1.
いつもの「おはようございまーす」
まだまだ肌寒い日々が続く朝、爽やかな挨拶と共に職員室のドアを開けるいつもの
みやびん「おー、おはようさーん」
どりもぐ「おはようございます、いつもの先生」
それに応えたのは仲良くお茶を啜るみやびんとどりもぐ。そして―――
無害「欝だ死のう」
職員室の隅で、首を吊ろうとしている無害だった
いつもの「ななな!何してるんですかぁぁぁ!?無害せんせぇぇぇぇ!!!」
その様を目撃したいつものが、慌てて止めに入る
無害「あ、いつもの先生おはようございます。そしてさようなら」
いつもの「さよならじゃないですよ!何ですか朝っぱらから!?命は投げ捨てる物とでも!?」
無害「命なんて安いもんさ。特に俺のはな……」
いつもの「何処のエージェントですか貴方は!?あぁもう!みやびん先生とどりもぐ先生も見てないで一緒に止めて下さい!」
今にも「おさらばでございます」とでも言って首を吊りそうな無害を必死で宥めながら、こんな状況を呑気に見ている二人の教員にいつものは激を飛ばす
みやびん「んー……そないなこと言うたかてなぁ……」
どりもぐ「無害先生が自殺しようとするのは、別に今に始まったことじゃないですしねぇ」
そう言って同時に改めてお茶を啜る二人
……次の瞬間、職員室中にいつものの怒声が響いたのは言うまでもない
2.
いつもの「……で、何があったんですか?」
それから駄々をこねる無害を引きずり下ろし、30分程の説教の後、改めて無害に何故自殺しようとしたのかをいつものは問い正す
ちなみにその間無害はずっと正座である。何故かみやびん、どりもぐの両教師も一緒に
無害「……いえね、今朝………69先生に『今晩一緒に食事でもどうですか?』って誘ったんですよ。………ですがその………」
みやびん「あっさり断られたんやな。悲劇やな」
無害「………人が言おうとしてることを先に言わないで下さいよみやびん先生…。あー、思い出したらまた………欝だ死にたい」
いつもの「ダメです。そもそも軽々しく死のうなどと言わないで下さい」
どりもぐ「確かに、たかが食事に誘おうとして断られたくらいで死んでちゃ、命が幾つあっても足りないですね」
無害「……そうは言いますがね、どりもぐ先生。今回でもう16回目なんですよ………断られたの」
目に見えて判る程暗い表情で俯く無害のその言葉に、一同は言葉を失う
場を、重い沈黙が支配する。今にもまた無害が「欝だ死のう」と言い出しかねなかった
そんな中、最初に口を開いたのは半ば呆れた様子で顔を歪めるみやびんだった
みやびん「……何やアホらしなってきたわ。要は69センセを食事に誘いたい訳やろ?…ウチに任せとき!」
自信満々にそう言って胸を張るみやびん。しかし洗濯板以前のちっぱいは、そこはかとなく不安を掻き立てる
いつもの「みやびん先生、何か妙案でも…?」
みやびん「妙案って程でも無いけどなー。ほな、早速行ってくるわー」
そう言って立ち上がり、外へと向かってみやびんは歩き出す
…ずっと正座しっぱなしだったためか、フラフラとおぼつかないその足取りに、残された三人は『ホントに大丈夫かなぁ?』と期待半分、不安半分でその後ろ姿を見送った
3.
みやびん「邪魔するで~」
微妙に間の抜けた口調で勢い良く保健室のドアを開けるみやびん
突然の来訪者に、デスクに腰掛けてボーっと天井を眺めていた69が、みやびんに向き直る
69「おや、みやびん先生。どうしました、どこか怪我でも?あぁ、流石に頭の中身までは治せないので注意して下さいよ?」
みやびん「なんや今ごっつ腹立つこと言われた気がするわー」
69「気のせいでしょう。で、どうしたんです?」
みやびん「いやいや、大した用事やあらへんのやけどな。69センセ、今晩暇か?暇やったら一杯飲みにいこ思てなー」
69「飲みにって……みやびん先生は未成年でしょう。流石にそれは……」
みやびん「別にホンマに飲むワケやあらへん。たまには一緒に食事でもして、親睦深めよーかなー思うただけや。ダメ?」
大袈裟に身振り手振りを交えながら69に近づいたみやびんが、ドドメと言わんばかりに上目遣いに彼女を見る
その辺のロリコンなら一発で撃沈確定と思われるきゃっぴきゃぴの『お願い』のポーズだ
69「はぁ…。まぁ、別に構いませんよ。どうせ暇ですしね」
みやびん「よっしゃ!決まりや!じゃあ19:00時に駅前で待ち合わせでええかー?」
69「いいですが…何故待ち合わせ……?」
みやびん「いやぁお互い仕事あるやろ?それに…待ち合わせの方がなんや、デートみたいやん」
69「………そういうものですかね?よく分かりませんが。では、その時間に……」
みやびん「遅れんと来てぇなー。んじゃ、ウチはこれから授業やから。ほななー」
満面の笑みを浮かべながら、ひらひらと軽く手を振ってみやびんは保健室を後にする
みやびんが去ったのを確認して、69は机の棚から煙草を取り出して火をつける
紫煙を吹かしながら、69は何か考え事をするように少し唸るが、「ま、いいか……」とだけ呟いて、考えるのを止めた
鼻歌交じりで、足取りも軽く職員室に戻ったみやびんを待っていたのは、そわそわして落ち着かない様子を隠そうともしない無害の姿だった
そんな彼の姿を見て、みやびんは少し呆れ気味に眉を顰めるが、すぐにいつもの愛嬌のある顔に戻って、無害に近づく
みやびん「戻ったでー」
無害「あっ……み、みやびん先生!どどどどうでした?」
みやびんの姿を見るや否や、期待に満ちた眼差しを彼女に送る無害
そんな無害に少し意地悪してやろうか、と一瞬みやびんは考えたが、すぐに思い止まって指で小さな丸を作り、それを無害に示す
そのOKサインに、無害の表情が何時になく明るくなる
無害「う、うおおお!あ、ありがとうございます、みやびんせんせぇぇぇ!」
みやびん「あぁぁ、抱きつくな鬱陶しい。一応お膳立てはしてやったで。後はお前さん次第や」
無害「ありがとうございます…!ありがとうございます…!」
感謝のあまり、仏像でも拝むようにみやびんに手を擦り合わせる無害
みやびん「拝むんやない。…ったく……まぁええ。19:00に駅前や。遅れるんやないで?」
無害「は、はい!ありがとうございます!ヒャッホーイ!」
手短に待ち合わせの時間を聞いて、無害はスキップしながら職員室を出て行く
あまりのはしゃぎっぷりに、みやびんはおろか傍らに居たいつもの・どりもぐの両名も若干引いていた
みやびん「………さっきまで自殺しようとしとったヤツの態度やあらへんな……」
どりもぐ「…ですね」
いつもの「いつもあれくらいポジティブでいてくれると助かるんですが……」
三人揃って、はぁと溜め息を吐く。
それに応えるかのように、一限目を告げるチャイムの鐘が鳴り響いた
4.
その後、無害は休み時間にみやびんと軽く打ち合わせを済ませた
何しろ待ち合わせ場所に実際に行くのは別人なのだから、何かしら理由が必要ではないかとみやびんが考えたからだ
とはいえ、特にさしたる理由も浮かばないので「急用が出来た」という旨を無害が伝えることになった、ということに決まった
そのドサクサに紛れて無害が改めて69を食事に誘うという作戦だった
みやびん「どや?完璧やろ?」
無害「えぇ…。何から何まで、ありがとうございます。みやびん先生」
みやびん「えぇわえぇわ、礼なんか。……しかし何で断られたんやろな?割とアッサリウチの話に乗ってくれたで?」
無害「えっ……?そうなんですか?」
みやびん「せや。暇だから別にいいーって言われたで?」
無害「……僕が誘った時は『私なんぞ誘ってないで、他の女を誘え』と、けんもほろろに……」
みやびん「……そうなんか?うーん、増々わからんわ……。まぁええ、後はあんさん次第や。頑張りー」
無害「はい!」
無害の気合の篭った返事により、二人の打ち合わせは終了した
ちなみにその日の無害の授業を受けた生徒達は皆一様に『あんな活き活きとした無害先生は初めて見た。正直、気味が悪い』と語ったとか語らなかったとか
夜、そんなことを言われていたとは露知らず、無害は待ち合わせの場所に向かった
駅前、というのは漠然としすぎではないのか?途中で思ったりもしたが、その辺の空気を読んでいたのか69は改札口周辺の、見通しの良い場所で佇んでいた
無害「69先生」
意を決して、無害は69に声を掛ける
不意に声を掛けられた69は無害に向き直る
無害を見て一瞬驚いたように目を丸くするが、すぐにいつものポーカーフェイスに戻る
69「無害じゃないか。どうした?私はみやびん先生と待ち合わせをしているんだが」
無害「あー……そのことなんですが……」
69「…?」
無害「実はみやびん先生、急用が出来て来れなくなったそうでして……。で、僕に言伝をお願いしたいと……」
69「ほぅ…?」
みやびんが急用で来れなくなったと聞いて、69は眉を顰める
疑われているのだろうか?と無害は一瞬たじろぐ
事実嘘なので、追求されたら無害には隠し通す自信は無かった
が、特に何を言うでも無く69は一つ溜め息を吐き、懐から煙草を取り出して火を着ける
69「……あぁ、そうか。そういうことか……。どうやら、上手い具合に乗せられてしまったみたいだな。おかしいと思ったんだ、突然あんなことを言い出すもんだからねぇ」
そう言ってくくく、と声を押し殺して笑う69
無害「(うわ……やばい、完全にバレてるよ……どうしよ……)」
ただならぬ雰囲気を放つ69に、無害は嫌な汗が流れるのを感じた
無害が固唾を飲んで69の次のリアクションを待ち構えていると、不意に69は顔を上げ、無害と向き合う
その顔は、微かに笑みを浮かべていた
69「そうかそうか用事かー。なら、仕方ないな。……が、このまま帰って一人寂しく飯を喰うのもアレだし……よし無害、付き合え」
無害「……………えっ?」
69「朝、私を食事に誘ったろう?応じてやると言ってるんだ。……それとも、気が変わったか?」
わざとらしい口調で、無害にそう告げる69
無害「えっ……あっ、いや……ぜ、是非ともお供させて頂きたいのであります!」
その問いに、脊髄反射で敬礼までして応えてしまう無害
そんな彼を見て、69は可笑しそうに笑う
無害「あ、あの……69先生……?」
69「ぷっ…くくく……いやいや、すまん。…では、さっさと行こう。勿論、お前の奢りだよな、無害?」
無害「あ、はい!勿論!………で、ですが出来れば……なるべく手加減してほしいかなーっと……」
69「ふっ………さて、どうするかねぇ……」
苦笑する無害に、69はニヤニヤと笑いながら言う
そのしたり顔に脂汗をかきながら、無害は思わず財布の中身を確認してしまう
69「ほら無害、さっさと行くよ!…明日は休みだし、思い切り飲むからね!」
無害「は、はぃぃ…(ひえぇ……もしかして地雷踏んだ……?)」
足取り軽やかに歩を進める69の後を、これからの参上を想像しながら無害は付いて行く
69「(………そういえば明日はバンアレン帯……もとい、バレンタインだったな)」
駅前の表通りを歩きながら、69は街並みの喧騒を見てふと思い出す
69「(………まぁ、たまにはお菓子会社の戦略とやらに乗ってやるとするかな……)」
そう思い立った69は適当な洋菓子店に目を付ける。今この時期は、どこにでもチョコとそれが放つ甘い香りが鼻に点く
69「無害、ちょっと待っていろ」
短くそう告げて、目の前の洋菓子店に入っていく69
残された無害は、69の後ろ姿を見ながら首を傾げていた
69「(……こういうのはよく分からんからんな……。まぁ、適当でいいか)」
店内に入った69はざっと辺りを見回して、目に付いたチョコを一つ無造作に取る
そのまま早足で会計に向かう。レジに表示された『¥3000』という数字を見て、69は思わずギョっと目を見開いた
69「(しまったな……適当に選びすぎた……。何だこれチョコの癖に高すぎるだろ……)」
心の中で悪態を付きつつも、今更値段を見てから選び直したと思われるのも癪だと、そのまま会計を済ませる69
69「(……やれやれ、予想外の出費になったな……)」
値段からして中々の高級チョコを片手に、69は無害の元へ戻る
そして、それをそのまま無造作に無害へと投げ渡す
無害「っと……。えと……69先生、これは……?」
いきなり渡された包みと69を交互に見ながら、無害がまじまじと訪ねる
69「…世間様はバレンタインとやらにお盛んらしい」
無害「……?」
69「だからそのチョコ、お前にやる」
無害「…………まままマジっすか!?」
69「本気と書いてマジだ。いいから取っとけ」
無害「は、はい…!うおぉぉぉ……超嬉しいッス!家宝にしますね!」
69「…アホか。ナマモノなんだから、ちゃんと食え。行くぞ!」
無害「あわわ…ま、待って下さいよー69せんせー!」
スタスタと歩いていく69の後を、無害は慌てて追いかけていく
こうして、殉教者の記念日の前日の夜は更けて行く
様々な恋人達の思惑を孕みながら……
了