1. テーマ
ジンバブエにおけるインフレーションの今後の展望
2. 目的
去年、朝日系列のニュース番組「報道ステーション」を見ていて、「ジンバブエではハイパーインフレーションが起こっています。買い物をするにも、このようにお金を抱えています。」というニュースをたまたま知った。お金を抱えている人(写真1)を見た衝撃を忘れることができず、今回調べてみようと思った。写真2は、世界一高額な貨幣である。このような貨幣からわかるように、かなり深刻な状態であることがわかる。
写真1 写真2
インフレーションとは何か
インフレーションの歴史とその後
なぜジンバブエでインフレーションが起こったのか
今後の展望
3. ジンバブエはどこか
ジンバブエ共和国、通称ジンバブエは、アフリカ南部の国家。首都はハラレ。アフリカ大陸の内陸部に位置し、モザンビーク、ザンビア、ボツワナ、南アフリカに隣接する。イギリス連邦の元加盟国。
地図1 写真4
現在はロバート・ムガベ(写真4)下にある。劣悪な経済事情に加えて、秘密警察による監視や反体制派への暴力など言論の統制を受けることから世界最悪の独裁国家などと評される。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ジンバブエ
4. インフレーションとは何か
インフレーションとは、
インフレーションを原因別に分類すると、需要インフレ、供給インフレ(コストインフレ、構造インフレ、輸入インフレ、輸入インフレ)、貨幣的要因によるインフレ(財政インフレ、信用インフレ)に分けられる。
5. 過去に起こった代表的なインフレーションとその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 インフレーション
マケドニア王国
世界最古。アレクサンダー大王がアケメネス朝ペルシアなどの国々を征服して、征服先の国家の財宝などを没収して兵士達への賞金に使った事から、その結果ギリシア世界に大量の金銀が持ち込まれて、価格が高くなったのだという。
ピサロによるインカ帝国征服後
大量の金銀がスペインに運ばれた。これらの金銀は主に貨幣となったため、欧州全域で貨幣価値が三分の一になった。つまり物価が3倍になるインフレーションが起こった。 貨幣供給により商工業の発展が起こり、地代の減少のために封建領主層が没落するなどの社会的変化をもたらした。
日本(江戸時代)
江戸時代の徳川綱吉のときに勘定吟味役荻原重秀が、幕府の財政拡大による財政赤字増大と元禄・宝永の改鋳による金銀含有率の引き下げをおこない、インフレとなった。その次の新井白石が幕府の歳出を減らし、正徳・享保の改鋳で金銀含有比率を慶長小判の水準に戻して、インフレを抑制した。 その次の徳川吉宗の享保の改革においても金銀含有比率を維持するために緊縮財政を続けたが、米などの物価が下落したので、元文の改鋳を行い貨幣流通量を増加させ、デフレを抑制した。
ドイツ
第一次世界大戦後のドイツでは、連合国側に対して1320億金マルクの賠償金支払いが課された。しかし、これはドイツの支払い能力を大きく上回っており賠償金の支払いは滞った。これを理由に1923年、イギリスの反対を押し切ってフランス・ベルギーが屈指の工業地帯であり地下資源が豊富なルール地方を軍事占領した。このため、従来の賠償金支払いに加えて、地下資源を輸入に依存せざるを得なくなり、現地で進駐に抵抗するストライキを起こした住民への経済的補償も必要とされた。既に第一次世界大戦中よりドイツではインフレが進行していたが、これらの事態により致命的な状況へと導かれ、空前のハイパーインフレが発生した。この結果、1年間で対ドルレートで7ケタ以上も下落するインフレとなり、100兆マルク紙幣も発行された。
この破滅的な状況下で、ドイツの人々はヴェルサイユ体制への不満を募らせたが、シュトレーゼマン首相のレンテンマルク発行などにより奇跡的にインフレが収拾されたこともあり、この段階では議会制民主主義が揺らぐことはなかった。このインフレ期にアドルフ・ヒトラーが起こしたミュンヘン一揆も、失敗に終わっている。
ハンガリー
ハンガリーでは第二次世界大戦後に激しいハイパーインフレーションが発生した。このときのインフレでは16年間で貨幣価値が1垓3000京分の1になったが、20桁以上のインフレは1946年前半の半年間に起きたものである。1946年に印刷された10垓ペンゲー紙幣(紙幣には10億兆と書かれている)が歴史上の最高額面紙幣であり(ただし、発行はされていない)、最悪のインフレーションとしてギネスブックに記録されている。
6. なぜジンバブエでインフレーションが起こったのか
http://nyonta.com/archives/2008/02/20080220_107.html
ジンバブエの簡単な解説
今までずっと少数派の白人が政治の実権を握っていたが、民主的な選挙で、黒人政治家が増える
↓
とうとう初の黒人大統領が誕生
↓
何を思ったか「植民地時代に強奪された白人の土地資産を黒人へと無償かつ強制的に権限を委譲しなさい」法案を提出
↓
大半の白人が安値で土地資産を売り払って外国へ。
↓
今度は外資系企業に対して「保有株式の過半数を譲渡するように、逆らったら逮捕」法案を提出
↓
外資系企業が国外逃亡する
↓
別に国連もアメリカも、どこの国も経済制裁してないのに、経済制裁と同じ状態に陥る
↓
何もかもの物資が国内で不足するので、
「市場に出回っている物資が不足するなら、物資を持つ物は絶対に市場に売らないといけない」法案を提出
↓
物資の強制売却で、さらに物資不足が深刻化。当然需要と供給バランスが崩れて高値になる。
↓
物資が高値に成り過ぎて買えない人が続出
↓
「物資を絶対に安値で売らないといけない」法案を提出
↓
調達コストよりも遥かに安値で売らないといけなくなったので、当然のごとく利益が出ないから国内企業が次々と倒産する
↓
安定していた経済が、脅威の失業率 & ハイパーインフレ になるのを一年も経たずして達成。おめでとう。
↓
失業者があらゆる物資を強奪し、社会不安が増大、交通機関や警察機関も機能しなくなる。政治も収拾がつかず無茶苦茶に。
7. 為替レートの変遷
グラフ1
2008年から2009年にかけて急激に増加している。2009年において1ドルをジンバブエドルに替えようとすると、1,000,000,000,000,000,000,000,000ジンバブエドルになる。しかし、この金額はあくまでデノミを行っていない場合を想定している。デノミとは、通貨単位を変更することだ。ジンバブエでは、今までに、第1ZWD→第2ZWD→第3ZWD→第4ZWDと、3回デノミを行っている。デノミをすることで、1,000,000,000,000,000,000,000,000ジンバブエドル札を発行する必要がなくなる。しかし、ジンバブエドルに対する信頼が著しく低下するのがデメリットである。
1(第2ZWD)=1,000(第1ZWD)
1(第3ZWD)=10,000,000,000第2ZWD
1(第4ZWD)=1,000,000,000,000第3ZWD
1(第4ZWD)
=1,000,000,000,000(第3ZWD)
=10,000,000,000,000,000,000,000(第2ZWD)
=10,000,000,000,000,000,000,000,000(第1ZWD)
8. あ
9. あ
10. あ
11. 参考文献
写真1
写真2
写真3
写真4
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%82%AC%E3%83%99
地図1
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ジンバブエ
通貨はジンバブエ・ドル(ZWD)。アメリカの評論誌Foreign Policyによれば、2007年調査時点で世界で最も価値の低い通貨トップ5の一つ。世界で最もインフレが激しい。そのため、コンピュータの処理にトラブルが発生していることから、中央銀行はデノミネーションを実施し、大幅な通貨単位の引き下げを実施することを決定した。1000億ドルが10ドルとなり、それに対応した新紙幣が発行された。しかし、さらにインフレが続いたため、12月末には100億ドル新紙幣を、2009年1月には再び200億ドル紙幣と500億ドル紙幣の発行を行った。この時点でジンバブエ・ドルの価値は、250億(25000000000)ジンバブエ・ドル=1米ドルとなった。年間インフレ率は約2億3000万%に達している。(2009年1月現在)
かつては農業、鉱業、工業のバランスの取れた経済であった。特に、白人大規模農家による非常に効率的な農業が行われていた。外貨収入の半数を農産物の輸出で得ている農業国で、かつてはヨーロッパから「アフリカの穀物庫」と呼ばれていたほどであった。
しかし、これを支えていたのは、低賃金で過酷な労働使役についていた黒人達である。その恩恵を本来の国民である彼等が受けることはなく、いくら対外的に経済のバランスが取れていようと、彼らは全く無縁にただ貧困に喘ぎ続ける状況だった。国土の90%以上を所有していた白人農場主には、欧米の本国に住みながらの不在地主も多かった。
しかし白人農家に対する強制土地収用政策の開始後、ノウハウを持つ白人農家の消滅、大規模商業農業システムの崩壊[1]により、農作物の収量は激減。基幹産業の農業の崩壊によって生じた外貨不足は、さらに部品を輸入で調達していた工業にも打撃を与え、経済は極度に悪化した[1]。経済成長率は-12.1%(2002年)を記録し、経済システムは崩壊した。
ちなみに、農場主と地元民との交渉による自主的な返還も多く、すべての土地が強制的に収容されたわけではない。
さらに旱魃により食糧不足が深刻化し、飢饉となっている。加えて欧米各国による経済制裁が影響し、2003年末には600%のインフレが発生。2006年4月には1,000%以上に達した[7]。2008年7月16日ジンバブエの中央銀行総裁は年間インフレ率が220万%に達したという発表をしている。
しかし、実態のインフレ率は更に高いと推測され、例えば1日に3回食料価格が値上がりしている。既に国民は通貨の額面ではなく、重量で取引をする有様だという。同年に発行された500億ジンバブエ・ドルは闇レートですら200円程度の価値しかなかったという。これは事実上ジンバブエ共和国の経済が崩壊している事を意味している。いずれにせよ第二次世界大戦後(厳密にはハンガリーで第二次世界大戦を契機として発生したインフレが、1946年にこれを遙かに上回るインフレ率を記録しているため、1947年以降)としては、ワーストのインフレ率を更新して行くのは確実である。
最近は、中華人民共和国との経済関係を強化しているが、2007年8月23日ジンバブエ政府が国内の外資系企業に対して株式の過半数を「ジンバブエの黒人」に譲渡するよう義務付ける法案を国会に提出、9月26日に通過した。これにより経済の崩壊が決定的になると見られる[8]。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ジンバブエ