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Last-modified: 2014-02-06 (木) 17:36:51

巫女は空を見上げていた。
燦然と輝く星の大海が天蓋のごとく空を覆いつくしている。
幾多の宿星が輝いては消え輝いては消えていく…
それは巫女にこの混沌たる戦国の世において幾多の群雄豪傑たちが天下を目指しながら志半ばに消えていく様を思い起こさせるに充分なものであった。
…巫女…ミカヤが瞬いて消えゆく星に弟エリウッドの死を知ったのはつい二週間前のことである。
「ミカヤ…また星を見ているの?」
巫女の肩に乗る小鳥…かつて呪いを振りまいた神であり今や旅の道連れとなったユンヌがミカヤの耳元で囁きかけた。
顔を見ることすらかなわなかった弟の事を悔やむミカヤを気遣っているのだ。
「……エリウッドの事は悲しいけれど……今は立ち止まる時じゃないわ…それに…気にかかる事があるの」
訝しがるユンヌにミカヤは一枚の巻物を広げてみせる。
両親がミカヤに送った…ミカヤの旅の始まりとなった一枚の手紙だ。
そこにはミカヤの弟妹たちの名と養子に出した先が書き連ねられていた。
「…この手紙がどうかしたの?」
ユンヌも一度この手紙は見せてもらった事がある。
それを改めて見せた事にはどんな意味があるのであろうか?
「ここ…アイクとエリウッドの名前の間……やけに行間が大きいと思わない?それに…墨が滲んだ跡があるの」
言われてみると何かを書き付けて…それが水か何かでふやけて汚れ、読めなくなったようにも見える。
この手紙が飛脚によってミカヤの元に届くまで何十日もかかっているだろうしその間に雨に降られたり何か汚してしまうような事もあったのかも知れない。
「もしかしてこの間にもう一人名前があったり?…なーんてね。そんな伝奇物語みたいな事がそうそうあるわけないじゃない」
ミカヤの気晴らしにでもと茶化してみるユンヌだがミカヤの瞳は真剣だ。
「…わからないわ。それに…わずかだけど感じるのよ。私の宿星に連なる星を…見分ける事もできないけれど…
 ずっと遠くで…あるいは遥か彼方の別の空にその星が輝いているのかもしれない……私の星と交わることは無い…それだけははっきりと感じてしまったけれどね」
ミカヤは悲しげに呟く。
何者かも知れぬ…あるいは自分の弟妹の一人かも知れぬその者とは生涯会う事はあるまい。
巫女としての霊力はわずかな予知ではあるがそれを感じさせたのだ。
「ふーん…ならさ。返ってよかったんじゃない?別の空の遥か遥か異郷なら…戦国の世の中とも無縁でしょ。
 案外元気に生きていくんじゃないかな?」
勤めて暢気に明るい声を出すユンヌの気持ちにミカヤは微笑を返す。
そうだ。それを気にしすぎてもどうにもならない。今はデインを目指す歩を早めよう。
彼アイクという名の弟をデインの将ガウェインに預けたと両親の手紙には記してあるのだ―――――――
遥かな異郷…大海を隔てた大陸に至り草原を超え山脈を越え荒野を越え絹の道と呼ばれる数千里にもわたる長大な道を踏破していたる大陸の西側…
そこは神の子ブラギが架けられたとされる十字架を抱くエッダ教圏諸国が支配する地である。
諸国の王は時に争い時に和議を結び、動乱と平和を繰り返して発展してきた。
それが翳ったのは数年前の事である。聖地を巡る対立を発端にエッダ教会の教皇クロードは諸国の王に中東ジャハナへの遠征を呼びかけた。
異教徒への憎悪か、ブラギ教徒としての宗教的情熱か、領土拡張や戦利品目当て…あるいは個人の武勇を誇るため。
さまざまな理由で諸国を離れた軍勢はブラギ十字軍と呼ばれ海峡を越えてジャハナを目指した。
まさにその間隙を縫うように東洋を支配し大陸中部まで征服したサカの騎馬軍が東欧に侵入。
取り急ぎ集められた諸国の軍勢は主力を欠く寄せ集めにすぎずイリアの会戦でラスの率いる軍団に大敗し東欧の王国はことごとく征服されてしまった。
この事態に焦った教皇クロードは十字軍遠征を中止し諸国の騎士団を急ぎ呼び戻したのだ。
中東に続くペレジア海峡は連日多数の騎士を乗せた船で埋め尽くされた。

その船の中に一人……東洋人の騎士の姿があった……

その男は船の看板に立ち大きくなっていく西洋の大地を見つめていた。
年の頃は二十歳ほどだろうか。すらりとした長身に頑強なフルプレートアーマーをまとい腰にはロングソードを下げている。
彼もまたジャハナから西洋に取って返す十字軍の一員であった。その証に背中にしょった盾には十字の紋章が掘り込まれている。
エッダ教圏諸国の一つ。イーリス王国の騎士クロム……それが彼の名であった。

「クロム卿。ここにおられたか」
二人の騎士が看板に姿を見せる。同じ騎士団の同輩ソワレとソールである。
「ああ…貴卿らも風に当たりにきたか?」
緑なす髪のソールが答える。
「砂漠の風は熱かったからね。故郷の風が懐かしいのさ」
「…そう暢気でもいられないよ。すぐにまた戦さ。東洋人が大挙して攻めて来たっていうじゃないか。
 我らの地を守るためにもエメリナ様の御為にも全力で撃退しなければね」
騎士らしい勇ましさを見せるソワレの肘を軽く突いたのはソールだ。
ソワレもそれにソールが何が言いたかったのかを察した。彼ら西洋人と違い東洋人であるクロムが東洋人と戦う事になる…そのあたりを気遣ってやれといいたいのだ。
だがクロムは頭を振った。
「…気にするな。俺はエメリナ様に忠誠を誓った騎士だ。敵が何人であろうと全力で戦うだけのことだ。
 気を遣ってくれるのは嬉しいが、他人に気を遣っていては誉の勲章は手に入らないぞ卿ら?」
クロムが十字軍遠征で武功著しくいくつかの勲章を受けた事は事実だ。
だが今は冗談に紛らわせて彼らの気遣いに謝意を示しているのだ。
…それをかき消したのは嘲りの声である。
「なんじゃなんじゃ…猿の鳴き声が聞こえよるわ。いつからイーリスは東洋の黄色い猿に勲章をくれてやるようになったやら?」
鎧の音を響かせて蔑みの視線を向けてきた男はマンスター王国騎士団のレイドリック男爵である。
怒気を瞳に閃かせたソワレを片手をあげて制するとクロムは恭しく一礼した。
「これはレイドリック卿。ご機嫌麗しく……」
「んん?すまんが何を言っておるかわからんぞ?猿の鳴き声など聞き分けがつかんでな?」
嘲り笑うレイドリックと取り巻きの騎士達を見据えてクロムの唇が皮肉な形に釣りあがった。
「なるほど。先のジャハナでの戦で猿の後塵を拝した間抜けな騎士たちの面。しかと拝ませてもらった。
 次のサカとの戦いではよもや猿に遅れを取りはしますまいな?」

一瞬の後…怒りの蒸気を吹き上げるように顔を真っ赤にして怒声をあげるレイドリック男爵を適当にあしらって彼は早々に船室へと引き上げていった。
ここで少しクロムという男について語っておこう。
彼はイーリスの生まれではない。何千マイルもの大陸の彼方の島国の生まれである。
旅から旅に暮らす両親のもとに生まれついたのだが山賊に奪われ人買いに買われていった。
人買いはクロムを大陸と行き来する商人に売り、商人は大陸に渡ると彼をあるアカネイア人の太守ファウダーに奴隷として売った。
その太守ファウダーは北方から攻め来たるサカ軍から家財道具と家族や奴隷を連れて絹の道を遁走しやがて長い旅路の果てに西洋へと辿り着いたのである。
その頃には島国を出てから十年ほどの歳月が流れていた…

十三になったクロムの人生が変わったのはアカネイア人の家族がイーリスに移ってからの事である。
かの国の王エメリナは慈悲深き君主であった。ファウダーがエメリナに臣従を求めた時に彼女は太守の馬番をしていたクロムに目を留めた。
「あの子はそなたの従卒ですか?」
「いえ、あれはただの奴隷です陛下」
「…我が国では奴隷を持つ事は禁じております。これを破りし者は死罪を申し付けておりますが、我が国の法を知らぬそなたを裁くのもむごいこと。
 かの者の身柄を解き追放といたします」
話の展開についていけず困惑するクロムにエメリナは労わるようにその髪を撫でた。
言葉などなくともその瞳は慈しみに満ち溢れた…いわば慈母のものであった…
その瞳に母をみたクロムはその時からエメリナに生涯の忠誠を誓ったのだ。
はじめはただの小間使いとして城に置いてもらったに過ぎないが騎士団長のフレデリクに頼み込んで従卒の一人として騎士団に籍をおいた。
それからは異人だ奴隷だとの蔑みの目も負けずに修行を積み頭角を現してきたのである。

イーリスの騎士団が祖国に引き返してから三ヶ月…
東欧の支配を完成させさらに西洋を支配して国境線を大西洋にまで到達させようと図るサカ軍クトラ族の大軍が来襲したのは秋の事であった。
この遠征はダヤンの子カレルとカアラに指揮されていた。長兄ラスはジャハナ遠征に向かっており帝国の後継を争う彼らはラスに負けぬ武勲が欲しかったのだ。
欧州中部ヴァルムの平原に集結したクトラ軍はおよそ十三万。
迎え撃つエッダ教圏諸国は教会直属の軍勢と各国の騎士団をかき集めて十万の軍を動員した。
「ヴァルム騎士団参陣!」
「聖バルキリー修道会騎士団着陣しました!」
「ブラギ福音聖人騎士団陣立てを終えております」
「ザクソン公爵ダッカー卿より伝令!ザクソン城より二千の援兵を…」
「シュヴァイン伯セルバンデス卿より伝令!戦線は強化の必要あり!援兵を求む!」
本陣には矢継ぎ早に伝令が飛びこんでくる。
だが教皇クロードの名代として総指揮を預かるエッダ教会コープル枢機卿は未だ若年でありそもそも武人ですらない。
彼は伝令に対し的確な指示を返すこともできず指揮系統を放射線状に分散させてしまい、エッダ教圏連合軍は極めて横の連携が悪い状態でクトラ軍との戦いに望まねばならなかった。
いわば各部隊がそれぞれの指揮官の現場判断で好き勝手に戦うような状態であったのだ。
「イーリス王国騎士団フレデリク卿より伝令!クトラ軍が我が騎士団正面に動きつつあり!これより突撃を開始する。神の加護を…」
その伝令にコープルは青ざめた顔を向けた。
ついに戦端が開かれたのだ。
彼は十字を切ると聖書を片手に祈りを捧げた。
「主よ…天の父よ…我らは剣を打ち直して鋤とし槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず
 もはや戦うことを学ばない……アーメン……貴方の言葉に従うには我らは愚かなのでしょうか…」
聖書の一説をろうじてコープルは天を仰ぎ嘆いた……
馬の嘶きが響き渡りイーリス騎士団の精鋭部隊がクトラ軍の隊列に突入を図る。
「足を止めてはなりません!止めてはたちまち蜂の巣にされます!」
先陣を切る騎士団長フレデリクは号令を発すると鋼の盾を上方に構え降り注ぐ矢の雨をやりすごしながらクトラ軍への切り込みを図る。
だがイーリス騎士団が前進した分だけクトラ族は後退しひたすら矢を射掛けてくる。
重いフルプレートアーマーを纏った西洋騎士を乗せた馬と軽装備の遊牧民戦士を乗せた馬とではどうしても速度に差が出る。
装甲を持ってある程度は矢を防ぐ事ができるものの、鎧の間接を射抜く事に長けたサカ兵たちのことだ。油断はできない。
その中を一騎の騎士が駆ける。
「ええい、当たらば当たれ!でなければ幸運よ我にあれ!」
なかなか敵に追いつけぬ現状に苛立ったクロムはフルプレートアーマーの留め金を叩き壊して鎧を脱ぎ捨てたのだ。
今、矢に当たれば絶命は免れまい。
だがこれでもって騎士団の中から速度をあげて飛び出したクロムは矢のような速度でクトラ軍にむかった。
「命知らずめ!死ねい!」
数人の射手が上半身裸同然となったクロムを狙う。
だが飛び来たる矢をロングソードで叩き落し盾で弾いた彼はクトラの隊列に飛びこむと縦横に剣を振るい数人の戦士を切り倒した。
それに気を取られて速度を落としたクトラ軍にイーリス騎士団が突っ込んでいく。
接近戦まで持ち込めば重装備の騎士にこそ分がある。騎士たちは軽装備のサカ軍を蹂躙し踏み潰し蹴散らしていった。

…だがこの優勢はあくまでも一部隊の事に過ぎない。
戦況は全体としては一進一退を繰り返しどちらが有利とも不利ともつかない混沌とした情勢であった。
満足に采配を振るうことのできないコープルと、功を競って譲らずお互いを出し抜こうとして連携を欠くカレルとカアラ。
両軍とも指揮系統には相当の問題を抱えていたのだ。
だが一介の兵に大局を見ることはできない。ただひたすら目の前の敵と戦うのみ。
縦横に剣を振るい血煙を吹き上げていたクロムも素裸同然の状態で手傷を負い次第に動きを鈍らせていく。
「くそったれが……貴様らはここで食い止める!これ以上西洋に入らせはせんぞ!」
そう…ここで敗れれば次はイーリスが戦場になる。
クロムは母同然に慕うエメリナを守らんがためにもここで死力を振り絞るしかなかった。
その姿が目についたのであろう。一人の剣客が姿を見せた。
長い黒髪をまとわせた男だ。ギラついた殺気を放っている。
「できるな小僧…いいぞ……その剣…斬らずにはいられない………」
そう…サカ軍の大将の片割れ…それはダヤンの子カレルであった。
彼はサカ軍でも剣の達人としても名を知られた男である。

彼の振るう剣先は鋭く戦いに疲れたクロムはたちまち追い詰められていく。
切っ先が鼻先を掠める。突きが脇を掠り手傷を作る。
それに対してクロムのロングソードは掠りもしない。素早さが違う…
このままでは勝算はあるまい……
「強者の血で我が剣はますます鋭さを増そう!さぁその首叩き落してやるぞ!」

カレルが構えを変えた。
明らかに止めをとりにきている。
「死中に活あり…これは俺の祖国の言葉だったか…」
クロムは腹をくくった……この強敵相手に勝つには……エメリナのためには……
繰り出される鋭い青竜刀。迅雷の如き一刀。
だが…どんな達人でも攻撃に移るそのときなら…その一刀さえ受けられれば…
「肉を切らせて…なんとやらだ!」」
クロムはなんと首を狙ったその一撃を左腕で受け止めたのだ。
凄まじい切断力はクロムの左腕の肘から先を永遠に奪い去ったがそれゆえに狙いはそれ首を外した。
一瞬の驚愕に包まれたカレル…だがその一瞬で充分なのだ。
クロムの剣はカレルの首を跳ね飛ばした。
「敵将討ち取ったり!」
時の声をあげるクロムを心配して駆け寄ったのはソールである。
「クロム卿!その傷では…」
「心配するな…こんなものはかすり傷だ……」
強がってはみたが出血に意識が霞む。力を失って馬から落ちる彼は意識の片隅で戦友の声を聞いていた……

将の片割れを失ったサカ軍はカアラの判断で兵を引いていった……
西洋は膨大な犠牲を出しつつも守られたのだ。この後サカは後継争いや動乱で急速に衰退し、勢力を拡大する事は二度と無かった。
敵将を討った騎士の名は戦史書に刻み付けられ…そしてそれが彼の名を知る最後となった。
左腕を失ったクロムはその時の傷がもとで三年後に死去したとも、
騎士を退いて隠棲したとも伝えられるが正確なところ現代には伝わっていない。
「…これが騎士クロムの物語の結末じゃよ。もう五十年前の事じゃ」
老人は呟いた。
傍らには幼子の姿がある。
「おじい様……」
「柄にもなく昔語りをしてしまったな…老人の悪いくせだ…ルキナ…表に出て遊んできなさい…」
老人は孫を送り出すと窓際の揺り椅子に腰を下ろした。
左の袖が垂れている。老人には左腕がなかった……
「ああ…よい日和だ……随分と過去の事になってしまったな…エメリナ様も…フレデリク様も…ソワレ卿もソール卿も逝ってしまった。
 疲れもしたし寂しくもなったな…」

ふと老人は眠気を覚えた……
そうだな…もう休んでもいいだろう…八十七年…もう老人は生きた……

老妻スミアが居間に顔を出したときには老人は眠るように息を引き取っていた。

次回 こんどこそ

侍エムブレム戦国伝 風雲編 

~ ロイの章 咆哮 ~