である。
その朕にして一度も神の声を聞いた事が無い」
その声は幼い子の物とは思えぬ苦々しくも切なげなものであった。
「異な事であるな。誰しもがこの国の暗雲は帝の不在ゆえと思うて朕の生誕を祝ったと聞く。
なれどこの十三年というものは何も変わらぬ十三年であった。幾度も八百万にお願い申し上げたものを」
「陛下…陛下…天は乱と治を繰り返すもの。いずれか治が参りましょう。どうかお心を安らかにお待ちください。
臣も微力ながら一助になりますゆえに」
「よろしい。ならば西国の大名への勅命はそなたが届けよ。
西に行くというならちょうどよい。西から押し寄せる敵は西で防がねばならぬが…
西国の大名デインとクリミアはまさに不倶戴天の敵同士、これでは西の守りはおぼつかぬ。
こやつらに朕が一筆したためるゆえ和睦させよ」
「御意!」
深々と頭を下げながらエイリークは薄幕の向こうの帝を思った。
こうして帝が胸のうちを吐露するのはエイリークが知る限り始めての事だ。
急がなくては…必ずや吉報を持ち帰らなくてはならない……
ルネス家に戻るとエイリークは慌しく旅の支度を始めた。
ミカヤとユンヌには短い逗留ですまないがすぐに出かけなくてはならないと準備を急かす。
旅の疲れが癒えていないと文句を言い出したユンヌを無視して準備を整える傍らではあるが…
少しだけ姉が嬉しそうなのはエイリークの錯覚では無いはずだ。
いましばらく一緒にいられるのだから。
十数年の時を取り戻せるのだから。
出立にあたってエイリークはゼトに後事を任せた。
「それでは後の事をお願いしますゼト」
「御意に」
「それとラーチェルには私の出立は…内密に願います。尋ねてきてもうまく誤魔化してくださいな」
「それはかまいませんが…よろしいのですか?」
「ラーチェルの事ですから私を追ってきかねません。いえ、物見湯山でしたらそれも楽しくてよいのですが…」
今回は大事な旅だ。
ミカヤの神託の意味を確かめ、またクリミアとデインを和睦させねばならない。
あの破天荒なラーチェルが居合わせると場をかきまわされる恐れがある。
「それでは参りましょう姉上…西へ…」
傍らの巫女は微笑を妹に返すとどこか小さく呟いた。
「そうね…西へ…これもまた縁ね…クリミアの大名家に貴女の姉がいるわ。名はエリンシア。
デインにもアイクという兄がいた…はずよ。今はどうしているかわからないけれど…」
こうして神託に導かれるままに巫女は妹を伴い西の地に旅立っていった………
次回
侍エムブレム戦国伝 邂逅編
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