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性能一覧
| Tier | 6 |
|---|---|
| 耐久値 | 420 |
| 国籍 | ソ連 |
| 機種 | 攻撃機 |
| 乗員 | 1 |
| 最高速(ml) | 270 |
| 機動性 | 73 |
| 火力 | 124 |
| 全備重量(lb) | |
| 出力(hp) | |
| 出力重量比(lb/hp) | |
| 実用上昇力(ft/s) |
機体
| 名称 | HP | 重量 |
| IL-2-1 | 420 | 7716 |
|---|
エンジン
| 名称 | 馬力 | 重量(lb) | 冷却方式 |
| AM-35 | 1350 | 1830 | 水冷 |
|---|---|---|---|
| AM-38 | 1665 | 1918 | 水冷 |
翼内機銃
| 名称 | 口径 | 重量(lb) | 発射速度(rou/min) | 弾速(ft/s) | ダメージ量(s) |
| 7.62 mm ShKAS(W) | 7.62 | 46 | 1818.18 | 800.0 | 46.96 |
|---|---|---|---|---|---|
| 20 mm ShVAK(W) | 20 | 185 | 800.0 | 815.0 | 61.66 |
| 23 mm VYa-23(W) | 23 | 300 | 600.0 | 700.0 | 70.0 |
| 37 mm ShFK-37 | 37 | 1332 | 169.01 | 900.0 | 73.38 |
通常爆弾
| 名称 | 重量(lb) | ダメージ | 攻撃範囲(ft) |
| FAB-50 | 110 | 1000 | 229 |
|---|---|---|---|
| FAB-100 | 220 | 2000 | 295 |
ロケット
| 名称 | 重量(lb) | ダメージ | 攻撃範囲(ft) |
| RS-82 | 15 | 200 | 147 |
|---|---|---|---|
| RS-132 | 51 | 600 | 196 |
| 派生元 | IL-2(TSKB-57P) |
|---|---|
| 派生先 | IL-8 |
解説
史実
イリューシン Il-2(露:Ил-2イール・ドヴァー)は、ソ連のイリューシン設計局が開発した攻撃機。第二次世界大戦において、ソ連軍の主力対地攻撃機として使用された。各形式を合わせての総生産機数は36,163機で、これは軍用機としては史上最多である。 乗組員の中では大変人気があり、あるパイロットはこの航空機に捧げる歌を作曲した。
Il-2は1938年にソビエト中央設計局(TsKB)の設計主任、セルゲイ・イリューシンを長とする設計チームが開発した TsKB-55(ЦКБ-55)を発展させた対地攻撃機である。当初はBSh-2(БШ-2ベーシャー・ドヴァー;「БШ」は「Бронированный штурмовик」すなわち「装甲されたシュトゥルモヴィーク」を意味する)として開発され、その後、採用に伴い機種は「重シュトゥルモヴィーク」(Тяжелый штурмовик)と改められた。原型機のTsKB-55は1939年に完成して初飛行した。その後、軽量化単座型のTsKB-57が1940年10月に初飛行し、各種試験で高い性能を示した。そのため、試験審査の終了した1941年6月より「Il-2」と改称されて直ちに量産が開始され、実戦部隊への配備が進められた。
装甲軍用機自体は第一次大戦中にすでに追求されている。ただしエンジン出力が貧弱、装甲に重量を取られ、完成した機体は鈍重で運動性が非常に悪かった。このため、実用レベルに達したものはごくわずかであった。
ソ連において、装甲された攻撃機の開発は1920年代半ばから開始された。ポリカルポフR-5を改修したTsKB6、改良型のTSh-2、1933年には低翼単葉固定脚のTSh-3が作られた。1938年2月、セルゲイ・イリューシンは新しい装甲された攻撃機の設計案を提示した。彼のアイデアは認められ、原形機3機の製作が指示された。
Il-2は複座型として開発が開始された。イリューシンは、Il-2の胴体のほぼ前半分を鋼板で作った。機体の外板そのものがモノコックの装甲であり、骨格構造、外板、防漏ゴム、装甲板を省略できた。これにより軽量化を図っている。このような装甲板が作れたのは、プレス可能な高張力鋼が開発されたからである。設計が進むにつれ、重量増と航続力の不足から単座へと仕様を変更した。装甲厚はエンジン前部が6mm、エンジン側面が4mm、コックピット側面が6mm(後に8mmに増強)、操縦席背面が12mmであり、これらの装甲の重量は700kgを超えた。イリューシンはこの装甲部分にエンジン、冷却器、燃料タンク、配線、補機類、パイロットを配置した。操縦席の背中と座席下と計器盤の前に燃料タンクが配置されており、パイロットは燃料に包囲されて飛んでいる状態であった。
冷却機構は特徴的で、冷却用空気は被弾確率の低いエンジン上面の吸気口から導入され、ダクトを通じて胴体内の冷却器を通り、胴体下方へ排出される。ただし冷却能力は不足気味であり、滑油冷却器は胴体に設置できず、装甲したうえで胴体下面に設置された。
Il-2の胴体後半と垂直尾翼はジュラルミン不足のため木製であった。この木製胴体部はモノコック構造で、厚さ0.8mm、幅100mmの木のテープを、桁の上に厚さ5mmほど積層し、接着して成形したものである。なお大戦後期には、これらを供給量の増加したジュラルミン製に変更、約100kgの重量軽減に成功した胴体部品も作られたが、生産ラインの関係から大戦中これを採用した機体は作られず、戦後に木製胴体から換装するパーツとして使われている。
主翼は38.5平方メートルと、艦上攻撃機並みに巨大な翼面積を持つ。これは大重量の機体を飛ばすためである。改修により、重量位置を後退させてバランスをとる必要が生じたため、イリューシンは外翼に後退角を持たせた。大きな主翼と重量のため、本機の横転性能や高速性能は決して良くなかった。また、爆弾層はこの翼内部に設けられた。100kg爆弾を専用に用い、最大搭載量は600kgである。さらに翼内にShVAK20mm機関砲2門、ShKAS7.62mm機銃2丁を備えた。後に機関砲が武装強化され、VYa23 23mm機関砲に換装された。主脚は後方引き込み式であり、タイヤの一部がフェアリングの外にはみ出した。これは不時着時に機体の損傷を抑えるためである。主脚の作動には空気圧・または手動を用いた。なお後退角のついた外翼部は試作型では全ジュラルミン製、量産型では木製桁に合板張り、後に金属桁に合板張り、材料の供給が安定した後期には全ジュラルミン製に戻っている。
エンジンにはAM-34FRN、後にAM-35が用いられた。これは離昇出力1350馬力の液冷エンジンであり、1939年10月2日に初飛行した。さらに1940年10月には低空で出力を増強したAM-38(離昇出力1600馬力)が装備され、初飛行した。最大重量6トンの屈強な襲撃機の完成であった。
初期のIl-2は単座機であったが、後方火器がないことから敵戦闘機による損失が激しかった。一線では後方への固定機銃を装着したり、時限信管付きの迫撃砲を撃ち出した例もあった。そこで改良が行われ、装甲を強化、複座化し、12.7mm後方機銃を装備したIl-2M(Ил-2М)が生産された。生産ラインの変更、重量増、重心位置の移動の改設計などの手間から、銃手席には後方に対する6mmの限定的な装甲しか施されなかった。このため銃手の死傷率はパイロットの数倍に達した。完全な装甲防御の施されたタイプは戦争も末期になってからでなければ登場しなかった。
その後、主翼に途中から後退角がつけられたIl-2M3(Ил-2М3)、37mm機関砲や45mm機関砲を搭載した重対戦車シュトゥルモヴィーク型、魚雷を搭載する雷撃機型、エンジンを変更した機体など、多くの派生型が開発・生産された。なお、名称に関してはいくつかのヴァリエーションが見られ、いずれの型も単に「Il-2」としか表記されない場合もある。
膨大な生産数を生かした運用と、機関銃で命中弾を与えたにも関わらず墜落するどころか火さえなかなか噴かない程の頑丈さから、ドイツ空軍からは「空飛ぶベトンブンカー(コンクリートトーチカ)」、「鉄のグスタフ」、「コンクリート爆撃機」と厄介がられ、ドイツ陸軍の兵士達からは「空飛ぶ戦車」、「屠殺者」、「黒死病」と呼ばれ恐れられた。
戦後はポーランド、ユーゴスラヴィア、チェコスロヴァキア、ブルガリア、モンゴルなどいくつかの国で使用されたが、多くの国では後継型のIl-10に代替され1950年代には退役した。
出典: Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/Il-2_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)