「…意味もないことを考えすぎたみたい…風に当たってくるわ」
外に出ると、雪が降っていた。
雪の白がやけに眩しく感じられて、思わず目を伏せる。
道端に積もった雪山が街灯を反射しているからか、それとも。
その白の純朴さの中に、彼に通ずるものを見たからか。
病人、それも友人に嫉妬するなんて最低だ。
さらにそれだけに留まらず、苗木君やみんなの努力を侮辱した。
苗木君に見られないようにポケットに隠した鶴の歪さは、私の性根が歪んでいることの象徴なのかもしれない。
サク、サク、サク。
降り積もる雪に、足跡を刻んで独り歩く。
薄手のベストを羽織っただけの恰好では、寒さが厳しい冬の夜。
それでも頭を冷やすにはちょうどいい。
せっかくだし、行きつけの商店でも寄ろう。
空気が悪くなってしまったのは私の責任。自腹を切るのも当然だ。
美味しいお酒と、彼の作った肴があれば、きっと元通りになる。
そう、思っていたのに。
「…年末年始は休業、ね…失念していたわ」
誰にともなく一人ごちる。
個人経営の店なら、前後三日は休業するのもザラだ。
私としたことが、こんな当たり前なことに気付けなかったなんて。
店のシャッターの張り紙をしばらく睨みつけても、開くわけでも無し。
気が抜けてしまい、白く濁ったため息を吐きだして、そのままシャッターに背を預ける。
歩いていれば、話していれば、考えずに済むこと。
立ち止まった瞬間に、物思いに耽ってしまう。
それは大抵考えたくもない、日頃見ないようにしている自分自身の恥部。
私は、苗木君の、何なんだろう。
そもそも『舞園さんに取られた気がした』だなんて、思い上がり甚だしい。
彼女の方が苗木君とも付き合いは長いし、鶴の一件もある。
ちょっと腹黒いところもあるけど、明るくて他人を気遣える良い娘だし。
アイドルという肩書も、きっと男の人には魅力的なはず。
お似合いだ。
立っているのがだんだん面倒になり、ずるずるとシャッターに背中をこすりながら、崩れるようにしゃがみ込む。
膝を抱えると、少しは寒さも紛れた。
雪はどんどん積もる。
そのまま、私を埋めてくれないか。
ふ、と影が差す。
降り積もる雪と街灯の光を遮って、青い一輪の影。
なんとなく来てくれるだろうことを予測していた私は、そのまま膝に顔を埋めていた。
「…何、やってんの」
「…行きつけの店が閉店中で、ショックで崩れていたところよ」
「とりあえず立って、霧切さん。全身雪まみれだよ」
「…雪化粧よ。似合うでしょう」
「意味違うから」
苗木君の腕が軽く私の服を払って、それから私を引きずり起こす。
自分の意思で立つ気力も起きなかった私は、引っ張られるままに彼の胸の中へ飛び込んだ。
「え、ちょ…」
「……」
温かい。
人の温かさだ。
あの学園で、初めて彼から教わったモノ。
千羽鶴を中断して、雪の降る中を、傘二本に私のコートまで持って。
それは面倒だっただろう。
それでも彼は、文句も言わず、嫌な顔もせず、私のために。
「霧切さん…?」
律義なところは苗木君の美点だけど、頼り過ぎては彼の負担になってしまう。
分かっているのに。
彼が私を甘やかすから。私にまで優しいから。
この温かさを手放す事は、今まで出来なかった。
「…あなたはどうして、私なんかと…」
「え、何?」
体を離すと、再び冬の寒さが隙間に戻ってきた。
それでも、私は独りで立つ。
数歩離れて、苗木君の傘の外側に。
「…なんでもないわ。帰りましょうか、苗木君」
受け取ったコートを身につけ、自分用の傘を開いて距離を置く。
いつまでもいつまでも、彼にしがみついている訳にはいかないから。
苗木君は少しの間考えるようなそぶりを見せて、私のポケットに手を入れた。
「…何のつもり?」
「ちょっと、コレもらうね」
取り出したのは、捨てる予定だった失敗作の鶴。気付いていたのか。
傘を上手く首で支え、器用に紙を折っていく。
曲がった翼は綺麗に伸び、大きすぎる嘴は別の形に。
最後に尾を裂いて、出来上がったのは鶴とも違う別の鳥。
私が失敗したはずの折り紙が、彼の手でまた息を吹き返した。
「これは…?」
苗木君は何も言わずに、その鳥を私に手渡した。
それから自分の傘を閉じて、私の傘の中に入ってくる。
急接近する二人の距離。唐突過ぎて、少しだけ焦る。
「あの…」
「…私なんか、って…あんまり言わないでね」
優しい声。
なのに、なぜかドキッとした。
肝心なことは何一つ察してくれない癖に、余計なことばかり気付く少年だから。
「それから、嫌なことはちゃんと嫌って言ってほしい」
「嫌、って…」
「僕、ホラ、あまり頭は良くないから…無意識に霧切さんを傷つけていても、分かって無い事とかあるからさ」
「…違うわ、あなたが悪いわけじゃない」
少なくとも今回は、私が独りで勝手に傷ついただけだ。
こういう時、私は真っ直ぐ苗木君の目を見られない。
苗木君もそれを察してか、私の正面ではなく隣に立った。
いつの間にか、私を追い越していた背丈。
いつの間にか、私より広くなっていた肩幅。
いつの間にか、大人っぽくなっていた声。
私の知らない間にも、苗木君はどんどんカッコよく変わっていく。
学生時分のようにいつまでも私が付きまとうのは、本当は迷惑じゃないだろうか。
今まで気づかないふりをしていた疑問。
怖くて、苗木君本人には絶対に聞けない言葉。
『どうしてあなたは、今でも私なんかに付き合ってくれているの?』
まるで、その心を見透かしたかのように。
「僕は霧切さんの苦労も、苦痛も、苦悩も…一つも分かってあげられないけど」
「……」
「せめて霧切さんを癒す、止まり木になれたらな、って…そう思ってるから」
努めて明るい声で、そんな言葉をくれた。
「どうして…」
また答えずに、彼は私の手を握り締める。
手を取るのではなく、指と指を絡めて、離さないように。
手袋越しに、温かさが伝わってくる。
心臓がバクバクとなるのが、つないだ手を通して伝わるんじゃないかと不安になる。
今まで何度か、彼と手を繋いだことはあったけれど。
こんな、恋人みたいな繋ぎ方なんて。
本当に、どうして。
「…『月が綺麗ですね』」
唐突に、苗木君が呟いた。
「え?」
「ううん、なんでもない」
問い返したのは、聞こえなかったからじゃない。
その言葉の意味を、もし彼が知っていた上で使ったのだとしたら。
ふと見返ると、顔はそっぽを向いていた。
ただ、その耳が真っ赤に燃えあがっているのが分かる。
どうして、と、私は尋ねた。
苗木君は答えずに、ただ月を褒めた。
雪が降っている。
月なんて、見えるはずはないのに。
「…『貴方と見ているから、綺麗なのね』」
「……」
「……」
沈黙は凍らず、私たちは手を握ったまま、どちらからともなく歩きだす。
雪の白に違って、二人の顔は燃える赤。
「…は、恥ずかしいね、コレ」
「…じゃあ、何で言ったのよ…」
「き、霧切さんこそ」
「私は別に…恥ずかしくなんかないもの」
「顔真っ赤じゃないか」
「……寒いからよ」
使い古された陳腐な言葉だけれど。
私と苗木君の二人に、これ以上相応しい応答もないだろう。
好きだ、なんて、ストレートに言い合える仲じゃないから。
ああ、でも、それなら。
もう少しくらい、彼に迷惑をかけてもいいだろうか。
「…そう、寒いから…もう少し寄りなさい、苗木君」
年の瀬に祈る。
許されるのなら来年も、こうして彼の隣を歩んでいけますように。