大人ナエギリ花札編 十一枚目:雨に番傘 & 十二枚目:桐に鳳凰

Last-modified: 2014-11-24 (月) 00:32:25

「…意味もないことを考えすぎたみたい…風に当たってくるわ」

 

 外に出ると、雪が降っていた。
 雪の白がやけに眩しく感じられて、思わず目を伏せる。
 道端に積もった雪山が街灯を反射しているからか、それとも。
 その白の純朴さの中に、彼に通ずるものを見たからか。

 

 病人、それも友人に嫉妬するなんて最低だ。
 さらにそれだけに留まらず、苗木君やみんなの努力を侮辱した。
 苗木君に見られないようにポケットに隠した鶴の歪さは、私の性根が歪んでいることの象徴なのかもしれない。

 

 サク、サク、サク。
 降り積もる雪に、足跡を刻んで独り歩く。
 薄手のベストを羽織っただけの恰好では、寒さが厳しい冬の夜。
 それでも頭を冷やすにはちょうどいい。

 

 せっかくだし、行きつけの商店でも寄ろう。
 空気が悪くなってしまったのは私の責任。自腹を切るのも当然だ。
 美味しいお酒と、彼の作った肴があれば、きっと元通りになる。

 

 そう、思っていたのに。

 
 

「…年末年始は休業、ね…失念していたわ」

 

 誰にともなく一人ごちる。
 個人経営の店なら、前後三日は休業するのもザラだ。
 私としたことが、こんな当たり前なことに気付けなかったなんて。

 

 店のシャッターの張り紙をしばらく睨みつけても、開くわけでも無し。
 気が抜けてしまい、白く濁ったため息を吐きだして、そのままシャッターに背を預ける。

 

 歩いていれば、話していれば、考えずに済むこと。
 立ち止まった瞬間に、物思いに耽ってしまう。
 それは大抵考えたくもない、日頃見ないようにしている自分自身の恥部。

 

 私は、苗木君の、何なんだろう。

 

 そもそも『舞園さんに取られた気がした』だなんて、思い上がり甚だしい。
 彼女の方が苗木君とも付き合いは長いし、鶴の一件もある。
 ちょっと腹黒いところもあるけど、明るくて他人を気遣える良い娘だし。
 アイドルという肩書も、きっと男の人には魅力的なはず。

 

 お似合いだ。

 

 立っているのがだんだん面倒になり、ずるずるとシャッターに背中をこすりながら、崩れるようにしゃがみ込む。
 膝を抱えると、少しは寒さも紛れた。

 

 雪はどんどん積もる。
 そのまま、私を埋めてくれないか。

 

 ふ、と影が差す。
 降り積もる雪と街灯の光を遮って、青い一輪の影。
 なんとなく来てくれるだろうことを予測していた私は、そのまま膝に顔を埋めていた。

 

「…何、やってんの」
「…行きつけの店が閉店中で、ショックで崩れていたところよ」
「とりあえず立って、霧切さん。全身雪まみれだよ」
「…雪化粧よ。似合うでしょう」
「意味違うから」

 

 苗木君の腕が軽く私の服を払って、それから私を引きずり起こす。
 自分の意思で立つ気力も起きなかった私は、引っ張られるままに彼の胸の中へ飛び込んだ。

 

「え、ちょ…」
「……」
 温かい。
 人の温かさだ。
 あの学園で、初めて彼から教わったモノ。

 

 千羽鶴を中断して、雪の降る中を、傘二本に私のコートまで持って。
 それは面倒だっただろう。
 それでも彼は、文句も言わず、嫌な顔もせず、私のために。

 

「霧切さん…?」

 

 律義なところは苗木君の美点だけど、頼り過ぎては彼の負担になってしまう。
 分かっているのに。
 彼が私を甘やかすから。私にまで優しいから。
 この温かさを手放す事は、今まで出来なかった。

 

「…あなたはどうして、私なんかと…」
「え、何?」
 体を離すと、再び冬の寒さが隙間に戻ってきた。
 それでも、私は独りで立つ。
 数歩離れて、苗木君の傘の外側に。

 

「…なんでもないわ。帰りましょうか、苗木君」

 

 受け取ったコートを身につけ、自分用の傘を開いて距離を置く。
 いつまでもいつまでも、彼にしがみついている訳にはいかないから。

 
 

 苗木君は少しの間考えるようなそぶりを見せて、私のポケットに手を入れた。

 

「…何のつもり?」
「ちょっと、コレもらうね」
 取り出したのは、捨てる予定だった失敗作の鶴。気付いていたのか。

 

 傘を上手く首で支え、器用に紙を折っていく。
 曲がった翼は綺麗に伸び、大きすぎる嘴は別の形に。
 最後に尾を裂いて、出来上がったのは鶴とも違う別の鳥。
 私が失敗したはずの折り紙が、彼の手でまた息を吹き返した。

 

「これは…?」
 苗木君は何も言わずに、その鳥を私に手渡した。
 それから自分の傘を閉じて、私の傘の中に入ってくる。
 急接近する二人の距離。唐突過ぎて、少しだけ焦る。

 

「あの…」
「…私なんか、って…あんまり言わないでね」

 

 優しい声。
 なのに、なぜかドキッとした。
 肝心なことは何一つ察してくれない癖に、余計なことばかり気付く少年だから。

 

「それから、嫌なことはちゃんと嫌って言ってほしい」
「嫌、って…」
「僕、ホラ、あまり頭は良くないから…無意識に霧切さんを傷つけていても、分かって無い事とかあるからさ」
「…違うわ、あなたが悪いわけじゃない」
 少なくとも今回は、私が独りで勝手に傷ついただけだ。

 

 こういう時、私は真っ直ぐ苗木君の目を見られない。
 苗木君もそれを察してか、私の正面ではなく隣に立った。

 

 いつの間にか、私を追い越していた背丈。
 いつの間にか、私より広くなっていた肩幅。
 いつの間にか、大人っぽくなっていた声。

 

 私の知らない間にも、苗木君はどんどんカッコよく変わっていく。
 学生時分のようにいつまでも私が付きまとうのは、本当は迷惑じゃないだろうか。
 今まで気づかないふりをしていた疑問。
 怖くて、苗木君本人には絶対に聞けない言葉。

 

 『どうしてあなたは、今でも私なんかに付き合ってくれているの?』

 

 まるで、その心を見透かしたかのように。

 

「僕は霧切さんの苦労も、苦痛も、苦悩も…一つも分かってあげられないけど」
「……」
「せめて霧切さんを癒す、止まり木になれたらな、って…そう思ってるから」

 

 努めて明るい声で、そんな言葉をくれた。

 

「どうして…」

 

 また答えずに、彼は私の手を握り締める。
 手を取るのではなく、指と指を絡めて、離さないように。

 

 手袋越しに、温かさが伝わってくる。
 心臓がバクバクとなるのが、つないだ手を通して伝わるんじゃないかと不安になる。

 

 今まで何度か、彼と手を繋いだことはあったけれど。
 こんな、恋人みたいな繋ぎ方なんて。
 本当に、どうして。

 

「…『月が綺麗ですね』」

 

 唐突に、苗木君が呟いた。

 

「え?」
「ううん、なんでもない」

 

 問い返したのは、聞こえなかったからじゃない。

 

 その言葉の意味を、もし彼が知っていた上で使ったのだとしたら。

 

 ふと見返ると、顔はそっぽを向いていた。
 ただ、その耳が真っ赤に燃えあがっているのが分かる。
 どうして、と、私は尋ねた。
 苗木君は答えずに、ただ月を褒めた。

 

 雪が降っている。
 月なんて、見えるはずはないのに。

 
 

「…『貴方と見ているから、綺麗なのね』」

 

「……」
「……」

 

 沈黙は凍らず、私たちは手を握ったまま、どちらからともなく歩きだす。
 雪の白に違って、二人の顔は燃える赤。

 

「…は、恥ずかしいね、コレ」
「…じゃあ、何で言ったのよ…」
「き、霧切さんこそ」
「私は別に…恥ずかしくなんかないもの」
「顔真っ赤じゃないか」
「……寒いからよ」

 

 使い古された陳腐な言葉だけれど。
 私と苗木君の二人に、これ以上相応しい応答もないだろう。
 好きだ、なんて、ストレートに言い合える仲じゃないから。

 

 ああ、でも、それなら。
 もう少しくらい、彼に迷惑をかけてもいいだろうか。

 
 

「…そう、寒いから…もう少し寄りなさい、苗木君」

 

 年の瀬に祈る。
 許されるのなら来年も、こうして彼の隣を歩んでいけますように。