雨の日の七夕伝説

Last-modified: 2012-01-18 (水) 08:05:13

雨が降っていた。
夕暮れ時も近い刻限。
学校の帰り、外の営業、遊びに出ている人・・・。
そのほとんどが、突然降り出す雨を予測していなかった。
雨は降りつづけた。
激しさも増した。
道行く人は、軒下やお店の中へと避難した。
行き交うは車のみになった。

ここは、商店街。
天気予報でも告げられていなかった雨が、買い物客を足早に帰らせた。
それが適わぬ人は、軒下へと逃げた。
そして、ここ、呉服屋の軒下でも、そんな人々が数人、降り止まぬ雨を見つめていた。

「あぁーあ・・・せっかくの休みなのになぁ・・・」
雨に打たれてぬれてしまった服が、肌に絡み付いて気持ち悪い。
夏休みに入って、地元に帰ってきたあたしは、一人で、商店街を歩いていた。
・・・なんで、今時のショップとかじゃなくて、商店街なのかと言えば、
ここは、あたしの思い出の場所だったから。

そう、6年前のあの日も、最後はこんな天気になったっけ・・・。

1998年 8/7 昼 商店街----------------------------------------------

「ねぇー、お兄ちゃんッ、早く早くぅ!!」
「急ぐなよ、他の人にぶつかるぞ?」
この商店街では、年に一度、8/7に、面白いイベントが行われていた。
天と地で別たれた、一人の青年と、一人の天女が、年に一度だけ、会うことを
許された日。
・・・俗に言う、「七夕」。
普通なら、七夕といえば7/7にやるものだけど、この地方では、旧暦に従い、
一月後れで、七夕の行事が執り行われている。

この商店街で行われるのは、そんな、月後れの七夕のイベントだった。
近くに、お祭りをやる神社がないこの地方にとって、あたしが、浴衣を着るのは、
この場所だけだった。
・・・そして、浴衣姿を、一番間近で見ていたのは、「お兄ちゃん」だった。
本当の兄妹じゃなかったけれど、あたしは、お兄ちゃんのことが大好きで、
いつも、お兄ちゃんって呼んでいた。

お兄ちゃんは、とても頼りになる人だった。
あたしより、6つ年上だった。
かっこいいとさえ、思っていた。
あたしに、いつも優しくしてくれた。
・・・好き・・・と言うより、あれが、初恋だったのかも。

そんなお兄ちゃんが、しばらくの間、あたしだけのお兄ちゃんでいてくれる。
まるで、彦星と織姫が、一年に一度だけ巡り合える、七夕のように。
だから、七夕と言うイベントは、あたしにとって、大切なものだった。

だから、あたしは、イベントが始まる前から、こんなにもはしゃいでいた。
それが、お兄ちゃんにとっては、うれしくもあって、同時に心配でもあったみたいだった。
急いで、あたしの後を追いかけてくる。

「いやぁー、お兄ちゃんにつかまっちゃうぅ~!!」

あたしは、楽しげに声を挙げながら、尚も走った。
お兄ちゃんも、まるで、恋人にでもするかのような感じで、あたしを追って来た。

しばらく時間が経って。
「――あ。」
お兄ちゃんが、何かを思い出したかのように、立ち止まって、変な声を挙げた。
「どうしたの?」
あたしも、立ち止まる。
お兄ちゃんはしばらくしてから、答えてくれた。
「・・・おつかい、忘れてた」
「――あ。」
今度はあたしが変な声を挙げた。

そう言えば、今は、おつかいで来てたんだった。

お買い物を済ませた帰り。
お兄ちゃんは、あたしの方をまじまじと見てから、訊いた。
「なあ・・・今日、七夕来れる・・・かな?」
あまりにも突然の質問に、あたしは一瞬、首をかしげた。
――毎年来ているのだもの、当たり前じゃない。
言おうとしたけど、ちょうど通った大型トラックの音に、かき消されちゃった。
・・・結局、それから、お兄ちゃんとあたしとの間に、会話はなかった。

1998年 8/7 夕方 自宅-----------------------------------------------------

「お母さん、浴衣どこぉ~?」
「おっかしいわねぇ・・・確かこの引き出しに・・・」
もうすぐイベントが始まるのに、何故か、浴衣が見つからない。
せっかくの日なのに、今日に限って、どこにも見当たらない。
あたしは泣きそうになりながら、一度調べた場所を、もう一度調べた。
でも、お母さんは、もう、探すのを止めた。
「今年は、お出かけ服で行っておいで・・・浴衣は、また今度・・・」
そう言って、いそいそと、キッチンに入って行ってしまった。
あたしは泣いた。
あれを着て行かないといけないのに。
あれがないと、七夕にならないのに。
そんな、子供の、勝手な思いこみは・・・

1998年 8/7 夕方 イベント会場----------------------------------------------

結局、浴衣は見つからなかった。
お母さんに言われたとおり、おでかけ用の服で、商店街の入り口にいた。
ここで待っていれば、いつもなら、あと少しで、お兄ちゃんはやってくる。
浴衣は悔しかったけど、お兄ちゃんとのデートに対する気持ちが、それを、
徐々にかき消して行った。
もう少しで、お兄ちゃんが、あたしだけのお兄ちゃんとして現れる。
・・・今年こそ、告白しよう。
あたしの思いこみじゃなくて、本当に「恋人」になりたい。
もう、抑えられない。
言おう。
言おう。
絶対に、告白しよう。

・・・でも、お兄ちゃんは、いつまで経っても、姿を見せなかった。
高鳴っていた鼓動も、今では、寂しさと泣きたい気持ちに変わっていた。
・・・ううん・・・もう、泣いていた。

商店街の中を捜す。
商店街の中を、捜しつづけた。
・・・でも、お兄ちゃんはいなかった。

そして、雨が降ってきた。
誰も予想していなかった、突然の雨だった。
商店街の近くに家がある人は、みんな、駆け足で帰って行った。
・・・それから、七夕のイベントは、途中で中止になってしまった。

1998年 8/7 夜8時 呉服屋--------------------------------------------

雨は、一向に止む気配がなかった。
あたしは、持たされていたPHSで、お母さんに電話をかけた。
・・・でも、いつまで経っても、お母さんは電話に出なかった。

雨にぬれた体が、徐々に、震え始めた。
でも、体をぬらしていたのは、雨だけじゃなかった。
・・・全てに裏切られたような、絶望感から沸き立つ涙。
あたしの顔をぬらしたのは、雨より、むしろそっちだった。

・・・あたしは、一人で帰ることにした。

1998年 8/7 夜??時 道路---------------------------------------------

まだ、雨は止んでいなかった。
雨にぬれて、あたしは今にも、風邪をひきそうだった。
「さむい・・・よ・・・」
雨のせいか、あたしは、真夏なのに寒さを感じていた。

夜の道路・・・怖かった。
怖くて、懸命に歩いた。
でも、この日に限って、家までの距離が、妙に遠く感じた。
近づいているはずなのに、全然着かない。
むしろ、遠ざかっている・・・そんな気さえ、してきた。

いつのまにか、あたしの頭の中から、考えていたものが消えていた。
考えることも、できなくなった。

あたしの横から、けたたましいクラクションの音が聞こえたのは、その直後だった。

――ドン。
何かがぶつかって、あたしの視界が弾けた。
足から、地面を踏みしめる感覚が消え、代わりに、全身に、一瞬、痛みが走った。
・・・激しい痛みの中、どこからか、男の人と、女の人の声が聞こえる・・・。

その中に混じって、もう一人、男の人の声がしていた。
聞き覚えのある・・・温かい・・・聞きたかった声が聞こえた。
「ごめんな・・・僕が・・・美紀は・・・い・・・」
え・・・?
お、お兄ちゃんの声が・・・なんで、そんな声が聞こえるんだろう・・・。

救急車らしき車のサイレンが聞こえたのは、しばらく経ってからのことだった。
初めての救急車・・・。
でも・・・。
乗せられる直前で、あたしの意識は落ちた。

・・・次に気がついた時には、病院のベッドの上だった。
知らせを聞きつけたお母さんとお父さんが、目を開けたあたしを見て、
泣きながら大喜びしていた。

1998年 8/14 病院------------------------------------------

あたしは、未だに、病院の中にいた。
幸い、後遺症は残らなかったけど、それでも、全治1ヶ月だって・・・。
学校、行けないな・・・。
お兄ちゃんにも、逢えないな・・・。

・・・そうだ・・・。
お兄ちゃん、あれから、どうしているんだろう?

あたしは、お見舞いに来ていたお母さんに、尋ねた。
「ねえ、お兄ちゃん、どうしてるかな・・・」

その瞬間、お母さんの顔が、凍りついた。
そして、しばらく経ってから、言う。
「お兄ちゃんなら、暇な時にお見舞いに来てくれるって言ってたわ。」
・・・でも、その言葉の歯切れは、すごく悪かった。

もう一度、聞く。
「本当に、お兄ちゃん、来てくれるの・・・?」

お母さんが怒ったのは、その質問の後だった。
「何度も言わせないでッ!!しつこい子は嫌いだよッ!!!」
・・・いやな予感がした。

・・・そして、その予感は、的中した。
お兄ちゃんは、それから、二度と、姿を見せてくれなかった。


2004年 8/7 夕方 呉服屋の軒下---------------------------------

あれから、お兄ちゃんが、どこに行ったのか、誰も教えてくれなかった。
体の傷は癒えて、それから、あたしは、いつもの生活に戻り、中学へ、
そして、高校へと進み、今に至っている。

雨は、まだ止みそうになかった。
「ハァ・・・そろそろ、お母さん帰ってきてる頃よね・・・」
流行りのマスコットのストラップをつまみ上げ、携帯を取り出す。
かけた先は、自宅。

・・・5回くらい鳴らすと、誰かが受話器を取った。
「もしもし、お母さ――」
「――久しぶり。美紀ちゃん。」
・・・聞こえてきたのは、お兄ちゃんの声だった。
「お、お兄ちゃん!?」
・・・信じられなかった。
本当にお兄ちゃんなのか、何度も確認した。
そのたびに、お兄ちゃんは「そうだよ」と返してくれた。

それから、我を忘れて、電話越しのお兄ちゃんと、いっぱいお話をした。
料金なんか、気にしていられなかった。
あれからどうしていたのか、とか、今、何をしているのか、とか・・・。
とにかく、いっぱい、話をした。

・・・でも、お兄ちゃんが話してくれた近況は、矛盾することばかりだった。
時間軸が、合っていない。
1998年の当時のままのことしか、言ってなかった。

しばらく、聞いていたけど。
あたしは、意を決して、聞いてみた。
「お兄ちゃん・・・。怒らないで聞いてね?今、どこに、いるの?」

あたしだって、あの頃と比べたら、ずっと大人になった。
人間の汚い部分にも、目を背けずにいられるようになった。
悪く言うと、「汚れた」って言うんだろう。
・・・だから、あたしは、お兄ちゃんの「矛盾」を、甘受できなかった。

しばらく、言葉が途切れた。
電話越しからは、何も聞こえてこない。

「お兄ちゃん!?」

・・・答えが、返ってきた。
・・・・・・信じられない、答えが。

「美紀ちゃんの、隣だよ。」

はっとして、振り向く。
・・・お兄ちゃんは、そこに、居た――

涙が止まらなかった。
そこにいたお兄ちゃんの姿が、6年前のままだったから。
そして・・・今にも、消えそうだったから。

「あははは・・・。大きくなったね・・・。
もう、僕と、同い年か。」
恥ずかしそうにしながら、お兄ちゃんは、片手を、頭の後ろに回した。
「ねえ・・・何の、冗談なのよ?」
目の前の光景が、信じられなくて。
「冗談・・・だったら、よかったのに、な・・・。」
お兄ちゃんが、後ろに回した手を落とし、あたしから目をそらした。
「・・・まさか・・・」
・・・信じたくなかったけど、あたしの頭の中では、お兄ちゃんの、
今の状態を表す言葉だけが渦巻いていた。

「うん。美紀ちゃんが轢かれた日・・・。僕も、轢かれちゃって、な。
・・・ごめんな?あの時、僕が、美紀ちゃんの隣に居たら、あんなことには。」

悪夢のようだった。
お兄ちゃんは、死んでいた――


それからと言うもの・・・。
あたしは、8/7になると、お兄ちゃんのお墓にいくようになった。
お兄ちゃんに、逢うため。
一年に一度、逢うため。
役が逆だけど、それは、まるで、彦星と、織姫のように――。