ぐるりんウォーキング 平成21年3月29日(日曜日)
新堀川100年桜巡りと堀川クルーズ
コース 記念橋―旗屋小学校前夜寒の里碑―神宮北公園から日本碍子―新堀川と桜
神宮南公園桜―宮の渡し―船ーゴール記念橋
300名参加 晴 桜の開花遅れ・船待ちがあり迷惑をおかけしましたが沢山の参加で
した。
ぐるりんウォーキング 平成20年3月30日(日曜日)
- 受付
AM9時~10時(当日参加に限ります)
※定員300人先着順 自らウォーキングができる方、小学生低学年以下は保護者の同伴が必要です。 - 集合場所
熱田区役所 - コース
約5km(区役所→円通寺→海国寺→宮の渡し公園→聖徳寺→成福寺→本遠寺→誓願寺→法持寺→想念寺)
各グループに主催側リーダーが同行し、スタッフが見所を説明します。 - 参加費
一人 200円 - 備考
所要時間:2時間程度、持ち物:帽子・水筒・履き慣れた運動靴・タオル・雨具など
交通機関:ウォーキング参加者の駐車場はありません
小雨決行主催 熱田区まちづくり協議会
堀川にぎわいづくり専門委員会協力 あったかまちづくり専門委員会
NPO法人 堀川まちネット
熱田史跡ガイドの会
想念寺
熱田区役所協賛 きよめ餅総本家 アンケート結果
写真
2008年下見UMap
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印刷用にPDFファイルをアップローダーに上げましたのでお使いください
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※期間が60日間くらい(4月いっぱいまではダウンロードできると思います)マップ
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名所説明
円通寺(えんつうじ)
曹洞宗、山号は補陀山(ほださん)。尾張氏の末裔・田島仲宗(たじまなかむね)により菩提寺として建立。弘仁年間(810~24)弘法大師が自刻の十一面観音を安置し、円通寺と命名。通称秋葉山といい、毎年12月16目の火渡りの神事は、有名。
正覚寺(しょうかくじ)
西山浄土宗、山号は亀足山(きそくさん)。永享6年(1434)融伝上入(ゆうでんしょうにん)の創建。曼陀羅寺(まんだらじ)(江南市)、裕福寺(ゆうふくじ)(東郷町)とともに尾張三檀林の一つ。
海国寺 (かいこくじ)
臨済宗妙心寺派、本家筋の東加藤家(歴代図書助・ずしょのすけ)の菩提寺。号は玉龍山(ぎょくりゅうさん) 13代の順盛(のぶもり)が創建。天文16年(1547)竹千代(徳川家康の幼名)を世話した。歴代住職は高徳名僧が着用できる紫衣(しえ)を朝廷より許されるという格式を持った寺である。
喜見寺(きけんじ)
真言宗智山派 山号は雲龍山(うんりゅうさん)。真言宗。十一面観音。永正15年(1519)分家筋の西加藤家(歴代隼入佐・はやとのすけ)初代延隆(のぶたか)が建立した。
蔵福寺 (ぞうふくじ)
浄土宗西山禅林寺派、山号は宝亀山(ほうきさん)。延宝4年(1676)、当初は市民の生活のため、後には七里の渡し航行のためにも使われた、時を告げる鐘を設置。境内の北側には、多賀殿(イザナミ、イザナギ神)南側には、恵比寿大黒殿(大国主命=おおくにぬしのみことと事代主命=ことしろぬしのみこと)がある。
円福寺(えんぷくじ)
時宗(じしゅう)、山号は亀井山(きせいさん)。足利氏と関係が深く、六代将軍義教(よしのり)の連歌懐紙(県指定文化財)など文化財が多い。この寺の境内で狂言を興行したのが、尾張における芝居の始まりといわれる。本尊の阿弥陀如来像は最澄作といわれる。
景情社 (かげきよしゃ)
平景清(たいらのかげきよ)が、ご祭神で、眼の神様。その隠れ家があったところです。ここから「熱田神宮・清水社」に通ったと言われます。桑名や知多や壇ノ浦や屋島等にも、多くの伝説があります。
社宮司社(しゃぐじしゃ)
農耕の神様(シヤグシ信仰)の典型として庶民の信仰を厚くしています。「底のない柄杓」を献じて、航海の安全を祈願して船乗りや花柳界等の関係者の参詣が多く、各地に平将門(たいらのまさかど)伝説があります。
興徳寺 (こうとくじ)
海桐山(かいどうさん)と号す。浄土真宗大谷派のお寺です。鎌倉時代に天台宗から改宗。「丸に三の宇」は、熱田神宮の佐久間灯龍と同じ佐久間家のご紋です。昭和33年インド建築を思わせる様式で、当時マスコミを賑わせました。
聖徳寺(しょうとくじ)
浄土宗西山(せいざん)禅林寺派、山号は亀腹山(きふくさん)。本尊は阿弥陀如来像。江戸時代の30年間(1625~54)宮の渡しの常夜灯を管理した。開山は、永禄7年(1564)得然了益(とくぜんりょうえき)とによる。正覚寺末寺で、正覚寺から住持を迎えていた。昔、須賀浦の漁夫・助太夫が沖合で網を打っていて、聖徳太子の木像を引き上げた。二世住持の等誉上人が文禄年間(1592~96)に堂を建て、この木像を安置した。これが太子堂のいわれである。昭和20年3月12日の空襲で太子堂も本堂も焼失。この時、地元の小貝善右衛門(こがいぜんえもん)ら浜っ子たちが火中をかいくぐって、聖徳太子像、阿弥陀如来像、地蔵菩薩像などを戦火から救ったといわれる。この時、太子像の寄せ木の継ぎ目がはがれ、その一部に「元弘3年(1333)9月3日重兼(しげかね)」の銘文が記されていた。聖徳太子像は、県指定文化財。
滝之寺(たきのじ)(滝之坊跡)(たきのぼうあと)
天台宗、山号は圓融山(あんゆうさん)。大永(たいえい)~永禄(えいろく)年間(1521~70)頃、連歌師による「滝之坊興行」で知られる。織田信長が幼時、この寺で手習いをしたといわれる。
成福寺 (じょうふくじ)
曹洞宗、山号は北高山(ほっこうさん)。江戸時代後期に17か月間太平洋を漂流した督乗丸(とくじょうまる)の船長小栗重吉が建立した船形の「船頭重吉(じゅうきち)の碑」がある。
本遠寺 (ほんのんじ)
日蓮宗、山号は妙光山(みょうこうさん)。嘉暦(かれき)年間(1326~29)日蓮の弟子日澄上入(にっちょうしょうにん)が熱田神宮内の法華堂(ほっけどう)を本堂として当寺を建立。室町時代の楼門は国宝に指定されていたが、戦災で焼失した。
誓願寺 (せいがんじ)
浄土宗西山(せいざん)派、山号は妙光山(みょうこうさん)。享禄(きょうろく)2年(1529)創建の尼寺。創建以前の久安(きゅうあん)3年(1147)に、後に鎌倉幕府を開いた源頼朝が大宮司の娘(由良御前)が、実家に帰って誕生した「千秋家(せんしゅうけ)跡」であり、産湯の井戸といわれるものが境内に残っている。
福重寺(ふくじゅうじ)
円通寺の末寺で曹洞宗(そうとうしゅう)。室町時代初期応永(おうえい)元年(1394)浅井右近善長(あさいうこんよしなが)(上杉謙信の一族)が建立、要害としての溝を張り巡らし、後に「菖蒲池」を残した。
全隆寺(ぜんりゅうじ)
曹洞宗で、大亀山(だいきさん)と号す。熱田大宮司季範(すえのり)の伯母(平清盛の異母弟頼盛の母)の池禅尼が住んでいたところ。平治の乱で敗れて捕らえられた12歳の源頼朝が、早くに亡くしたわが子家盛に似ていたとして、清盛に助命を懇願して、歴史を変えることになる。また、永平寺21世智光禅師(ちこうぜんし)が、元和元年(1615)創建した尾張最初の永平寺直末寺院で、5本線に見られる格式の高い寺院である。
弥勒院(みろくいん)
真言宗。号は花林山(かりんさん)。開祖は、宥円僧都(ゆうえんそうず)で、創建の年代は不詳。天文(てんぶん)7年(1538)の再建。本尊は弥勒菩薩像で、右側に稚児大師が祀られて、子供の虫封じの仏様として有名で、「すりばち灸」が7月20日に執り行われる。
龍珠寺(りょうしゅうじ)
臨済宗妙心寺派。号は「臨済山」(りんざいさん)。天文(てんぶん)元年(1532)西加藤の(歴代加藤隼人佐(かとうはやとのすけ)・初代延隆(のぶたか)が創建した。なお、その妻は前田利家(としいえ)の姉。他に喜見寺(きけんじ)も建立。一方東加藤家も、海国寺(かいこくじ)、実相院(じそういん)、玉泉院(ぎょくせんいん)などを建立。
法持寺(ほうじじ)
曹洞宗、山号は白鳥山(はくちょうさん)。弘法大師が自刻の地蔵菩薩像を本尊として小堂を建立したのが、始まりとされる。熱田神宮大宮司の千秋家(せんしゅうけ)代々の菩提所。白鳥御陵を守って、その宝物を護持していたことから、当初は宝持寺と呼ばれていた。芭蕉、林桐葉(はやしとうよう)、若山牧水(わかやまぼくすい)ら文入が句会や歌会を開いた。
春養寺 (しゅんようじ)
法持寺の末寺で、曹洞宗。亀丘山(ききゅうさん)と号す。もとは、市場町(現在の神宮二丁目)の喜見寺の塔頭(たっちゅう)のひとつであり、「春養院」といわれていました。真言宗から曹洞宗に改宗した寺です。木造大日如来が本尊です。
想念寺(そうねんじ)
①平成16年11月7日「地蔵菩薩像30体」が中国九華山仏教協会より30体の仏像が寄贈された。②山号は、慈弘山(じこうさん)。古くは薬王山・東光寺(とうこうじ)と呼ばれる。浄土宗西山禅林寺派で、正覚寺に属している。「薬師堂」にある阿弥陀如来座像は、慈愛に満ちたまなざしで、肩から膝にかけての丸みを帯びた流れは、魅力的である。
宝勝院(ほうしょういん)
西山浄土宗で、蓬寿山と号す。重要文化財の阿弥陀如来立像(97.8cmの寄木造り)がある。その胎内から県内最古の胎内物として、229枚の写経などが出た。常夜灯の管理は、聖徳寺が、1625~54年の30年間行った後、明治期までの237年間の長い間この宝勝院がつとめた。
宮の渡し公園(みやのわたしこうえん)
松尾芭蕉が訪れている。現在の蓬莱軒の隣に、芭蕉の門人林桐葉宅があった。ここで、熱田三歌仙を残している。門人桐葉らと熱田の海で舟遊びを楽しんだ時、次の二首を詠んでいます。
海暮れて鴨の声ほのかに白し 芭蕉(妙安寺境内に句碑あり)
この海に草鞋(わらじ)捨てん笠時雨 芭蕉(妙安寺境内に句碑あり)
- 熱田常夜灯
- 宝永2年(1625)成瀬隼入正虎(なるせはやとまさとら)の父・正成(まさなりの遺命によって、「聖徳寺(太子堂)」の隣地に常夜灯を建てた。もともと夜間の航行の安全のため造られたが、慶安年間に夜行航行が禁じられてからは、夜間航行の禁止時間を知らせていた。
- 熱田の時の鐘
- 昭和58年に、この公園を整備したときに、新しく建てられたもの。延宝4年(1676)蔵福寺に設置された。
- シーボルトを見送った場所
- シーボルト(ドイツの医師、植物学者)が、鎖国時代の日本に7年間滞在した時に、長崎のオランダ商館長の江戸参内に隋行。 日本の植物学者の水谷豊文(ほうぶん)や大河内存真(ぞんしん)や伊藤圭介(けいすけ)と熱田の宿で夜を徹して語り合った。翌朝この辺りから、桑名へ見送った。


