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Last-modified: 2014-01-28 (火) 00:36:04

侍エムブレム戦国伝 邂逅編 エリウッドの章 刹那

 

「ああ……いい風だ…よい日だ……」
青年は従者に背を抱えてもらってようやく病床の床から身を起こした。
開け放ってもらった襖の合間から心地よい日が差している。
まだ肌寒い冬の一日に訪れた一足早い小春日和の一日だった。
「お具合はいかがでしょうか?」
「うん…今日は幾分いいみたいだ。心配かけてすまないねロウエン」
青年は自分を気遣う従者に微笑みかける。
彼は生まれた時から死に取り付かれていた。
あと幾年…いや明日の朝日を拝めるかもわからぬと思いつつかろうじて十七までを生きながらえてきたのだ。
体は痩せ細り肋骨が浮き出ている。
ほほはこけ目はくぼみまるで幽鬼のごとくだ。
腕は骨に肌が張り付いているようにしか見えぬほど肉付きが薄い。
彼は生まれてこの方筆以上の重いものを持った事が無かった。
持つ事ができなかった。

「ああ…今日は我が殿から申し付かった者が来るんだったね。
 支度をたのむよ」
「ははっ」
退室する従者を見送ると青年…エリウッドは弱弱しく微笑んだ。
「人は何を残すか…それが人の価値だという……殿、我侭を聞いてくださり感謝します……」

ベルンの将ゼフィールとの戦いで重傷を負ったロイがオスティアの侍大将エルバートの屋敷を訪ねたのは昼過ぎの事であった。
立って歩く事ができる程度には回復していたがいまだ太刀を手に取る事はかなわない。

従者に付き添われてロイは奥の間へと通された。
襖を開くと彼は丁寧に腰を下ろし深々と頭を下げる。
臣下としては末席のロイに対してエリウッドは侍大将の子であり身分の上ではエリウッドが上位者である。
「お初にお目にかかりまする。オスティアが臣下の末席、ロイと申します」
従者に付き添われて床から身を起こしている青年はまだ年若い少年を穏やかな瞳で見つめている。
「ああ……よく来てくれた…私がエルバートの嫡男エリウッド…」

ロイがこの自分とどことなく似ている青年を見て最初に抱いた印象は…髑髏である…
いま少し血色がよければ端整にも見えたであろう顔立ちは幽鬼のごとくやせ細りまるで死人を思わせる。
自分によく似た赤い髪は長きに渡る闘病のためか病み衰え白いものすら混じっていた。
今、この場でエリウッドの命が尽きたとしてもある意味ロイは驚かなかったであろう。
彼の仕事を補佐せよとのウーゼルの命を受けて来てはみたが…いったいこの瀕死の病人がなんの仕事をしているのであろうか…
ロイは目の前にいる病み衰えた青年が血を分けた自らの兄である事を知りようもなかった。
兄にしてもそれは同じ事である。奇縁というべきであろうか……

「エリウッド様。それでそれがしの役目はなんでございましょうや?」
「ああ…うん……ロウエン………」
傍らの従者が一枚の巻物を携えてきた。
ロイの前で丁寧に広げて見せる。
そこには静かな色合いの絵巻物が記されていた。
赤茶けた岩肌……深い色の海…いや…これは川だろうか?
「これは……?」
「冥府だよ……僕は一度…この地をこの目で見ている……おぼろげな記憶だけれど…確かに見ている」
傍らの従者…ロウエンと呼ばれた男が言葉を添えた。
「この現世でエリウッド様のみが見た事のある物…この世の他の誰にも描く事のできぬ物…それを描く事が大殿様よりエリウッド様に授かりしお役目にございます」
ロイの額を一筋の汗が滴り落ちた。
武士道とは死に身になりて欲を断ち切るものとはよく言われる事である。
だが…ロイが本当に死を感じたのは生れ落ちてこの方、敵将ゼフィールと刃を交えた時のみであった。
…それに対して目の前の男はどれだけ死に対して身近であり続けたのか……
深い泉のような瞳の奥底にあるものを感じ取るにはロイは未熟すぎた。

「それはまだ未完成でね…今日は体調がよいから筆が乗りそうだよ…
 すまないが手伝ってくれるかな?」
体調がよい……これで?
ならば悪い時はどれだけ苦しんでいるのか……
一も二もなく頷いたロイはエリウッドに寄り添うと部屋の片隅から文机を運ぶのであった。
「エリウッド殿…何故に…療養に専念すべきではありませぬか?」
ロイがその疑問を抱いたのは無理からぬ事だ。だが…
「僕はね…明日の朝日を拝めるかわからない人間だよ…だから…ほんのわずかだけ死に待ってもらっている今のうちに…
 なにか…なにかを残したい……それだけなんだ…一瞬…この一瞬の後、刹那の後にも僕の命は尽きるかもしれない…
 だから……」

オスティア城の天守閣。
今日も大名ウーゼルは城下を見つめている。
その後ろにそっと控えるのは臣下の侍大将エルバート。
深々と頭を垂れたエルバートの背には哀愁が漂っていた。
「殿、我が愚息の我侭を聞いてくださりかたじけございませぬ」
「いやよい……そなたの息子…あれは芯の強い者だ。他の者であればとうに世を儚んで死神に身を委ねていたであろう。
 あの者の傍にあればロイめもなにかと学ぶ事ができようぞ」
「もったいなきお言葉にございます」
「のう…エルバート……そなたはフェレの家督をいかに考えておる?」
殿からの問いにエルバートは嘆息した。
「……我が息子は……明日生きておるやもわからぬ身……大殿がお許しくださるならばいずれかから養子を取りたく思っておりまする…」
「そうじゃな……いずれかから……うむ……」
ほぼ同じ頃、ベルンの城ではゼフィールの軍勢が帰城していた。
マーカスの軍勢との戦に敗れ、生きて戻ったのは百名に満たない。
誰もが満身創痍で敗残の足を引きずる中、金髪の若武者は轟然と胸を反らして城門を潜った。
「若殿、ご無事のお帰りこのマードックお喜び申し上げます」
大柄な武将がゼフィールに歩み寄る。
彼はベルンの武将の中でも並ぶ者の無い勇猛を誇る男であった。
「うむ大儀、父上はどうされておる?」
「天守閣にて殿のお帰りをお待ち申しておられます。さっそくですが帰還の報告をなされませ」
「言葉を飾るなマードック。苦虫を百匹ほども噛み潰して従卒にでも当り散らしておるのであろうが、ん?」
忠実な将は頬の筋肉を微かにすら動かさずに言葉を紡いだ。
「……どうぞこちらへ」

どこか凍りついたような空気の天守閣には荒い息を吐いたベルンの大名デズモンドの姿があった。
ゼフィールに向ける瞳は刺すようなものがある。
「…よくおめおめと帰ってきおったな…負けてそのまま戻ってくるなど武士の名折れとは思わぬか?」
それに対する息子の言葉にも一片の温かみも無い。
「引き際を知らぬ者に将たる資格はありますまい。よもやマークの兵書を読んだ事が無いなどとは申しますまいな?」
「貴様…父を愚弄するか!!!」
たやすく激昂したデズモンドは刀の鞘でゼフィールを打ち据える。
背後に控えるマードックが眉を顰めた。彼だけではない。居並ぶ臣下たちの殿の振る舞いを苦々しく見守っている。
愚かな者め、君主の振る舞いを臣下は常に見ているのだ。
鞘の一振りごとに人心が離れていくのがわからぬか?
心配はいらぬぞマードック…すぐだ…すぐに…
心の中で呟いたゼフィールは打たれるがままに床にひれ伏し続ける。
すぐにだ…すぐに……

「やはり貴様などにはベルンの家督は任せられぬわ!我が跡取りは娘ギネヴィアにしかるべき者を婿入りさせて継がせる事とする!」
雷鳴のごとき勢いで言い放った台詞は場の空気を凍りつかせた。
居並ぶ列将…マードック…ブルーニャ…ナーシェン…ゲイル…ヴァイダらの顔に驚愕が走る。
「殿!?それはあまりに…」
「だまれいマードック!主の意思に背こうと言うか!」
「そうだ控えよマードック、殿の御意に従え」
額から血を流して蹲っていたゼフィールに言われてはマードックはそれ以上口を差し挟めなかった。
深々と頭を下げる。
そうだ…そなたたちはそれでよい。
そなたらの目には才気あふれる若殿が健気にも父上の意思に従っているように映るであろう。それでよい…それで…
「ゼフィール、敗戦の咎はおって沙汰を出す。別室にて謹慎いたせ!」
鼻息も荒々しく席を立って歩み去るデズモンドを見送ると諸将は慌ててゼフィールに駆け寄った。
「若殿!すぐに手当ていたします!」
武将の一人ブルーニャがリライブの術を唱え始める。
痛みが引いていくのを感じた。
ヴァイダなどは激昂して刀の鞘に手をかけていた。
「殿…ご命令くだされば…我らは覚悟できておりますっ!」
「いや…それはいかん、そなたはあくまで父上の臣下である」
「若殿…っ」
そう…これでいいのだ。
ここで激情に走って謀反を起こすようなら人心は永遠では無くなるだろう。
あくまでも臣下や民の目に映るゼフィールは思慮深く控えめな若侍でなくてはならない…
あくまでも…瞳に映る部分のみは……
だが…映らぬ部分ではこのゼフィール鬼になろうぞ……

手当てを受けたゼフィールは悄然として…あるいは悄然とした振りをして自室へと引き上げていった。
「おいたわしい…」という言葉を背に受けて。
彼は自室に引き篭もると一人準備を整えた…黙々と…たった一人……
おそらくそろそろ話を聞きつけたあの者が来るであろう。
襖の前で声がした。やはりな……
「兄上!」
「入るがよい」
そこにはいまだ幼い異母妹がいた。
「兄上…父上から折檻を受けたとお聞きしました…」
「ああ、そなたは優しいなギネヴィア。兄の身をそうして案じてくれるのはそなたのみよ。
 だが心配するでない。ブルーニャが癒してくれた」
泣きそうな顔をする異母妹をゼフィールは手招きして呼びよせた。
「父上の沙汰はもう聞いておろう。この地を治めるのはそなたの夫となる者だ。
 しかとその者を支えてベルンを導くのだぞ」
「兄上…本来なら兄上が…っ」
ああ…そなたは本当に優しいな…許せとは言わぬ。
兄を呪うがいい。
「…何も言うなギネヴィア…兄は謹慎の身の上だ。もう部屋に帰れ」
「…はい……」
「そうだ、そなたに土産があったのだ。帰り道の宿場町で手に入れた物だがなかなか美味い菓子でな。
 父上には内緒だぞ?」
そう言ってゼフィールは砂糖菓子の袋をギネヴィアに渡してやった。
…デズモンドの子、ベルンの姫ギネヴィアが急逝したのはその夜の事である……

ギネヴィアを溺愛していたデズモンドの嘆き悲しみは実に深いものであった。
彼は部屋に篭りきりまるで全身の水分を全て垂れ流すかのように泣き続けた。
彼を見舞ったゼフィールは深々とひれ伏して懸命に笑みを隠さねばならなかった。
唇が釣りあがるのを抑える事ができない。
そうだ。その顔が見たかった。
貴様からは何一つ譲ってもらおうとは思わない。
貴様からは何もかも奪ってやる。
取り上げてやる…………

デズモンドが何者かに闇討ちされるまでさして時間はかからなかった…
懸命の調査が行われたが数百年をへた今日に至るまで事件の真相に至るなんらの証拠も出る事は無く、
幾人かの歴史学者の推論が発表されたに留まっている…

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