尚家
【勢力名】尚(しょう)家/第二尚氏
【拠点】琉球首里城
名前 | 登場国/城 | 所属 | 登場 | 生年 | 没年 | 武政智陸海忠野 | 解説 |
尚 清 しょう しん | 首里城 | 尚 | 最初 | 1497 | 1555 | 5443695 | 第二尚氏四代目国王。1527年、父尚真の逝去を受けて王となる1534年、明の冊封を受ける。1537年に奄美大島の与湾親方の乱を平定する。また海賊の横行に対する防備を強化する。 |
尚 元 しょう げん | 首里城 | 尚 | 最初 | 1528 | 1572 | 6333695 | 第二尚氏五代目国王。1556年、父尚清の死後の混乱を制して王となる。1562年、明の冊封を受ける。1571年に自ら奄美大島遠征を行ったというが真偽に疑問あり。 |
賈 満度 こ まんど | 首里城 | 尚 | 最初 | 1490? | 1561 | 2331395 | 1541年、シャムとの交易の為の遣使として蔡朝慶と共に同地に赴く。 |
尚 永 しょう えい | 首里城 | 尚 | 1571 | 1559 | 1588 | 1233395 | 第二尚氏六代目国王。1572年、父尚元の死後王となる。1579年、明の冊封を受ける。 |
尚 寧 しょう ねい | 首里城 | 尚 | 1584 | 1564 | 1620 | 1331395 | 第二尚氏七代目国王。1609年、薩摩藩の攻撃を受け、降伏。江戸に連行され、徳川秀忠と面会している。1613年、薩摩藩に奄美諸島を割譲した。 |
肝付家
【勢力名】肝付(きもつき)家
【本姓】伴氏
【拠点】大隅大隅高山城
【臣従】禰寝家(大隅大姶良城)、伊地知家(大隅垂水城)、薬丸家(大隅平房城)
【従属】なし
名前 | 登場国/城 | 所属 | 登場 | 生年 | 没年 | 武政智陸海忠野 | 解説 |
肝付 兼続 きもつき かねつぐ | 大隅高山城 | 肝付家 | 最初 | 1511 | 1566 | 5342395 | 肝付氏第16代当主。天文7年(1538年)には高岳城を落としたのを契機に、大隅をほぼ平定した。永禄元年(1558年)、それまで親密な関係を保っていた島津氏との関係が崩れて、兼続は日向の伊東氏と結んで島津忠親と戦った。永禄4年(1561年)には廻城を奪取して島津貴久と本格的に敵対し、竹原山の戦いで貴久の弟・忠将を討ち取って大勝した。永禄5年(1562年)には志布志城を落とし、肝付氏の最大領土を形成した。しかし1566年、島津貴久の反攻を受けて居城である高山城が落とされる。兼続の行方ははっきりしないが、一説には隠居城の志布志付近で翌11月15日に自殺したとされる。 |
肝付 良兼 きもつき よしかね | 大隅高山城 | 肝付家 | 最初 | 1535 | 1571 | 5233395 | 肝付氏第17代当主。父・肝付兼続の隠居に伴い当主となるが、実権は依然として父が握っていた。永禄9年(1566年)の父の死後、家中の権力を掌握すると永禄11年(1568年)に反攻に転じ、まず伊東氏と同盟し、飫肥を攻めて島津軍を撃退する。元亀2年(1571年)には伊地知重興の救援に向かい、島津軍を撃退した。しかし直後に病死した。 |
岸良 兼直 | 大隅高山城 | 肝付家 | 最初 | 1518? | 1576 | 4223195 | 蔵人。 |
安楽 兼寛 あんらく かねひろ | 垂水城 | 肝付家 | 最初 | 1522? | 1575 | 5443195 | 岸良兼直弟。備前守。大隅入船城城主。元亀3(1572)年、島津氏に入船城を包囲される。島津義久の「弓はうし ねば折れよとも 引かへて かぶとを脱かば やがて安楽」に対し、「引くもうし ねろう心も もののふの あづさの弓の 縁なりせば」と歌を返した。1年3ヶ月に及ぶ籠城の末、開城降伏した。 |
安楽 兼清 あんらく かねきよ | 垂水城 | 肝付家 | 1560 | 1545? | 1576 | 4332195 | |
肝付 兼亮 きもつき かねあき | 大隅高山城 | 肝付家 | 1571 | 1558? | 1634 | 4222395 | 肝付氏第18代当主。元亀4年(1573年)、島津氏方の北郷時久と戦って敗れたうえ、伊地知重興・禰寝重良などが相次いで離反して島津氏に降ったため、これまで互角以上に渡り合った島津氏との立場は一変、天正2年(1574年)、島津氏に従属した。しかし、日向国の伊東氏と通じた上、夫婦仲が悪かったことで御南や高城に正室と離縁させられ、日向に追放された。 |
肝付 兼護 きもつき かねもり | 大隅高山城 | 肝付家 | 1576 | 1561 | 1600 | 3223395 | 肝付氏第19代当主。関ヶ原の戦いにおいて島津義弘に付き従い、決死の関ヶ原敵中突破で討死した。 |
肝付 兼幸 きもつき かねゆき | 大隅高山城 | 肝付家 | 1600 | 1592 | 1610 | 2322395 | 肝付兼護子。この頃の肝付氏は転封により旧領の高山を追われていたことに加え、家臣団の内紛や父・兼護が先妻(肝付良兼の次女)との離婚で揉めた事を咎められて領地を100石に削減されていた。更に慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで父・兼護は戦死してしまう。島津家久が琉球王の尚寧を連れ上洛した際、兼幸も島津氏家臣として同行する。この帰路の途中に乗船が暴風雨に遭い難破、兼幸は溺死した。 |
廻家
拠点:大隅廻城
大隅蒲生家
拠点:大隅蒲生城
島津家
拠点:薩摩内城⇒鹿児島城
支配:薩摩指宿城、加世田城、伊作城、伊集院城
臣従:種子島家(種子島赤尾木城)、加治木肝付家(大隅加治木城)
入来院家
拠点:薩摩平佐城
祁答院家
拠点:薩摩虎居城
菱刈家
拠点:薩摩大口城
薩州島津家
拠点:薩摩出水城
北郷家
拠点:日向都城城
支配:日向志布志城、飫肥城
伊東家
拠点:日向都於郡城
支配:日向清武城、野尻城、高城
北原家
拠点:日向加久藤城
米良家
拠点:日向米良城
相良家
拠点:肥後鷹峯城
支配:肥後人吉白、水俣城
阿蘇大宮司家
拠点:肥後岩尾城
支配:肥後堅志田城、高森城、内牧城
従属:三田井家(日向仲山城)
菊池家
拠点:肥後隈本城⇒熊本城
支配:肥後宇土城、大津山城 筑後三池城
天草家
拠点:肥後本渡城
志岐家
拠点:肥後志岐城
有馬家
拠点:肥前日之江城
支配:肥前森岳城、竹崎城
従属:大村家(肥前大村城、桜馬場城)
肥前後藤家
拠点:肥前武雄城
相神浦松浦家
拠点:肥前肥前飯盛城
伊万里松浦家
拠点:肥前伊万里城
波多松浦家
拠点:肥前岸岳城⇒名護屋城⇒唐津城
支配:壱岐亀丘城
竜造寺家
拠点:肥前佐嘉城
少弐家
拠点:肥前勢福寺城
臣従:肥前神代家(三瀬城)、筑後江上家(江上城)
宇久家
拠点:五島列島江川城
宗家
拠点:対馬亀丘城
大友家
拠点:豊後豊後府内城
支配:豊後水賀城、角牟礼城、日田城、深江城、木付城、豊後高田城
臣従:内古閑家(肥後内村城)、城家(肥後城村城)、田尻家(筑後鷹尾城)、上蒲池家(筑後筑後山下城)、星野家(筑後妙見城)、問註所家(筑後長岩城)、立花家(筑前立花城)、佐伯家(豊後栂牟礼城)、一万田家(豊後小牟礼城)、志賀家(豊後岡城)、田原家(豊後安岐城城)
従属:県土持家(日向松尾城)、赤星家(肥後隈府城)、隈府家(肥後永野城)、黒木家(筑後猫尾城)、下蒲池家(筑後柳川城、久留米城)、秋月家(筑前古処山城⇒秋月城、益富城 筑後山隈城)、田北家(豊後熊牟礼城)
博多町衆
拠点:筑前博多