ケベック

Last-modified: 2022-08-06 (土) 14:15:02

概要

Rest of CANADA(ケベック以外のカナダ)という表現があるほど、ケベックはカナダでも異質に捉えられる傾向がある。表面的にはフランス語話者が大多数を占める独自性があるが、これだけでは主権獲得志向が理解できない。かつては「フランス的事実」が独自性を裏付けてきたと考えられていたが、現在はそうではなく、加えて近年はライシテ(政教分離)をめぐる態度など別の新論点が浮かび上がっている。

17世紀初頭、セントローレンス川流域にフランス人の入植と植民地形成がなされた。そのため、カナダ形成において、フランス系の方がイギリス系に先んじているというのが、フランス系の自負であった。しかし、その後はイギリスの支配下に置かれ、「ケベック植民地」として祖国フランスから切り離された。それにもかかわらず、ケベック法により「フランス的事実」が温存され、文化的に均質な社会が維持された。これ以降もフランス系は「フランス的事実」をアイデンティティとしてフランス文化の継承者であることを誇った。

しかし、1960年代以降、社会の近代化が猛烈に進み(静かな革命)、「フランス的事実」の柱であったカトリック教会の支配力が衰退し、社会が世俗化し、少子化につながった。その結果、急激な産業化に対応する労働人口を得るために、多数の移民を受け入れざるを得ず、ケベック社会が大幅に多様化した。また、フランス系は州の様々な分野で主導権を握り、祖国の威光に縋らなくともアイデンティティを維持できるようになった。ケベックの人々は「フランス系カナダ人」ではなく「ケベック人(ケベコワ)」という独自のアイデンティティを持つに至ったのである。

ケベックは、残った唯一の「フランス的事実」であるフランス語をアイデンティティの要とする方向に向かい、それは1977年のフランス語憲章の制定として結実した。ケベック州は公用語をフランス語のみとし、北米の「英語の海」の中でフランス語を死守する意思を明確にしたのである。2010年の調査では、95%以上が「居住者はフランス語が話せるべきだ」と考えており、大多数がフランス語を支持しており、実際にアイデンティティの要として考えている。また、ケベックの人々は長くパリのフランス語への劣等感に苛まれてきたが、今は自信をもってケベックのフランス語を話しており、今やフランス語は「フランス的事実」ではない。それは、祖国とは切り離されており、ケベックの人々を繋いでいる。要するに「フランス的事実」ではなく「フランス語的事実」がケベックの独自性を支えている。

今、ケベックと他州を隔てるライシテ(政教分離)問題が顕在化している。他州では、宗教的表現は個人の自由だと考えられるが、ケベックでは公共空間における宗教的表現を制限しようとする。他にもケベック社会は結婚によらないパートナー率などが他州に比べ突出して高い。なお、2008年の調査では、自州への帰属意識の方がカナダに対するよりも高く、自分はカナダ人であるよりもまずケベック人だと考える人が多い(丹羽,2021)。

参考文献:丹羽卓(2021)「『独自の社会』としてのケベック ケベックは他と何が違うのか?そのアイデンティティとは」,飯野正子・竹中豊『現代カナダを知るための60章 第二版』明石書店.

歴史(ナショナリズム)

カナダにおいて、フランス語話者の約9割がケベック州に集中している。ケベック州の約8割がフランス語話者であるのに対して、他州は圧倒的に英語話者が多数派である。人口統計上、ケベック州は明らかに他州とは異なるが、主権達成運動は数の要因のみでは起こらず、ケベック問題は歴史的・心理的・政治的・経済的要因が複雑に絡み合った現象である。

17世紀初頭、フランス人探検家がケベックを創設し、この地が拠点となって植民地が繁栄した。しかし、英仏抗争の末、ケベックが1759年にイギリス軍の攻撃を受けて陥落し、パリ条約によって同植民地はイギリスに割譲された。征服されたフランス系の人々は、圧倒的にイギリス系が支配的な北米大陸のなかで孤立し、内向的世界に籠りつつ、カトリック教会主導の伝統的農村社会に生きた。彼らはフランス系文化とフランス語を守り続けた。

19世紀に入り、イギリス系移民が押し寄せ、多数派となったイギリス系の人々は近代的な産業を各都市に発達させていった。一方で、20世紀初頭より徐々に都市部に流入したフランス系の人々は、ケベック州内では多数派であるにもかかわらず経済的・社会的疎外感を味わった。特にモントリオールでは主要ビジネスの上層部の大半がイギリス系、下層部がフランス系という社会構造のもとで、フランス系はしばしば「二級の市民」という劣等感を感じていた。フランス系の不満は権威主義体制のモーリス州首相の死去で一気に噴出し、1960年に誕生したケベック自由党(PLQ)政権下で「静かな革命」が展開されていく。政権獲得後、PLQはカナダ連邦政府に対し、社会保障・課税権・外交分野においてケベック州の権限拡大を要求した。しかし、連邦政府の不十分な対応、他州の無理解と無関心への怒り、変革の足踏みへの苛立ちにより、分離独立運動が台頭した。しかし、1980と1995年に実施された分離を問う州民投票は、両方とも完全な独立を問うものではなかった。ここから、全てのフランス系がカナダからの完全分離を望んでいる訳ではないことがわかる。彼らの中には連邦主義者(カナダ連邦制の枠内で自治拡大の可能性に期待し、カナダに留まることを望む)や慎重派(何らかの変化を望むが、迷いの境地にある者)もいる。後者のソフト・ナショナリストこそケベック問題を左右する鍵であり、主権主義派がストレートに独立を問わなかったのはそのためである。ケベック州の経済界においてフランス語の地位が劣勢にあったことがフランス系の最大の不満であったが、1977年制定のフランス語憲章によりフランス語に絶対的な優位性が与えられ、状況が一変している現在、ケベコワは主権達成に意味を見いだせなくなっている。よって、現在は主権達成をめぐる議論は開かれなくなった(矢頭,2021)。

参考文献:矢頭典枝(2021)「ケベック問題 ケベコワとフランス系ナショナリズム」,飯野正子・竹中豊『現代カナダを知るための60章 第二版』明石書店.

フランス語憲章

フランス語憲章が制定される以前のケベック州は、フランス語系住民が多数居住する州でありながらも、英語が社会経済的に優位な地位にある社会であった。ケベック州の課題は、フランス語系住民の存続を、現在及び将来にわたって保障することであり、特に1960年代以降に深刻な問題となった。何故なら、フランス語系住民は従来カトリックの影響で高い出生率が維持されていたが、「静かな革命」以降の世俗化で出生率が急激に低下し、ケベック州に到来する移民がフランス語よりも英語を選択する傾向にあったからである。

子供に英語を身につけさせたい移民と、フランス語で移民の社会統合を図りたいフランス語系住民との対立は1960年代後半から州内の主要な政治問題となった。この対立を調整し、フランス語の地位を高めるため、州の言語法が制定された。特にレヴェック政権は独自の言語法たるフランス語憲章の制定を提示し、憲章の各条文は、ケベック州の住民の公的な共通言語としてフランス語を実質化する厳格なフランス語一言語法であった。この厳格さは制定直後から英語系住民や非英仏系住民から批判に晒され、いくつかの違憲判決を受けた州政府は憲章の規定を一部緩和した。憲章は制定以来、数々の修正が施されてきたが、フランス語及びフランス文化の存続を重視してきたケベック州にとって今日でも極めて重要である。例えば近年、ケベック州独自の社会統合政策として注目されるインターカルチュラリズムでは、その特徴としてフランス語系の多数派とその他の言語的・文化的少数派との文化間対話を行うことが重要視されているが、その際の共通言語がフランス語であることを規定するのがフランス語憲章であるとされている(荒木,2021)。

参考文献:荒木隆人(2021)「『フランス語憲章』をめぐるケベック政治 ケベコワと言語の『生存』のための闘争」,飯野正子・竹中豊『現代カナダを知るための60章 第二版』明石書店.

言語

家庭でフランス語を最も話すカナダ人は20%であり、カナダ全体でみれば少数派である。ケベック州はフランス語を最も家庭で話す人々が多数派(79%)で、その他の言語との同程度の併用を合わせると82%を越え、カナダ唯一のフランス語圏である(矢頭,2021)。注:表3 州・準州別にみた「家庭言語」人口比(p.54)も参照。

参考文献:矢頭典枝(2021)「統計にみる民族的・言語的多様性 大都市圏ではヴィジブル・マイノリティが少数派に!?」,飯野正子・竹中豊『現代カナダを知るための60章 第二版』明石書店.

その他

1971年、トルドー首相は「二言語・多文化主義」を国是として宣言。当初、これはケベックのナショナリズムを沈静化するための「二言語・二文化主義」から非英仏系移民の反発を受けて生まれた発展形である。以降、世界に先駆けた多文化主義政策の試みは他国から注目され、「多文化主義」はカナダの代名詞ともなっていった。ただし、ケベック州では多文化主義に代わってインターカルチュラリズム(間文化主義)の名の下に独自の政策が模索されていく。インターカルチュラリズムで強調されるのは文化間の交流と相互理解である(飯笹,2021)。参考文献:飯笹佐代子(2021)「多文化主義の今 成功は『カナダ的例外』か」,飯野正子・竹中豊『現代カナダを知るための60章 第二版』明石書店.

ケベック州の宗教別人口割合をみると、キリスト教系と答えた人が8割以上を占め、その圧倒的多数がカトリックである。キリスト教の次に多いイスラム教は3%程度だが、ムスリム人口は10年間で2倍となり、増加傾向にある。そして、ムスリムのヴェールが宗教的シンボルのなかでも特に論争の的になっている。ケベック州のヴェール規制の対応は、カナダ他州から差別的であると批判されることが多いが、むしろケベック社会の世俗化が進んでいるが故に宗教的な要素に過敏に反応する傾向が強いともいえる。また、ケベック州でヴェールが問題化しやすい背景として、住民の多数派をフランス系が占めているため、ヴェール規制に厳格なフランスからの影響も看過できない(飯笹,2021)。参考文献:飯笹佐代子(2021)「宗教的多様性とケベック ムスリム女性のヴェールをめぐる論争」,飯野正子・竹中豊『現代カナダを知るための60章 第二版』明石書店.

2013年のカナダ政府のアンケート調査では、国家的シンボルの上位5項目として人権憲章・国旗・国歌・カナダ連邦騎馬警察・アイスホッケーがあげられた。ただし、ケベック州の場合、これらのシンボルがアイデンティティを示す要素と回答したのは住民の3分の1に過ぎなかった。また、カナダ人であることとカナダの達成してきたことに誇りをもっているかという問いに、全回答者の87%が誇りをもっていると回答したが、ケベック州では言語集団によって割合が異なる(英語話者は80%だったが、フランス語話者は66%であった)(飯野,2021)。参考文献:飯野正子(2021)「カナダ人のアイデンティティ 最近の調査報告から」,飯野正子・竹中豊『現代カナダを知るための60章 第二版』明石書店.

1960年に発表された言語意識に関する心理学実験の結果から、ケベックの人々が自分たちの話すフランス語に対して少なからず劣等感を抱いている事実が明らかになった。この言語的コンプレックスの背景には、静かな革命以前のケベック社会では社会的・経済的な成功が常に英語に結び付き、対外的な面では20世紀後半のマスメディアの発達によってフランスで話されるフランス語に接触する機会が増え、自分たちのフランス語がフランスのそれとは異なるという事実にショックを受けたことが挙げられる。次世代に自信をもってフランス語を話してもらうための要ともなる言語規範の明確化が目指された。なお、標準的なケベック・フランス語は、フランスのフランス語と比較すると特に発音・語彙の点で異なっており、文法的にはほとんど違いがないといわれる(近藤,2021)。参考文献:近藤野里(2021)「カナダのフランス語 ケベック・フランス語を中心に」,飯野正子・竹中豊『現代カナダを知るための60章 第二版』明石書店.

カナダでは英語系ネイションとフランス語系ネイションがそれぞれ存在するという見方が優勢である。非英語系諸集団のうち、相対的に有力な位置を占め、早い時期に政治的に注目されたのはケベック州のフランス語系住民であり、ケベックの地位が連邦制再編問題の焦点となった。もっとも、フランス語系住民のみに特別の地位を認めることは他のマイノリティからの反発を招くことから、フランス語系にとどまらず、ウクライナ系・ドイツ系・中国系その他の移民や、先住民などの問題も次第にクローズアップされるようになり、1970年代には公的政策として多文化主義をとることが宣言された(塩川,2008)。参考文献:塩川伸明(2008)「民族とネイション ナショナリズムという難問」岩波新書.