いきとはり
「垢抜けして、張りのある、色っぽさ」。
哲学者・九鬼周造氏は、その名著「いきの構造」で、「いき」をこのように定義している。
「いき」は、男女のことである。特に女性の媚態に関わり、異性のある種の緊張関係に入ることを指す。
九鬼氏は、この緊張感が大事なのであって、「緊張性を失う場合にはおのずと媚態は消滅する」といい、
「いき」とは、その美意識が発達した江戸の化政期に大流行した「いきな柄」である縦縞の如く、
二本の線が永遠に交わることのない、男性と女性の二元的対立関係から生まれた感性に他ならない。
「いき」とは、遊里の遊女たちが体現する「媚態」を基層として、
「はり」と「垢抜け」という2つの感性が磨かれてはじめて完成する。
一方、「張り」とは、江戸の民衆が江戸という都市構造のなかで育んだ独特の精神であり、
「垢抜け」とは、気取らない、人生の表裏に精通し、執着を離れた淡白な心境で、
「諦め」といった仏教の無常観と深く関係する心理である。
「いき」は、言いかえれば媚態という性、「張り」という江戸民衆の美的価値観、
古来からの日本人の宗教観が三位一体となって遊里という場で形成された、最もはかなく、
最も繊細でかつ鋭利な美意識であり、それがやがて遊里という場を超えて江戸文化、
近世以降の日本文化の礎をつくり、日本人特有のアイデンティティとして発展を遂げた。