レクチャーVol.1

Last-modified: 2007-03-03 (土) 23:34:03
(文:fujita, 編集: inotch)



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A)25日、実際の街歩きへと向かう前に、お招きした加藤政洋先生に、街歩きについて一時間ほど語っていただきました。ここでは、そのメモをたよりに、一聴取者の立場から、加藤先生のお話を、独自の視点を加えつつ、振り返ってみたいと思います。

当日の街歩き参加者の専門や関心が、人文系に限らず、理系も含めた幅広い分野に渡っていたため、加藤先生は、当初予定されていたより、さらに一般的な次元の話をされたように思います。そのお話を簡潔にまとめるのは難しいのですが、それをあえて要約するならば、話の主題は、「街歩きの意義」だったように思います。「意義」なんて言うと、硬い感じがするのですが、噛み砕いて言うと、「街歩きって何やねん?」「街歩きで何ができるん?」という素朴な疑問への応答とでも言えるでしょうか。もちろん、加藤先生には大変わかりやすくお話ししていただいたため、ここでそれを伝達するにあたり、伝達者の能力不足によって、うまく再現できないのがもどかしいのですが、なるべくわかりやすく伝えることを心がけ、以下、内容の紹介へと移りたいと思います。


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B)さて、街歩きにはどのような特徴があるのだろうか。
街を調べるためには、たとえば、統計処理という手法がある。それは、「そこに行かずとも」できる、つまり、データさえあれば、室内の、それもパソコンの前でできる手法だ。それに対し、街歩きは、「人々が生活するレベルに、自分をひきよせて」、街を見る。つまり、人々が生きている現場に、より「近い」手法なのである。



しかし、街歩きでカバーできる範囲は、とても狭く、その意味で街歩きが扱うのはミクロな領域に限られている。なぜなら、実際に街を歩いてみればわかるように、一気にそれほどたくさんの距離を歩くことはできないからだ。だとしたら、街歩きでわかることは、それほど大したことではないのではないか、そんな疑問も浮上してこよう。しかし、そうではない。ミクロな場所からでも都市全体を記述する可能性があるのではないか、そう、加藤先生はおっしゃる。釜ヶ崎を例に考えてみよう。「ドヤ」と呼ばれる安宿が多く見られ、日雇いの労働に従事する人々が暮らす、いわゆる「労働者の街」、それが釜ヶ崎だ。しかし、釜ヶ崎がそのような場所になったのは、「自然の」プロセスによってではない。「なぜ釜ヶ崎があの場所に成立したのだろうか?」、それを突き詰めていったとき、たとえば、場所の成立と不可避にかかわってくる近代の都市政策といった、人為的な「政治」、それを無視することができなくなってくるのである。そのような場所から、あるいは、そのような場所だからこそ、「都市」全体を逆照射する可能性もあるのではないか、そう、加藤先生は示唆されていたように思う。






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C)街をどう歩くかという疑問に、一つの手がかりを与えてくれるのが文学作品だ。つまり、文学作品において都市がどう描かれているのかを見ていくことは、現在の都市のあり方を考える上で、大きな指針になるのである。それは、加藤先生が取り組んでおられる重要なテーマでもあるそうだ。大阪に即して言うならば、あるいはさらに幅広い文脈に照らし合わせてもそうなのかもしれないが、具体的には、織田作之助、坂口安吾、島尾敏雄といった作家のテクストが、導きの糸になるらしい。この辺りは、こちらの不勉強がたたり、わからない点も多い。しかし、興味深かったのは、碁盤の目のように街路が交錯する都市と、街路が三角形のように積みあげられていく都市という、都市の対照的なモデルについてである。前者は、通常私たちが思い描くような都市で、後者は、たとえば、那覇のような都市のことを指す。碁盤の目のように、つまり街路が四角形に交錯する都市の場合、歩いていてそれほど困難なことはなく、その意味で、歩きやすい都市だ。しかし、後者のように、街路が三角形に展開していくような都市の場合、そんなはずはないのに、歩きながら同じ場所に戻ってしまう経験をされるらしい。つまり、歩くのが難しいのである。そのような都市の場合、同じ風景が異なって見えることが多々あるそうである。




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D)最後に、今回の街歩きの場所を地図で確認しつつ、その場所の歴史的背景や、街歩きの注意点について語っていただいた。かつての墓地と現在の千日前の関係、ジャンジャン街の成立背景、芸能と都市の関係などである。フィールドワーカーが人間を動物のように眺めているのではないか、といった倫理にかかわる問題、さらに、ジェンダーによって街歩きの経験が異なってくること(たとえば、男しか入っていけないとされている場所に、女が入っていくことの恐怖を想像していただくのがよいだろう)等、今回の街歩きの場所に即して話していただいた。