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Last-modified: 2014-01-26 (日) 00:03:33

侍エムブレム戦国伝 死闘編 マルスの章 創業伝

 

仕方が無い……これは仕方が無い…………
その場には苦悩と苦渋が満ち満ちていた。
目の前には厭らしい笑みを浮かべた下品な男。
タリス屋店主モスティンは今やその男に頭を下げるしかない立場であった。
悔しい。無念である。娘のシーダが不憫でならない。
だが…タリス屋が潰れれば五百人もの従業員…その何倍もの彼らの家族が路頭に迷うのだ。
それだけは避けなければならない。
ブラムセルの評判の悪さに一度は断ろうとも思った話だが娘可愛さに多くの者を苦しめるわけにはいかない。
モスティンは心の中でシーダに詫びながらブラムセルに頭を下げた。
「ブラムセル殿…どうか娘をよろしくお頼み申します…」
上座の座布団に座した小太りの商人は扇子で自らを扇ぎながら下卑た笑い声をあげた。
「おまかせあれ。悪いようにはいたしませんぞよ。シーダ殿もタリス屋も…のうモスティン殿。
 いえ、義父上とお呼びすべきかのう?」

タリス屋の娘シーダとダーナ屋の店主ブラムセルの婚礼は既に一週間後に迫っていた。
多大な借財を背負ってしまったタリス屋にとってダーナ屋との婚礼が唯一この状況を打破する道に思えた。
苦渋の汗を滲ませるモスティンからブラムセルは傍らのシーダに視線を向ける。
ねっとりと絡みつくような厭らしい視線にシーダは思わず身をすくませた。
「どれ、シーダ殿。近い将来の夫に酌など一献くだされますかな?」
「はい…ブラムセル殿…」
彼の傍らで杯に酒を注ぎつつシーダの心はこの場にはいない若者を思っていた。
多くの借金で資金を作ると都に行くと言って出かけていったあの若者…
婚姻までにはワーレンに戻って手を打ってくれるといっていたが……

シーダの思う若者はすでにワーレンに戻ってきていた。
だが様々な取引に忙殺されてシーダの元を訪れる時間が取れなかったのだ。
彼にはやるべき事が山ほどあったがそれをほとんど身一つで行わねばならなかった。
本来零細の露天商であるマルスが身の丈に合わぬ事業に手を出そうというのだ。
しかも信頼できる補佐役がいるわけではない。事が事だけにうっかり他人に任せるようなわけにはいかない。
実情を知る者は少ないほうがいいのだ。
帳簿を見ながら彼は満足気に呟いた。
「一枚葉はよく動いてくれるよ」
さすがに都の闇で蠢いていた悪党集団。役人に対する嗅覚のようなものは極めて強いようだ。
一度も尻尾を掴ませていない。
さあそろそろ取引の時間だ。マルスは闇夜に紛れてワーレンの港の片隅に歩を記した。
暗がりの中港に係留されている船はクリミア大名家の船舶だ。
船から渡し板を通って降りてきた男にマルスは深々と頭を下げる。
「注文した物は揃っておろうか?」
「…こちらが帳面でございます。物は少し離れたところに隠してありますが…」
「よい、そちにもそちの都合があろう。さっそく積み込みにかかれ」
「心得ましてございますユリシーズ様」
彼の名はクリミア家老のユリシーズ。
サカ軍との戦に備えて武器や軍需物資の買い付けにワーレンを訪れていた。
マルスはこの世情で戦争特需に目をつけていた。
いや、それは商人なら誰でも考える。だがワーレンでは商売には長老たちの許可を必要とする。
自身も大店の店主である長老たちは自分たちの既得権益を守るため滅多に新規の許可証を発行することはない。
マルス自身持っているのは生活雑貨商の許可であって武具商の資格は持っていないのだ。
白日の下に知られれば間違いなくワーレンで暮らせなくなる行いだが短期間で利益をあげるには他に道が無い事をマルスはよく知っていた。

彼の計画はこうである。
まずは各地の鍛冶屋や武具職人から武具を買い付ける。
ここまでは多額の元手を借金で賄った以上可能であるし市の外で取引をする分には決まり事にも触れない。
だがそれを大量輸送して纏めて売るにはどうしてもワーレンの港が必要だ。この時代船に勝る輸送力は無いしコストダウンのためにもこれは欠かせなかった。
だが柵で囲まれたワーレンに荷物を運び込もうとするとどうしても衛兵のチェックを受けるし市内に大量に武具を運び込めば当然無許可で武具商を行おうとしていることが知られてしまう。
そこで都の一の盗賊集団一枚葉と手を結ぶ事で彼らに密輸を行わせたのだ。
盗品を運ぶことに慣れた彼らは巧みに衛兵の目を誤魔化して買い付けた武具類を市内に密かに運び込んだ。
後は武具を求める各地の大名と密かに取引すればよいのだ。
密輸品は当然税がかかっていないので値を安くできる。
長老連の手前、公然と取引はできないが各地の大名はこうした密輸商との繋がりを密かに求めていた。
特にサカ軍の侵攻が迫るクリミアデイン両国からの需要は極めて大きい。
サカ軍の侵略は多くの人にとって脅威ではあったがマルスにとっては渡りに船というべきであった。
「それではユリシーズ様。確かに物はお引渡しいたしました」
「うむ。こちらが支払いになる。確かめて間違いなければこの書面に署名せよ」
取引を済ませてユリシーズと別れると港を後にするマルスは小さく呟く。
「さて…密輸、悪党盗賊と契約、仏道が嫌う武器の売買…なかなか罪の深い事をしているね我ながら。
 三途の川を渡ったら閻魔様に地獄行きを申し付けられるかな?」
自嘲的に呟いてみるが自分の事業が大きくなって利益を生みだすことは商人最高の喜びですらある。
それに…シーダのためならマルスにとって他の全ては引き換えにできるのだ。自分自身の命も含めて。
「見も知らない十万人が死んだと聞いても人間気の毒に思うだけさ。けれど一人の死はその人を愛する人にとっては十万人の死に勝る悲しみだ。
 僕が売った武器で異人が何人切られようとシーダのためならかまうものか…」
……何かを振り切るかのように呟いたマルスだが……
その異人の軍勢にかつてわずかな間とはいえ共に暮らした姉がいる事は知らない。
知りようもなかった……

…だがこうしてマルスはわずかの間に巨額の富を生み出したのである。
当然周囲の商人たちは零細のマルスがどうして短期間にこれだけ金を集めたかを訝しがるだろう。
だが証拠を残さなければよいのだ。
これからは商売の形も変えていかねばならない。
充分な利益が出たら危険な密輸からは手を引き正規の方法で物を売ろう。
…自分とタリス屋の借財を返済し…それでもそれなりの金が残るはずだ。
一枚葉への報酬を払ったらこの連中とも手を切ろう。
いつまでも付き合っていたらろくでもない事に巻き込まれかねない。
そして…残った金で店を持って…シーダと二人で………
そこまで思いを致した時である。
闇の中からふと気配が現れたのは。
「…やあ、ご満悦じゃないかマルス」
「頭目…何か御用ですかな?」
茶色の髪をした少年。年若き盗賊の首領。
リーフ…一見はみすぼらしい浮浪児のなりをしながらも都の者は彼を恐れて口を閉ざす。
「なに、ワーレンの事についていろいろ知りたくてね。教えてくれるだろう?」
「頭目…この一件が片付いたら都に戻られるのではありませんかな?」
少年は口元を歪めると小さく笑った。
何を馬鹿な事を…と言外に匂わせていた。
「戦乱と朝廷の凋落で都の財貨はほとんど消えてしまった。ああ僕らがいただいた分もあるがね。
 それにくらべてこの町の豊かな事、戦からは遠く商人たちは君を含めて一攫千金の夢を追っている」
…マルスは察した。
彼らはこの町に移って盗賊稼業を働くつもりなのだ。
「一つお約束ありたい」
「言わなくてもわかってるさ。仕事をともにした君のとこからは盗みは働かない。ああ、君がご執心のお姫様の店からもね。約束しよう。
 僕たちも生きていくのに必死でね。この町のお金持ち方からお零れに預かってもバチは当たらないだろうさ」
この胡散臭い男などまったく信用には値しなかったがここはマルスは彼の要求を聞くしかなかった。

ほどなくしてタリス屋は喜びに沸くこととなる。
店の誰からも愛されたお嬢様が意に染まぬ下劣な男と婚姻する事になってからはすっかり店の空気は沈んでいたが…
一人の若者が店を訪れたのだ。多額の金額が記された手形を持って。
モスティンははじめは訝しく思いつつもマルスを出迎えた。
だがマルスがシーダを嫁に欲しいと申し出て…シーダも頬を染めつつ小さく頷くのをみて…歓喜に捉われたのだ。
「よもやこのような事が現実にあろうとは…嬉しいことじゃ。神仏のお導きかのう」
一時は本当に娘の一生を不幸にせざるをえないと諦めていただけにモスティンはそのような事まで口にして喜んだ。
マルスにとってもこの時は人生最高の瞬間だったかも知れない。
傍らに寄り添う美しいシーダの笑顔にマルスは天にも昇る心地だった。

それから一ヶ月……
マルスは新しく建てられた店に看板をかけていた。
傍らには新妻のシーダ。義姉のエリスとその夫マリク。義父のモスティンがいる。
彼らはマルスの門出を祝いに来てくれたのだ。
あの後、借金を清算してなおマルスの手元に残った金は大きなものであり、
彼はこの金でしがない露天商から店を持つ身となったのだ。
長老連への取り成しは元々大店であり長老連に席を連ねていたモスティンがしてくれた。
「あなたは賢い子だと思っていたけどまさかこの若さで店を持てるとは思わなかったわ」
エリスがマルスを撫でてくれる。
「や、やめてくださいよ姉さん。僕ももう一つの店の店主で妻を持つ身なんですよ」
「いくつになっても弟は弟よ。それで店の名前はなんにしたの?」
「シーダと二人でいろいろ考えたのですけどね。アリティア屋と名乗る事にしました。
 いい響きでしょう?
 これから忙しくなりますよ。店員を増やして取引先を開拓して……」
さっそく勘定を始めるマルスの傍らに寄ったシーダが彼の袖を引く。
「お忙しいのはわかりますけど私にも構ってくださいね。旦那様?」
「もちろんわかってるさシーダ……」
少し前まではお嬢さんと呼んでいた彼女がこうして自分の傍にいて…その名前を呼べる。
これほどの幸福が他にあるだろうか?

その時である。開けたばかりの店に二人の浪人者がやってきたのは。
若い男女という珍しい組み合わせの浪人であった。草臥れた服に古い刀を腰に差している。
「いらっしゃいませ。あなた様方が当店の最初のお客様でございます」
満面の笑顔で彼らを出迎えると浪人の二人は奇縁に驚きつつも快く微笑んだ。
「珍しい事もあったものだな。店主。俺たちは新しい刀を探していてな」
若い男がそういうと彼と同じ髪の色をした娘も口を開いた。
「ええ、いつまでも鋼の刀ではちょっとね。いいものがあれば……ん、これなんかよさそうね」
そういって娘が手に取ったのは刀身まで黒い色をした不思議な刀であった。
だが切っ先から輝くその光は見るだけで切れ味の鋭さを思わせる。
男も並んで紅い刀を手に取る。
「俺はこれが気に入った。店主、いくらだ?」
「ええ、少々お待ちくださいね?」
何か妙だ。並べた品は全て頭に入っているがあんな刀があっただろうか?
二本ともマルスには見覚えが無かった。在庫の帳簿を見てもああいう物を仕入れた記録が無い。
だが……店先に並んでいて客がそれを所望している以上いつまでも確認に時間を取ってられない。
マルスは開店祝いも兼ねて彼らに格安でその刀を売った。
二人は大いに喜びマルスに何度も礼を言いながら店を出ていった。

……こうして三百年以上の歴史を持ち現代も財界のトップをリードするアリティアグループ。
その前身たるアリティア屋はその第一歩を踏み出したのである。

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