農業②

Last-modified: 2022-07-23 (土) 13:39:09

高柳ほか

新自由主義に基づく貿易体制の自由化の流れは反転する兆しがない。日本の産地が外国産の農産物と対抗していくには、生産・流通コストの削減か、高品質の農産物を生産して輸入品との差別化を図るしかない。前者には、個々の経営努力として機械化・投入抑制があり、加えて経営規模拡大・生産過程分業・外国人労働力の導入・流通の規制緩和などドラスティックな変化も必要だが、新たな利害対立・社会的緊張を生じさせ一朝一夕には達成が難しい。そのため、当面の対応として後者の高品質化が企業にとって重要である。そこで、農産物や食品にローカル性を付与し、地域ブランドに価値をもたせ、消費者に安全性をアピールしてきた。消費者はローカル性を再認識し始めたが、一方で、生産面でのローカル性は(産地の重要性が薄れる=脱産地化)大きな構造変動を迎えている(以下4点)。

  • ①(生産性向上のための)経営体の規模拡大。大規模経営体の独自性が強まり、産地の一体性が弱くなるところも生じている。
  • ②異業種による農業参入。構造改革特区や既存の法改正によって、大手食品メーカー・外食産業・小売チェーンは農業部門へ進出している。この農場は、親会社との結びつきが強固となり、地域内農家との結びつきは弱くなると予想される。
  • ③ビジネスとしての新規就農者の参入。ビジネスに挑戦する農業経営者にとって、地縁的組織(JAなど)の方針と合致しないことが少なくないが、リスク回避には同業者の組織化が必要である。
  • ④農業ビジネス企業のネットワーク化。小売部門の巨大化に対応したロット・品揃えを充実させる必要があり、イノベーションを図る上ではネットワークが有効である。近年は養豚・野菜で地縁的空間を越えていくつかのネットワークがみられるようになった。

これら生産面での脱産地化は、(ローカル性がグローバル化に対抗する日本農業の中で最大のマーケティング・デバイスであるため、)生産される農産物・食品がローカル性を失うという訳ではない。

国内産地の存立基盤強化のための重要な取り組みには以下がある。

  • ①規模拡大・省力化を中心としたコスト削減によって輸入農産物との市場競争に対抗。例:小麦、シイタケ、ネギ。
  • ②食の安全をはじめとする国内消費の志向性を生産に反映させることで高付加価値化を進め、輸入産品と市場の棲み分けを図る。例:レモン。
  • ③流通資本・小売資本との連携の構築。例:梅干し、リーフ茶。
  • ④生産者間・産地間の連携(知的資源保護に向けた戦略を含む)。例:米、リンゴ。

各農産物の取り組み

小麦:大規模な畑作農家に栽培を集中→低コスト生産を目指したシステムの構築。2007年より担い手認定された農家のみ補助金支払*1→大規模農家に有利。遊休農地の流動化を促進する政策は効率的に農地を集約できる。さらに、遊休農地の増加を反映して農地価格・小作料が低下して有利に。生産規模拡大・機械化によるコスト削減は、大規模農家を対象とした補助金政策の充実がアウトプット面でも必要。消費者と生産者は食料供給作物としての小麦の重要性を再評価する必要がある。
生しいたけ:2001年以降、施設の経費補助を対策事業とした産地の構造改革を図った。これにより、原木栽培から菌床栽培に移行し、栽培施設の規模拡大が進行し、企業の進出が顕著となった。その一方で労働生産性の低い原木栽培を継続していた地域もある。農協は産地弱体化に対応した流通形態を志向。栽培企業は法人を設立して出荷を委託し、取扱量を増やして経営基盤を強化した。ただし、高齢化の打開や(栽培農家が家族労働力に頼る現状では)大手スーパーや農協との直接取引が難しく、中間業者を通すなど流通部門の対応が求められる。
ねぎ:需給調整を主とする産地政策から、2001年以降、農林水産省が野菜産地構造改革を推進。生産・販売面での新たな産地戦略を政策メニューに取り込み、新たな産地振興策を打ち出すよう変化した。深谷ねぎ産地では、減農薬減化学肥料栽培で品質の可視化に取り組んだが、農協の販路のあり方・使用資材の統一の難しさで十分な成果をあげているとはいえない。移植機・収穫機の普及で生産費の削減が可能になった(低コスト化戦略)が、機械導入に地域差があるのが課題。
レモン:皮ごと食すレモンの商品特性が消費者の購買行動に反映され、国産レモンの安全性が付加価値として認められている。夏季に供給がなく安定供給が難しいため、輸入レモンが得意とする業務用需要への食い込みが可能になるような生産・加工体制の構築が求められる。瀬戸田町では農協がリース方式によるハウス栽培を導入し、夏季の生産量を増やしている。ただし、広島・愛媛以外では寒さ・降雨に弱いレモンの品種特性、栽培技術の不十分で増産には積極的ではない。要するに、技術力のある限られた産地が食の安全性重視というニッチ市場を見出す形で進んできた。
梅干し:みなべ町では主体間連携の取り組みが強化されつつある。紀州梅の会の組織再編(農協と自治体の連携組織に、複数の協同組合や生産者団体が加わった)を通じて、PR活動(加工講習会・スーパー宣伝・京都上賀茂神社への献上・梅フェア開催・総理官邸表敬訪問など)や品質調整(選別基準を定めた責任票を配布して品質管理基準を徹底、加工業者は認定制度を開始)、情報・意見交換など主体の枠を超えた産地ぐるみの取り組みが始まった。
リーフ茶:リーフ茶の仕上げ加工企業A社は、緑茶飲料生産に関して同一品種の茶葉を大量に確保できるか否かが課題であった。三重・熊本・鹿児島の茶生産者と契約栽培を行い、残りの茶葉は一般市場で仕入れている。また、産地確保に乗り出し、宮崎・大分・鹿児島・長崎で茶産地育成事業を展開し、宮崎には100ha茶園造成・荒茶工場も新設した。これら栽培契約を締結した地域は農業衰退が著しいため、自治体や農協のバックアップの下に農業生産法人が設立され、大規模な生産が計画されているが、他方でこうした組織が従来の地縁に基づく産地とは異なった次元での産地再編が行われようとしている→問題点の共有で課題。
:米価の低迷を受けて大規模農家は規模拡大を進め、米の独自販売や特別栽培米など付加価値米の生産による経営の内的充実に努めてきた。一方で多数を占める中小零細農家は、2000年代に導入された大規模農家育成政策の展開で、集落営農の導入など地域農業再編の渦中にある。例えば山形県鶴岡市旧藤島町では、消費者サイドに立った米の生産や、既存の農業団体ではない新たなネットワーク組織の活用によって、販売面の強化や経営の内的充実が図られつつある(専業的な稲作経営は米価の下落・不安定化で持続しえないため)。経営者意識を有する農業者が立ち上げたネットワーク(こめ工房)は、大規模稲作地域の産地形成や競争力の強化に意味をもつもの。
リンゴ:例えば日本ピンクレディー協会は、日本におけるピンクレディーの生産・販売権を有しており、厳格な品種管理を遵守させるとともに、会員から徴収するロイヤルティーを宣伝・運営費、訴訟費用の積立など有効活用するシステムを構築した。知的財産として有望品種の商標を管理し、限られた生産者・協会のネットワークでグローバルな農産物市場に対応するというシステム(ネットワーク型農業経営組織に似ている)を有している。将来的には、日本の生産者が知的財産権を有する品種を海外に普及→国内に利益が還元される仕組みの構築が求められる。

真実

農業生産指数(表2)によると、日本の農業は1980年代後半までは拡大していたといえる。にもかかわらず食料自給率が1970年以降、横ばい状態なのは、日本の食生活が変化(洋風化)し、飼料穀物の大量輸入や油脂類の原料用大豆の輸入が自給率を引き下げたからである。食生活は畜産物が著増した一方で、米・いも類の1人当たり食料消費量は減少した。したがって昭和時代は必ずしも農業が衰退したとみることはできない。しかし、平成になると食料自給率の低下は、食生活が飽和状態に達し、農業生産が全体として縮小局面に転じたことが主因となる。要するに平成以降の食料自給率の低下は国内農業の後退を反映している。

表5より、農家数の減少に歯止めがかかっておらず、日本の農業の縮小傾向が加速している。1960~2010年で農家数は4割減少し、80年代以降は減少テンポが加速している。また、販売農家の減少は3割減と2000~2010年では全体より急速で、自給的農家はこれに伴って増加した。さらに農業就業人口は2000~2010年で3分の2に減少し、就業人口の平均年齢も61.1(2000年)から65.8(2010年)へと上昇し、高齢化が進んでいる。日本は集約型農業と土地利用型農業が併存するが、特に人材面で危機的状況を呈しているのが、土地利用型農業の水田農業である。実際に、販売農家・自給的農家の大半は稲作農家で、農業全体の高齢化の進展に深く関わっている。農業就業人口の減少と高齢化は1980年・1970年に若者だった農家の子弟の大半が農業以外の職業を選択したことと、その後も同じ傾向が続いていることによる。農家の長男であれば農業を継ぐ昭和一桁世代は既にリタイヤが進む一方で、後継世代の先細り状態は高度経済成長期以降の若者の就業選択の帰結である。農林水産省は1992年に「新しい食料・農業・農村政策の方向」を公表し、人材の確保、食料自給率の低下、中山間地域に対する政策など検討し始めた。

高度経済成長が始まった1955年から2005年の間に1人当たり実質所得は7.7倍に上昇し、8倍のモノやサービスを生産・消費するようになった。農業の経営規模の拡大も急速に進んだが、集約型農業(畜産・施設園芸)と北海道の土地利用型農業のみが進み、都府県の水田農業の規模に目立った変化はなかった。戦後の1ha未満層の水田作農家は兼業農家が多いが、その背景には経済成長で農村部にも雇用機会が広がったことや1960年代後半に田植機が普及したことによる。安定兼業農家というライフスタイルは、戦後の経済成長に対する農家の合理的な適応行動の結果である。近年は農地を貸し出す農家が増加しているが、引き受ける農家の動向は全体として弱い。

2010年に民主党政権下で策定された基本計画は、自公政権下の農業改革路線とは異なって、小規模農家・兼業農家を存続させる戸別補償制度であった。しかし、半年後に政府がTPP締結交渉への参加を表明すると、歓迎する経済界と反発する農業団体とで対立する構図へとつながった。そして、これを背景に近年の農政は逆走・迷走状態に陥っている。

民主党政権下の戸別所得補償では、1ha未満層の水田作農家に対して支給される額が年間7万円程度であり、持続性を高めることは困難である。この制度自体は中立的であるが、担い手支援の前政権に比べると明らかに後退している。この背景に選挙対策の建前と農業実態の本音が使い分けられていたと生源寺は指摘する。そもそも方向性の定まらない農政ほど農家にとって迷惑な話はなく、近年の日本の農業に関する限り、農政の迷走状態は自然リスクよりも深刻なリスクファクターであると厳しく批判した。

高齢化で貸出希望の農地増加→水田農業の規模拡大には好適な環境出現。これを活かすのに必要なことは、[1]職業として水田農業に取り組む農業者への支援の姿勢を明確にすること、[2]農地制度を利用優位という理念に沿って的確に運用すること。土地利用型農業の規模拡大にはまとまった農地が必要であり、これらが担い手に集積されるように農地制度は機能する必要がある。

[1]職業として農業に本気で取り組む農業者を支援すること(担い手政策)が大切だが、卵やヒナの段階から担い手を育てる仕組み(明日の担い手政策)が重要であり、キャリアパスの初期段階においてそれぞれのステージに相応しい支援策をデザインすることができる。非農家からの新規参入の増加に期待して、法人型の農業経営が新規参入者のインキュベータとして機能することが重要である。事実2007~2009年までに法人経営に雇用され就農した人材は年平均7700人強に達し、6割以上が30代までの若者である。多くの人々が挑戦できる政策支援であるためには、明日の担い手政策から本格的な担い手政策に至る支援のルート確立が大切である。こうした若者など人材を引き付けるために大切な点があり、「経営の厚みを増すこと」で3つの戦略がある。①土地利用型農業の生産物自体の付加価値を減肥料・減農薬・有機農業→的確な情報発信などで高める。②土地利用型農業と集約型農業を組み合わせること。③食品産業の分野に多角化すること。例:郷土色豊かな製品を売店で販売、インターネットによる顧客注文、農家レストラン、観光・体験の取り込みなど。

[2]農地の貸借・売買に関して、法制度が複線化した状態が続いている(農地法・農業経営基盤強化促進法・農用地保有合理事業・土地改良法など)ので、これらを運用する組織の機能を統合する必要がある。統合により、農地行政を支える人材の合理的な配置や、農地制度の運用が能動的になることも期待できる。農地制度は第三者によるチェック機能を欠いていることも問題である。チェックには①制度から逸脱した行為について申し出を受けて裁定・是正を行う、②制度の運用実績に関する定期的な評価をする、の2種類ある。農業の規模拡大において、貸借による農地集積というアプローチが定着しており、利用者側に配慮した貸借の仕組みに改める必要がある。例えば、短期の貸借契約の場合、農地に対する投資に(回収できないとの理由で)踏み切りにくい場合があるが、ここに契約期間終了時に投資した価値のうち未回収の残存分を借地農業者に補償する仕組みを整備する必要がある。

農と人間

実質所得の急上昇は農業にも強い影響を与えた。食料に対する需要の構成が大きく変化したことで、農業も品目によって成長部門と衰退部門に明暗が分かれた。また、農家が求める所得水準も上昇したため、経済成長は農業経営の規模拡大を促す圧力としても作用した。1961年に農業の構造改革を掲げた農業基本法が制定され、自立経営農家の育成が基本目標とされた。しかし実際、表2-2のように農家・農業就業者は(目論見通り)減少したが、自立経営農家の育成は部門・地域でムラがあった。例えば、兼業農家の道を選択した農家の多い水田農業は、育成が遅々として進まなかった他方で、施設園芸や畜産の規模拡大は著しかった。施設園芸は所有農地だけで敷地を十分確保することができるため、規模拡大の実現が比較的容易な一方で、水田農業は広い面積の農地が不可欠で農地確保には貸手農家の動向次第という側面がある。畜産は飼料生産用の農地を必要とするが、日本の畜産は海外からの輸入飼料に大きく依存しているため、厳しい土地制約は存在しない。ただし、北海道だけは例外で、土地利用型農業でも規模拡大が進展したが、背景には通勤可能な職場が農村部に乏しく、多くの農家の拳家離村があった。事実、表2-3のように都府県と北海道では規模拡大のテンポに極端な開きがある。要するに日本の農業を一律に論じることはできず、土地利用型農業と集約型農業とで違いがあり、同じ土地利用型農業も北海道と都府県とでまた異なる。このなかで特に都府県の水田農業は働き手の継承という点で世代交代に失敗した。高度経済成長以前に就農した昭和一桁世代は農業中心で農外就業は臨時的だった。次の団塊世代前後の層では恒常的な勤務につき、安定兼業農家に移行したが、まだ農業経験はあった。しかしその次の団塊ジュニア世代層は農家との接点が概して希薄となっていた。

人々の実質所得の水準が高まるとき、その国の就業者全体に占める農業就業人口の割合は低下し、第二次産業や第三次産業の就業人口が増加する(ペティ=クラークの法則)。日本では戦後になって農業就業者の割合が急速に低下したが、戦前期も緩やかな低下傾向にあり着実な日本経済の成長が窺える。また、所得水準が上昇すると、家計費に占める飲食費支出の割合が低下する(エンゲルの法則)。日本のエンゲル係数は1940年代後半には60%と高率だったが、1955年では50%、1973年より数年間は30%で足踏み状態に、1990年代半ば以降は20%台前半の水準に落ち着いている。これら2つの法則は産業構造をそれぞれ供給側と需要側から捉えたものであるが、これだけで農業と食料のポジションは十分に把握できず、実際は貿易の影響を考慮する必要がある。

日本の食料消費は1955~2005年において驚異的な変化を遂げている(表3-2)。半世紀で肉類は8.9倍、牛乳・乳製品7.6倍、鶏卵4.5倍、油脂類5.4倍、果実3.5倍と増加する一方で、米はほぼ半減した。食生活が米を中心とする質素なものから、和洋中華と豊かなものへと移行した。近年、韓国・台湾・中国・東南アジアの国々では食料消費の変化がかつての日本のように本格化している。日本では今日、(高齢化も影響して)経済成長とともに急増した動物性たんぱく質や油脂類の消費量がピークに達している。

食品産業の要素を取り込んだ農業経営は、日本農業が進化する有力な方向である。栽培・財務管理が基本だった伝統的な農業経営管理に対して、新たに労務管理・取引先交渉などの領域のスキルアップが必要である。新しい試みの中には、標高差を活かして二箇所で花卉栽培する経営や、天候に左右されないため複数の県で稼働する農場をネットワーク化した経営など、複数地域に農場を配置するケースがある。農業経営の規模については、これまでの常識に捕らわれない柔軟な発想が必要である。

中山間地域の農業は平地以上に困難を抱えており、以下3点が重要である。①農業のウィングを広げる支援策は重要である。自然環境を活かしたツーリズムや農業の体験学習の機会提供などがその例である。②居住環境としての地域の状態を良好に保つこと。中山間地域でも近隣に通勤可能な就業機会の豊富な地域も少なくなく、居住環境の確保・維持は農業持続の必要条件である。③中長期的に現実味のある防衛線を設定すること。耕作放棄地は、病害虫・野ネズミの巣窟となり、用水路の維持管理にも支障をきたすなど外部不経済が周辺に及ぶため、地域の人々の判断で防衛線を設けて耕作放棄地のドミノ的な拡散に歯止めをかける必要がある。

未来

戦後の農業政策は1961年に制定された農業基本法のもと「農業の近代化」を目指し、そのうち「選択的拡大」政策では野菜・畜産・果実の生産を奨励して産地の形成を推し進めてきた。しかし、1980年代後半以降、それら生産奨励作物の輸入が増加し、離農者の増加や農業経営の継続困難によって国内農業の規模が縮小していく。現在はさらなる自由貿易の推進と規制緩和が進み、国際競争を強いられている。農業就業人口は、1960年の1454万人から、2019年の168万人まで大幅に減少した。高度経済成長期以降、農家の補助的労働者であった次男・三男だけでなく、後継者となる長男を含めて農村から都市への人口流出が急速に進んだ。同10年間でも、1995~2005年には79万人だったが2005~2015年には126万人と大幅に減少しており、これは2005年から70歳以上の層が減少に転じる構造的変化による。結果として、個々の農業経営の継承と再生産だけでなく、地域農業と地域社会の維持も困難な状況となっている。1950年時点で全就業人口のうち農業就業人口は47.1%を占めていたが、2020年では2%のみとなっている。2020年の年齢別基幹的農業従事者数は、65歳以上が69.4%となる(平均年齢67.8歳)一方で、40歳以下は10.9%のみである。中山間地域では特に高齢化が進行している。耕作放棄地の面積は1975年の13万1000haから2015年の42万3000haまで増加した。

近年は、独立就農を目指すだけでなく、自然・地域とのつながり・生き方などを強く意識するような価値観へと変化しており、農家の後継者も、長男だからというよりも農業を自らの仕事として選択するようになっている。また、地域貢献志向が強い若い世代が増え、社会課題解決の一つの糸口として農業と連携する動きもみられる。現在はコロナ禍を背景に農村地域・都市近郊地域への移住・二地域居住に注目が集まっており、受け入れ地域では就農オンラインツアーや個別相談会を積極的に行っている。

就農形態別新規就農者数(表2-2)はバブル経済期の1990年に1万5700人で最小値を記録したが、その後は増加し2006年に8万1030人、その後は減少し、近年は毎年5~6万人台で推移している。新規のうち、自営農業従事者は数・割合ともに減少しているが、雇用就農者及び新規参入者は増加傾向にある。特に新規参入者は2007年の1750人からここ5年ほどは3000人台となっている。新規雇用就農者の就農以前の就業形態をみると、学生が21.9%と就職先の一つの選択肢となっていることがわかる。2020年時点の雇用就農者15万6700人のうち、49歳以下の占める割合は51.3%で若い世代が支えている。要するに雇用就農者と新規参入者は、非農家出身の若い世代から支持を受けて広がり、存在感を増している。

段階的な就農は独立就農希望者にとって一般的なプロセスとなり、経営資源・生活資源の確保という障壁緩和のため、独立就農をサポートする多様なルートが整備されている。主に、研修・雇用就農・教育機関(農業大学校・日本農業経営大学校・アグリイノベーション大学校など)・地域サポート人材などのルートがある(表2-3)。

日本において、耕地面積に対する有機農業取組面積の割合は0.5%と世界平均の3分の1程度であり、有機農業の普及が遅れている。一方で、日本の有機農業の取扱面積や農家数は増加傾向にあり、例えば面積は16万3000ha(2009年)から23万7000ha(2018年)へと増加している。さらに有機農家は60歳未満が47%と約半分を占め、若い世代からも支持されている。事実、独立就農者による有機農業等への取り組み状況をみると(部分的なものを含めて)72.9%が有機農業を実施している。ただし、有機農業による独立就農は慣行農業とは異なる特有の課題(以下8つ)を抱え、創意工夫を図って参入しない限り困難である。
①慣行農業とは異なる農業技術に関して、集落住民からの教示を受けられず、生じた問題を独自解決する必要がある。
②技術面に関して、普及員等からの指導が得られない。
③慣行農業にみられる特定作物の奨励がなく、既存の販路も限定されており、少量多品目生産を基本に独自で作目や販売方法を検討する必要がある。
④販路の確保が難しい場合、農業所得面での制約が生じる。
⑤生き方について既存住民の理解が得にくいケースがある。
⑥有機農業に取り組む仲間が少ない。
⑦農業経験の少ない非農家出身者にとっての、生活面とのギャップ。
⑧特に研修が重要になる。
このように有機農業は特有の課題を抱えるため行政の対応は及び腰である。有機農業促進法の成立を機に就農相談についても窓口が整備されるようになったが、各種戦略や計画において有機農業を明確に位置付けている市町村は10.5%にとどまっている。積極的なサポートを期待できない状況に対して、近年、生産者グループやNPO、一部農協では有機農業による独立就農者を地域に広げ、行政と連携していく動きもみられる。さらに、有機農業を体系的に学ぶことができる教育機関もある。

消滅

日本の農業・農山村は、いくつもの重層的な難局に直面している。
①1960年代から徐々に進行してきた農山村地域の過疎化と衰退化の傾向が更に一段と強まっている。2010年をピークに急速な高齢化を伴って人口が減少し、農業従事者も減少と高齢化のテンポが著しい。小田切は日本の農山村地域で、人(社会減少→自然減少)・土地(農林地の荒廃化)・むら(集落機能の脆弱化)・誇りの空洞化が進行していることを指摘している。今後、消滅集落が次々と発生してくるという懸念が既に顕在化しつつある。
②1980年代後半以降における市場経済のグローバル化を背景とした貿易自由化のなかで「生き残り競争」に晒されている。食料自給率・穀物自給率は、他の先進諸国と比較しても低い水準となっており、食料安全保障の観点でも深刻に憂慮すべき事態となっている。また、市場経済のグローバル化は、地方都市に立地していた製造業等の海外移転を加速させ、地方経済の衰退化を招いてきた。この結果、地方都市での就業による農外所得に依存してきた周辺農村部の兼業農家が成り立たなくなるという状況も生まれてきた。
③2001年の小泉政権以降、新自由主義的な政策が強行され、これまで農山村地域の維持・保全に寄与してきた各種の施策が次々と切り捨てられる動きが強まっている。三位一体の改革では大幅な地方財政の削減が行われ、特に農山村地域を抱える地方の市町村自治体のほとんどが厳しい財政危機に陥った。また、平成の市町村大合併によって、地方での各種公共サービスの著しい低下が進むとともに、農山村地域を中心とする基礎自治体の「地域力」そのものを衰弱化させた。
④東日本大震災と福島原発事故による未曾有の自然的・人為的な巨大災害が発生した。特に深刻な放射能汚染により、警戒区域に指定された福島県の被災市町村では地域コミュニティそのものが壊滅を余儀なくされる事態に追い込まれている。除染作業を進めてきた政府は、避難指示を解除して避難者に帰還を強いる政策を推し進めてきたが、避難者の多くは帰還できないのが現状である。
⑤日本各地で深刻な地震災害や自然災害が繰り返し発生し、中山間地域にある農山村や都市部を含む被災地が大きなダメージを受ける事態が続いている。地球温暖化に起因する気候変動問題の顕在化により、近年の日本では集中豪雨による災害が頻発している。集中豪雨によって森林地域でも深刻な被害が生じており、人工造林が行われてきた森林において、木材輸入の自由化がもたらした林業経営の危機のもとで間伐など必要な管理が行われなくなり、脆弱な山を大量に生み出した背景がある。

日本農業の本当の問題は持続可能性に赤信号が灯ったことである。現在の農業が営まれる各々の地域で、農業経営の年齢や経営規模などの構造をそのまま再生産し、受け継ぐことは不可能である。その原因は以下3点である。
①戦後日本の人口動態。高度経済成長により、農村から都市への激しい移動が生じた。三大都市圏への人口流入は1950年代半ばには30万人前後だったが、1960年代前半には50~60万人規模に倍増し、その後も40万人規模が継続、1970年代前半に沈静化した。この結果、農村には親の世代が残り、跡継ぎも農外就業を主としながら兼業農家に従事する姿が一般的となった。農家は親世代や長男により維持されてきたが、平均的な耕地面積規模は生計を立てるには小さく、農外就業から農業に戻る力は極めて弱かった。農家の年齢構成は高齢化し、都市に出た子弟家族は都市での企業勤めが定着し、農村に戻る動きが弱くなった結果、農家の補充不足状態が構造的に定着した。
②農業経営規模の零細性。農業構造改革への考え方が、規模拡大最優先主義的な政策の下敷きになっている。背景には米国型の大規模農業こそが農業の理想形であり、経済発展に伴い農民層は農業経営者と脱農した労働者とに分解して、農業の経営規模の拡大が進むだろうとする考え方がある。しかし、これは農業に対する極めて一面的な見方で、自然的条件・社会的条件を無視して特定の形に変えることは困難である。多くの農家は兼業によって他産業と遜色のない所得を実現し、安定社会の基礎となり、全国で営農を継続してコミュニティを維持したことによって、地域の資源管理が行われてきた。この部分に目を背けて大規模経営が成立した日本を夢想し続けることはできない。
③自然条件に合わない農業政策。農業基本法が前提とした小規模農家の農村からの急速な転出は農村社会に阻まれて起きなかった。技術体系導入により生まれた労働力余剰は兼業に向けられ、農業機械への過剰投資をもたらし、複合経営への志向の強さは米の一層の生産過剰となった。さらに農業基本法が推進した技術と農法は、化学肥料・農薬への依存と多投、堆肥や有機肥料の不足、地域内資源循環の軽視を伴っていた。それらは土壌・動植物・微生物の相互作用によって農業の生産力を生み出している複雑系の土壌世界を単純化し、地力の低下をもたらしている。

招待

国内生産量の変化パターンとして
①生産量の減少傾向が続く米
②生産量に変動がみられる小麦
③1990年代までは生産量が増加傾向にあった野菜・果実・魚介類
④近年まで生産量が漸増していた肉類・卵類・牛乳/乳製品類・油脂類
に整理できる。特に④は消費量の増加に対して国内生産量も大きく拡大してきた。たしかに需要量に対して生産量は不足気味に推移してきたが、輸入農産物の増加が国内農業を衰退させた訳ではない。むしろ③は少なくとも1990年代までは日本農業の成長部門として日本の食料供給を担ってきた。また、④の肉類は1991年に自由化された品目だが、その後も国内生産は増加し、海外産牛肉の輸入も増加した他方で国内の品質向上という対応で生産を伸ばしてきた。

日本の農業地域が経済力を保持しながら食料供給を担うための方策として、以下3つのケースがある。
ケース1:生産性上昇による生産費削減と価格競争力の強化。生産費削減には①肥料・農薬・機械を低価格で仕入れる、②作業効率を上げるため施設整備の合理化、③農地の外延的拡大による単位労働投入当たりの生産費増加が必要となる。①と②では、農協が中心となって農業資材の共同購入による共販体制の構築によって主産地を形成してきた。③は強く意識されている方向性であるが、土地利用型農業における外延的規模拡大は、農地の売買でなく貸借を通じて実現される場合が多く、労働費の削減は達成されたとしても地代負担が生産コストを押し上げる可能性をもっている。また、日本では産業空間(農業)と生活空間(農村)が重なり合う地域が多く、個別の経済合理性の追求によって1人当たりの経済的指標が増大するにもかかわらず、地域全体としての多様なサービスを享受できなくなる可能性をもつことには注意を要する(山崎,2015)。
ケース2:有機農産物・ブランド化の取り組みによる品質の差別化や価格差別化による付加価値の向上。日本では消費者の嗜好が多様化しており、同じ農産物でも商品差別化が進行している。しかし、商品差別化による付加価値向上は、新たな農業地域の参入と普及といった競争に直面することになる。その際、全国各地で農産物直売所やコミュニティビジネスといった経済合理性では割り切ることができない小さな農業の存在が等閑視されてしまう可能性がある。
ケース3:新市場開拓による生産拡大。現在、政策的にも農産物の輸出力強化戦略として推進されている。単純な国際分業論では比較優位性があるとみなされるが、実際、農産物の輸出については相手政府の定めた食品安全性に関わるルールに適応することに加え、規格・認証・知的財産など乗り越えるハードルが多い。世界市場での食料供給体制の一翼を担えるか否かは、これまで国内市場を対象に存立してきた農業地域が直面する新たな課題である。

生産コスト削減は安価な食料供給にとって重要だが、個別主体が経済合理性を追求した結果、本来の農業地域の損失が削減コスト以上に高くつく可能性があり、そのコストは最終的に国民に転嫁されてしまう。したがって生産コストだけでなく、本来的には国土利用保全コストまで内部化する必要がある。その際に、日本では農地所有者に対する補助金・交付金の制度はあるものの、農地利用者に対する助成は極めて少ないことに留意する必要があり、所有の優遇措置から利用への助成で生産コストを引き下げるかどうかを検討すべき。さらに相次ぐ災害に見舞われる日本では、農業地域が被災すると食料供給が不安定化するリスクを抱えている。これに加えて、世界では栄養不足人口が8億人存在しており、食料を過度に海外へ依存し続けることは確保上のリスクになりうる。今後の農業地域の経済力の評価は、安価に供給できる可能性を模索しつつも、国民が安定的に食べられる環境をいかに確保するかという食料安全保障にも留意すべき。そのためには、自然的・歴史的条件を基礎として形作られてきた農地資源をいつでも有効に利用できる環境を整えつつ、合理的農業の構築へ向けた国民的合意を地域から形成していく必要がある。


*1 品目横断的経営安定対策