東山道

Last-modified: 2021-09-04 (土) 08:28:38

戦国史サンプルシナリオデータ>

美濃国

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城名/外港名石高経済城規主な武将
(年,武政智統水)
城・外港解説
大垣城
おおがき
4.015005氏家家
うじいえ
(従/美濃斎藤)
◎氏家直元(28,53231)
美濃曽根城
そね
4.07505稲葉家
いなば
(従/美濃斎藤)
◎稲葉良通(35,64431)
斉藤利三(16,52331)
北方城
きたがた
4.011505伊賀安藤家
いがあんどう
(従/美濃斎藤)
◎安藤守就(30,34541)
安藤直重(16,43221)
竹中重元(51,42331)
墨俣城
すのまた
0.85004美濃斎藤家
みのさいとう
美濃の要地である。永禄4(1561)年、織田家の侵攻により陥落するも、織田家にこれを維持する力が無かったため破却された。斎藤義龍死後、織田家によって美濃攻めの橋頭堡となったといわれる。
稲葉山城
いなばやま
⇒岐阜城
ぎふ
9.025709美濃斎藤家◎斎藤道三(56 ,63十61)
斎藤義龍(23,76571)
日根野弘就(32,62231)
不和光治(22,35431)
大桑城
おおが
5.010007美濃土岐家
みのとき
◎土岐頼芸(48,12111)
関城
せき
4.010005美濃斎藤家長井道利(23,54431)
東殿山城
とうどやま
⇒郡上八幡城
ぐじょうはちまん
4.57505東家
とう
◎東常慶(46,33231)
東常堯24,13111)
遠藤盛数(27,32431)
東益之が応永16(1409)年に赤谷山城を築いたのが始まり。益之の四代後の常慶は、赤谷山城址のある山の別の場所に東殿山城を築き、それまでの篠脇城から本城を移した。永禄2(1559)年、一族の遠藤盛数に攻められ落城。
郡上八幡城は遠藤盛数が東殿山城に代わる新たな本城として築城した。盛数の子慶隆は織田信孝に属したため秀吉によって転封され、稲葉貞通が入城し、さらに改築を加えた。関ヶ原の戦いの後に遠藤氏が復帰するが、元禄5(1692)年に転封。以後は井上・金森・青山氏が在城した。
木越城
きごし
3.05005遠藤家
えんどう
(臣/東)
◎遠藤胤縁(34,43331)東氏の一門である遠藤氏の居城。長良川に臨む。天正16(1588)年の遠藤氏の転封を機に廃城となったとされる。
堂洞城
どうほら
3.05005美濃斎藤家岸信周(26,42331)
明智城
あけち
3.05005明智家
あけち
◎明智光安(34,34321)
鳥峰城
うほう
3.510005美濃土岐家久々利頼興(28,32431)
岩村城
いわむら
4.05007遠山家
とおやま
◎遠山景任(25,33331)
遠山景行(38,33231)&br.;遠山景玄(13,23111)
苗木城
なえぎ
3.05005遠山家遠山直廉(48,33231)
遠山友勝(35,23331)
遠山友忠(15,34221)
 
 

飛騨国

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城名/外港名石高経済城規主な武将
(年,武政智統水)
城・外港解説
桜洞城
さくらぼら
1.03258三木家
みつき
◎三木直頼(52,54541)
三木良頼(30,33421)
直頼以来、三木氏四代の居城。天正7(1579)年、三木自綱が松倉城を築いて本拠を移転する。その子信綱が四代目城主となったが、まもなく謀反の疑いをかけられて父に殺される。同13(1585)年に金森長近の飛騨侵攻によって落城し、同14年8月廃城。
三仏寺城
さんぶつじ
⇒松倉城
まつくら
⇒高山城
たかやま
1.03256三木家三木直弘(22,22231)三仏寺城は平氏の飛騨支配の拠点として築かれ、戦国時代は三木氏の城となる。永禄7(1564)年、武田氏の将山県昌景が飛騨に侵入すると、城主三木直弘は戦うことなく城を自焼して退き、その後廃城となった。
松倉城は三木自綱が飛騨平定の拠点として築いた城。近隣の高山・三仏寺・鍋山らの諸城より高い、標高856mの山頂に築かれた。天正13(1585)年、金森長近・可重の攻撃により落城。
高山城は最初に高山外記が築城し、天神山城と称した。三木・広瀬氏の攻撃により高山氏が滅ぶと、三木頼綱の叔父・久綱が入城。その後金森氏が飛騨を支配すると、天正16(1588)年または18(1590)年に天神山城址に改めて築城し、高山と改称した。元禄5(1692)年、金森氏の出羽転封により天領となり、同8年1月には破却された。
小島城
こじま
0.53256小島姉小路家
こじまあねがこうじ
(従/三木)
◎姉小路雅秀(18,31321)飛騨国司姉小路氏の居城。姉小路氏が小島・古河・小鷹利の三家に分かれてからは児島家の居城となる。天正13(1585)年、金森長近の飛騨侵入に際し落城し、そのまま廃城。
帰雲城
かえりくも
0.53007内ヶ島家
うちがしま
◎内ヶ島氏理(8,33231)
内ヶ島氏明(25,33321)
白川郷を支配する内ヶ島氏の居城。内ヶ島氏は三代にわたって在城し、天正13(1585)年の金森長近の飛騨侵攻においては飛騨諸将のついで唯一所領を安堵されていた。だが同年11月29日夜に大地震のため埋没崩壊し、内ヶ島氏の一族家臣数百人が全滅した。現在も遺構は見つかっておらず、内ヶ島氏が鉱山師集団だとする説から、埋没金伝説が流布している。
高原諏訪城
たかはらすわ
1.03257江馬家
えま
◎絵馬時盛(41,31321)江馬氏の居城。戦国時代は江馬時盛・輝盛の父子相克の舞台となり、輝盛は父を暗殺して城主となる。天正10(1582)年、輝盛が三木自綱に敗死し、三木方の小島時光によって落城した。
 
 

信濃国(南信濃)

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城名/外港名石高経済城規主な武将
(年,武政智統水)
城・外港解説
妻籠城
つまご
2.02507木曾家
きそ
信濃福島城
ふくしま
3.03506木曾家◎木曾義康(36,32131)
木曾義在(57,32121)
吉岡城
よしおか
2.02506下条家
しもじょう
(従/府中小笠原)
◎下条信氏(21,33341)
鈴岡城
すずおか
⇒松尾城
まつお
⇒飯田城
いいだ
3.03506鈴岡小笠原家
すずおかおがさわら
(臣/府中小笠原)
◎小笠原信定(29,33331)
溝口貞泰(18,34331)
舟山城
ふなやま
1.02505鈴岡小笠原家
(臣/府中小笠原)
高遠城
たかとお
6.03005高遠家
たかとお
(従/甲斐武田)
◎高遠頼継(45,44241)
保科正俊(41,52441)
武田家が入る以前の高遠城については不明な点が多い。天文16(1547)年、武田晴信は山本勘助に高遠城の縄張りを任せた。伊那郡制圧後は秋山信友、継いで武田(諏訪)勝頼が城主を務めた。天正10(1582)年、織田氏による武田攻略戦においては、城主・仁科盛信が籠城。織田信忠の大軍の前に全滅した。高遠城の戦いは数少ない武田氏による組織的な戦いであった。武田氏滅亡後は毛利秀頼が入城したが、間もなく本能寺の変が勃発。高遠城は木曽義昌に攻められ、占領された。しかし、高遠城は徳川家康に攻められ、結局義昌は撤退した。以降は保科氏が入城し、徳川氏に仕えた。天正13(1585)年、城主・保科正直留守中に松本城の小笠原貞慶に奇襲されるが、留守を守っていた保科正俊が10倍以上の敵に対して鉾持桟道の戦いで大勝し、切り抜けている。天正18(1590)年、保科氏が徳川氏に従い関東に移ると毛利秀頼が入ったが、間もなく没した。その後、遺領は京極高知が引き継いだが、高知は飯田城に入っている。慶長5(1600)年、関ヶ原の戦い後、保科正光が旧領に復帰した。保科正光の養子が徳川秀忠の子・保科正之であり、その縁で出羽に転封。続いて鳥居氏が高遠に入ったが、騒動の末2代で改易される(後、特例で大名復帰)。元禄4(1691)年から内藤氏が8代を続き、明治維新に至る。なお、高遠城は明治維新に至るまで本丸や櫓門などの改修は行われてきたが、縄張り自体は中世の状態を踏襲している。
 
 

甲斐国

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城名/外港名石高経済城規主な武将
(年,武政智統水)
城・外港解説
若神子城
わかみこ
新府中韮崎城
しんふちゅうにらざき
4.04005甲斐武田家
かいたけだ
躑躅ヶ崎館
つつじがさきやかた
⇒甲府城
こうふ
8.010005甲斐武田家◎武田晴信(29,69991)
武田信繁(25,66561)
山本晴幸(57,54751)
工藤祐長(29,65661)
駒井政武(34,37441)
原虎胤(53,73431)
多田満頼(49,51531)
小幡虎盛(59,51131)
天正壬午の乱終結後、甲斐を押さえた徳川家康が、躑躅ヶ崎館に変えて甲府城を甲斐の支配地にした。天正11(1583)年に平岩親吉によって築城が開始されるが、完成を見ることなく、徳川氏は転封。最終的には文禄2(1593)年、浅野長政の代で城が完成する。関ヶ原の戦い後は、江戸に近い位置であることから親藩(尾張徳川氏、駿河徳川氏、甲府徳川氏2代)の領地とされた。特に、徳川家光の孫・綱豊は、6代将軍・家宣として甲府藩から将軍家に入っている。その後、譜代の柳沢吉保が入り、子・吉里の代で転封。以降は、幕府直轄領として甲府勤番が甲府を支配した。明治元(1868)年、戊辰戦争では、板垣退助に攻められ、無血開城する。明治6(1873)年、廃城となった。
下山城
しもやま
5.04006穴山家
あなやま
(臣/甲斐武田)
◎穴山信友(34,45331)
甲斐吉田城
よしだ
御坂城
みさか
2.02005甲斐武田家
岩殿城
いわどの
4.52507小山田家
おやまだ
(臣/甲斐武田)
◎小山田信有(31,63431)
小山田信有(15,43221)
 
 

信濃国(中信濃)

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城名/外港名石高経済城規主な武将
(年,武政智統水)
城・外港解説
上原城
うえはら
高島城
たかしま
3.07005甲斐武田家
かいたけだ
長坂光堅(37,36331)
小笠原信貴(39,43231)
上原城は諏訪氏5代の本拠地であった。天文11(1542)年、諏訪頼重は武田氏に攻められると、上原城を出て、支城の桑山城に入ったが、降伏、自害した。以後、武田氏の諏訪郡統括の中心地となり、郡代・板垣信方が入城した。天文18(1549)年、高島城築城により諏訪統治の中心からは外れるがその後も中継拠点として存続。天正10(1582)年、廃城となる。
高島城は天文年間に諏訪満高が高島城の元となる城に入城していた、と伝わる。長坂光堅はそれを改修したのであろう。天文18(1549)年、長坂光堅が上原城より諏訪郡統治の中心地として移る。天正10(1582)年、武田氏滅亡に従い、川尻秀隆の家臣・弓削重蔵が諏訪郡代官として入城。しかし、本能寺の変が勃発すると諏訪旧臣が蜂起、重蔵は一戦することなく落ち延びた。すぐさまして高島城は徳川軍に包囲されるが、持ちこたえた。天正壬午の乱が終息し、徳川氏が信濃を切り取り次第となった時点で、ようやく諏訪氏は徳川氏に降った。天正12(1584)年、諏訪頼忠は金子城を新たに築き、移った。天正18(1590)年、日根野氏が高島城に入るが、新城建設に伴い廃城となった。
慶長6(1601)年、諏訪頼水が旧領・諏訪に2万7千石で帰還。以降、明治維新・廃藩置県まで10代にわたって諏訪氏の居城であった。明治8(1875)年、破脚された。
塩尻峠
しおじりとうげ
勝弦峠
かっつるとうげ
0.31003甲斐武田家天文17(1548)年、武田晴信が上田原で大敗したことから、小笠原長時は武田氏に攻勢に出る。武田軍は敗戦がため士気が上がらず・・・と、小笠原軍に見せかける。塩尻峠に布陣した小笠原軍は油断しきっており、武田軍の奇襲に惨敗した(塩尻峠の戦い)。塩尻峠の戦いは、塩尻峠南方の勝弦峠で行われたという説もある。
林城
はやし
深志城
ふかし
6.04006府中小笠原家
ふちゅうおがさわら
◎小笠原長時(36,52231)
小笠原長隆(18,43221)
小笠原貞種(26,43221)&brl藤沢頼親(34,41221)
二木重高(20,43321)
林城は林大城と林小城からなる山城。
平瀬城
ひらせ
4.03505府中小笠原家倉科朝軌(29,42121)
長窪城
ながくぼ
2.52505甲斐武田家芦田信守(30,44331)
戸石城
といし
上田城
うえだ
4.07507信濃村上家
しなのむらかみ
◎村上義清(47,83671)
楽巖寺雅方(38,52231)
屋代政国(25,42231)
真田城
さなだ
5.04006真田家
さなだ
(臣/甲斐武田)
◎真田幸隆(37,45971)
矢沢頼綱(32,54541)
小諸城
こもろ
4.010005甲斐武田家
内山城
うちやま
4.03005甲斐武田家飯富虎昌(36,83451)
馬場信房(36,74551)
柏木昌朝(34,52231)
小山田昌辰(49,42221)
諸角虎定(69,52321)
 
 

信濃国(北信濃)

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城名/外港名石高経済城規主な武将
(年,武政智統水)
城・外港解説
葛尾城
かつらお
3.55005信濃村上家
しなのむらかみ
鞍骨城
くらぼね
海津城
かいづ
3.03505信濃村上家清野清入幹(29,34331)
仁科城
にしな
3.04005仁科家
にしな
◎仁科盛能(77,22331)
仁科盛康(55,23231)
仁科盛明(44,43431)
仁科盛政(22,32121)
高梨城
たかなし
2.53506高梨家
たかなし
(従/越後長尾)
飯山城
いいやま
2.33506高梨家
(従/越後長尾)
◎高梨政頼(38,42131)
高梨頼治(16,32321)
 
 

上野国

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城名/外港名石高経済城規主な武将
(年,武政智統水)
城・外港解説
岩櫃城
いわびつ
3.04008吾妻斎藤家
あづまさいとう
◎斎藤憲広(34,34431)
斎藤憲春(30,23221)
沼田城
ぬまた
5.04005上野沼田家
こうずけぬまた
(臣/山内上杉)
◎沼田顕泰(45,52131)
白井城
しらい
4.03505白井長尾家
しらいながお
(臣/山内上杉)
◎長尾憲景(39,34231)
松井田城
まついだ
4.03507安中家
あんなか
(従/山内上杉)
◎安中忠政(47,51221)
安中忠成(24,22231)
安中忠基(20,23231)
国峰城
くにみね
5.02505小幡家
おばた
(従/北条)
◎小幡憲重(40,52431)
箕輪城
みのわ
5.54259上野長野家
こうずけながの
(従/山内上杉)
◎長野業正(59,83771)
上泉秀綱
(42,十3341)
上泉秀胤(20,42121)
和田業繁(26,42331)
蒼海城
あおみ
厩橋城(前橋城)
まやばし
5.04005惣社長尾家
そうじゃながお
(臣/山内上杉)
◎長尾景総(36,33121)
平井城
ひらい
高崎城
たかさき
8.07505山内上杉家
やまのうちうえすぎ
◎上杉憲政(27,33111)
上杉龍若丸(8,33111)
大谷休泊(29,18211)
桐生城
きりゅう
4.53005桐生家
きりゅう
(従/山内上杉)
◎桐生助綱(38,44341)
里美勝弘(32,34431)
金山城
かなやま
5.03505横瀬家
よこせ
(従/山内上杉)
◎横瀬成繁(45,44331)
館林城
たてばやし
5.07505上野赤井家
こうずけあかい
(従/古河足利)
◎赤井照忠(52,33231)
赤井照康(26,32321)
 
 

下野国

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城名/外港名石高経済城規主な武将
(年,武政智統水)
城・外港解説
足利城
あしかが
2.54005足利長尾家
あしかがながお
(臣/山内上杉)
◎長尾憲長(47,13211)
長男景長(23,22331)
唐沢山城
からさわやま
4.13005佐野家
さの
◎佐野昌綱(21,53331)
佐野泰綱(68,34431)
佐野豊綱(46,33231)
皆川城
みながわ
2.34005皆川家
みながわ
皆川俊宗(60,31231)
下野小山城
おやま
4.75005小山家
おやま
(従/下総結城)
◎小山高朝44,32331)
小山秀綱(19,33231)
壬生城
みぶ
3.54005壬生家
みぶ
◎壬生綱房(71,43531)
壬生綱雄(35,41331)
鹿沼城
かぬま
2.23005鹿沼壬生家
かぬまみぶ
(臣/壬生)
◎壬生周長(40,23331)
宇都宮城
うつのみや
7.56006壬生家芳賀高照(21,43541)
真岡城
もおか
3.33005下野宇都宮家
しもつけうつのみや
◎宇都宮広綱(7,24321)
多功長朝(65,54341)
芳賀高定(29,43641)
芳賀高継(13,55321)
茂木城
もてぎ
2.23505茂木家
もてぎ
(従/佐竹)
◎茂木治清(28,32231)
茂木治利(20,23221)
氏家城
うじいえ
2.83005下野宇都宮家
烏山城
からすやま
4.04005那須家
なす
◎那須高資(26,62121)
千本資俊(28,43431)
大田原城
おおたわら
3.03005那須家芦野資泰(21,52231)
大田原資清(53,32541)
黒羽城
くろばね
2.52505那須家大関高増(21,45531)