地域地理学

Last-modified: 2022-08-08 (月) 15:22:27

室井

南北問題とは、主に北半球に位置する先進工業諸国と南半球に位置する発展途上国との間に経済的格差が存在し、拡大の傾向にあるという、世界経済から発生する経済的・政治的諸問題を総称したものである。経済的な格差だけでなく、医療・電気・水道・教育など発展途上国の社会的サービスは概して貧弱である。加えて、少数民族や女性への社会的差別、人権抑圧、環境破壊などの点においても、南北格差は多面的で巨大である。単に国家間レベルでの南北格差だけでなく、南の内部の人々に視点を定めた「南北問題」の解決は、今日の世界でも最も重要な人類史的課題である。

南北格差は地理的発見を経て西欧世界が勢力圏を南へ拡張させた15世紀以来から既に存在していたが、独自の問題として認識されなかった。しかし、植民地体制の崩壊が社会主義体制の存在という状況下で生じたため、西側工業諸国によって維持されてきた資本主義の世界的体制が重大な危機に直面し、戦後の西欧世界は南の貧困を認識するようになった。第二次世界大戦後の復興を終えた西側諸国は、新興諸国の離反や社会主義化をくいとめて(自らの)世界秩序の枠内に留めるには、これら諸国の経済開発を促進・援助する必要があるという認識に至ったのである。一方で、経済的自立が困難であることを痛感した新興諸国は、(先進国本位の)戦後の世界経済体制そのものを批判するようになった。こうして、南北問題は、性質と原理を異にする二つの立場からの、戦後の冷戦体制下における世界経済秩序の再編成・組織化をめぐる闘争として現れる。

各植民地に課せられた役割は、宗主国の産業資本のための原料供給地・販売市場たることであった。各々の植民地は、伝統的手工業の多くを破壊され(非工業化)、数品目の一次産品の生産・輸出に特化するような経済構造(モノカルチャー化)を強いられた。宗主国と植民地間で垂直的分業関係が成立し、宗主国資本による植民地諸民族の支配という位階的構造として編成されたのである。そして、戦後の植民地体制の崩壊は世界経済の組織構造と産業資本に影響を与え、北側は新しい条件のもとで南側との関係を再編成する必要に迫られた。南の諸国は工業化へ向かったが、北側はこれを認めて促進しながら自らの利害関係のなかに包摂しようとした。この意味で、南北問題とは北の工業国(=旧宗主国)と南の発展途上国(=旧植民地)との両者によって主張された、各々の論理による戦後世界経済の再組織化の問題であった。

また、植民地体制の崩壊は経済外的な市場独占に終止符を打ち、個別資本による生産力競争を自由に展開させる客観的条件を作り出した(多国籍企業の進出)。北の資本主義世界は、熾烈な経済的競争に晒されるようになる。加えて、南の諸国の経済開発が部分的なものにとどまり、資本主義世界システムの枠内でしか遂行しえないならば、南の諸国もまた不均等発展の洗礼を受ける(南南問題)。

米ソによる冷戦体制が成立し、初期の南北問題はこの状況下で東西の援助競争の性格を帯びるようになる。しかし、その後の非同盟運動は自らの経済的欲求を前面に押し出す方向に転換するようになる。南北問題は東西問題から自立し、新しい世界史的な課題として浮上してくる。

自由主義を基本理念とするIMF=GATT体制(ブレトンウッズ体制)の恩恵にあずかったのは、主として北の先進諸国であった。戦後の世界貿易に占める南の諸国のシェアは30%(1950年)から17%(1970年)とむしろ低下し、これは自由主義が「強者の論理」にそったものだからである。貿易・為替の自由化は世界市場における自由競争の推進を意味するが、安価で良質の工業製品を供給・販売できるのは高い生産力を有する北の諸国に限られ、南の諸国は従来型の一次産品輸出に甘んじなければならなかった。自由・無差別主義思想の背景にあったものは、南北間に存在した巨大な生産力格差や南の諸国の経済構造の特殊性を無視または軽視するような考え方であった。これが、南の諸国からIMF=GATT体制は「強者の論理」に基づいていると批判された所以である。

OPECとNIESの登場は、南の内部における経済的格差の拡大という新たな「南南問題」を発生させることになった。1980年代以降に入り、南の諸国が一致団結して北の諸国に様々な要求を提示するプレビッシュ時代の戦略は過去のものとなった。「南南問題」の発生は、今日における「南北問題」の最大の焦点が、単なる南北間の経済的格差のみならず、とりわけ南の最貧国の発展問題にあることを再認識させたという点で重要である。最貧国の困窮化は、第二次石油危機を経た1980年代に入るとさらに顕著なものになった。加えて、最貧国に住む下層民こそが貧困・環境汚染・人権侵害・人種差別・性差別など最も困難な事態に直面している。OPECによる石油戦略の発動は、資源ナショナリズムの具体化であり、南の諸国全体にとっても望ましい戦略のはずであった。しかし、皮肉にも結果として生じた石油危機は、北の工業諸国に経済不況をもたらしたのみならず、南の多くの非産油国に対しても大きな経済的打撃を与え、南の分裂に拍車をかけることになった。資源ナショナリズムが地域別・一次産品別の経済的要求に留まる限りにおいて、非資源保有国は北でも南でも結局は「強者の論理」に化してしまった。国家により主導された資源ナショナリズムは、周辺化された人々を救済する運動にはなりえなかったのである。

今日の南北問題における焦点は、南北や国家間レベルの経済的格差のみならず、南の諸国の「周辺化」された人々の貧困問題にある。この問題の解決には、南の諸国の自律的な発展を可能とするような国際政治・経済秩序の形成に加えて、南の諸国内部における様々な改革(政治的自由の保証・人権の尊重・所得格差の是正)が必要不可欠である。換言すれば、南の諸国における国家の在り方それ自体が問われている。南の諸国では、政治的・経済的局面において「国民」という範疇よりも「民族・部族」という範疇が優越している。南北問題は我々の生活と表裏一体の関係にあり、この関係のもつ多面的な意味を繰り返し問い続けなければならない。

貧困

貧困とは、個人的な問題ではなく、人権問題や環境問題などにも密接に関連する社会的な現象である。貧困層は経済的に貧しいだけでなく、社会的サービス(飲料水・家庭用燃料・電気・医療・教育など)を受けられず、政治的発言力も小さい。貧困は南の諸国に限定された現象ではないが、平均寿命・成人識字率・五歳未満幼児死亡率などから判断すれば、南の諸国においてより深刻である。また地域別では、1996年時点で48カ国の最貧国中33カ国を占めるアフリカにおいて、医療・安全な飲料水の供給・衛生・下水施設など健康に関わる社会的サービスが最も貧弱である。さらに、これらの社会的サービスは農村部においてより貧しく、男女別では女性がより困難な状況下に置かれているのが統計的(p.71)に明らかである。

西川

石油ショック以降進展してきた南北問題を通じて、世界の工業の中心が南の世界へシフトし、BRICsなど新興国の比重が飛躍的に増大した。南北の力関係も大きく変わり、米ソからG7、G20へ世界経済のガバナンスの変化に現れている。

20世紀後半は南北問題の時代と言われる。二つの大戦を経て、それまで北の富裕世界に資源を提供してきた南の国々は自己意識を獲得し、政治的な独立を果たすとまもなく従来の南北国際分業体制を否定し始めた。支配的中心部に位置する先進諸国の権力と抑圧を受け、辺境化された人々が中心部支配に異議を申し立てるようになったことが、南北問題の根源である。しかし、この半世紀のグローバリゼーションの時期に、南の工業化が進み、南北関係が変化するとともに、実は北の富裕世界の内部でも南北関係(特権富裕層vs庶民層)が浸透してきていることが明らかになった(1%vs99%問題)。南北関係は地球的諸問題の表面から見えにくいが、実はどこでもいつでも常に現れ得る問題に変化している。

1970年代に、技術革新が電子・情報分野に波及し始めたころ、第二次大戦を契機に民族独立という政治的な動きを強めた南の世界が、次のステップとして自国資源に主権を確立する経済的な動きに踏み切った。こうして、長年にわたって先進国が慣れ親しんできた国際(北=工業・南=資源提供)分業体制が崩壊を始めた。南の国々が自国資源を用いた工業化を進めると同時に、先進国の経済は次第にサービス、第三次産業化の方向にシフトすることになった。

多国籍企業は、発展途上地域から安価な資源や製品、そして稼得した外貨を先進国に移転することにより、先進国での富の蓄積、人々の快適な生活の維持に貢献している。同時に、これまでタテ型社会に慣れてきた南の国の人々に世界を見渡す新しいウィンドウを提供していることも、また事実である。しかし、これら多国籍企業と関連金融機関(ヘッジファンドなど)は、「マネーがマネーを生む」カジノ経済の動因であり、近年急ピッチで拡大している南北格差、南南格差、また世界的な貧富格差を進める主体でもある。

グローバル化は富の拡大という「プラス」の側面ばかりではない。生産力増大の反面、世界的に南北の格差、また、繁栄地域と沈滞地域、そして1%の富裕層と大多数の庶民間の格差は拡大した兆候にある。新興国など南の国の経済成長は著しいが、貧困や失業も南北を問わず目立つようになった。先進国でも途上国でも、貧困は時を追って拡大している。グローバル・スタンダードがまかり通る反面、多くのローカル固有のスタンダード(文化伝統)が消失してしまうという問題点も発生する。

南北問題の本質は、19世紀以来、不平等な国際分業体制の下で、原燃料供給地として発達した南の国々が、先進工業国と対等の地位につくことを目指して、北の先進国との経済関係の調整に乗り出したことにある。この調整の手段としては、今まで北に輸出していた天然資源に対する自国主権の確立、この資源を自国で利用する工業化、工業化のための設備財輸入を賄う一次産品輸出所得の安定化、などがある。南の国のほとんどが、19世紀以来、先進国の植民地・従属国状態にあったが、第二次大戦後の独立を経て、この半世紀、これらの国々の多くが多国籍企業を積極的に誘致し、工業化を大きくすすめ、グローバリゼーションを利用して、経済成長を実現した。だが、その反面、南の世界の内部でも経済成長はあまり進まず、南内部の格差が拡大して、貧困や環境悪化など災害、そして紛争に悩まされる国や地域も依然として存在する。新国際経済秩序(NIEO)の下で、資源を保有しているか、歴史的・地理的条件に恵まれているか否かで国が分かれ、南の世界の多様化が進んだ。

各国の所得格差をみると、南北問題・南南問題の根源には、世界経済のシステムを貫く富者支配という権力構造が存在し、この権力構造を修正しないかぎり、北でも南でも経済社会の発展は、なかなか難しいことがわかる。グローバリゼーションもこのような権力の不平等な構造を利用しながら、低賃金の労働力を世界中で使う形で進展していると言えるが、それが多国籍企業のお膝元の先進国では、労働力の使い捨て(若者・中高年)として現れてきている。

民間投融資は慈善事業でない以上、開放体制・資本自由化・市場経済化がそのまま経済発展に結びつくものではない。ただし、新興国もインフラ整備、多国籍企業の受入など先進国からの資金、それを支えているアメリカの金融緩和に依拠している面があり、そういう意味では世界経済の一体化が進んでいる。しかし、南の経済成長が北からの民間資金に依存している面が強いがために、社会開発問題、人間の安全保障が差し迫った開発課題として提起されてきている。今後は、先進国の雇用や豊かさの問題なども含めて、よりグローバルな形での開発目標が採択されることになるだろう。

食糧事情・貧困

今日、北半球の先進諸国では歴史に前例のないほど穀物は豊作で、多くの土地が休耕している反面、アフリカその他の南の諸国では干ばつや飢えが絶えることがない。世界の穀物収穫は増加しているものの、異常気象や災害で穀物価格が高騰して穀物需給は安定せず、価格が騰貴すると貧困層にとって生活が厳しくなる。また、世界穀物生産の4割は世界人口の5分の1を占めるにとどまる北半球で生産されており、世界人口の5分の4に及ぶ南の世界では6割を生産するに過ぎない。そのため、北では1人当たりの穀物生産が年729kgに対し、南の生産性はその3分の1以下の206kg程度である。

世界平均の1人当たり穀物生産は359kgで、生存の必要な穀物量は150kgだから、世界人口を養えるだけの穀物が生産されているが、現実には8億人の飢えた人口が存在する。それは、新興国の興隆で増大する肉食需要に対応するため、先進国では穀物生産の7割が、途上国では半分が家畜飼料に向けられるためである。また、南の耕地の6割程度が自分の食料ではなく、海外向けの商品作物を生産している事情もある。

このように、地域によって穀物需給のバランスや1人当たりの供給栄養量には、かなりの差異がある(表6-2)。北米では1人1日当たりの供給栄養量は3688kcal、ヨーロッパでは3362kcalであるのに対し、南の発展途上国の平均は2700kcalである。サハラ以南のアフリカでは2360kcalと、OECD諸国平均の7割程度の水準しかない。また、供給栄養量に占める穀物の比率をみると、途上国では50~60%に及んでおり、南の国では食料供給・食料価格が大きな問題であることが分かる。

耕地の8割は天水の灌漑によるので灌漑設備をつくったり投入財を増やしたりして生産性を高める余地はあるが、水の制約・化学肥料や薬品を多く投入することによる公害・家畜の新感染症の恐れ・その他の環境負荷の問題も存在する。当面は、国際貿易によって穀物不足国は食料不足をカバーすることになるだろう。ただし、単に北が南を養っている図式が成立する訳ではない。それは、①途上国でもアルゼンチン・ウルグアイ・タイ・ベトナム・ブラジルなど穀物の大輸出国があること、②南の新興国では所得の増加とともに肉食が進み、畜産に必要な飼料穀物の貿易が拡大していること、③近年では原油価格の上昇に対応して、穀物のバイオ燃料への転換が進んでおり、新しい需要を生み出していることも関係するからである。

これら家畜や燃料用との競合により、南の世界の穀物需給は余裕がある状態ではなく、これに近年頻発している異常気象を考慮すると世界の食料需給の将来は決して楽観を許さない。FAOによる途上国の栄養不足人口(表6-5)をみる。栄養不足人口は1990年前後に10億1500万人で、南の世界では4人に1人が栄養不足と考えられていた。途上国の栄養不足人口は2000年代に入り9億人程度とやや減少し、2011~2013年では8億2700万人と減少した。しかし、減少した要因は主として成長地域アジアで生じていることで、アフリカ・大洋州などでは栄養不足者の絶対数がこの間増えている。南の世界での栄養不足人口の推移をみると、減少は2000年以降やや横ばい気味である。

1人当たりの食肉消費量はOECD諸国で年間90~120kgに対して、途上国(中国・中南米の国を除いて)はインド・バングラデシュで数kg、アフリカ・中東の10~20kg台などで魚類を加えても先進国の10分の1といった国々も少ない数ではない。しかも、途上国内部でも社会層、地理条件・性などにより、栄養の配分は極めて不平等である。飢えた人口を半減させるためには、飢えと貧困を絶えず生み出す社会構造に働きかける必要がある。