ドイツ tier8 中戦車
スペック
車体
| 耐久値 | 1,250⇒1,300 |
|---|---|
| 車体装甲厚(mm) | 100/45/35 |
| 最高速度(前/後)(km/h) | 60/20 |
| 重量(初期/最終)(t) | 49.01/48.4 |
| 実用出力重量比(hp/t) | 18.59 |
| 本体価格(Cr) | しるかばーか |
| 修理費(Cr) | うんちぶりっ |
武装
| 名称 | 発射速度(rpm) | 弾種 | 平均貫通力(mm) | 平均攻撃力 | AP弾DPM | 精度(m) | 照準時間(s) | 総弾数 | 弾薬費(Cr/G) | 重量(kg) | 俯仰角 |
| 7,5 cm KwK 45 L/100 | 13.63 ⇒14.28 | AP APCR HE | 198 244 38 | 135 135 175 | 1840 ⇒1928 | 0.32 | 2.3⇒2.1 | 80 | 109 7G 98 | 2,100 | -5°/+20° |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 8,8 cm KwK 43 L/71 | 7.8 ⇒8.21 | AP APCR HE | 203 237 44 | 240 240 295 | 1872 ⇒1970 | 0.34 | 3.2 | 60 | 252 10G 252 | 2,562 | |
| 8,8 cm KwK 46 L/100 | 7.9 ⇒8.21 | AP APCR HE | 223 261 44 | 240 240 295 | 1896 ⇒1970 | 0.31 | 3.1 | 60 | 676 11G 616 | 3,350 |
砲塔
| 名称 | 装甲厚(mm) | 旋回速度(°/s) | 視界範囲(m) | 重量(kg) |
| Panzer 1950 Ausf.A | 152/80/80 | 30 | 390 | 10,500 |
|---|---|---|---|---|
| Panzer 1950 Ausf.B | 120/60/60 | 36 | 400 | 7,308 |
エンジン
| 名称 | 馬力(hp) | 引火確率(%) | 重量(kg) |
| Maybach HL 230 TRM P30 | 700 | 20 | 1200 |
|---|---|---|---|
| Maybach HL 234 TRM P30 | 900 | 20 | 1200 |
履帯
| 名称 | 積載量(t) | 旋回速度(°/s) | 重量(kg) |
| Panzer 1949 | 52 | 28 | 15,000 |
|---|---|---|---|
| Panzer 1950 | 58 | 30 | 15,000 |
無線機
| 名称 | 通信範囲(m) | 重量(kg) |
| FuG 5 | 310 | 50 |
|---|---|---|
| FuG 7 | 415 | 70 |
| FuG 12 | 710 | 150 |
乗員
| 1 | Commander | 2 | Gunner | 3 | Driver | 4 | Radio Operator | 5 | Loader |
|---|
隠蔽率
| 固有隠蔽率 | 静止時 | 0.1828 |
|---|---|---|
| 移動時 | 0.1372 | |
| 発砲補正 | 0.2090 | |
派生車両
| 派生元 | VK 30.02 (D)(MT/1,369,000) |
|---|---|
| 派生先 | Pz.Kpfw. IX(MT/?) |
概要
余分なところが薄く強化されたはずのパンターII
連合国軍を追い返しなんとか講和に持ち込めたナチスドイツが(これ以降も戦争は続いていくのだが)戦後の時代の流れに追いつくために設計した戦車。
この時代はすでにG弾などの高貫通力の主砲の登場により厚い装甲という概念はすでに荒廃してきており、その時代の流れに追い付くためのドイツの努力が見られる。
しかしルート的にみるといままでT-34的な車体が続いてきたVK30.02(D)までの車体から一変しいきなりPanther系の車体になり・・・と複雑なものになってしまっている。
主砲
初期砲塔ではRPMの異様な低さからDPMが低いものしかなくとてもドイツ的な精度や貫通を除くと全くもって使いづらい。
開発ルート的にはPantherIIやE50で開発を済ましていなければL/71→L/100と開発を強いられるため、辛い状況が長く続くのも辛いところである。
改良砲塔に交換すればRPMも標準レベルにまで向上しDPMもPantherIIと同等になる。しかし精度はPantherIIのL/71と比べ精度は同等かそれ以上なものの照準速度は下げられている。
装甲
数値上だけならば正面の防御力が砲塔で120mm(改良砲塔で低下する珍しいパターンである)車体はE50並みの傾斜がついた100mmというなかなかよろしいものになっているが、車体正面下部は装甲厚45mmと傾斜を加味しても側面よりわずかに硬い程度に過ぎずE50のような車体構造も影響し大きな弱点となっている。
また側面や背面は車体は45/35 砲塔でさえ改良砲塔で60/60とこちらもやはりE50のような傾斜も影響して明らかにペラい。
車体正面上部や防盾のついた砲塔正面ならば格上の砲弾ですら弾く可能性がある硬さを見せるが、それ以外の部分が極端に薄いというこの戦車の特性は珍しい。
なお車体下部を貫かれることによる火災は発生しないが、エンジン損傷が起きる可能性があるため危険な部位である。
機動力
あちこちの装甲を削って犠牲にしたことにより重量が軽量化した上にPantherIIの900馬力という大出力エンジンが搭載されているため機動力は(重装甲なドイツ中戦車としては)速い。
しかしいくら軽量化といえど限界はあり、加速力としては普通の中戦車より若干速いか普通か程度に収まっている。
最高速度としては60/20という中戦車として破格レベルの速度であるため下り坂を走り続けた場合中戦車のしかもこの重量級の車両らしからぬ機動力を見せるが、この最高速度を発揮するためには重量が重いため平地では50km/h程度上り坂では30~40km/h程度が限界である。
また旋回性は低く初期エンジンの数値であるため考慮する必要があるが、PantherIIよりは旋回が速いものの同格のMTの中では旋回は遅い。
重量がE50ほどではないとはいえ重いため制動距離が妙に長いという問題もある。
Pantherルートとの比較ばかりのためこれまでのルートとの比較をすると、加速力としてはVK30.02(D)より微妙に低下、最高速度は上昇Pz.III以来の60km/hの大台に乗ったものの旋回性は大幅に低下した。
つまるところVK30.02(D)ルートから大幅に性能が切り替わっており、ここまで順調に進んできた人々にとってはとても困惑しかねない大幅な変化である。
隠蔽率
これまでのルートではT-34のような車体であり車高が低かったため隠蔽率も高い部類だったが、ここにきてPanther系の車体に変わったため急激に隠蔽率が低下。同格のMTで最下位を争えるのはもちろん、名前を伏せて(PantherIIと一緒に)HTの中に混ぜても違和感がないレベルの低さである。
そのためこれまでのルートと同じような感覚で運用することはすなわち被弾≒死であり大変危険である。
総論
これまでのルートとは性能がほぼ180°転換しており、これまでのルートの感覚での運用は明らかに不可能で、この車両の特性はVK30.02(D)まで進んできたルートというよりPantherルートの車両である。
しかしPanther系の車両としては機動力がやや高く、(その系統の全車両そうだろといえばそうではあるが)やややわらかいと微妙に違い、結果的にドイツ戦車としては異端な車両になってしまっている。
VK30.02(D)ルートの運用をこの車両に引用することは大変危険であり、繊細な運用が求められる。
運用としてはPantherIIと同様精度の高さのため遠距離からの支援射撃が有用だが、極端な隠蔽率な低さからカモネット+カモスキ+15mルールでも全く油断ができない。
機動力はPantherIIよりもあるため陣地変更や回避行動が取りやすいが、装甲は正面の一部を除き全体的に柔らかいためHT不足時などでどうしても起こる前線での戦闘や回避失敗による被弾に対してはPantherII以上に弱い。
どうしてもこのルートにいるという都合上苦行的な扱いも受ける哀れなこの車両だが、性能をよく見るといいところもあり、運用次第では戦況を変える可能性すら秘めた車両でもある。
史実
独ソ戦以降窮地に陥っていたヒトラー率いるドイツは様々な幸運などが重なりどうにか以前の領土を回復した上で1946年に講和という大きな戦果を残して停戦に持ち込めた。
講和以降連合 枢軸どちらの国内も疲労しきっており、軍隊の開発などもってのほかな状況になっていた上大戦後の国際的な軍縮政策によりさらに軍隊の開発は遅れていた。
しかしドイツは先の大戦において窮地に陥った理由や他国との装備との比較によってその問題点を羅列し、1949年から陸海空それぞれの装備の開発を再開した。
その時に計画された大量の計画の内先の大戦までに開発されていたPantherやE50などの影響を強く受けつつ装備を単純化などドイツ軍の装備の問題点を改善したこのPanzer 1949から成る一連の計画(Panzer1949 Panzer1950 Panzer1951 それぞれ日本語で〇〇年式戦車と言われることもある)である。
戦時中のドイツで積まれた戦車製造の経験を流用しつついくつかの問題を改善できるなどかなり意欲的な設計であったが、G弾の登場や同時期に提出されていた設計図との競争 かつて併合・属国化した国々(チェコやフランスなど)での戦車開発意欲の向上など様々な影響で試作車両が製造された時点でヒトラーの判断により開発中止となった。
結局1951年まで続いた開発競争では一部の支援戦闘車両や旧来の戦車を改造改良しただけの車両の計画、高コストな車両など運用が厳しい車両の開発中止が承認されたにとどまり新規の計画に進展はなかった。
この競争のノウハウは後の車両に生かされていくことになるが、その時期が第三次世界大戦の足音が迫る1956年だったためこの時期に何も車両を開発できなかったということに対しての批判は根強い。
