地域政策

Last-modified: 2022-06-25 (土) 20:42:38

長野県遠山郷の旧南信濃村(現・飯田市)は典型的な過疎・高齢化山村である。藤田佳久・高木秀和は2002年以降、歴史的文化遺産であり庶民信仰の対象となった神仏の調査を行い、それを活用した地域おこしである「神様王国」を提案した。

伝統的生業形態=急傾斜地を利用した畑作、奥山まで続く豊富な森林資源を伐採・搬出する作業などであったが、戦後に人口流出・高齢化で耕作放棄地が増加→乱伐と外材輸入自由化で林業のポジションは低下。公共投資部門への就業が住民の一般的スタイルとなり、モータリゼーション浸透・道路整備・飯田市との合併で転出を促した。人口は1955年の約6000人から2005年の約2000人と50年で3分の2も減少した。重要無形民俗文化財の「遠山の霜月祭」は簡略化・中止の動きがみられ、各地区の学校は相次いで閉鎖した。

歴史的にも、森林資源の枯渇を繰り返し、洪水被害に見舞われること(これには乱伐による水害を含む)が多く、石神仏を祀る伝統があり、日頃の鬱積を晴らす場として霜月祭があった。石神仏は、寺社に祀られる神仏名を刻んだもののほかに、水神(遠山川とその支流)や山神(山への入口・山中)を彫り込んだものもあった。人々は山仕事の安全や自然災害の防止を願った。林業の動きと水害は関連をみせ、神仏が祀られる時期と重なり、これは飢饉・疫病とも重なる。したがって、神仏を通して遠山谷の歴史を知ることが可能である。

地域づくりとして、過疎債事業・共有山林紛争の解消・道路の整備を行ってきたが過疎の動きは止められなかった。1984年からは高齢者福祉事業を展開(福祉の里)、その後も郷土資料館・村営宿泊施設・公共温泉施設・村のファンクラブを竣工し、グリーンツーリズムを展開。村外者との交流を深め、観光部門を地域の重要な就業先・経済的基盤として位置づけている。各地区では地域資源に基づいた住民活動が展開されているが、地区間で住民の温度差があり、遠山谷全体をまとめる自主的なグループが欠如しているところに課題がある。

神仏や豊富な人材が存在しているものの、自然・歴史・文化の魅力を伝える住民の資源が連関していなかった。藤田佳久・高木秀和は「神様王国」を地域住民に提案。中心地の和田を神仏巡りの場所にし、33の神仏を選定して周遊ルートを設定。ガイド制を導入し、来訪者に対して神仏の由来・遠山の生活文化を伝える。周遊ルート沿いの各商店でオリジナル商品を開発し、経済効果を期待。案内マップ・神仏の説明板を用意して受入体制を整えた。

2005年にプランが出来上がったものの、飯田市合併でよい反応は返ってこなかったが、2007年から活性化のため商工会が担うことになった。他の地区にも拡大するべく調査を行っている。

アンケート調査から、地元ならではの商品の期待が高い。信州や遠山郷ならではの土産品を買った人が多いが、隣町の売店で買い物した人もみられたため魅力ある商品の開発が必要。「神様王国」を通じて観光客に商品やサービスを提供する第三次産業の他に、素材を生産する第一次産業や、それらを加工する第二次産業が活性化することを願う。