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Last-modified: 2014-02-12 (水) 14:15:03

「おうおう……どいつもやる気満々だなぁ」
眼帯の男は愛龍の鱗を撫でると遠方の戦場に目線を向けた。
ここはデインとクリミアの国境を二十五里ほどもクリミア領内に押し込んだ丘の上に設けられたデイン軍の陣地である。
アシュナードの布令に意気上がるデイン軍は破竹の勢いでクリミアの国境を突き破り、
七つの砦を落とし十五の村落を占領し着実に進撃を重ねていたのだが、クリミアの大名ジョフレの右腕と左腕…
二人の侍大将ケビンとオスカーの両将の防御陣地に突き当たること五日、未だこれを突破できずにいる。
今日こそこれを踏み破らんと武者たちがこぞって出陣していく中、その男は寝過ごして置いてけぼりをくったのであった。
どこか弛緩したような空気を漂わせたその男はもはやもぬけの空となったデイン本陣で欠伸混じりにつぶやくと軽く肩を鳴らすような仕草をする。
さて、どうしたものかな……
「ハール殿…ハール殿!!!」
どうやら陣地に残っていたのは自分だけではないらしい。
けたたましい声が聞こえてくる。
赤い髪をした武者が険しい視線をこちらに向けていた。
「なんだジル…お前も寝坊か?」
「寝坊か…ではありません!姿が見えないから探しに来たのです!何をなさっているのですか…このままここで呆けていてはお味方に武勲を独占されてしまいます!」
「かまわんかまわん…手柄を欲しい連中に機会は分けてやろう。んじゃ俺たちは奴らの戻る場所を固めていてやろうか」
「な……何をおっしゃるのですか!飛龍武者はデイン先陣の花形と定まっているのにそんなことで……」
眼帯の男は苦笑を漏らす。
生真面目な表情でさらに眉を吊り上げる若い武者を前にハールと呼ばれた男は頭をかくような仕草をした。
「んなこと言ったってお前。もうとっくに俺たちは出遅れてるぞ」
「後からでも戦っている僚友の加勢をするべきです!」
「増援なんて誰もありがたがらんよ。手柄を横取りする気かと疎ましがられるだけさ」
「もういいです!それならハール殿はここで待っていてください。私だけでも……」
苛立ち血気に逸った若武者が己の飛龍の手綱を握る姿を見て眼帯の男はつぶやく。
「……お前、デインの大名になりたいのか?」
「な……」
そう、デインの大名アシュナードはクリミアとの戦で一番手柄を立てた者ならたとえ足軽だろうと己の跡取りに取り立てると布令を出している。
当然のごとくデインの将兵は意気上がり、それは良い面では士気の高さに繋がり各地でクリミア軍を打ち破ったものの負の効果ももたらしていた。
僚友同士の足の引っ張り合いや出し抜き合いが横行し、誰もが傍らに立つ同志を同志ではなく競争相手と見なすようになりつつあったのだ。
ハールにはジルが功を焦っているように感じられたのだろう。
絶句するジルにハールは言葉を次ぐ。
「…今出陣すればお前、死ぬぞ」
「わ…私とて新兵ではありません。サカとの戦に出たこともあります。そう易々と討ち取られたりはしません!」
その言葉を己の未熟を指摘しているものと受け取ったのだろう。ジルは負けん気の強い言葉を吐くと飛龍の翼を広げて合戦場へと飛び去っていった。
「熱くなっちまってまぁ…若ぇなあ」
武士が武勲を欲するのはほとんど本能のようなものだ。
合戦で身を立て誇りを立てる者が武士であるのだから。だが功を焦る者は例外なく死ぬ。
それはハールが二十年近い戦場経験で思い知ったことであった。
「飛龍武者はデインの花形。一番に切り込み空を制する猛者の群れ…ね。そう豪語したのはどいつだったっけなぁ…
 もう九割六分の仲間が死んだ。臆病なくらいでちょうどいいんだがな」
そう、ハールと同じ時期に飛龍に乗った者で生きている者はほとんどいない。
飛龍は空を制し、戦場を立体化した新たな兵法の花形ではあるが、同時に身を隠す物のない空で他の味方の支援を受けられないことも多く、
その損耗率は群を抜いていた。三度戦場に出て生き残れば熟練者扱いされるような状況である。
「…ったく、放っとくわけにもいかんか」
彼は手綱を取ると空に飛び立ち若武者が戦場に舞ったよりも遥かに低く、地上すれすれを這うような高度で戦場へと向かっていった―――――
突風が巻き起こりクリミアの足軽達がかまいたちに切り裂かれる。
まだだ。この程度では足りない。黒い髪の妖術師はクリミア方か築いた柵を乗り越えると飛びかかってくる敵兵に立て続けに妖術を浴びせて屍に変えていく。
「陣は横陣…守りに徹している…なら敵将は敵陣の中央奥。面倒ですね…まったく。僕に指揮権があれば一方的に完勝して見せるのですが」
だがそれは不可能だろう。
デインの誰もが手柄を競い合い争いあってる現状では。
指揮命令を下しても出し抜こうとしてどこかで必ず綻びが生じる。
ゆえに結局力押しの勢い任せの戦になってしまっているのだ。
ここまではそれがうまく作用してクリミアを破ってきたがこの勢いを保って城下まで雪崩れ込めるかは定かではない。
何より長年学んだ兵法を活かす場がないことはセネリオにとって不本意なことであった。
父、アシュナードは手柄を立てた者を次の大名にすると言った。嫡子の自分をないがしろにして。
「貴方から見れば僕もペレアスも柔弱かつ脆弱な存在としか映らないのでしょうね。父上」
そう、父アシュナードは誰よりも力を尊ぶ。だが父が信じる力とは武力だけではないはずだ。
そう思ったからこそセネリオは誰よりも優れた知力を持って強者たらんとしたのだ。
だが現実は意のままにならぬ。
彼は軽く首を振ると眼前の戦場を見据えた。
一つ下の弟ペレアスもこの戦場のどこかで戦っているはずだ。
自分と違い要領も悪く力も弱く、妖術とてそれほどうまくない弟の事。もう死んでいるのかも知れない。
「……競争相手が一人減るだけのこと」
さて、彼が気にかかったとあえて認めたくないのか。セネリオは呟きを漏らすと再び念を集中し掌に妖気を集中しはじめた。

クリミア方の第三陣が刀や槍を携えこちらに向かってきていたのだ。
デイン側が内部にかなりの問題を抱えて戦を進めていた事に比べてクリミア側も事情は苦しい。
防御陣地を任されていた両将、ケビンとオスカーは本陣から戦況を見やっていた。
この陣地でデインの攻撃を受け止めてからすでに五日。一兵たりともデイン兵の突破を許してはいなかったがクリミア方の被害も無視できない。
今日も陣地に激しい攻撃をかけてきている。
「おのれデイン兵共が調子に乗りおって…ちと鼻っ柱をへし折ってきてもかまわぬかオスカーよ」
猛将ケビンが額に青筋を浮かべていきりたつ。
もとより攻め手にかけて強さを発揮する武将ではあるがこのような防衛戦は気性に合わないのであろう。
オスカーは細い瞳をさらに細めて彼をなだめた。
「将が前に出すぎては指揮を取れなくなってしまうし戦況も把握できなくなる。我らはあくまで本陣にあるべきだ。
 戦は今日明日で決着が付くようなものではないのだから腰を落ち着けてかからんと」
「だがな。このまま守り一辺倒では兵の士気にも関わる。
 打って出て奴らの背後を脅かした方が敵の退却を誘えるのではないか?」
それにオスカーが己の思うところを述べようとした瞬間の事であった。
足軽の一人が空を指差して高い声をあげたのである。
「抜かれた!数騎、飛龍武者が!」
「…なかなかどうして敵もやるものだな…弓隊は何をしておったのか…」
苦虫を噛み潰すような顔をしてオスカーが呻く。
前線はすでに敵味方が入り乱れつつある。頭上の敵にまで注意を回す余裕がなくなっていたのだろう。
だが本陣にも充分な守備隊を配置してある。見たところ突破してきた敵は百に満たない。あれくらいならば問題はあるまい。
「構え……焦らずに引き付けて……」
オスカーの号令の元、柵や見張り櫓の兵たちが弓に矢をつがえる。
距離が縮まってくると飛龍武者の一騎が名乗りを上げた。
「我はデインの飛龍武者!シハラムの子ジル!敵将!いざ尋常に勝負せよ!」
その言葉にいきりたったケビンが一歩前に出る。
だが彼が名乗り返す前にオスカーは手刀で空を切り裂き号令を発した。
「構うな!射かけよ!」
一斉に放たれた矢がデインの飛龍武者たちを貫いていく。
絶叫をあげた武者が飛龍の背から墜落し上空から地面に叩き付けられて二度と動くことはなくなっていく。
「お…臆したか!私は一騎討ちを……!」
赤い髪の武者が必死に矢の雨を避けながら喚いているがオスカーは一切取り合うつもりはなかった。
ここで挑発に乗って将が命を落とすようなことがあらばクリミアの城までデインを阻む者がいなくなってしまう。

……先日クリミアの城中では大名ジョフレの正室、エリンシアが婚礼十年ほどもしてようやく待望の懐妊を迎えたと吉報があったばかりなのだ。
クリミアの隆盛のためにはどのような手を使うことも厭うまい。

やがて最後の一騎となっていた赤い髪の武者が射抜かれて血飛沫をあげながら地上に墜落していく。

「片付いたか。よし」
「よしではない!貴様…一騎討ちを望む敵にあのような…」
「ここで敗れるわけにはいかないんだよケビン」
オスカーはそれのみを言い捨てると眼前に目線を向ける。
さぁこれで敵の突破は阻んだ。次の事を考えなくてはならない。
意識を切り替えようとする彼の視界に映った物は、弓で狙いにくく視界にも捕らえにくい…地上すれすれを高速で飛んでくる飛龍であった。
「い…いかん…これが狙いか!?」
囮を持って自分たちの意識を上空に引き付け、その間に地上すれすれを高速で踏破して本陣を直撃するつもりか…
まんまとしてやられた…ここまで接近を許しては弓は射れない。速度の差から退却も不可能だ。
迎え討つしかないか…彼が槍を手に取った刹那。
龍に乗った隻眼の男は地上寸前で赤毛の武者を受け止めるとこちらに一瞥すら返さずに翼を返して飛び去っていった……
このまま突っ込んでいればケビン、オスカーの両将のうちどちらかは討ち取れていたかも知れなかったが…
武勲になど興味は無いとばかりに隻眼の男の龍は戦場を離れていった。
「私の生き方は嘘ばかり……少し感傷的になっているのでしょうや」
クリミア城の奥深く。ほんの一握りの者しか立ち入る事を許されぬ一角。
いまや人前に姿を見せる事の無くなったクリミア正室エリンシアは嘆く。
覚悟も決意もすべてクリミアのために捧げたはずではある。
はずではあるが時に覚悟の面の隙間から脆さや弱さが零れ落ちるのだ。

懐妊中であるために安静にせねばならぬ…という名目で人前から姿を消してはいるが、事情を知らぬ者が彼女を見れば驚くことであろう。
懐妊の報が流れてから数ヶ月にも関わらず彼女の腹はへこんだままである。

先代ラモンの子というのも嘘。
ジョフレの子を身篭ったというのも嘘。
「嘘偽りも貫き通せば真実となりましょう…今や貴女様がラモン様の御子であることを疑う者はおりませぬ。
 御子の事とて同じ事」
側役のルキノが慈しみの篭った瞳でエリンシアを労わった。
「養子の…私と殿の子となる子の人選は…定まっているのですか?」
「は……奥方様の出産の…そういう事になっている時期頃に子を産むであろう城下の者たちを密かに当たっております。
 幾人か候補はおりますが…時期的にもっとも調度よく、なおかつ両親共に健康、頑丈な子を産むと期待される者に絞込みを進めました。
 クリミア城下、豆腐商人ボーレとミスト夫婦と申す者たちです。妻のミストは懐妊して半年頃になりますゆえ」
「……強引に事を進めてはなりませんよ…惨い事をすると承知はしていますが…
 せめて納得して…よくお話をまとめますように…このような事で許されるとは思いませんがせめて暮らしに困らぬよう計らいますように」
「……心得てございます」
クリミアの存続のためとはいえこれから生まれる子を奪うような事をするのだ。
この一時だけでも許されざることだろう。
それが免罪符にならぬと知りつつもエリンシアはせめてきちんと保障をするようにルキノへと申し付けた。

ふさぎこむような表情を見せたエリンシアに話題を変える必要を感じたのであろう。
ルキノは殊更に明るい表情を作って見せた。
「そういえばご存知ですか?かの夫婦の兄は随分名を轟かせた剣客だそうです。
 武者修行の旅をしつついくつも武勇伝を立てているとかで」
「……剣客?」
「ええ、ノルダで二人組の辻斬りを討伐したり月光流の猛者を一騎討ちで討ち果たしたりと聞き及びます。
 縁あらば当家で召抱えたいものですね」

剣客……どのような武者なのだろうか。
自分も腕には覚えがある。エリンシアは苦笑した。
強者に興味を抱いてしまうのは太刀持つ者の本能のようなものだ。
その者の甥なり姪なりになる子を養子とするのだからあるいはどこかで縁が繋がるだろうか………

「風が流れていくな…西へ……」
エリンシアが思い描いたその男は渡り鳥が西へ飛んでいくのを旅の山道で見上げていた。
傍らには盲目の男が立っており彼の言葉に応じる。
「いいかも知れないね。西は最近戦が激しくなって武芸者も集まっているらしいよ」
この男にはこの男で別の思惑もあったのだが……
それはさておき。
「そうだな……旅に出てもう何年になるか……一度、親父の墓参りに戻ってもいいのかも知れんな…
 それに妹夫婦の顔も何年も見ておらんしな」
流れて流れて…漆黒の武者の手がかりも…「天空」の手がかりも得ることができぬ。
ただひたすら走ってきたが…一度原点に返るのもよいのかも知れぬ。

男は西への一歩を踏み出した――――――

次回

侍エムブレム戦国伝 梟雄編 

~ アイクの章 石の城の華 ~