いつものように晩御飯をあやかろうと、苗木君の家へ足を運ぶ。
当たり前のように連絡は入れていない。
入れてしまっては彼の驚く顔が見れなくなってしまうではないか。
……もっとも、最近は連絡を入れなくても当たり前のように私の分の夕食が用意してあったりする。
「なんとなく霧切さんがくるかなーって日がわかるんだよね。なんでだろう?」
理由を聞いてみたらそんなことを言っていた。
……悪い気はしないが、彼の驚く顔が見られなくなっているのは困る。
何か新しい手を考えなくては。
もちろん頻度を落とすというのはなしだ。
彼の作った料理が食べられなくなってしまうし、なにより悪い虫がついてしまったら本末転倒である。
そんなことを考えていると、目的地が見えてきた。
うちの事務所とそんなに離れていないのだ。
今日の晩御飯の献立は何かしら、と心を弾ませる。
「……あら?」
近づくと、彼の家から複数人の声が聞こえる。
網戸にしているからだろうけど、リビングの喧騒は2~3人だけとは考えられないくらいのものだった。
苗木君の家はうちの事務所からも近いが、彼の通う大学からもそんなに離れていない。
周辺には彼がひいきにしているスーパーや歓楽街、駅も近いということもあり、結構お客さんが来る。
希望ヶ峰学園の同級生だったり、彼のサークル仲間だったり。
彼が誰にでも優しくて、受け入れられるのは分かっている。
私が独り占めなんてできるはずもない。
それでも苗木君の家から女性の、しかも複数の声が聞こえてくるだけで私の内側から醜い感情があふれるのを止められない。
これが女性の声だけだったら乗り込んで追求したいところだけれど、苗木君以外の男性の声も聞こえる。
おそらくサークルか何かの付き合いだろう。
明日は休日ということもあり、どうやらお酒も入っているらしい。
苗木君はそんなにお酒に弱いわけではないし、一時の過ちを犯したりするような人でないことは身をもって知っている。
だからといって安心することはできないし、万が一……とも考えてしまう。
どちらにしろ、いま私にできることはない。
彼を信じるしかないのだ。
……何を考えているのだろう。
苗木君とは付き合っているわけではないのだから彼が何をしようが関係ないはず。
とりあえず今日の晩御飯はうちにあったカップラーメンかしらね、と重たい足取り、うまく回らない頭で考えながら帰路に就いた。
翌日。
昨晩はよく眠れず、頭が多少痛い。
いつ彼の家に行こうか考えているうちにお昼近くになってしまった。
朝早く彼の家に向かい、泊まった人がいないか確認してしまおうとも考えた。
けれど、実際にその場面に立ち会ったとして、彼にどんな顔して何を言えばいいかを考えると頭が真っ白になってしまうのだ。
苗木君にとって私がどんな存在なのかわからないのに。
いったい何様のつもりなんだろう。
いっそ彼に聞いてしまえばいいのかもしれない。
でも、その答えを聞くのが怖くて怖くてしょうがなくて。
気が付くと苗木君の家についてしまっていた。
今日だけはこの距離が恨めしい。
……ああ、もう。
こうなれば出たとこ勝負だ。
待っているのは性に合わない。
時刻は正午前。
私はインターホンに手を伸ばした。
「いらっしゃい。来るじゃないかって思ってたよ。」
苗木君は驚きもせずに笑顔で迎えてくれた。
……こちらが考えてきたどのパターンの反応とも違っていて面喰ってしまう。
とりあえず……なにかあった、というわけではないようで。
彼に気づかれないよう心の中でため息をついた。
「……どうして私が来ると思っていたの?」
「ほんとは昨日霧切さんが来るかなと思っていたんだけどね。
来なかったから今日は朝から来るかなって。
どうせ昨日の晩御飯ちゃんと食べてないんでしょう?」
「…………」
……最近彼は変なところばかり鋭くなってきている。
助手の成長と考えるとこれ以上ないくらいうれしいのだけれど、力の使いどころが若干ずれている気がする。
……私の気持ちには疎いままだし。
それに、おなかが減っているからという理由でこの時間に来たわけではない。
……悔しいことに、減っているのは事実なのだけれど。
「昨日サークルのみんなが晩御飯食べに来てさ。
まだちょっと散らかってるんだ。ごめんね。」
知ってる。昨日苗木君の家まで来たのだから。
だけど、そう答えてしまうと先ほどの彼の推理を認めてしまうことになる。
だから
「気にしないわ。苗木君は人気者だものね」
そう答えるだけにしておく。
……ほんの少しだけ言葉に棘を込めて。
家が大学に近いだけだよ、と苦笑いをしながら彼がキッチンに向かう。
「すぐできるからちょっと待っててね」
今日のお昼はチャーハンにするらしい。
いつもならお昼はパスタが多いのだけど、それを避けたのは昨日の私の晩御飯とかぶらないようにするためだろう。
……何から何まで見透かされているようで、気に入らないような、くすぐったいような。
彼が料理をしているのを見ているのもいいけれど、今は少しだけ眠い。
どうやら私は昨夜何もなかったという事実によほど安心してしまったらしい。
彼には悪いけれど少しだけ横になろう。
そのまま彼の寝室に向かいベットに横になる。
いつもの安心する彼のにおいじゃない、知らない女性のにおいがした。
思わず顔を跳ね上げてしまう。眠気もどこかに飛んで行ってしまった。
そういえば、苗木君も誰も泊っていないとは言っていない。
……居間のソファにはタオルケットがかかっていた。
きっとこのにおいの女性がベッドで寝てしまったので、彼は普段私が泊まった時のようにソファで寝たのだろう。
状況は分かる。苗木君のせいではない。決して。
それでも。彼のベッドから私以外のにおいがするのが我慢できない。
「どうかした?」
苗木君がドアから顔を出した。
おそらくお昼御飯ができたのだろう。
「……なんでもないわ。昨日変な寝方をしてしまって体が痛いのよ」
内側の黒いもやもやを抑え込む。彼にあたるのはお門違いだ。
「大丈夫?少し休む?」
よっぽどつらそうな顔をしていたのだろう。苗木君が心配そうにこちらを覗き込む。
苗木君には悪いけれど、今このベッドに横になれる気が全くしなかった。
「平気よ。それより……」
幸い今日は快晴だ。きっと洗濯物もよく乾くだろう。
「今日は私が心地よく寝られるよう、お布団を洗濯してほしいのだけれど」
嘘は言っていない。私の醜い部分を隠しているだけだ。
彼が断われないように、こんな言い方しかできない自分が嫌になる。
「そうだね。天気もいいし、洗濯しちゃおうか」
最近洗濯できなかったしね、と彼がうれしそうにいう。
ずきり、と心が痛む。
疑うことを知らなくて、純粋で。
彼が私と真逆だからこそひかれてしまうのだけれど。
どうしようもなく自分がどれだけ醜いかを思い知らされてしまう。
そばにいる資格なんてないのに、彼の隣は渡したくない矛盾。
「まずはお昼御飯にしましょう。おなかがすいたわ苗木君」
これ以上自分の黒い部分を出したくなくて。知られたくなくて。
話題を切り上げてしまおうとしたのはいいのだけれど。
「そうだね。じつは僕も昨日は調理ばっかりで晩御飯あまり食べてなくてさ。
それにあんまり騒がしいのも苦手だし。
……やっぱり霧切さんと2人で食べる食事のほうが落ち着けて好きだな」
ああもう。彼は本当に思い通りにならない。
いつだって意味ありげな発言で私を困らせて。
……嫌いになりそうな自分を彼はうけいれてしまう。
……少しでも彼が私のそばで安心できるのなら。
こんな私でも彼のそばにいてよい理由になるだろうか。
今度苗木君に来客者用の布団をプレゼントしようと思う。
幸い収納スペースには空きがあるようだし。
それでもベッドは使われてしまうかもしれないけれど、何もしないよりはましだろう。
もちろん自分がそれを使う気は全くない。苗木君にも使わせたくない。
彼が普段寝る場所で私は寝たいのだ。誰にも邪魔はされたくない。
いつか一緒に布団に入る二人を思い浮かべながら、彼の寝室を後にした。