「今日の練習はここまで。みんな、お疲れ様なのだ!」
「「ありがとうございました!!」」
剣道場から威勢のいい声が響く
いつもと変わらない光景・・・と思ったがどうやら違ったようだ
幸い暇を持て余していたので顔を出しに行くことにした
KING「き、きょうの練習は・・・いぃ、いつもより・・きつ・・・」
最低「み、水を・・・水ぅぅぅぅっ」
道場を覗いて見ると、KINGと最底辺が今にも死にそうな様子でこちらへ歩いてきた
その姿はさながら生きた死体のようである
――「よう、練習お疲れさん」
最低「あ、あぁ・・・なんだ、としあきじゃないか」
――「なんだ、今日は特にきつそうだな」
最低「うん、今日の先輩、妙に張り切ってるみたいで・・・ちょっとソワソワしてたような気も」
KING「あー、それ私も思ったー」
――「? 今日は別にドルチェの安売りとかあるなんて聞いてないけどなぁ」
そうこう無駄話をしている内に二人とも多少ながら復活したようだ
声にいつもの調子が戻ってきている
・・・その一方で他の部員は一人残らずグロッキー状態なのだが
――「それにしても今日はすごいな・・・この光景、文字通り―」
⑨「死屍累々、ですか?」
予想外の声に驚いた俺はその声のした方向を向く
最低「あ、⑨まだ先輩じゃないですか、いつから見てたんですか?」
⑨「最後の係り稽古を始める辺りかしら・・・練習の邪魔にならないようにこっそり見学させてもらったわ」
――いや、道場の中にいたんだからそれは堂々と、の間違いじゃなかろうか
と、⑨先輩の登場に場の空気が少し柔らかくなったのを感じた
それにしてもどこからともなく現れるなこの人は・・・しかしこうふわふわと、文字通りいろいろと柔らかそうだ・・・
――「いてっ!」
頭が何かで叩かれる感触
⑨先輩の手にはいつの間にやら竹刀が握られていた
⑨「えっちなこと考えてたとしあきくんにはおしおきですよ」
KING「あはははは、やっぱりとしあきはスケベだなぁ」
――「う、うっさいわ!」
スケベな人と認定されてしまったようだ・・・ひ、ひていはしない!
「あ、主様っ!!」
まるで、待ち侘びたプレゼントを貰った子供のような声と共に、トタトタと足音が耳に入る
胴衣姿のテケちゃんである
⑨「あらテケちゃん、こんにちは」
テケ「主様、こんにちはなのだ」
⑨「練習お疲れさま・・・今日も精が出るわね」
テケ「あ、主様はテケが守るのだ・・・テケはもっと強くなるのだ」
⑨「ふふっ、じゃあ頼りにさせてもらうわね」
テケちゃんはそういいつつ頬を赤く染めて下を向いてしまった
もうテケちゃんが可愛くて見てるだけで悶えるとかそういうレベルではなかった
なにこの・・・なに?
と、顔を赤くして数秒ほどフリーズした所で何かを思い出したようにテケちゃんの顔が上がった
テケ「そ、そうなのだ! 今日は主様とお出掛けがあるのだ! すぐに支度するのだ!!」
⑨「あら、まだ予定してた時間には早いけど・・・練習で疲れてるでしょう? 少し休んでからでいいのよ」
テケ「いえ、主様を待たせてしまっては申し訳ないのだ! すぐ用意するので少しだけ待っててほしいのだ!」
そう言ってテケちゃんは現世斬の如き速さで女子更衣室へ消えていった
普段のテケちゃんも可愛いが頬を染めてもじもじしてるテケちゃんもまた格別であ・・・ん?
―ーちょっと待てよ、"主様とお出掛け"だと・・・?
――「・・・⑨まだ先輩、テケちゃんとお出掛けするんですか?」
⑨「ええ、前にテケちゃんと約束しててね・・・ほら、最近練習忙しかったから」
――「二人でお出掛け、ですか?」
⑨「そのつもりだけど・・・」
今、俺の中のもう一人の・・・いや、俺の中のオレオ上院とオレオ下院が全会一致である訴えを進言してきている
最低「お、おいとしあき! さすがに今回は空気読めって!」
KING「としあき、KY!KY!」
――今の俺には外野の野次はもう届かない
己が欲望のままに!
己に素直になれ・・・俺はとしあきだ!
もはや今の俺を誰も止めることはできなかった
俺の行動を察知して寄ってきた最底辺から竹刀を奪い⑨先輩に向かって宣言した
――「⑨まだ先輩、失礼を承知でお願いがある・・・俺を"お出掛け"に同行させてくれ!!」
――何故か奪い取った竹刀を⑨先輩に向け突き出していた
なんかのマンガでも読みすぎたのか身体が勝手に動いていた
⑨「・・・としあきくん、それ、本気でいってる?」
――「本気です」
⑨「そう」
あれ、さっきまで柔らかくあたたかーな空気がちょっと冷たくなってきたぞ
何か地雷を踏んでしまった気がして最底辺とKINGへ目線で助けを求める
最KIN「ブンブンッ(全力で顔を横に振る音)」
ちょっと嫌な汗が背筋を流れる
何だろう、一瞬温和の象徴であるはずの⑨まだ先輩から冷気が漏れたような気がした
⑨「・・・そう、わかったわ」
場の空気が瞬時に元に戻る
そこにはいつも通り物腰柔らかな⑨まだ先輩の笑顔があった
張り詰めた空気が緩んだ反動で思い切り息を吐く
いつの間にか息をするのを忘れて・・・いや、できなかったのかもしれない
ともかく自分の軽率な行動に猛省、軽い冗談ということで場を収めようとした
――「すみません、さっきのは冗d」
⑨「としあきくん・・・ちょっとだけ時間、いいかしら」
弁明の言葉が遮られる
気づけば⑨先輩は道場の真ん中に移動している
その手にはまだ一本の竹刀が握られていた
突然の⑨先輩からの誘い、予想外の出来事に俺は困惑しながらも道場へ足を踏み入れる
俺が道場の中に入ってきたことを確認すると⑨先輩の口が開いた
⑨「としあきくん、私と簡単な勝負をしてみない?」
――「勝負・・・ですか?」
⑨「ええ、ルールは簡単、としあきくんが私に触れたら勝ち・・・たったそれだけのことよ」
普段の⑨先輩からはあまり想像もできない誘いだった
――⑨先輩に触るだけ? あまりにも簡単じゃないか・・・これなら目を瞑ってたってできる
――「⑨まだ先輩、それ、本気で言ってます?」
⑨「本気よ」
――「・・・わかりました」
この後⑨先輩から詳しいルールの説明があった
1.としあきが⑨の身体に少しでも触れば勝ちとなる(衣類含む)
2.としあきが戦闘続行不可となる、及びギブアップを宣言した場合⑨の勝ちとなる
3.お互い武器(竹刀)の使用は認められる。また、武器は手足の延長としてみなす
4.武器の破損による破片、または投擲による接触は無効とみなす
――なんとも甘く見られたもんだ・・・このルールで⑨先輩に負ける要素がない
そう思いつつ俺は防具を着けていく
普通、剣道の防具は慣れていないとその視界の悪さと、防具自身の窮屈さに動きが鈍る
剣道部員ではないとしあきもその例外ではなかったが、防具はいらないという⑨に対するハンディとしてこれを背負うことにした
垂れ、胴を着け頭に手拭いを巻いたところで最底辺が耳打ちをしてきた
最底「としあき、おまえ正気か?」
――「なにが? だって相手は⑨まだ先輩だろ、正直負ける要素がないぞ」
最底「・・・おまえ知らないんだな、あの噂」
――「噂?」
鸚鵡返しに尋ねる
⑨先輩に関する噂は今まで聞いたことが無かったからだ
最底「いつだったか、先輩が街でおっかない連中に絡まれたことがあったんだ。
大の大人数人、先輩も多勢に無勢でピンチに陥ったわけだ」
――「・・・ちょっと待て、まさかとは思うが・・・」
最底「そのまさか、そこを通りかかった⑨まだ先輩がその大人たちをやっつけて先輩を助けたんだ」
信じられなかった、あの⑨まだ先輩に限ってそんな話信じられるわけがない
いや、誰も彼も信じられなかったから噂でしかないのかもしれない
だが話をする最底辺の顔は真剣だった・・・こいつも空気が読めない人間じゃないはず
最底「うちの部員は皆この話を信じてるよ。いや、信じないはずが無い」
――「マジかよ・・・」
周りを見渡す
道場の壁際、俺たちを囲うように事の成り行きを見守る剣道部員たちの顔に笑顔はなかった
あるのは俺に対してであろう哀れみの目、これから起きる出来事を目に焼き付けようとする期待の目・・・
全員がこの様子に固唾を呑んで見守っていた
⑨「そろそろ始めないとテケちゃんが戻ってきちゃうわ・・・そろそろ始めましょう、としあきくん」
この呼び声は勝利への凱歌か断頭台のギロチンの音か・・・
⑨先輩の実力がどれくらいすごいのか、普段の様子からは伺うことはできないがどうやら本物らしい
この勝負のルールもその実力に裏付けされたものなのだろう
――「・・・今行きます」
ならば、尚更全力でいかねば勝ち目はないだろう
いや、そもそも防具なんていうハンディを背負う余裕なんて俺にあったのだろうか
後悔の念が俺の脳内をものすごいスピードで埋め尽くしていく
すべての防具を着け、竹刀を手に立ち上がる
道場の真ん中、開始の立ち位置がわかるように床に張られたテープが見える
そこに⑨先輩が制服姿に竹刀を携え立っている
いざこうして見ると普段感じない実力者のオーラというものだろうか・・・何かプレッシャーのようなものが肌に食いかかる
KING「としあき・・・」
最底「・・・」
KINGと最底辺に見送られ歩き出す
どこで運命の歯車が狂ったのか俺にはわからない
しかし今の俺にできることは全力を尽くすことだけだ・・・俺は今、命を賭ける瞬間に向かっているのだ
床にある二本の白線を挟んで⑨先輩と対峙する
ちょっと冷気を感じた気がする、たぶん気のせいだ・・・
⑨「ふふっ、緊張してる? 私もよ・・・勝負事となるといつも緊張で震えが止まらないの」
とても余裕が感じられるような様子ではなかった、そんな告白だった
でも、だからこそ驕る事の無い気持ちが強さとなって表れるのだろう、そんな気がした
⑨「では始めましょうか」
スッ、と⑨先輩が目配せをする
道場の入り口にやや小柄な少女の姿が見える
zip「せ、僭越ながら私が審判を務めさせて・・・じゃなかった、務めて頂く方を連れてきました」
⑨「zipちゃん、急なお願いしちゃってごめんなさいね」
zip「い、いえ! せ、せんぱいのお願いだったら何でもします・・・から」
zipとよばれた少女が頬を紅に染めて塞ぎこんでしまった
この先輩ちょっと得体が知れなくなってきた
zip「で、では審判さん、よろしくおねがいします」
??「うむ」
審判らしき人が姿を表す
だが俺の全神経は前方の相手、⑨先輩に向けられている
今更審判が誰かなんて知ったこっちゃない、自分のことで精一杯だ
審判らしき人が勝負開始の合図をするのか息を吸う音が聞こえてくる
とっさに臨戦態勢を取る
⑨先輩も同じように構えの体制を取る
まさに一触即発、お互いの意地と意地がぶつかり合う直前、すでに爆発寸前の火薬庫の様相を呈していた
zip「勝負を始めてください!」
雷影様「マジ許す!」
――テケちゃんとの"お出掛け"を賭けた勝負の火蓋が今、切って落とされた
たぶんつづく