「絶好の観月日和ね」
「…もう夜だけどね」
苗木君の茶々は置いといて、夕刻過ぎれば暑さも忘る。
ベランダから仰げば、見事な仲秋の名月。
郊外の住宅地なので、街灯が月影を邪魔することもない。
月見でもしないか、と提案したのは私の方から。
いつも彼の家にお邪魔して、冷蔵庫を漁るばかり。
たまには私がもてなして、女らしく手料理の一つでも振舞おう、そう決意したまではよかった。
脱ぎっぱなしの服、放置された食器、溜まるだけ溜まったゴミ袋。
最近出張が続いて、自宅の掃除なんてほとんどしていなかった。
プライベートの私の怠け具合は苗木君にもバレているが、それでも招く側にもマナーというものがある。
朝からゴミを捨て、部屋を片付けて、掃除機をかけて、…
まさか、それだけで日が沈んでしまうとは思わなかったのだ。
何が悔しいかと言えば、苗木君がそれを見越していたこと。
あらかじめ料理を作ってきてくれたようで、何故、と聞いてもはぐらかされる。
きっと彼にはお見通しだったのだろう。
肝心なことは気がついてくれないくせに、こういう余計なところにばかり気が周るのだから。
…今度からは、マメに部屋を掃除しよう。そうしよう。
「お待たせ、霧切さん」
先日買った組盃のセットを持って、苗木君がベランダに上がる。
私は一足先に、夜風に交じる虫の音を楽しんでいた。
「…松虫、コオロギ、鈴虫。日本の夏は自然と共にあるべきよね」
「姿が見えない分にはいいんだけどね…。霧切さん、甘いソースとか大丈夫だっけ?」
「あなたが作ったのなら大好物よ。里芋かしら?」
「お月見料理だから、丸いものをね。茹でて柚子味噌付けただけなんだけどさ」
お皿に盛りつけられた里芋の山に、さっぱりとした柑橘系の香り。
単純な料理のはずなのに、それだけですごく美味しそう。
私も自炊が出来ないわけじゃないけれど、彼の料理を見るたびに、やっぱり比べてしまう。
「本当は団子とか豆料理も用意しようかと思ったんだけど、あまり多すぎてもどうかな、と思って」
「…あなた、主夫でも目指しているの?」
「いや…なんていうか、一人暮らしだと料理ぐらいしか趣味が持てなくてさ」
二人分の盃に清酒を注ぎ、カツ、とぶつける。
水面に映った月が、波に乗って揺れた。
「…月の綺麗な夜、美味しい料理、高いお酒…」
「隣に良い人でも居れば、最高だね」
「…そうね、最高だわ」
ふふ、と笑いかけると、苗木君は首を傾げた。
きっと意味の分かっていない彼の盃に、二杯目の清酒をなみなみ注ぐ。
「うわ、とっと…ぼ、僕はあまり飲めないからね。帰りもあるんだし…」
「良いじゃない、たまには止まっていきなさい。明日は休日だし」
「うー…酔っ払って霧切さんに迷惑かけるかも知れないし」
「いつもの私への当てつけかしら?」
「そ、そうじゃないけどさ…っていうか、僕が霧切さんを迷惑に思うことなんて、……ないよ、あんまり」
「…今の間は?」