「くっくっく……よろしい。賢明な判断だよ」
「ナーシェン殿のお陰を持ちまして我らも正道に立ち返ることができるというものです」
オスティアとベルンの国境に近い山間の庵―――――
うらぶれた建物の中で二人の男が声を潜めて語り合っている。
一人はベルンの将ナーシェン。歪んだ口元と他人を小馬鹿にしたような目つきが特徴の男だ。
いま一人は黒い髪に金の瞳をした端正だがどこか無機質な印象を与える顔立ちの男である。
「して、時期は?」
「そう日時はかからぬよ。我が殿は南方と東方の街道からオスティアへ向けて兵を進められる。
そなたたちはそれに合わせて事を成せばよいのさ」
ベルンの武将は唇を歪めてくくく…と小さくのどの奥で笑った。
己の智謀に浸りきっているかのようだ。
それを見つめるもう一人の男は表情も変えない。
「お約束の件は相違ありますまいな?」
「無論だとも。そなたが我らに内応してネルガルの首を取ってくれば私から殿に取り成してベルンの将としよう。
殿はゆくゆくは天下を取られる方。そうなればそなたもいずれ一国の大名となれるというものだよ」
「そのお言葉を伺い安心いたしました。ナーシェン殿…ではまた近いうちに…」
「ああ……近いうちに………」
飛び立っていく飛龍を見上げながらその男…エフィデルは呟く。
「野心の時代…ではたしかにある。ネルガル様が見る夢と同じ夢を見る資格は誰にもあろう。
ナーシェン殿にも…そして――いや……」
男は言いかけて首を振った。
本来彼らはそれを考えるようにはできていない。何故なら自分が生まれてきた意味を否定することだからだ。
「ただ唯々諾々と貴方の御意に沿うだけの存在……仮初めの我意しかもたず未来永劫貴方様に尽くすためのみの生命……
だが、だからこそ心の内に侵食してくるものがあるのですよ。
お忘れなく…私は貴方の息子なのですよ?……ネルガル様……」
金の瞳に陰りが差した………
それからほどなく………
ベルンの大名ゼフィールは諸将に号令を発す。
北国のアルヴィスが大軍を率いながらオスティアを目前にして突如反転した事は物議を醸し出したが、
なんにせよこの間に東国を平定しアルヴィスに対抗できる体勢を作らなくてはならない。
ベルン軍は東街道に主力集団を形成し進軍を開始した。
これはゼフィール自らが直卒しさらに余力としてゲイルとブルーニャ、ヴァイダらの将を伴いその兵力はおよそ二万。
南街道からはマードック率いる別働軍一万三千がオスティア領内に入りつつあった。
ネルガル方に二正面作戦を強い兵力を分散させる事にその狙いがあるといえる。
ナーシェンの策がうまくいけばよし、いかなかったとしても敵に混乱を与えられれば後は正攻法を持って叩き潰すのみだ。
ゼフィールは奇策と正面作戦を組み合わせネルガルに付け入る隙を与えぬつもりであったといえる。
同時にナーシェンに過度の信頼を与えていないことも伺える。
事実彼はナーシェンをさしてあてにしていなかった。
オスティアへと続く街道の中――――
馬の背に揺られながらゼフィールは覇気と虚無とが綯い交ぜになった瞳でただ真っ直ぐ前を見据えていた。
無言で馬を進めるその姿は威圧感に満たされながらもどこか空虚でもある。
うかつに近寄りがたい雰囲気を発しているその男に物怖じせずに声をかけたのは将の一人ブルーニャだ。
「殿………」
馬に揺られる巨漢はゆっくりと口をひらいた。
「…なんだ?」
「失礼。殿がどこか別の世界にでも思いを馳せてらっしゃるように見受けられましたので」
それは必ずしも確信を込めて言った言葉ではない。
ただゼフィールがこれから向かうオスティア……そしてこれからの戦いにではなく何か遠い物に思いを馳せているようにブルーニャには思われたのだ。
ゆえにそれを世界という言葉で形容してみたに過ぎないものであったが――――――――
だがそれはある意味で見事にゼフィールの心の中を付く言葉であった。
ブルーニャは知る由もない事であるが。
一瞬……ほんの一瞬だけ表情を歪めた覇者は誰もが射竦むような眼光を臣下に向ける。
「……ご、ご無礼を…出すぎた事を申しました」
冷や汗を滲ませて頭を下げるブルーニャから目線を逸らすとゼフィールは伸ばしていた顎鬚を撫でながら小さく呟く。
「別の世界に思いを馳せるのは我らの世界を掌握してからにしようか。
貴様の尽力に期待する」
埒も無い――――――――
結局のところ自分はあの日から一歩も前に進めていないのだ……
天下にいくことが心の飢えを耕すことになるのだろうか………
そしてこれほど大規模な派兵はたちまち東国諸州に知れ渡るものである。
先のネルガルの傀儡の襲来を退けたウーゼルら先のオスティア大名家の残党らはゼフィールの動きを受けて連日軍議を開いていた。
東国に置ける戦況の変転は目まぐるしいものがあり風のむく先をしっかりと捉えて置かねば彼ら小勢力はたちまち滅ぼされてしまうであろう。
それだけに列席した者たちの表情も真剣である。
軍議の口火を切ったものは老将マーカスであった。
「まずは……最終的な我らの帰属…その辺りを考える必要があると存じます。
つまりは誰が最後に天下を取るか…そこを考慮して動く必要がござる。口惜しいがゼフィールが今後天下を取りうるならそれに帰順して生きる道を探るべきでしょうし、
アルヴィスがそれであると見るならばこれに助勢して領土の安堵を得るべきでしょうぞ。なれど一つ申し上げるならば…ネルガルのごとき外法の輩に付くことは武家として恥じるべきこと」
たしかにオスティアは元々はベルンと長年戦ってきた間柄だ。
ゆえにそう簡単に帰順を考えられるものではないがもはやかつての勢力を有さないウーゼルらは現実と向きあわねばならない。
もはや人数も少ないウーゼル配下の将たちが呻き声をあげる。
その中でももっとも眉根を寄せて苦虫を噛み潰したような顔をしているのは若武者ロイである。
二十を過ぎて間もなき青年はかつて義母セシリアをベルンに奪われ、さらにはとある合戦でゼフィールに敗れて瀕死の重傷を負った。
彼にとってベルンはまさに不倶戴天の敵であったのだ。
「マーカス殿……!なれどベルンは…」
「主の言いたいこともわからんでもない。じゃがここで判断を誤っては我らは滅亡の淵に無意味に飛びこむだけとなるぞ。
我らはもはや独立勢力として寄って立つ力は無いのじゃ。今後の趨勢をよく考えてどこにつくか決断せねばならぬ」
「ふむ……」
かつての大名ウーゼルが小さくうなる。
もはや数は少なくなったとはいえ彼は臣下や郎党に責任を持つ身だ。
どのように身を処すれば彼らの将来に繋がるのかを考えなくてはならない。
ゼフィールかアルヴィスか……どちらにつくか……ここで判断をややこしくしているのは東国の戦況に介入しようとしていたアルヴィスが突如北国に帰ってしまったことである。
ウーゼルも万能ではない。なぜアルヴィスがそのような行動に出たのかまでは知りようがなかった。
喧々囂々と纏まらぬ軍議はまさにウーゼルの迷いそのもののようだ。
そこに戸を開いて駆け込んできた者がある。
ロイの家臣ロウエンである。
「申し上げます!ゼフィールの進軍に応じてネルガル方もオスティア城より兵を繰り出しつつあり!
ネルガルは篭城を選ばず!野戦の意向にございまする!」
どよめく将たちにウーゼルは落ち着き払った声を発した。
「当然だ。勝負が付くまでに時間のかかる篭城戦をしておってはまたいつアルヴィスが南下してくるかわからん。
ネルガルもゼフィールも早々に勝負を決めたいと見えるな」
「なれば……」
「…オスティア城は手薄になろう。どちらに付くにせよ流軍と城持ちとでは格付けが違う。
取られた物を取り返す時は今ぞ!」
ウーゼルは冷静であった。
ネルガルから城を取り戻して自分たちの価値を高め、その上で城に篭って戦況を見つつ帰順先を定めようというのである。
さらにはネルガルの軍の後方を乱す事でゼフィールに恩も売れる。
無論今の衰微した勢力ではできることに限りはあるが………
郎党のためによりよい未来を彼は選択しなければならなかった。
軍議が終わり、戦の準備に足軽たちが砦の中を走り回る中……
赤毛の青年は無言で稽古場に入ると居合いの構えを取る。
刀が鞘走りの音を立て巻き藁をたちまち切り裂いた。
だが……切り口は粗い。それはまさしく彼の心の乱れを指し示すように。
「………っ」
そうだ。磨いた剣はゼフィールを討つためにこそ磨いたものなのだ。
だが殿はゼフィールと戦う道を決断してはくれなかった。
ならばこの太刀を何に向ければいいのか……
無論ネルガルはエリウッドの父エルバートを死に追いやっておりフェレ家としてはこれもまた討たねばならぬ敵である。
それを討ってのち…殿の決断次第ではゼフィールの下に付くことになる……
ロイにとっては受け入れがたいことであった。
その時である。
大きな影が周囲を覆ったのは。
天をつくような巨漢が稽古場に姿を見せていた。
隆々たる筋肉に鮮やかな刺青を掘り込んだこの無宿人は先の合戦で数十人もの傀儡兵をその豪腕で打ち砕いた豪傑である。
ロイもネルガルに操られていたこの男と戦ったがその怪力無双には舌を巻いたものであった。
「イラついてるんじゃねぇよ。みっともねぇ」
「ヘクトル殿か……」
剣は心を映す鏡。太刀筋にロイの苛立ちは如実に現れていたのだろう。
「そうだ。確かに私は苛立っている……彼の者を討たんがために我が太刀は鍛え上げしものを……」
「……やってみな…」
「何?」
「さっきの居合いだ。俺に向かってやってみな。彼の者とやらが討てるかどうか俺が見てやる」
何を言い出すのかこの男は。
だが生身とはいえ太刀くらいでそうそう討ち取れる男ではないことは先の戦いでわかっている。
なら試してやろうではないか。
ロイは太刀を鞘に収めなおすと低く構えた。
ヘクトルは構えをとらない。彼の戦法にはそもそも構えというものがない。
それがいかにも自分を軽んじているようにも感じられてロイの勘気を誘う。
彼は鋭い踏み込みから裂帛の居合いを抜き放った……
鞘走りの音が鳴り響く。並みの者なら首が飛ぶか胴切か……
だがヘクトルは微動だにしていなかった。鋼のような腹筋がロイの太刀を跳ね返していたのだ。
僅かに血が滲んでいるが薄皮一枚切れた程度か。
「………っ……」
手が痺れる。まるで金属片を金槌で叩いたかのような痺れが掌に伝わってくる。
「イラつく以前なんだよ。戦う戦わないの以前にお前の剣ぐれぇじゃそもそも通用しねぇ。
俺に通じねぇもんで倒せる程度の野郎なのかそいつは?」
「ヘクトル殿…そなたは厳しいが優しいな。少しすっきりした。
次の戦に備えて稽古を積んでおくとしよう。付合ってくれるか?」
「……妙な言い回しすんじゃねぇよ。単なる気紛れだ」
この男はもしかしたら照れ屋という奴だろうか?
だが悪い気はしない。
そうだ。どのような形になるにせよ今はただ腕を上げることを考えるのだ。
機会が至った時にそもそも通用する実力が無いのでは話にならないのだから………
この三日後。
ウーゼルの軍勢はオスティアの城を目指し進軍を開始した………
続く
侍エムブレム戦国伝 梟雄編
~ ミカヤの章 陸絶陣 ~