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全く驚かなかった、と言えば嘘になる。
しかし、その驚きは、客観的に考えれば状況に不相応な程に小さくて――ああ、とフォロンは理解した。その
理由。何故自分が、コーティカルテに、誰よりも傍に居たいと、居て欲しいと思った紅い精霊に、これほどまで
に決定的な状況を見られ、こんなにも落ち着き払っているのかという、その理由。
結局のところ。
自分の傍に彼女が居ないという事実こそが、信じようとしても信じられない程に無理のあるユメなのだ。
「――コーティ」
フォロンの言葉に、窓の傍に佇む少女は何も答えず、ただ、ちらりと僅かに一度、その視線を、血の色を思わ
せる赤い瞳をこちらへと向けた。
……それだけ、だった。
「こんばんは、コーティカルテさん」
柔らかな声を上げたのは、フォロンの首に手を廻したプリネシカだ。銀色の少女は、自らの乱れた身体を隠す
素振りも見せず、くたりとフォロンに凭れ掛かる様にしな垂れた。
「覗き見はよくありませんよ――何時から、居たんですか?」
「たわけ」
返す少女の言葉は、何処までも固く、冷たかった。
「私はフォロンの契約精霊だぞ。私の全てはフォロンのもので――フォロンの全ては、私のものだ」
「そうですか。……手に入れるのに、随分と苦労したんですけどね、あのお酒」
「だろうな。あんな悪酒は初めてだったぞ。見た目がいいだけ、性質が悪い……ふん。おまえそっくりだ」
「恐縮です――まさかコーティカルテさんに、外身を褒められるなんて思いませんでした」
鏃のようなコーティカルテの視線に対し、恥ずかしげに、くすり、と笑うプリネシカ。
怖気の気配すら感じさせぬその振る舞いは、何故だろう、救いを見出した求道者の懺悔にすら似ていた。
コーティカルテは面白くなさそうに鼻を鳴らし、つい、とその細い腕を上げた。まっすぐに、まるで槍穂か何
かのように、その先をプリネシカへと向ける。
「それで。覚悟は出来ているのだろうな、泥棒猫」
「コーティカルテ!」
いままで聞いたことの無いほどに底冷えした声音。そこに混じった、紛れも無い殺意に、フォロンは思わず声
を上げていた。身体を起こし、前へ――プリネシカをコーティカルテから守るように、身体を前へと移した。
「違う――悪いのは僕だ! プリネシカは――」
「うるさい!!」
弾ける様な。
絶叫にすら似た、言葉。
深い深い紅の瞳に水の揺らぎを孕ませて、コーティカルテはフォロンを見る。眦を吊り上げたそこに窺えるの
は、隠し様の無い憤怒と、そんな憤怒にすら覆い隠しきられていない、絶望にさえ近似した悲しみの色。
「うるさい、うるさい、うるさい――! そこをどけ、フォロン!」
「……コーティカルテ」
「どけと言っている――この、裏切り者……!」
つ、と。
搾り出すように批難の言葉を紡いだコーティカルテの瞳から、一条の流れが毀れた。
フォロンは何も答えない。……答えられる筈が無い。そんな不義理は、こんな結末だからこそ、許される筈が
無い。
フォロンは無言のまま、けれど、動かない。どんな批難も、罵倒も、怒りも悲しみも、全部自分だけに向けら
れるべきだと思う。それこそが責任であり、プリネシカを、コーティカルテのことを唯一と認めながらも他の女
を受け入れた、自分がなすすべき義務であると、そう思う。
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――そう、思っていたのに。
「フォロン先輩」
背後から聞こえた穏やかな声。振り返ると、銀色の少女は穏やかな笑みを浮かべ、首を振った。
大丈夫です、と。
何かを口に含んでいるかのように、言いづらそうに。
「分かっていた、こと、ですから」
「けど」
「大丈夫ですよ」
にこり、と浮かべた笑みは、そんな根拠の無い言葉を信じさせるほどに柔らかだった。
言い返せずに居るフォロンを愛おしむように苦笑して、プリネシカはベッドから降りた。その裸身を隠す素振
りも無く、けれど誇るでもなく、ただ粛々と、コーティカルテへと歩み寄る。その一歩ごとに露になった胸が揺
れ、秘唇からは白い念質な液体が、フォロンが何度となくプリネシカの中に吐き出した精液が、ごぼり、と無粋
な音を立てて零れ落ちる。それを目にしたコーティカルテはその瞳に灯った憤怒の色をますます強めるが、それ
に気づいているのかいないのか、プリネシカはゆっくりと歩を進め、そして。
悠然と、否。
幽然と、紅い少女の前に立った。
コーティカルテはつまらなそうにプリネシカの身体を見やる。観察、という言葉が何よりも適切でありそうな、
そんな視線。
「随分と汚らしい身体だな。見るに耐えんぞ」
「そう、ですか? 私は……とても満足です。満ち足りる、っていうのは、こういうことを、言うんでしょう、ね」
途切れ途切れのプリネシカの言葉。二人分の様々な体液に満たされた銀の少女は、そんな自分の身体を愛しそ
うに見下ろす。
コーティカルテは、苛立ちを隠す素振りも無く頭を振った。
「戯言を聞く気は無いぞ、私は」
「……でしょう、ね」
「ああ」
味気ない言葉と同時に、コーティカルテの背で光が弾けた。精霊雷。プリネシカのそれより荒々しくも済んで
いて、どんな夕陽よりも紅く、貴いものだと理解せざるを得ないそれ。
プリネシカの喉元を掴み上げるように手を上げて、コーティカルテは告げた。
「安心しろ――血の一滴も、残さん」
「コーティカルテ・アパ・ラグランジェス」
必死を宣告する言葉に、しかしプリネシカは動じた様子も見せず、コーティカルテの名を呼んだ。
「一言だけ……いいですか?」
「――よかろう。最期だ。聞いてやる」
傲慢な物言いは、しかし笑いたくなるほど紅い少女に似合っている。
女王の許しを得た少女は、傅くように頭を下げて、
「やせ我慢は、身体に毒ですよ?」
そんな、あまりに無謀な言葉を呟いた。
「貴様――ッ!?」
激昂したコーティカルテの言葉は、しかし、中途で遮られる。
傅いていたプリネシカが、そのまま、流れるようにコーティカルテの身体を抱きしめ、その唇を塞いだからだ。
そうしていたのは、おそらく、数秒にも満たなかっただろう。
驚きに見開かれていたコーティカルテの瞳に理性が戻り――力の限り、コーティカルテはプリネシカの身体を
突き放した。
「きゃっ!?」
驚きのあまり少女としての腕力しか使えなかったのか、プリネシカはその場に尻餅をついただけだった。
自らが振り払った白銀の少女に、コーティカルテは口元を拭い、問う。
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「何をする、貴様!! 何を、何を飲ませた!?」
「分かりませんか?」
問いに問いを返す声は、信じられない程に穏やかで、妖艶だった。
「コーティカルテさんが、いま一番、望んでやまないもの、ですよ」
「――!?」
「私のナカに出されたもの、ですけれどね」
ちろり、とプリネシカは赤い舌を見せる。自分の股に手を差し込み、倒れた衝撃が原因か、秘唇から毀れ出て
いる白い液体を救い上げ、それを満ち足りた表情で口に含んだ。驚きで身動きを取れずに居るコーティカルテに
慈悲深い微笑を浮かべ――再び、コーティカルテに口付ける。
「――!?」
コーティカルテが驚きに目を見開くが、その身体は拒絶を体現し得なかった。
ただ、その喉が、コーティカルテの喉が、こくり、こくりと何かを嚥下する。惜しむように――或いは、待ち
わびたかのように。
ゆっくりと十秒以上の時間を掛けて口移しを終えたプリネシカが唇を離すと、とろりとした糸が紅と白銀の少
女の唇を結んだ。
くすり、とプリネシカは微笑んだ。
「どうですか? フォロン先輩の、味は」
「――ひゃぁっ!?」
聞かれ、ようやく我に返りかけたコーティカルテの首筋に、プリネシカはおもむろに手を伸ばす。自らの契約
精霊が洩らした可愛らしい悲鳴に、フォロンは思わず我が耳を疑った。
プリネシカは満足そうに呟く。細い指を、コーティカルテの身体に這わせながら。
「あは。コーティカルテさん、凄く敏感になってる」
「き、貴様……いい加減に……!」
「ダメですよ、コーティカルテさん――欲しいものは、ちゃんとおねだりしないと。泥棒猫に、奪われちゃいま
すから」
言って、プリネシカはおもむろにコーティカルテの身体を抱きかかえた。突然の行為にコーティカルテはプリ
ネシカの腕を逃れようと暴れるが、その振る舞いは驚くほど弱々しい。
いやぁ、と聞こえたか細い悲鳴は、果たして、誰のものだったのだろう。
「さぁ――コーティカルテさん」
ベッドの上に乗り。プリネシカは、コーティカルテの耳元で囁いた。
「ちゃんと、言えますよね――もう、限界でしょう?」
「……っ!!」
コーティカルテはプリネシカを睨み上げ、しかしプリネシカは涼しい顔でコーティカルテの拘束を解いた。
ぽとり、と。当然のように、紅い少女の身体はフォロンの前に落とされる。
捧げられる。
「コーティカルテ……?」
「――っ!」
不安げなフォロンの呼びかけに、コーティカルテは顔を赤く染めてうつむいた。ベッドのスプリングを軋ませ
ながら、足を閉じるように座り込み、微動だにしない。
……故に、気づくことが出来た。
コーティカルテの身体が、小さく震えている。何かを堪えるかのように。何かを望むかのように。紅色の髪に
覗く耳はその末までもが赤く染まり、半端に開かれた口からは、熱い、湿った吐息が漏れている。上目遣いにこ
ちらを見る二つの瞳に、冷めた色は何処にも無くて――ただ。何かを訴えるような、欲がある。
「――コーティ」
「……フォロン」
名を呼ぶ声は、何処までも切なく、切実だ。
だから、きっと。
確信の理由は、それで十分。
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「ぁ……」
フォロンが手を伸ばしコーティカルテの頬に触れると、紅い精霊は期待に満ちた声を上げた。フォロンは何も
伺わず――何も言わず、指を動かす。滑らかな頬を下がり、顎を経て、ゆっくりと。
服の上から、コーティカルテの胸に手を掛けた。
「……んっ」
ぴくり、とコーティカルテの肩が震えた。震え、それだけだった。
「コーティ」
「……」
紅い少女は答えない。それを何よりの肯定と、催促とみなし――フォロンは、更に指を移した。幼い身体の線
をなぞるように腰を探り、その場所へと至る。スカートの中へと腕を伸ばし、恐る恐る、けれどしっかりと――
コーティカルテの、大事な場所へと指を触れた。
ちゅくり、という湿った感触。
やっぱり、とフォロンは思った。歯を食いしばり、何かに耐えるかのように目を閉じたコーティカルテに、言
う。
「コーティ……凄い、濡れてる」
「……ば、ばかものぉ……言うなぁ……っ!!」
罵倒の言葉は、批難ではなく羞恥を隠すためのもの。
仕方ありませんよ、とプリネシカが囁いた。
「ずっと見ていたんですもんね」
「小娘……っ!!」
「そんな怖い顔をしても、駄目ですよ」
言いながら、プリネシカはその細い指をコーティカルテの皮膚に這わせる。紅の少女に背後から抱きつくよう
にして、その首筋に、頬に、背に、軽く爪を立てるように指を動かす。
プリネシカの指が動く度に、コーティカルテの口から耐え忍ぶような喘ぎが漏れた。
「ほら――こんなに感じちゃってる。無理も……ありませんけどね。ずっと、あんな曲を聴かされていたんです
もの」
「曲……?」
フォロンの問いに、プリネシカは拗ねたような目を見せた。
「フォロン先輩、私を楽器か何かみたいに思っていませんでしたか?」
「え……あ、それは……」
「……いいんですよ、フォロン先輩。怒っている訳じゃありませんし――本当に。信じられないくらい、気持ち
よかったですから」
頬を赤らめたプリネシカは、でも、と言葉を続ける。
「私を抱いていたのに、私じゃない女の人を考えていたのは――ちょっと、不満でしたけど」
「――まさか。僕は、そんな」
そんな器用ではないし、そこまで失礼な、不義理なことをした覚えは無い。
そうですか、とプリネシカは苛むように微笑んだ。
「だとしたら、きっと無意識のうちに、ですね。フォロン先輩、私を虐めながら……ずっと、コーティカルテさ
んのことを考えてた」
「――ふぉろん?」
紅い瞳に涙を湛え、湿った吐息を洩らしながら――ほんとうなのか、とコーティカルテが声を上げた。
違いますか、とプリネシカは言う。
「私とキスをしながら、誰の唇を思いました? 私の胸を触りながら、誰の胸を考えていました? 私の――」
「ふぁっ!?」
するり、とプリネシカの腕がコーティカルテの服の下に潜り込む。
蜘蛛を思わせる妖艶な目つきで、プリネシカは問うた。
「私のナカに出しながら……本当は、誰の何処に出したかったんですか、フォロン先輩は」
「……っ」
分かっている。そんな事は、言われるまでもなく分かっている。
奥歯をかみ締めたフォロンに何を感じたか、ごめんなさい、とプリネシカは謝罪した。
「意地悪な言い方、でしたね。でも――私。嫉妬、してるんです。フォロン先輩は、確かに私を求めてくれまし
たけど。それさえも、コーティカルテさんの影を感じました」
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「プリネシカ……」
「……半端者ですけど。私、精霊でも、ありますから。そういうのには、聡いんです」
ひょっとしたら、純粋な精霊よりも。儚げに語るプリネシカ。
「でも……それでいいと、思います。フォロン先輩は」
「え……?」
「私は、フォロン先輩の一番になろうって――なれるって、思いませんから。それよりも、」
とん、と。力なく、プリネシカはコーティカルテの背を押した。
プリネシカとフォロンに弄ばれていたコーティカルテは、抗う術も無いかのように身体を崩し――フォロンの
腕の中へと、倒れこんだ。
紅い少女を受け止めたフォロンは、ふと、気づく。コーティカルテの肩が小さく震えており、その瞳がとろり
と、まるで蕩けてしまったかのような光を湛えていることに。
「コーティカルテさんを、気持ちよくさせてあげてください」
「……でも、それは」
「大丈夫、ですよ。コーティカルテさんだって――いいえ。コーティカルテさんこそが、フォロン先輩を望んで
いるんですから」
囁くような誘いの言葉の一つ一つに、コーティカルテは何かを否定するかのように首を振るが――いつの間に
か。少女の細い腕は、フォロンを求めるように、拘束するように、誰にも渡すものかと独占するかのように、そ
の首元を抱きかかえていた。
「コーティ」
「……」
耳元で少女の名を呼ぶと、コーティカルテは拗ねたように顔を背けた。
だから。
フォロンは問う代わりに、コーティカルテの身体を抱きしめた。小さな身体。腕の中にすっぽりと納まってし
まう身体を、簡単に壊れてしまいそうな身体を、決して壊さぬように、傷つけぬようにと優しく、優しく抱きし
める。
ぁ、とコーティカルテの口から声が、紛れも無い恍惚の声が洩れた。
プリネシカは拗ねたような、羨むような――それでいて、抱き合う男女を慈しむような笑みを浮かべている。
「コーティカルテ」
少女の首筋。紅い絹糸のような髪に顔を埋め、その耳元で。
フォロンは、求めた。
「僕……コーティカルテが、欲しい」
「――」
少女は答えない。ただ、身体をぴくりと震わせて――フォロンを抱く腕に、力を込めた。
「コーティ」
「……ばかもの」
今一度呼びかけると、少女は小さな声で答えた。
「他の女を抱いたばかりの癖に……私を求めるのか」
「……うん」
「分かっているのか、フォロン……おまえは、そこの小娘に唆されているだけ――なのかも、知れないのだぞ」
「違うよ」
真実の誠実さで、フォロンはコーティカルテの言葉を否定した。
「僕は、コーティカルテが欲しい。好きなんだ、コーティのことが。ずっと――ずっと、前から」
「……知っている」
ぽつり、とコーティカルテは呟いた。
世に在り得る全ての幸福を感じきったかのような、柔らかな声音で。
「――私もだ、フォロン」
「コーティ」
「そこの小娘の言う通りだ――もう、」
言いながら、コーティカルテはこちらを見た。
目の前。互いの吐息を感じる距離で、コーティカルテは猫のように微笑んだ。
「もう――我慢なんて。……できない、ぞ」
つい、とコーティカルテが背を伸ばす。
柔らかく重ねられた唇に、フォロンは強く、優しく――コーティカルテ・アパ・ラグランジェスの身体を、抱
きしめた。