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性能一覧 (βv0.4.3.2)
| 耐久値 | 140⇒155 |
|---|---|
| 重量(kg) | |
| 火力 | |
| 対気速度(km/h) | |
| 海面速度(km/h) | |
| 最適速度(km/h) | |
| 最適高度(m) | |
| 最大降下速度(km/h) | |
| 失速速度(km/h) | |
| 上昇率(m/s) | 0.0 |
| 機動性 |
武装
| 同調機銃 | 口径 (mm) | 重量 (kg) | 発射速度 (rpm) | 砲口初速 (m/s) | DPS |
| 2×12.7 mm BS | 12.7 | 43 | 850.0 | 814 | 43 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1×12.7 mm BS | 12.7 | 43 | 850.0 | 814 | 43 |
| 同調機銃 | 口径 (mm) | 重量 (kg) | 発射速度 (rpm) | 砲口初速 (m/s) | DPS |
| 2×7.62 mm ShKAS(S) | 7.62 | 21 | 1600 | 800 | 21 |
|---|
| 軸内機銃 | 口径 (mm) | 重量 (kg) | 発射速度 (rpm) | 砲口初速 (m/s) | DPS |
| 12.7 mm BK (H) | 12.7 | 43 | 975.0 | 814 | 49 |
|---|---|---|---|---|---|
| 20 mm ShVAK(H) | 20 | 84 | 800.0 | 815 | 95 |
| 23 mm VYa-23(H) | 23 | 136 | 600.0 | 900 | 143 |
| 37 mm NS-37(H) | 37 | 340 | 240.0 | 900 | 188 |
| ロケット | 重量 (kg) | 攻撃力 | 加害半径 (m) |
| 6×RS-82 | 7 | 450 | 45 |
|---|
機体
| 名称 | 耐久値 | 重量(kg) |
| LaGG-3-1 | 140 | 2636 |
|---|---|---|
| LaGG-3-66 | 155 | 2600 |
エンジン
| 名称 | 馬力 | 重量(kg) | 方式 |
| M-105P | 1050 | 600 | 水冷 |
|---|---|---|---|
| M-105PF | 1180 | 620 | 水冷 |
| M-105PF2 | 1280 | 620 | 水冷 |
| M-106PV | 1350 | 610 | 水冷 |
解説
史実
LaGG-1(ЛаГГ-1)は第二次世界大戦時のソ連が開発した単発単葉の戦闘機である。優れた戦闘機ではなかったが改良され、後に恐るべき戦闘機となる。
1938年に出された新戦闘機計画に対し前線戦闘機、つまり汎用性のある低高度性能に優れた戦術戦闘機の設計案を提出した。設計にはラーヴォチキン(Лавочкин)、ゴルブノフ(Горбунов)、グドコフ(Гудков)の3人が共同で行なっている。この戦闘機案は当局からI-22として開発することが認められ最優先で開発が進められた。
1939年夏に7機の試作機の製造が並行して進められていたが、これは開発が如何に急がれていたかを物語っている。この間にソ連の戦闘機名称規則が変更されて、設計局名を冠したLaGG-1に変更された。そして1940年3月に初飛行に成功した。
本来ならばこの後十分な試験を終えた後で量産となるのだが、直前の第一次ソ芬戦争で戦闘機の旧式化が明らかとなり、新機体の登場には一刻の猶予も許されなかった。
この為LaGG-1は試験もそこそこに100機の量産が命じられ、試験と改良は実施部隊での運用過程を通して行なうとされた。
部隊での実用試験は当然ながら不評で、その性能はなんとI-16より劣るとされたのである。最高速度は所期の性能に達せず、航続距離は短い、機動性は悪く、機体の取り扱いも厄介であると散々な評価であった。
完全な再設計とエンジン出力の強化が必要とされたが、とてもその時間は無い為、エンジンの換装と共に重量の軽減やできる限りの空力的洗練を行なうとされた。
これ等の改良が盛り込まれた機体がLaGG-3となる。
ラボーチキン・ゴルブノフ・グドコフ LaGG-3 (ロシア語:Лавочкин-Горбунов-Гудков ЛаГГ-3、ラテン文字表記の例:Lavochkin-Gorbunov-Goudkov LaGG-3)は第二次世界大戦時にソ連が開発した単発単葉の戦闘機である。
先に設計された LaGG-1 の試作機は1939年3月30日に初飛行したが、当局が航続距離の要求を800kmから1,000kmに変更したために再設計を余儀なくされた。
またLaGG-1は戦略物資の節減の為に木製としたために重量が嵩んだので、高出力の発動機への換装が要求された。それに応えたのが本機である。
2年後の1941年初頭には量産が始まったが、改良に手間取ったため、実際に運用が始まったのはその年の後半になってからであった。
改良の結果、機動力についてはライバルのBf 109Fを上回るまでに改善されたが、その他の性能で及ぶことは出来なかった。
エンジンのアンダーパワーは完全には解消されなかった上、木材を大量に使用する特殊な機体構造が災いして重量過多になった。
また絶対数を確保するため大量生産に重点を置いたことで量産機には粗悪品が多く、前線に送られた機体の中には最高速度がカタログデータより40km/h以上低いものや、耐空性が無いものすらあった。
被弾してもLaGG-3は鋼管骨組羽布張り構造のYak-1とは違い容易には火を噴かなかったものの、木製の為被弾時に簡単に空中分解してしまった。
パイロットたちはLaGG-3に乗ることは不幸な事だと考え、冗談交じりに「保証付きの塗装済棺桶(лакированный гарантированный гроб、Lakirovanniy Garantirovanni Grob 、頭文字を合わせると機番と同じLaGGとなる)」とまで呼んだ。
度重なる要求に生産中でも改良が続けられ、主翼前縁隙間翼の採用、武装の削減などが行なわれた。
しかし、同時期の他のソ連戦闘機との比較としては機体が頑丈で、初期型は火力も強かった。
出典
LaGG-1 Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/LaGG-1_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)
LaGG-3 Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/LaGG-3_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)

