パンジャーブ州農村②

Last-modified: 2023-03-11 (土) 22:29:08

インドの人口の3分の2が今なお住んでいる農村地域は、1980年代以降の30年間に大きく変容した。今や農業外の職に従事する村民の数は激増し、農業外収入が農村経済の中核的な部分を成すに至っている。

(インドの中でも重要な特徴をもつと考えられる、パンジャーブ、タミルナードゥ、ビハールの三州の農村地域について、近年報告者や他の研究者が行った現地調査の結果をもとに、比較の視点を持ちながら報告し、それらの間の差異と同一性をいかに理解すべきかを、討論↓)

まず、第一報告の杉本大三「『緑の革命』の終焉とパンジャーブ農村の変容」は、先進農業地域パンジャーブで農地を所有する世帯にとって、農業経営は依然としてもっとも重要な所得源となっていることを明らかにする。パンジャーブ州では「緑の革命」によって穀物単収が増加するとともに、政府が農民から比較的高価格で安定的に穀物を買い上げる政策を実施してきた。このため農民の農業所得は1960年代以降、大きく上昇した。またこの過程を通じて、作物栽培の肥培管理作業が増加するとともに、多くの労働投入を必要とする稲作が普及し、農業労働需要が増加した。農業労働需要の増加は地元農村労働者の雇用機会を増加させるとともに、他州からの大量の出稼ぎ労働者をパンジャーブ州へと吸引した。こうして同州では、スィク・ジャートを中心とする農民階層、指定カーストを中心とする農村労働者、他州からの出稼ぎ労働者のいずれもが、小麦・米二毛作に大きく依存しながらそれなりの所得拡大を実現していく、いわば「緑の革命」型農村経済が成立した。しかし1990年代に入ると小麦・米二毛作の拡大がほぼ限界に達するとともに、主として男子均分相続に起因する所有農地面積の零細化が進展し、農家がこれまでと同様に農業所得を上昇させていくことは困難となった。また農村労働者についても、米の栽培面積が伸び悩むとともに、農作業の機械化や除草剤の使用など、省力化技術が普及したことから、やはり1990年代以降は実質賃金率の低下など雇用条件の悪化が見られるようになった。「緑の革命」の終焉とともに、パンジャーブ州の「緑の革命」型農村経済は岐路に立っているといってよい。

こうしたなか、農村諸階層の就業構造、農家の農業経営、農地保有構造に現在どのような変化が生じているのかを検討するために、報告者をメンバーの1人とする調査チームは都市部への近接性と農外就業条件の異なる3つの村で2010年から2012年にかけて、農業経営、農外就業、出稼ぎ等についての調査を実施した。調査の結果、まずスィク・ジャートについては以下の3点が明らかになった。
①第1に、いずれの村落においても、農地所有と農業経営の中心に位置するのは依然としてスィク・ジャートであり、近年他州で多く報告されている農地所有階層の交代はみられない。農地所有の流動化が生じない理由は、農業経営の収益性が高く、農地売却があまり生じていないことにあると考えられる。
②他方で第2に、農地所有の零細化は進展しており、農業経営だけで生計を維持している農家はむしろ少数派である。農家は「農業経営」「農地貸付」「農外就業」「国内外への出稼ぎ」などを、穀物買い上げ価格の水準、近隣都市部と村内での非農業就業機会の多寡、出稼ぎ先の有無、労働力の保有状況に応じて選択し、複合的な所得構造を形成している。
③第3に、農家が農業経営に注力する場合、借地による経営規模拡大は有力な選択肢であるが、借地率は調査村ごとに大きく異なっている。借地率の差をもたらしている大きな要因は農業の担い手の有無にあると考えられる。調査を行った3カ村のうち、出稼ぎの少ない村では青壮年の農業従事者が多く、そうした担い手の存在する農家では借地による大幅な経営規模拡大が実現していた。

次に指定カーストについては、2つの点が明らかになった。
①第1に、指定カーストの就業者のうち、主として農業労働者として働いている人の割合は2 ~ 3割程度であり、その他の人々は主に非農業部門に就業している。農業労働需要の停滞を反映して、農業労働は既に指定カーストにとって、最も重要な就業先ではなくなっている。
②第2に、農業労働に代わって就業機会が増加しているのは建設労働であり、就業者数は農業労働とほぼ同じである。しかし農業労働賃金と建設労働賃金はほぼ同水準であり、建設労働就業の増加が所得水準の上昇に結びついているわけではない。このように現在パンジャーブ農村では「緑の革命」後の新しい社会構造が徐々に形成されつつあるといってよい。


柳澤悠、押川文子、杉本大三(2014年)インド農村の今―ビハール・パンジャーブ・タミルナードゥの現地調査の事例から―,南アジア研究第26号,学会近況テーマ別セッションⅠ,pp214-220.