Last-modified: 2006-02-11 (土) 16:31:47

たい

鯛は「めでたい」ものとして、古来より貴ばれてきた。
江戸時代に入ると、鯛は「魚の王」としてますます珍重され、
慶祝事の際には、頭から尾まで完全に揃った尾頭付きが
「終わりを全うし、人生を全うしうる」縁起の良いものとして饗されるようになった。

徳川家光は、寛永三年、上洛の折に立ち寄った駿州(神奈川県)の鯛を大層気に入り、
日本橋の魚商人・大和屋助五郎に命じて大規模な活鯛の流通経路を構築させたという。
その結果、江戸には新鮮な鯛が流通し、武家の間では献上品や贈答品として使われるようになり、
また江戸っ子も鯛を楽しむことができるようになった。

鯛の人気は絶大で、俳文集『鶉衣』では「人は武士、柱は檜、魚は鯛」として魚のなかで最上のものとされ、
また鯛だけの料理法を百二種も集めた『鯛百珍料理秘密箱』という本も出されるほどだった。
そこまで鯛が愛された背景には、当時が徳川将軍家を頂点とした武家社会であり、
凛々しい武士を思わせる姿形が好まれたということ、そして体色である赤が、身分の高さや
吉祥・長寿を表現するための貴色として喜ばれたということがあった。__銅鐘