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Last-modified: 2011-06-06 (月) 21:53:02

197 名前: 侍エムブレム戦国伝 生誕編 エイリークの章 落陽 [sage] 投稿日: 2011/01/24(月) 16:28:14 ID:m7FpkdHw
常に何かが満たされない。
傍らにあるべき何かが無い。
記憶にも残らぬような幼い日に失ってはならない物を失ったような気がする。
それは夢か幻か――――――判っている。本当は夢と判っている。
だが………胸の内に微かに浮かぶ寂寥の思いはなんであろうか………

少女は布団から身を起こすと頬を塗らす涙を拭った。
すでに夢の記憶は朧げに霞みつつある。
慌ただしく布団を出ると部屋の片隅の小物入れから筆と墨を取り出す。
今この時の記憶を書き留めて置かないと何かを永遠に失うような気がして――

少女は短冊に筆を走らせた。
一語一語を言の葉に乗せて―――

「朝露に 朧と浮かび 面差しの いと懐かしき 秋の一日」

少女――エイリークが齢五を迎えたある日の事であった………

シエネの都は千年王城。
かつて神代の時代に皇祖神アスタルテがこの地を紋章の国の中心と定めて以来、
歴代の帝が朝廷よりこの国を治めてきた。
だがそれももはや過去の事である。
ここ百年ほどは朝廷の権威も実力も失墜する事甚だしく諸大名は各地で動乱を繰り返し、
栄華を誇った都は幾度も戦火に焼かれてすっかり荒れ果ててしまった。

平安の古には隆盛を誇った貴族達も今ではかつての栄華が嘘のような質素な暮らしに甘んじている。
今は公家の時代ではなく武士の時代であった……

公家の一つ、ルネス家も例外ではない。
かつて壮麗を誇った邸宅も土地の半分は生活に困って売ってしまい、
家僕の人数も最盛期の三分の一ほどまで減っていた。

「それでは行って参るぞ」
ルネス家当主ファードは朝廷に置いては正三位の官位を持ち大納言を務める重臣の一人。
その服装は相応の物であるが…娘のエイリークは知っていた。
服の裏地は繕いだらけであると……烏帽子もどこかくたびれている。
「いってらっしゃいませ父上」
子供心に父の後ろ姿がどこか切なく思えた。
ファードが乗る牛車を操る御者も家僕の長ゼト自ら勤めている。
本来ならゼトのやるような仕事ではないのだが人を雇う余裕もないのだ――
198 名前: 侍エムブレム戦国伝 生誕編 エイリークの章 落陽 [sage] 投稿日: 2011/01/24(月) 16:28:56 ID:m7FpkdHw
都の通りを牛車が進んでいく。
御者席のゼトは油断無く周囲に視線を向けている。
腰の刃を確かめなおす。彼はまだ若く二十歳にもなっていなかったが剣術には自信があった。
かつて平穏であった都は荒れ果て盗賊が跳梁するような有様になってしまった。
一週間前にはロストン家の式部卿マンセル殿が出仕途上に襲われて牛車の牛を奪われる羽目になった。
それ以前には中納言ヌミダ殿の屋敷に盗賊共が押し入り家人皆殺しの上で金品を略奪している。
ヌミダ殿の葬式はいまだ記憶に新しい。

本心を言えばもっと護衛を雇いたいのだが……すでに凋落した朝廷や公家達には無理な相談である。
ゼトは小さく溜息をつくと牛の手綱を操った。
両脇に流れ行く景色…ほとんどの建物が修理もされずにうち捨てられており、
何件もの廃屋が寂しげな姿を晒している。
どこか濁った瞳をこちらに向けてくる浮浪児達を睨み付けると牛を急がせた。
隙を見せたら懐から何を抜いてくるかわかったものではない。
「まことに嘆かわしいことだな…」
だが……憂う事ばかりでもない。
今日は御所で祝賀の日だ。
紋章の国を統べる天子様がご生誕されたのだ。
憂いばかりのこの現世でそれは大きな吉事とゼトには思えた。

先帝ミサハが崩御されて以来十年近く帝の座は空位であった。
初代オルティナ帝の故事にならい、この国では男子が帝位に付くことは認められていない。
皇家では待ちに待った女児の誕生であっただけに喜びもひとしおである。
サナキと名付けられたその娘は公家達にとっては希望であった。
帝はアスタルテの血を引く現人神と信じられており祭祀に置いても重要な位置を占める。
その帝が不在であったがために多くの宮中祭祀がこの十年執り行えなかった。
それゆえに八百万の神々の力が大きく衰えて今日の事態を招いたと考える者は少なくない。
だがそれも今日までの事のはずだ。

「これで国運も立ち直ろうぞ。エイリーク様が成人される頃にはルネスもかつての栄華を取り戻すであろうな。
 どこかよい嫁ぎ先も見出せよう」
忠実なゼトの望みはルネス家の繁栄と小さな姫君の幸福であった。
199 名前: 侍エムブレム戦国伝 生誕編 エイリークの章 落陽 [sage] 投稿日: 2011/01/24(月) 16:29:47 ID:m7FpkdHw
当主が留守となったルネス家の邸宅ではゼトが思い浮かべる小さな姫君が庭で蹴鞠に勤しんでいた。
相手を務めるのはロストン家の姫君ラーチェルだ。
年も近く屋敷も近い二人はとても仲がよかった。
「それっいきますよラーチェル!」
「優雅に…華麗に…返球いたしますわっ!」
二人の間を鞠が行き交う。
蹴鞠が一段落ついてしばしの休憩をとることにした二人は縁側に腰を下ろして他愛ない話を楽しんだ。
その時…ふと今朝方見た夢を思い出したエイリークはラーチェルに話を聞いてもらおうと思い立った。
「ラーチェル…わたくし…不思議な夢を見たんです…」
「まぁどんな夢ですの?」
他に返事の返しようもない。青い髪の毛先を摘んで弄りながら憂い顔をする親友をラーチェルは見つめた。
「……よくは覚えていないのですが…知らない男の子が私の名を呼んでいた気がするんです…私と同じ年頃の子だったと思います」
「恋煩い…ではありませんわよねぇ…知らない方相手では…う~ん…これはあれですわよ。
 きっとその子はエイリークに片思いをしているのですわ」
「あの…ですから心当たりの無い方…だったと思うのですが…」
「だから片思いなんですわよ。きっとその方はどこかでエイリークを見かけて一目惚れしたのですわ。
 そして恋思うあまりお百度参りでもしてエイリークとの恋愛成就を願って…その願いが強いあまり生霊になって夢に出たのやも…」
……なんだかそう言われると薄気味悪い気もするが……
それにしてもこの友人はいまだ五歳なのに随分とませた事を言う。
「これはいけませんわね…邪恋は祟りに変わると聞きますもの。さっそく神社でお札を貰いに参りましょう!
 それを使えば妙な生霊なんて寄せ付けませんわ!」
その上この親友は思い込みが強い。すでに夢に出た少年は悪霊か妖怪の類にされてしまったようだ。
「けれどもうすぐ日が沈みますよラーチェル。従者が迎えに来るのではありませんか?」
ルネス家を尋ねる折、ラーチェルは家僕のドズラが操る牛車に乗ってきた。
今ドズラは別室で休んでいるが間もなくラーチェルを連れ帰るだろう。
「……よし、今のうちに牛車を奪って神社に行きますわよ!」
「ら、ラーチェル!?」
「ドズラは日が暮れたら神社に行くなんて絶対承知しませんもの。
 でも今日のうちにお札を手に入れないとエイリークが悪霊に取り殺されるかも知れませんわ!」
なんとか宥めようとするエイリークを強引に押し切ったラーチェルは玄関に止めてあったロストン家の牛車にエイリークを押し込んだ。
牛車を見ていたルネス家の門番が訝しく思って声をかける。
「はて…お帰りですか姫様?ドズラ殿はいかがされました?」
「これも友のため!天地神明正義のためですわ!」
門番の声に一顧だに返さずラーチェルは牛を柱に括ってあった縄を解くと御者台に飛び乗り、
牛の尻を鞭で打った。
たちまちけたたましい声を上げて牛が走り出す。
「お、お待ちを!?姫様、姫様ぁぁ!?」
待てといわれてももう止めようもない。
手綱を握ったラーチェルは駆け出した後の事など何一つ考えてなかった。
200 名前: 侍エムブレム戦国伝 生誕編 エイリークの章 落陽 [sage] 投稿日: 2011/01/24(月) 16:30:34 ID:m7FpkdHw
猛然と市中を走る牛車に道行く人は慌てて道を開ける。
実に危険極まりない。
「おい…あの牛舎の家紋はロストン家の紋じゃのう…」
「御者台に身なりのよい童女が乗っておったぞ? あれがロストンの姫様か…とんだうつけじゃわい」
そのような町の者の囁きなど聞く余裕も無い。
ラーチェルは必死になって手綱を引っ張っていた。
「そっちじゃありませんわ!北、北ですわよ!
 どうしてそっちに走るんですのこのおバカ!」
牛車内から悲鳴が響く。
釣り縄に必死にしがみついているエイリークではあるがあまりの振動に目が回りそうだ。
「ラ、ラーチェル!止めて!止めてください!」
「止め方などわかりませんわ!」
牛が草臥れてようやく歩みを止めるまで半刻を要した。
いつの間にか牛車は都の郊外まで達しており、家もまばらになり人影も無く
道は草深く陽は沈みかかり周囲には闇が満ちつつある。
ここまで牛車が引っくり返ったり何かにぶつからずに済んだのは幸運としか言いようがない。
歩みを止めた牛をラーチェルは喧々囂々と叱り付けている。
「北に行けと言ったのにどこを走っているのですか!おかげで迷子になってしまったではありませんの!」
牛車を降りたエイリークは酔ってしまったのか青い顔をして道の傍らに蹲っている。
「ラ…ラーチェル…牛さんを叱っても仕方ありませんよ…少し休んだら引き返しましょう…」
正直心細くて泣きそうになる。
だがラーチェルに文句を言わなかったのはこの友が自分を心配したゆえの振る舞いと判っていたからだ。
きっと父上は心配するだろう。ゼトは今頃必死になって都中を探しているに違いない。
「や…やむを得ませんわね…」
どこかラーチェルも萎れたような印象だ。
二人は道を取って返そうとして…木陰から一人の人間がこちらに歩んでくるのに気がついた。
ゆっくりと…ゆっくりと…顔は闇夜でよくは見えない。
だが物怖じしない性格のラーチェルが迷わず声をかけた。
「そこの者、調度よかったですわ。都のマギ・ヴァル坂のルネス家までわたくしたちを案内なさい。
 褒美を取らせて遣わしますわ」
…返事は無い。
「聞こえませんの? そこの者!」
元々大きな声をさらに張り上げる。
人影は無言で歩み寄ってくる。
「ラ、ラーチェル…」
薄気味悪くなったエイリークがラーチェルの着物の袖を引いた。
よもや盗賊やゴロツキの類だろうか。
ラーチェルも流石に不安になったのかエイリークの手をぎゅっと握った。
…やがて…雲が風に流されて闇夜に月明かりが差す…
月光の下に浮かんだその者の顔は腐り瞳は赤く輝いていた…
爪は異様に長く体中が腐りまるで墓場から這い出てきた死体のようだ。
201 名前: 侍エムブレム戦国伝 生誕編 エイリークの章 落陽 [sage] 投稿日: 2011/01/24(月) 16:31:32 ID:m7FpkdHw
「よ、よ、よ、妖怪!?」
胆力のあるラーチェルもこれには驚いた。
エイリークも顔中を蒼白にしている。
墓場から蘇った死者は妖怪としては最下級と言えるが、今だ齢五つの幼子二人ではどうにもできない。
腰を抜かしかかるエイリークの手を強引に引っ張ってラーチェルは牛車に駆け寄る。
「う、うううう、牛さんっ!なんとかなさい!」
御者台の鞭を取ると力いっぱい牛を引っ叩いたが草臥れて鈍くなった牛は呑気な鳴き声を漏らすだけだ。
死者は腐臭を漂わせながら歩み寄ってくる。
虚ろな両眼は妖気に赤く輝き獲物を求めている。
その爪が牛の体に食い込んだ。
けたたましい悲鳴を上げた牛の顔色が青く染まっていく。
二人は知る由もなかったが死者の爪は腐った体液と呪いですでに毒に満ちた物となっていたのだ。
「あっちお行き、お行きなさいったら!?」
鞭を振るって死者を打ち据える。
だが腐った肉が多少削げるだけで死者は歩みすら止めない。
その腕が振り上げられ…とっさにラーチェルは身を竦ませて瞳を閉じてしまった。
爪が風を切る。
横合いから体当たりを受けて引っくり返ったラーチェルが見たものは、
ラーチェルを押しのけて木の枝を構えるエイリークだった。
明らかに膝が震えている。顔が恐怖に歪んで…瞳に涙を浮かべて…
それでも咄嗟にラーチェルを救い、妖怪に立ちはだかっている。
それもあのように頼りの無い得物を手に…
「エ…エイリーク…?」
「わ、わわ…わわわ…私の友達を苛めることはゆるしま…ゆるし…ゆるしませんっ!」

だが爛々と三白眼を輝かせた妖怪は新たな犠牲者に襲い掛かり…
振り上げた腕を振り下ろす事は無かった。
異に思ったのか視線が自らの腕を捉える。
肘から先が無くなっている。
それに…先ほどまで周囲を照らしていた月明かりが見えない。自身の周囲が影になっている。
振り返った妖怪が最後に見た者は自分より大きな黒備えの武者だった。
武者の太刀が一閃し妖怪を真っ二つに切り裂く。
頭から二つに割れた妖怪は二度と動く事無く邪気は消え失せ死骸はたちまち土に還っていった。
202 名前: 侍エムブレム戦国伝 生誕編 エイリークの章 落陽 [sage] 投稿日: 2011/01/24(月) 16:32:15 ID:m7FpkdHw
エイリークもラーチェルもこれが夢か現なのかすらわからない想いで一杯だった。
異形の妖怪に襲われて…気がついてみたら黒備えの巨漢の武者がそれを切り伏せている。
武者は全身を漆黒の武者甲冑で覆い、三日月の飾りをあしらった兜を被り顔は髭付の鉄面で覆われて窺い知ることができない。

腰を抜かしている二人の姫君に歩み寄ると武者は膝を付いて二人に視線を合わせた。
「夜には都の鬼門の方位より妖怪が横行する。夜は町から出ないほうがよい」
エイリークは…それでようやく張り詰めた気が抜けたのだろう。
ペタリと腰を抜かして座りこんだ。
黒備えの武者は今だエイリークの手に握られている木の枝に視線を向けた。
「…その得物なら構えは両手、だが今少し大きくなれば片手持ち…無粋、姫君には剣は関わりの無いことであった」
その時である。
大きな声でエイリーク達を呼ぶ声が聞こえた。
そちらに視線を向けると提灯の火の光が見える。
「エイリーク様!エイリーク様!お返事を!」
「ラーチェル様!ラーチェル様は何処におわす!」
ゼトとドズラが探しに来てくれたのだろう。
武者はすっと立ち上がった。
「そなた方の従者であるようだな。これからは幼子だけで出歩く事は控えたがよい」
彼は踵を返して歩み去ろんとする。
とっさにエイリークはその背に声をかけた。
「あ、武者殿は命の恩人です。何卒お名前を…」
だが返事は無かった。
彼の姿は闇夜に溶けるようにすっと消え失せてしまった。

入れ替わるようにゼトとドズラが駆け寄ってくる。
「こちらにおわしましたかお二方!ご無事でなにより!」
「ラーチェル様!御身になにかあればこのドズラは…ドズラは…うおおおおおおん……!」
髭面の大男などは泣きじゃくってラーチェルを抱え上げる。

帰宅した二人は二人はそれぞれ厳しく叱られる事となる。

……一夜の夢のような出来事ではあった……
もはや顔も思い出せぬ夢の少年。
妖気を漂わせて動く死人。
闇夜に消えた黒い武者…
何れもが現実味が感じられない…だがそれは確かにそこにあった。
少女の胸に忘れがたい記憶として刻み込まれていた―――――

それから数年後……
都を覆う怪異は益々その勢いを強めていく事となる。
すでに昔年の栄華は過去の物と消え去り世を覆う暗雲はさらに厚くなっていくのであった。

次回

侍エムブレム戦国伝 生誕編
 
~ アルムの章 瑞穂 ~