遠距離恋愛/ep11

Last-modified: 2013-11-30 (土) 23:14:32
ep11
「微分方程式を解く準備」
 

## 2071年 1月下旬、夜。男1の部屋。
女1【HMI の展示会っての、パシィフィコでやるんだって。行ってみたい。でも横浜は遠い。】
俺【HMI?】
女1【Human Machine Interface、人間と機械のインタフェース。キーボードやメガネとかね。】
俺【ほう…】
顔を上げ、指のジェスチャでメガネを操作し、検索した。
俺【あった。2月6日(金)~8日(日) か。行ける。】
女1【新幹線代を払うほど行きたいわけじゃないけど…ちょっと見てみたい。】
俺【わかったよ。俺がヘリ持って現地に行けばいいんだろ?】

 

## 2071年 2月 8日(日)。晴れ。
ヘリと電池をフロントバッグに入れ、自転車でみなとみらいに出かけた。
10:10、会場に到着した。バッグを自転車から外す。
建物に入る。イベントスタッフが行き交う。会場の広さに比べれば、客はまばら。
俺はロビーの片隅の椅子に座った。
バッグからヘリを取り出し、電源を入れる。
女1にメッセージを出す。
俺【着いた。ヘリの準備OK。】
30秒後、
女1【待って。2分…いや 5分。】
ヘリの電源をOFFにした。

 

メガネでイベントのパンフレットや周辺地図を見ながら、待った。
5分たったので、
俺【準備できたら教えてくれ。ヘリの電源入れるから。】
女1【もう少し…】

 

女1がログインしたのは、さらに5分後だった。
音声がつながる。ヘリの高度が女1の目の高さにシンクする。
そして俺のメガネに女1の姿が表示される。
女1「ごめん、お待たせ。ソフトのセットアップに手間取って。あと服…」
俺「ん?」
女1はおしゃれな私服姿だ。
いつもより高画質な気がする。
俺「3Dモデルを何か変えた?」
女1「ふふ。今回はなんと3Dモデルじゃなくて、カメラの実映像を投影表示してます。…ただし私のメガネは加工して消してます。」
俺「なんと!」
女1「床コントローラにカメラが付属してて、それが前後左右から撮ってるのね。」
俺「そりゃリアルなわけだ。」
女1「もちろん床コントローラを使ってるから、私が足で歩けば、そのぶんヘリが移動します。」
俺「操作もか、すごいな! ところで床コントローラって、どんな原理なんだ?」
女1「小さなトラックボールが並んでるのね。で、カメラがユーザの姿勢を認識する。体の傾きを検出して、それを打ち消すように床を傾け、ボールを逆方向に回転させる。だから歩いても歩いても、ユーザは床コントローラから出られない。ポーズしないかぎりね。」
俺「なんでそんなもんが女1の家にあるんだ?」
女1「それはね…」
女1は振り返り、歩いていった。
女1「おっと、ポーズ…」
ヘリが停止した。女1が歩いた。ヘリと女1の位置がずれる。
女1が何か長い物を床から拾い上げた。女1は範囲選択のジェスチャをした。すると拾った物が表示されるようになった。
自動小銃だ。
女1「ポーズ解除」
再び位置がシンクし、女1の顔がヘリを隠した。
俺「なんだそれ…?」
可愛らしい女1に、武骨な武器がミスマッチだ。
女1「父ちゃんの趣味。このガンコンと床コンで戦争ゲームするんだって。」
俺「ああ、ゲームね。」
女1「ちなみにお母さんはスナイパー。」
俺「」

 

女1と一緒に会場に入った。
## 男1はひとりで歩いている。その横をヘリが飛んでいる。
展示ブースの照明が明るい。あちこちから説明の音声が聞こえる。
俺「さて、どっから行く?」
女1「じゃあ…キーボード。」
俺「プログラマだねぇ。」
そのメーカーのブースに行くと、様々なキーボードがあった。
オーソドックスなもの (ただし防塵防水耐衝撃)、キートップが画面になっていて自由に配列を変えられるもの、手のひらサイズに折りたためるもの。プロジェクタで机や壁にキー配列を表示し、カメラで指の動きを読んで、どこでもキーボードにするもの。
女1は高級モデルの前で立ち止まった。キーごとにバネの強さをカスタマイズできるのだという。
俺が試しに使ってみた。
俺「お、本当だ、小指のキーが柔らかい。」
女1「ああっ! 実物を触りたい…!」
女1がキーボードに手を伸ばした。その手は展示品を貫通した。
俺「物欲をもてあます。他に行こうぜ。」

 

電子メガネ。軽量化・高解像度化で正常進化した製品や、網膜投影型の新製品があった。
メガネ用のソフトウェアのブースもあった。メガネのカメラで楽譜を見ると、ソフトが楽譜を認識し、その音楽が聞こえるソフト。視覚障害者向けの、周囲の地形を音で知らせるソフト。人の顔と名前を記憶しておき、次に会ったとき名前を表示するソフト。
凹凸を動的に形成するタッチパネル。最近のやつは凹凸の解像度と反応速度がすごい。デモ機を触ってみた。紙、金属、人の皮膚、猫の毛皮、水面。いろいろな物質の手触りをかなり再現できていた。
空気砲を使った空間触覚フィードバック。256x256個の小さな空気砲が並んでいて、制御信号に従って空気の渦輪を吐き出す。渦輪はやがてユーザの手に当たり、擬似的な手触りを作り出す。ジェスチャ入力に応じて手応えを返すデモが展示されていた。
ジェスチャ入力の疲労軽減サポーター。長袖シャツの形。ただし
女1「確かにジェスチャ入力は疲れるけど…これは着たくないな、デザイン的に。」
床コントローラもあったので、俺も体験してみた。面白い。
遠隔で精密作業するための、指関節グローブ。
脳波や神経を読み取る入力機器。
抱き枕型電話。中に風船・発熱素子・スピーカーが入っていて、遠くにいる人の鼓動・呼吸・体温をフィードバックしながら通話ができる、というものだった。

 

ひととおり見て回ると、もうすぐ13:00だ。
ヘリが電池残量警告を出した。
俺「1分だけヘリの電源切る。電池交換。」
女1「おけ。」
着陸させ、シャットダウン。女1の姿が消える。
手早く電池を交換し、ヘリを再起動する。女1の姿が現れる。
女1「さて…だいたい見たかな。どうする?」
俺「そろそろ出るか。昼飯、何がいい?」
女1「って聞かれてもねぇ。私が食べるわけじゃないし。」
俺「そうだった。」
女1「なんか悔しい。こっちは部屋でおにぎり。」
俺「すると店に入って食べるよりは…そうだ。」
俺は電話でちょっと地図を見てから、イベント会場を出た。
自転車に乗る。
女1「自転車で行くの? 私は?」
俺「ふむ…ちょっとポーズな。」
ヘリの自動回避を一時停止。
俺はメガネをずらす。女1が視界から消え、かわりにヘリが肉眼で見えるようになる。
ヘリを手で捕まえる。モータを停止させる。
両面テープを使って、ヘリを自転車のフロントバッグの上に固定した。
## ヤモリの足の原理を使った粘着テープ。強力、しかも きれいにはがせる。
俺「よし。行くぞ。」
女1「わわっ?」
俺は自転車で走った。電子メガネで見ると、女1の生首がフロントバッグの上に表示されている。

 

左手に山下公園を見つつ銀杏並木を走り、やがて右折する。
中華街に着いた。観光客で賑わっている。自転車を押して歩く。いろいろな食べ物のにおいが漂ってきた。空腹感が強まる。
自転車のフロントバッグの上で、女1の生首がこっちを向いた。
女1「友達に中国系の子がいるんだけどさ、中華街って、200年くらい前の中国みたいな街並みなんだって。」
俺「ふーん、東京昭和ランドみたいなもんか?」
女1「あの千葉にあるやつ? 行ったことないけど。」
屋台で肉まんを2個買った。少し大きいが、フロントバッグに押し込んだ。
中華街を出る。

 

山下公園に着いた。自転車を押して歩く。
いかにも横浜観光という感じの景色。港と船。芝生、花壇、樹木。海岸沿いの売店。
ベンチが空いていた。海に向いている。
自転車を止める。メガネをずらして肉眼視界になる。ヘリを自転車から剥がし、通常モードにする。メガネをかける。ヘリが消え、女1の姿が見える。
女1はあちこち歩き回り、何かをベンチの位置まで引きずって来た。女1は座った…椅子を持ってきたらしい。しかしベンチと椅子の高さが違うので、女1は10cmほど宙に浮いている。気にしないことにする。
俺は自転車のフロントバッグから肉まんを取り出し、ベンチに腰かける。
俺の横では宙に浮いた女1が
女1「じゃ、いただきまーす。」
と言って、おにぎりを食べている。
俺も肉まんにかぶりつく。暖かい肉汁の味が広がる。

 

山下公園には、奇妙な集団がいた。
電動車椅子に乗った老人が移動している。その後ろを、10機ほどのクアッドコプターの群れが、約1.5mの高度で飛んでいる。
俺「あれは…?」
女1「おやおや、私の同類だ。」
俺「へ?」
女1「あれ、ロボットヘリのレンタルだって。それを使って、寝たきりや入院中だったり、旅行困難な人が、バーチャル観光するっていう。」
俺「なん…だと…それじゃ俺たちがやってたのは、ただの車輪の再発明じゃないか!」
女1「そうかな? 良い車輪を設計するには、車輪の再発明は良い練習じゃない?」
俺「けど、さぁ…」
女1「それにあのヘリ、すごく高いんだって。医療機器クラスの安全基準とか。」
俺「俺たちのは、材料は市販のオモチャ、ライブラリはフリーだもんな。」

 

食べ終わった。
俺「さて、せっかく来たことだし、観光みたいなことでもするか?」
俺は立ち上がった。
女1も立ち上がり、見えない椅子を片付けた。
俺は自転車を押して歩く。その隣を女1が歩く。
女1「じゃあさ、赤レンガ 行きたい。」
右に港を見ながら山下公園を歩く。

 

女1がぽつりと言う。
女1「なんかデートみたいだね。」
一瞬、俺の動きがぎこちなくなる。
俺「…他の人から見れば、男ひとりが、ヘリ連れて歩いてるだけ、だな。」
妙に意識してしまう。
女1「みなと「みらい」って変だよね。作られて100年くらい経ってるのに。」
俺「永遠の17才、みたいなもんか。」
女1「何それ。」
女1は空中で指を動かした。何かを検索している。
女1「へー、先進的な都市づくりの実験場として使われるって意味で、今でもみなと「みらい」なんだってさ。」
俺「都市づくりの実験? 例えば?」
女1「そういえばさっき、氷川丸の入場料、通常料金のほかに「テレプレゼンス料金」も書かれてたね。」
俺「さっきのヘリみたいなのは、その料金になるわけか。」
女1「観光地のテレプレゼンス対応、駅で電動椅子をレンタル、歩道を削って自転車道を歩行者から分離、電気自動車の路面給電、といったことが、みなとみらいで実験されたって書かれてるね。」

 

赤レンガ倉庫の駐輪場は山下公園の反対方向にあるので、かなり歩く。
その間、女1にいろいろなことを聞いた。
俺「マイコン部には、どんな人がいる?」
女1「やっぱり、あの先輩でしょ。金髪の2年女子。ポーランド系だって。」
俺「だよな、ヨーロッパ系の顔だと思った。その人と仲良いんだっけ、女1って?」
女1「うん。休日、一緒に出かけたり。」
俺「どんな人?」
女1「そうだね…数式を読み書きするときの順序が独特なんだ。たとえば sin(θ+π/2) って書くとき、 θ, π/2, +, ( ), sin みたいな順で書く。だからよく教科書が誤認識するんだって。」
俺「逆か。そーいや、sin や cos の公式って憶えきれる? 俺は、サムtoプロダクト や プロダクトtoサム が憶えられない。」
女1「それ私も憶えてないよ。いつも addition theorem を変形して作ってる。」
俺「えーと…どうやるんだっけ?」
女1「sin(α+β), それに sin(α-β) を addition theorem で展開して、両辺それぞれ足したり引いたり。」
俺「えーと…sin cos, cos sin…両辺足して 2で割って…そうか、暗記しようとして間違えるよりいいかもな。」
女1「そういえばこの前、先生が言ってたんだけどさ、すべての数学は differential equation (微分方程式) を解く準備だ! って。」
俺「なんと大胆な…あれ? 男Eさんも同じことを言ってたな。どういう意味なんだ?」
女1「complex も、 e や log、matrix や vector も、物理や工学で登場する differential equation を解くための道具なんだって。」
俺「マトリクスやベクタが? ARの画像を作るための道具だと思ってた。」
女1「だから i とか、こんな概念 何の役に立つの? って思っても、そのうち、すべてがパズルのピースみたいにぴったりハマるときがくるって。」
俺「そりゃ遠い道のりだな。」
女1「もちろん set, logic, graph なんかはマイコン部では必須だし、全部が全部 differential equation だけのためってわけじゃないと思うけど。」
俺「そういや、なんでマイコン部って名前なんだ? マイコン部はソフトウェア専門なんだろ? むしろロボット部のほうがマイコン部って感じじゃないか? 制御にマイコン使うから。」
女1「あ、それね、20世紀頃はコンピュータのことをマイコンって呼んでたんだって。」
俺「20世紀!? そんなに昔からある部活なのか!」
女1「何度か消滅の危機があって、同好会になった時期もあったらしいけどね。」
俺「いま部員は何人?」
女1「5人だね。学年別でいうと 1人、2人、2人。」
俺「そっか、ならたぶん全員見たことあるな。電話で女1の後ろに写ってた。そっちの学校だと、部活って何人必要?」
女1「さあ? たぶん5人くらいじゃない?」
俺「すると4月の部員勧誘は気ぃ入れてやらないとな。何か展示とか考えてる?」
女1「まあ、そうだね、それぞれ作ったソフトを展示して、概要を説明するくらいかな。」
俺「へー、部員それぞれソフトを一本ずつ作ってるの?」
女1「うん。」
俺「女1も?」
女1「っていうか、必要に迫られたり思いつきで作ったりした小さなプログラムのうち、ちょっといいかもって思ったやつを出す、かな。」
俺「必要や思いつき? どんなの?」
女1「教科書の拡張プラグインとか…」
俺「このヘリのテレプレゼンスなんかは? 展示したらかなりインパクトあるんじゃないか?」
女1「うーん、そうだね…」
あまり乗り気ではなさそうだ。話の方向を変える。
俺「教科書のプラグインって?」
女1「カメラの画像を加工したり。英語の授業で外国と通話するときに使うと面白いよ。髪に飾りをつけたり、メガネを消したり、目を大きくしたり、肌の色を調整したりできるの。」
俺「それは技術的にはすごいが…どう役に立つんだ?」
女1「え? そりゃ、きれいに写りたいじゃん。」

 

自転車を停めた。
駐輪場の前には海上保安庁の基地があり、資料の展示館も併設されている。
左に港を見ながら歩き、赤レンガ倉庫へ向かう。
港では、海上保安庁が訓練していた。犯人役の船を別の船が追いかける。犯人の船のまわりをロボットヘリが飛び回り、ときおり液体を発射している。
女1「あれ、なんだろ?」
俺「さあ…?」
近くにいた家族連れの会話が聞こえた。幼稚園くらいの男の子と、その父親が話している。
子供「けーさつのヘリが、みずでっぽうで こーげきしてるね!」
父親「あれは粘液の中に、砂粒みたいなセンサがたくさん入ってて、犯人を監視したり位置を追跡したりできるんだよ。」
子供「ねーパパ、あのさ、ねーパパ、あのね、パパのかいしゃってそのセンサつくってるの?」
父親「いや、パパの会社が作ってるのは、河原の土砂に混ぜて洪水を検知するやつだから、海上保安庁が使ってるのとは違う。」
へー。
赤レンガ倉庫に着いた。

 

赤レンガ倉庫。もとは本当に港の倉庫として使われていたらしい。それを移設して、現在は観光客向けのいろいろな店が入っている。
そこそこ繁盛している。客数のわりに通路は狭い。
日本の標準的な人混みのにおい…加齢臭…がする。それでも客の半分以上が中年以下だから、比較的 若い人向けと言ってよいだろう。

 

女1は移動に苦労していた。通路に客が多くて、ヘリの衝突回避が働きつづけているのだ。
女1「進めない…」
俺「やめとく?」
女1「行きたい店があるんだけどな…ヘリのモータを止めて、男1が運んでくれれば。」
いったん通路の隅に移動する。人口密度が低いので、ここでヘリの自動回避をOFFにする。俺はヘリを捕まえ、粘着テープで自分の肩にくくりつけた。
女1の顔が俺の肩に乗っている。近い。頬が触れ合いそうだ。
俺「乗り心地は?」
女1「大丈夫。でもこっちの肩を他の人にぶつけないでね。画像が乱れるから。」
俺「わかった、気をつける。」
女1「2人で腕を組んで歩いたら、これくらい近いのかな。」
俺「さあね?」

 

女1の指示に従って通路を歩く。
しかし、目的地までの間、何度も他の店に寄り道した。
女1「あっ、あれ可愛い!」
とか
女1「わー、これなんだろ?」
とか
女1「これ面白い!」
とか。なかなか進めない。

 

ようやくたどり着いた女1の目的地は、チョコレート菓子の専門店だった。
バレンタイン前ということもあり、混み合っている。
現代では男女どちらもチョコを贈り合う。しかし店の装飾が女性向けだからか、客は 9割が女性、1割は女性に連れられた男性だ。カカオの香りと香水や化粧品の香りが混じり、華やいだ空気を作っている。
俺はなんだか居心地が悪い。
俺「どこから見る?」
女1「こっちの棚から。あ、あっちも良さそう。」
俺の顔の横で、女1が行きたい方向を指差す。俺はそれに従って歩く。
女1と俺は10分以上、いろいろなチョコを見て回った。やがて
女1「決めた。これにする。」
俺「え?」
女1「これ持って、レジ行って。はい、お金。」
俺の手首で電話が振動した。見ると、女1からチョコの代金が転送されていた。
女1に言われるまま、俺はそのチョコを買った。
俺「これ女1が食べられるわけじゃ…」
女1「これ、男1にあげるの。」
俺「ああ、そうか。…うん、ありがとう。念入りに選んでくれたんだな。」
女1「うん、喜んでくれてよかった。」
まあ、使ったのは俺の足だが。

 

混み合った赤レンガを出た。外の冷たい海風が心地よい。
午後。まだ明るい。
駐輪場まで歩き、自転車のロックを解除し、押し歩く。
右に海を見ながら、公園を歩く。橋で運河を渡る。橋の下を船が通る。
対岸に着いて公園を歩く。女1は目の前の高層ビルを指して言う。
女1「そうそう、知ってる? あの大きなホテル。」
俺「知ってるって、何を?」
女1「ずーと高いところ、ビルの側面に、女神像があるの。隠れキャラみたいに。」
俺「どこ?」
女1「この方向から見えるよ。あ、たぶんあれ。」
女1の指先を視線でたどると、壁に窓ひとつぶんくらいの凹みがあり、何かが設置されているようだった。メガネで拡大表示すると、確かに、人型の像らしいものが見えた。
俺「おー、あったあった。」
女1「近くまで飛んでみようかな? エキスパートモードの操作で。」
俺「まあ通信は大丈夫だろうけど、電池が残り少ない。」
女1「そっか、途中で自動着陸になりそうだね。じゃあいいや。」
俺「え、試しに飛んでみれば? 途中まででも。」
女1「いや、別に、男1から離れてまで見… !? なっ、な゛いんだからね゛!!」
俺「急に怒鳴るなよ。音割れしてる。」

 

公園の右端には転落防止の柵があり、そのすぐ向こうが海だ。波が柵にかかる。
波をかぶらない程度に海から距離をとり、自転車を止め、段差に座った。
女1も、いちどポーズして画面外から座布団を持ってきて、俺の隣に座った。
俺「海のにおいだねぇ…」
女1「残念、においはこっちじゃわからないわ。」
俺「においの出力デバイスって、やっぱ高いんかね?」
女1「だろうねー、映画館でしか見たことないし。」
俺「映画か…女1は映画ってよく行くの?」
女1「いや、あんまり。去年、弟に付き合って 1回だけ、アニメを見てきた。」
俺「その映画って におい出力対応だった?」
女1「そうだけど、SFアクションアニメだからね、燃料や薬のにおいが多かった。」
俺「そうか。女の子向けアニメなら良いにおいが多そうだな。花とかお菓子とか。」
女1「変身シーンとか?」
俺「え?」
幼女のにおい? 変態か? と言いそうになったが、思いとどまる。
女1「化粧品みたいなアイテムで変身するじゃん。女児向け玩具。」
俺「ああ、そうか。」

 

ヘリが電池残量警告を出した。
女1「え、もう?」
俺「あー、ここまでか。3個目の電池は持ってないわ。」
女1「そっか…まあ、もう夕方だし、ちょうどいい時間かな。」
俺「あと数分でシャットダウン。それまでは大丈夫。」
女1「うん…。」
女1が座る姿勢を変えて、少し顔を俺のほうに近づけた。
モータの甲高い音。ロータからの風が俺の袖を揺らす。
女1「あのさ…」
俺「ん?」
女1「…」

 

自動シャットダウン。ヘリが着陸し、電源が切れた。
女1の姿が電子メガネから消えた。

 

あれ? なんで俺、もう少し一緒に、とか思ってんだ?
ぶざまだな。かみ捨てたガムの山みたいだ。