GIRL FRIEND

Last-modified: 2010-04-02 (金) 13:56:00

100 名前:名無し募集中。。。:2006/01/10(火) 23:52:13.88 0

 

「GIRL FRIEND ~彼と彼女が、もし彼女を助けられたなら~」

 

Sec Ⅰ ~In The Factory~

 

俺はその時、ちょっとやそっとの事では解消しきれないようなストレスを抱えていた。

 

 中学も最後の年度を迎え、嫌でも受験の事を考えなければならなくなる。そして、
それに向けて毎日のように塾に通い、毎日のように課題をこなし…正直、その中に
楽しみを見つけるのはかなり難しい。はっきり言えば苦痛の日々である。
「ったく…」
 眠っている間すら、頭の中で方程式やら化学式のお化けが襲ってくる。うなされて
目を覚ますと、まだ日が昇る前。
「あぁ…またか」
 憂鬱だった。でも、人の前でそんな顔は見せられない。
「もうちょっと寝よう…」
 俺はそんな男だった。ひょっとして、このままそんな風に育ち、大人になっていくの
だろうか…そうならない方がいいんだろうけど。

 

「おっはよ~」
 二度寝の熟睡は、素っ頓狂な声によって強制終了させられた。
「桃子…」
 そう、俺の幼馴染であり、隣の家の住人、嗣永桃子によってである。
「はい、起きた起きた。今日も学校だよ」
「分かってるけどさ…」
「分かってるならさっさと起きてよ」
 そう言うなり彼女は俺の布団を取ってしまった。
「あのなぁ…何で毎回毎回俺の部屋にお前が勝手に入ってるんだよ」
「いいじゃん別に。あんたのものは私のものなの」
「勝手に決めるなよ…」
 毎回こうだ。いつも彼女は俺の家に断りもなくやって来て、断りもなく俺の部屋に
上がり、やれシャーペンだの、やれ消しゴムだのを勝手に持っていく。それを普通に
自分で使うのだからたちが悪い。
「さ、早く着替えて学校行かなきゃ」
「…はいはい」
 いつもと同じ朝が、またやって来た。

 

 俺は学校が嫌いだった。いや、正確に言えば『今のクラスが嫌い』だった。何故か。
それは、教室に一歩足を踏み入れた瞬間に分かってもらえる、はずだ。
「またか…」
 教室に散らばるゴミの数々。そして、グチャグチャになった机とイス。そう、荒れ果てた
教室…とても勉強どころじゃない。
「…なあ、またあいつらがやったのか?」
「…多分ね」
 俺と桃子は顔を見合わせた。その後ろから、のそーっとやって来る一人の女の子。
「…あ、ごめんなさい」
 その言葉で俺が振り向くと、背の高い女の子が立っていた。
「あ、ああ、おはよう」
「おはよう~」
「…おはようございます」
 彼女はそれだけ言うと、無表情のまま自分の席に向かう…荒らされた中心である、
その席に。

 

「…なあ、このまま1年間続くのかなあ」
「どうなんだろうね」
 まだ人もまばらな廊下で、俺と桃子は窓の外を見ながら話していた。未来が不安で
仕方がない。
「あの子も暗いし…大丈夫かな?」
「…さあ?」
 俺がせっかく心配しているというのに、桃子はつれない返事だ。
「ま、お前に訊いてもしょうがない、か…」
「何その言い方」
「別に悪い意味じゃないよ。当事者じゃないし、訊いてもしょうがないよな、ってだけ」
 あんまり悪い言い方をすると桃子が怒ってしまうので、俺は言葉を選んで説明した。
「ま、それもそうか…」
 納得してくれたらしい。俺は内心ホッとした。
「これから、朝の放送を始めます…」
 そんなアナウンスが聞こえてきた。いつもと変わらない朝。でも…そんな毎日が
『いつもと変わらないように続く』という訳ではないという事実を、俺は思いもよらない
体験によって、知る事になる。

 

 3年生になっても相変わらずクラスは荒れていた。不良が騒ぎ、俺や桃子を含むその他の
連中は何も言えずにいる日々。担任教師は指導力不足とかで担当を外され、今は副担任が
担任の代わりをやっている…もっとも、指導力は大差ないけど。
 そんな不良たちのはけ口が一人の生徒だった。
「おい、金貸してよ。今度返すからよ」
「…」
「ほら、貸せよ」
 貸すというにはあまりにも乱暴な形で、その子の財布は奪われた。中にあった500円玉を
不良がふんだくる。
「ちぇっ、しけてんな」
「…」
 不良たちが難癖をつけて去っていった後、その子は何も言わずにお金のなくなった自分の
財布を拾い上げ、何事もなかったかのように一人自分の席に戻る…
 もっとも、その席にしたって、不良グループに壊された机とイスなのだが。

 

 そんな事態が2年生の途中からずっと続いていた。何度かやめさせようとして行動が起きた事も
あったが、結局それはついぞ成し遂げられないままだった。
 でも不思議だ。その子…彼女はどんなに酷い目に遭っても、表情一つ変えない。そして、ほとんど
言葉を発しない。
 俺は決して彼女の事が嫌いではなかった。しかし、『何も言わない怖さ』があるが故に、ちょっと
近づきにくかったのも事実だ。そして、それは桃子も同じだったらしい。ひょっとしたら、みんなが
そう思っていたのかも…
 彼女に罪がある訳じゃないが、結果として彼女と周囲の間には溝ができていた。それは何だか
もう埋まりそうにない気がした。

 

 そんなある日。
「じゃ、出席を取ります」
 いつもと同じように朝が始まった。不良軍団は(何をやってるのかは知らないが)皆、例外なく
朝が弱い。という事で朝のHRにはいない。そのお陰で、教室が静かだ。
「竹中君」
 俺の名前である。
「はい」
「嗣永さん」
「はい」
 桃子は朝から元気がない。というか、眠そうだ。
「…」
 そして、彼女の名前は、どういう訳か今日に限って最後に呼ばれた。
「須藤さん」
「…はい」
 やっぱり彼女はいつもと同じように、小さな声を絞り出した。そう、いつもと変わらない、日。

 
 
 

 の、はずだったのだ。

 
 

SecⅡ Death Factory

 

 昼になった。朝の授業の間中、俺の隣の席で桃子は寝てばかりいた。
「おい、いつまで寝てるんだよ。昼休みだぞ」
「…ん…え、あっ!」
 外は早くも行列ができている。そう、パン販売の行列だ。
「ほら、今日はお前がパン買う日だからな。俺は知らないぞ、っと」
「ケチ!替わりに行ってくれたっていいじゃん!」
「あれぇ?言いだしっぺはどっちだ?」
「…最悪…ケチ」
 桃子はまだ不満そうだったが、とりあえず俺の言うとおりパンを買いに行った。
「…さてと」
 その間に俺は屋上に上がる。うちの学校の屋上は解放されていて、そこで昼ごはんを食べるのが
俺と桃子の楽しみだった。
 階段を駆け上がって、屋上への扉を開ける。すると…そこには先客がいた。

 

「あれ?」
 普段ここに来るなんて、俺と桃子くらいだ。少なくとも、飯を食っている間に人が来るって、あんまり
経験した記憶がない。
 にもかかわらず、今日は先客がいる。しかも、見覚えのある後姿だった。
「何やってるんだ?」
 屋上にはフェンスがあって、その先には細い欄干があるだけだ。彼女はそこを見つめている。何だか
凄く近寄り難い雰囲気。
 今日は日が悪かったのかもしれない、仕方ないから下に降りて別のところで昼飯にしよう…と俺が
思い始めた瞬間だった。
「!?」
 彼女が上履きを脱ぐと、フェンスをよじ登り始めたのだ。まさか…いや、もうそれしか、考えられない。
「おい!」
 俺は猛然と走り始めていた。

 

「な、何やってんだよ!」
 ジャンプ一番、俺は彼女の足に飛び着いた。
「…や、やめてよ…」
 彼女の足がバタバタと上下する。その内に右足が…
「はうっ!」
 俺の頬にモロにヒットした。頬を直撃された俺は屋上の地面に叩きつけられた―我ながら見事なバンプで。
危うくクリティカルヒットするところだったが、頭だけは打たずに済んだ。
「いったぁ…」
 体は痛いが、ここで逃してしまうと彼女が地面の上に落下してしまう。早く下ろさなきゃ…俺はすぐに起き上がり
再び彼女の足にしがみついた。
「離してよ…離してよぉ!」
「うるさい、いいから降りろ!」
 俺が引っ張っていくうちに、彼女の靴下が脱げた。俺の腕の中に残った大きな靴下。
「こっちへ来いって!」
 素足になった彼女に再びしがみ付き、必死にこちらへ引っ張る。その内に彼女の体のバランスが崩れた。
「あっ…」
 大きくバランスを崩した彼女が…また倒れた俺の上に…降って来た。

 

「あいたた…」
 二度もコンクリートの地面(要するに天井か)の上に叩きつけられた俺は肘が痛くなった。が、それより何より…
「ううっ…」
 何とか最悪の事態は免れた。それだけでも十分だ。
「だ、大丈夫?」
 恐る恐る声を掛ける。彼女の顔は髪で隠れているので、こちらからは見えない。でも、彼女の表情は容易に
理解できた。
「…グスン…ヒック…」
 そう、この声で。
「…」
 俺は何も言えなくなった。彼女が飛び降りようとしていたのを止めたのはいい事に決まっている。決まっている、
のだが…何だか釈然としない気分なのは一体何故なのだろう?
「…どうして…」
 珍しく彼女が自分から喋った。思い切り小さな声で。
「え?」
「…どうして…邪魔するの…」
「邪魔も何も、俺がほっといたら…」
 その先は、言うまでもない事だ。
「私の事なのに、邪魔しないでよ!」
 そして、彼女は俺の前から走り去っていった―まるで誰かに追いかけられているかのような、ものすごい速度で。
「…」
 一人佇む俺の前に、彼女の上履きと片方の靴下だけが残った。風がさっきより、心なしか冷たくなって、空が
段々と曇ってきた(ような気がした)。
「おまたせ~!いやー、パンの行列が凄くってさあ、遅くなっちゃった~」

 
 

 遠くで桃子の声がした…が、振り返ろうとする俺の視線は…
 何故か彼女を捉えられず、定まらないものになっていた。

 

「どうしたの?大丈夫?」
 俺の体に何かしらの傷があったらしい。桃子が心配してくれた。
「ああ…大丈夫だよ」
 そう答えてはいるが、何だか不思議な状態だった。体が妙に重い。
「ねえ、これ…誰の?」
「ああ、それは…」
 俺は桃子にさっきここで起きた出来事を話した。すると…
「…ホント?」
「嘘な訳、ないだろ」
 彼女は信じられないといった感じで俺の方を見た。別に俺の方を見たところで、何の解決にもならないけど。
「ねえ、それ…先生に言ったほうがいいよ」
「うーん…」
 言った方がいいに決まっている。でも何故か言おうという気持ちが起きない。
「自殺未遂って事、じゃない?」
「ああ、そうだな」
 そう、事はものすごく重大なのだ。でも…俺は内心、どうしてもこの学校の教師達を信用し切れない。そして、
もしこの事がクラス全体にばれたら…シャレにならないとも思った。
「なあ、桃子、一つお願いがあるんだけど」
「何?」
 俺は内心、ある事を考えていた。

 

「ふーむ…いいかもね」
 俺の提案を聞いた彼女はそう言った。
「やってみる価値はあると思うんだけど」
「でも、嫌がられない?邪魔しないで、って言われたんでしょ?」
「まあ、そうだけど…」
 嫌な予感がした。このまま何もしないと、本当に彼女は…と思ってしまったのである。そして、今のところ、
他に彼女の事を気にかけている奴は(俺の周りには)いなかった。
 やるなら、俺(と桃子)だ。とことんポジティブに(ここだけは)考える事にした。
「やってみようぜ。俺だって、目の前で彼女に死なれたくはないから」
「分かった、協力する」
 やっぱり桃子はいい奴だ。俺はそう思えて、何だか嬉しくなった…が、オチが待っていた。
「だから、今週のパン代、全部払ってね?」
「…はいはい」
 結局、最後は金か。がめつい奴だ…そう思ったところで、チャイムが鳴った。
「ヤバッ、次、音楽じゃん」
「急がなきゃ!」
 俺たちは慌てて教室へ向かった。結局、昼ご飯を食べられないままに。

 

「いなかったね…」
「ああ…」
 彼女は早退したのか、昼からの授業にはいなかった。いじめる対象を失った連中は、教師に突っかかり、
教室の備品に突っかかり、果ては運動場の木に突っかかり…いつものように散々に暴れて去って行った。
「やれやれ…」
 その後始末は、掃除当番に回ってくる。そして、その担当が今日はよりによって俺だ。
「ねえ、どうする?今日からやる?」
「うーん…」
 箒で床に散らばった紙の群れを掃きながら、俺は一人考えていた。彼女のあんな姿を見てしまった以上、
できるだけ早く行動を起こしたほうがいい。
 でも…いきなりやったところで、果たして彼女は心を開いてくれるのだろうか?そして、風当たりは少しでも
いい方へ向かってくれるのだろうか?俺にはその自信がなかった。
 ないなら、やらなきゃいい。でも、やらなきゃ意味がない…困ったもんだ。
「あの子、どこに住んでるんだっけ?」
 俺はふと疑問に思った事を桃子に尋ねてみた。
「えーっと…確か…隣町のアパート…だった気がする」
「そっか…」
 ここから歩くと20分くらいかかる。ここから俺と桃子の家のあたりまで歩いても(逆方向に)10分くらいかかる。
つまりは家から30分…
 考えれば考えるほどマイナスの方向に気持ちの針が向けられる気がして、俺は何だか厭になった。

 

「いいや、やっぱりやろう。やってみようよ」
「…うん、わかった」
 俺がそういい終わった時、掃除時間の終わりを告げるチャイムが鳴った。

 

 学校を出て、二人で隣町まで歩く。あんまり歩いた事のない道を歩くのはちょっとしたハイキング気分で楽しい。
でも…一つ道を間違えると迷い込む危険がいっぱい、ではあるけど。
「ねえ、帰りにどっか寄らない?」
「どこよ?」
「桃、おなかすいたぁ」
「ああそうだな」
 確かに昼ご飯を食べていないからおなかがすいたのは事実だろう。ただ、彼女がこういう言い方をするという
事は…
「何その言い方」
「どうせ、俺に奢らせようと思ってるんだろ?」
「…バレたか」
「パン代まで払ったんだから、今日はもう奢んねえぞ」
 こういう会話もいつもの事だから、俺はもはや彼女の言葉にどうカウンターを取るかなんて、楽勝で考えられる
ようになった。そう、まるで穴埋め問題を埋めるかのように…
「…須藤さん、いたらいいね」
「…うん」
 でも、こっちの事は…まるで化学式を解くかのように難しい。一体俺たちは何をすればいいのだろうか。ここまで
着ながら、俺はまだ自信がなかった。

 

「あ、あのアパートじゃないかなぁ…」
「あれでいいのか?」
「…確か」
 桃子に言われるまま、俺は目の前に見えてきた川沿いのアパートへ向かった。外壁がコンクリートでできているが、
随分と古そうだ。築30年は経過してるって感じだった。
「えーっと…」
 どこの部屋かまではさすがに二人とも知らないので、ポストの表札を見る。
「あ、あったよ」
「どれ?」
「ほら」
 ポストの上の方に「須藤」という字を見つけた。8階のようだ。
「行ってみよう」
 彼女がこの家に住んでいると決まった訳ではないし、もし住んでいたとしても今家にいるかどうかは分からない。
しかも、いたところで出てくれるとは限らないし、ましてや俺たちと話してくれるかどうかも怪しい。こうやって考えると
関門がたくさんありすぎるような気がしたけど、もう始めてしまったのだ、やってみなきゃ。
「ギー」
 今にも壊れそうなエレベーターが、俺と桃子の前で止まった。

 

「ギー」
 また壊れそうな音を立てて、エレベーターが止まった。中は何かかび臭いし、随分と危ない代物のようだ。
「えーと、804、804…」
 二人でその部屋の前に向かうと、呼び鈴すらないドアがあった。
「ここかな?」
「…だね」
 ドアの前に立ちながら、俺と桃子はどちらがドアをノックするかを巡って、お互い尻込みしてしまっていた。
「お前行けよ」
「えー、行こうって言ったのはそっちじゃん」
 ラチが開かない。という事で、仕方なく俺と桃子はじゃんけんでどちらがドアをノックするか決める事にした。
「じゃんけん…ほいっ!」
 結論から言えば、俺が勝った。こういうところで無駄に人生の運を使っているような気もするが、まあいい。
「結局私?」
「そういうことだ」
「ちぇっ」
 桃子は少し悔しそうにしながら、ドアを2度ノックした。返事はない。
「あれ?留守かな?」
 もう一度彼女がドアをノックしたが、やっぱり返事はなかった。本当に留守なのか居留守なのかは分からないが
とにかく出て来そうにない。
「仕方がない、帰るか…」
 俺は桃子にそう言うと、エレベーターのボタンを押した。完全な空振りだった。

 

「ひょっとして、違うところに住んでたのかもね」
「ああ、そうかもな。調べればよかったな」
 二人でそんな事を言いながらアパートを出て歩いていると、右手に公園が見えた。もうじき日が暮れる時間の
公園はめっきり人も減って、数人の子供達が遊んでいるだけだった。
「ねえ、あれ…」
 桃子が素早く何かに気づいた。
「ん?」
 俺が振り向くとそこには…大きな背中の女の子が一人、ベンチに肩を落として座っていた。
「もしかして…」
「…多分、そうだな」
 俺と桃子は意を決して、公園の中に足を踏み入れた。ベンチに座っている女の子は俺たちの存在に気がついて
いないようだ。
 二人の足は、ベンチの少し前で、止まった。
「あの…」

 

「…!」
 彼女は二人の(というか、俺の)姿に驚いているようだった。相変わらず何も言わないが、その様子は目で分かった。
「ごめんね、驚かせて」
 先に俺が喋り始めた。
「…何でいるの…?」
 彼女はまだ俺たちを恐れているようだ。まあ…仕方ないか。
「こいつに聞いたよ、話は…」
 桃子が話し始めた。どうでもいいが、こういう時に『こいつ』はどうかと思う。
「…誰にも言わないで…とゆいたいです…」
 桃子の話を全て聞き終わった彼女は、一言それだけ言った。そして…水滴が一滴、また一滴と地面に落ちていく。
そう、彼女の涙…
「ねえ、須藤さん…」
 初めて俺が彼女を名前で呼んだ。
「…」
「顔、上げてくれないかな」
「…」
 下を向いたままの彼女は相変わらず黙ったままだ。
「さっき、こいつと一緒に話してて…俺、その…」
 どうでもいいが、今度は俺が桃子を『こいつ』呼ばわりしてしまった。まあ、無意識のうちなんだけど。
「…」
 何も反応はない。俺は二の句が継ぎにくい雰囲気を感じて、苦しくなって桃子の顔を見た。すると…桃子が言った。

 

「ねえ、シゲちゃん、ちょっと須藤さんと私の二人にしてくれない?」
 普段やれ『おまえ』だのやれ『あんた』だのと俺の事を呼ぶ桃子が珍しく俺のあだ名、シゲで俺を呼んだ。これは
何かある…俺はそう感じ取った。
「分かった」
 そして、一人俺は公園の外で待った。10分、20分…時間が経っていくのがもどかしい。段々と日が沈んでいく。
「桃子の奴、何やってんだろう…」
 痺れを切らした俺は公園に戻ろうとした…ところへ。
「お待たせ」
 桃子が帰ってきた。
「あれ?須藤さんは?」
「反対側の出口から今帰ったよ」
「そっか…」
 本当はもう一言声を掛けたかったのだが、仕方がない。
「で、何て言ってた?」
「考えてみる、ってさ」
 何とも曖昧な答えだけど、それが今の彼女の精いっぱいの答えなんだろうなと思うと、何だかそれ以上言う気が
起きなくなった。
「なあ、お前、あの子に何を言っ…」
 俺の質問を桃子が遮った。
「フフ、それは女の子同士の秘密って事にしといて」
 そして…
「さ、無事に第一歩も踏み出したし、おなかすいたね。何か食べに行こうよ」
「…またそれか」
 結局俺は桃子にハンバーガーを奢る羽目になった。まあ、今日は仕方ないか…

 

 夜。家に帰って俺は一人今日起きた出来事を思い出していた。そして、その先にある事も考えていた。
「どうしたらいいのかなぁ…」
 自殺未遂まで行ったという事は、(表向きでは表情を変えていなくても)彼女は相当に追い詰められていた事になる。
まずはその気持ちを少しでも楽にしてあげる事から…と思っていたところへ、桃子がやって来た。
「やほー」
「…お前、どこから入ってきたんだよ」
 いくら隣同士、幼馴染とはいえ…いきなり俺の部屋にやってくるなんて、ちょっとどうかしている。
「え?普通におばさんに『上がるねー』って言って来た」
「…やれやれ」
 いつもこうだ。彼女の前にはプライベートも何もない。俺の行動はほぼ全て彼女が知っている…逆に言えば、
彼女の行動もまた同じように俺が知っている…って事だけど。
 だから、お互い(第三者が知らない)秘密をたくさん握り合っている。仲が悪くなるとそれをどちらかが(まあ、俺は多分
そうじゃないだろうけど)バラす恐れがあるので、俺と桃子は(嫌でも)仲良くしなきゃいけないのである…
 ま、秘密って言ったところでそうそう大したものがある訳じゃないけど。

 

「でさ、さっきの事なんだけど…」
 桃子が俺に話しかけてきたのは、俺が目の前のサイダーを飲み干した時だった。
「うん」
「どうしようか?」
「何が?」
 俺が訊ねると、桃子は少し考えてから答えた。
「須藤さん、ホントは、嫌じゃないかなあ、って…」
「ああ…」
 確かにそれを突かれると辛い。彼女からしたら、ただのお節介にしか思ってないかもしれない訳だし。
「そうだよな…」
 彼女のあんな姿を目撃してしまって、俺は衝動的に閃いた事を桃子に話して、それを実行に移したのだが…
何だか自信がなくなってきた。
 俺は相当に落ち込んでしまっていたらしい。桃子が慌てて取り繕った。
「で、でもさ、ほら、そうと決まった訳じゃないし…大丈夫だよ、きっと」
「ならいいけど」
 目の前にはやらなきゃいけない参考書が平積みされている。そして、頭の中で別のやらなきゃいけない事が
俺の頭にどんどんと浮かんでくる。発狂しそうだ。
「…ま、明日になれば分かるさ」
 俺は桃子にというより、自分に言い聞かせるようにそう言った。明日、彼女が来れば、また話をしてみればいい。
「そうだね」
 その言葉で桃子も納得してくれた。そして、しばらくして彼女は自分の部屋に戻った…俺の部屋から窓越しに見える
部屋に。

 

「長い一日だったなぁ…」
 日付が変わろうとする頃、俺は一人布団に入って、今日の出来事を(再び)思い出していた。
「…」
 あの時、俺が屋上に上がらずにいたら、こんな事をしていなかっただろう。そして、彼女は俺に止められる事もなく
あのまま屋上から飛び降りていたに違いない。
「…もしそうだったら…」
 考えるだけでぞっとした。いくら今までに接点がほとんどなかったとは言え、クラスメートが自殺したなんて、シャレに
ならない。
「…」
 そう考えたら、俺はいい事をした事になる。でも、彼女はそう思ってくれているかどうか…
「あぁ、いけね」
 そう考えちゃダメだと思っていたのについつい考えてしまう。全く、困ったものだ。
「もう寝よう…」
 寝る前に窓を開けて手を振ってくれた桃子はとっくの昔に眠っているのだろう、彼女の家は閑散としている。
「悪い事したなぁ」
 俺の個人的な事に彼女を巻き込んでしまった事を内心詫びながら、俺は眠りについた。

 

 翌朝。
「う…」
 眠い。眠すぎる。眠れなかった訳じゃない。それなりに寝ていた筈なのに、妙に体が重い。
「おっはよー!」
 素っ頓狂な声がした。声の主は言わずもがなである。
「…もう少し寝させてくれよ」
「はいはい、そんな話はいいからさっさと起きる!」
 そう言うなり、彼女は俺の布団を持って行ってしまった。
「あ…こいつ…」
 結局、今日も桃子のペースに乗せられて、俺は一日の始まりを迎えた。

 

 いつもより少し遅めに教室に着く。すぐに中を見回す…が、大きな背中が見えない。
「あれ?来てない…」
「…ね」
 始業時間になっても、彼女の姿は見えなかった。当然の事ながら、出席を取る時もいない。
「休みか…」
 何だか嫌な予感がした。ひょっとして…まさか…考え出すと落ち着かなくなってくる。
「ねえ、どうかした?」
「え?あ、な、何でもない」
 いつもの俺じゃない…結局授業も上の空のまま、お昼になった。
「じゃ、今日は俺が買ってくるよ」
「うん」
 桃子を屋上に先に向かわせて、俺はパンの列に並んだ…でも…なぜか…視点が定まらない。
何だかいつもの俺じゃないような気がして、何だか不安になった。その理由は…自分でも分かる。
分かるけど…直しようがない。

 

「なあ、今日さ…学校終わったら、あの子の家に行かない?」
「え?また?」
 桃子は気が進まないようだった。まあ…そうなるのも無理はないか。
「うん…何か気になってさ」
 万が一、彼女の身に何かあったら…そう思い出すと俺は気が気じゃなかった。
「ま、どうしても行きたいなら付き合うけど…」
 しかし、『しぶしぶ』と彼女の顔にははっきり書かれていた。ま、わざわざ煩わしい事をやっているんだから
仕方がないのだが。
「ごめんな、手間かけさせて」
 はっきり言えば、俺と彼女の問題なのであって、桃子には何ら関係がない。ただ、たまたま俺の幼馴染であり
一緒に行動する時間が長い人だったという理由で、彼女は俺に付き合わされる羽目になっている。
 申し訳ない気がしたが、それでも彼女は優しかった。
「いいよ、せっかくだし、私も行く」
「ありがと」
 俺はちょっとだけ、彼女の評価を心の中で上げた。もっとも…今更評価を改めたところで、二人の関係は腐れ縁、
終わりそうもないんだけど。

 

 放課後。空はどんよりと曇って、今にも雨が降り出しそうだ。俺と桃子は二人で彼女の家に向かう。
「なあ、ホントに昨日の家でよかったんだよな?」
「うん、あの子が合ってるって言ってたよ」
 昨日、俺がいない間に二人が何を話したのか、俺はまだ知らない。本当は知りたいのだが、桃子が教えて
くれないのである。
「なあ、昨日…何の話したんだ?」
「え?だからそれは…」
「秘密だって?」
「…あの子に、そうしてくれって頼まれたから」
 なるほど。俺には教えたくないような話だったという訳か。そう言われると余計気になってくるが、教えてもらえない
なら、まあ仕方がない。
「そっか、分かった」
 としか、言えなかった。

 

 俺と桃子は昨日と同じような道を通って彼女の家の付近にたどり着いた。昨日子供の声がしていた公園には
人気があまりない。雨が降りそうだからだろうか。
「じゃ、行こう」
 二人で昨日と同じように壊れそうなエレベーターに乗る。8階で降りて、彼女の部屋の前に立った。
「コンコン」
 今日は俺がドアをノックした。だが…返事はない。
「やっぱりいないのかなぁ…」
 諦めて帰ろうとしたその時。
「…ガチャ」
 ドアが数センチだけ開いた。誰かいるんだ。
「あ、あの…」
 意を決してそこから家の中を覗き込んでみると、
「…」
 彼女が、いた。

 

「…何しにきたの…」
 その視線はとても冷たくて、俺や桃子に明らかな警戒心を抱いているように感じられた。
「…ご、ごめんね。近くまで来たから、その、つい…」
 必死に取り繕う俺に、彼女は冷たい言葉を浴びせた。
「…もう、私に関わらないで…と…ゆいたいです」
 強烈なアックスボンバー、のようなダメージが俺(と桃子)の心を襲った。その時点でKO負け寸前のように
思えたが、俺はどういう訳かこの時だけはしぶとかった。ドアを閉めようとする彼女に向かって、俺は確かに
こう言った。
「…今のまま、ずっといじめられっ子で過ごしてて、それでいいのかよ?」

 
 

 彼女の表情が一瞬変わった気がしたけど…そのままドアは閉められた。

 

 その日の帰り道は、いつもより心なしか足取りが重いように思えた。
「言っちゃった…ね」
「…うん」
 できるだけ、できるだけ彼女の心を傷つけないような言葉を選んで俺はここまで接してきたつもりだったが、
思わず本音を言ってしまった。
「言わない方が良かったかなぁ…」
 もっと言えば、こんな事を初めからやらなきゃよかったかな、という疑問に最初から戻ってしまうのだが、
まあ、それを言い出すとキリがない。
「いいんじゃない。今までみたいな感じより…良かったと思うよ」
 桃子は俺の言葉に賛同してくれた。いつも俺にたかってあれやこれやとさせる割には、こういう時は
結構優しい。
「そっか、ありがと」
 俺はそう言うと空を見た。夕方の空は曇に覆われていて…程なくその間からぽつぽつと雨が降り始めた。
「あっ、雨だ…」
 急なスコールなのか、降り出した雨はすぐ豪雨になった。
「ひゃあ、傘、持ってきてないよぉ!」
 桃子が叫んだ。そして、走りながら俺に訊ねた。
「ねえ、どっかで雨宿りしない?」
「いいけど…どこだよ?」
「わかんないけど…適当に!」
 そして、俺たちはスーパーの中にあるクレープ屋に駆け込んだ。

 

「ふぅ…すっかり濡れちゃった」
 桃子はハンカチで顔を拭きながら、汚れた靴下を気にしている。
「雨降るとか聞いてなかったし」
 俺はそう言いながら、ホットココアを飲んでいた。店の中には家路を急ぐ買い物客たちが溢れている。
「ね、クレープ食べよっか?」
「…また俺のおごり?」
「当たり前じゃん!」
「…はいはい」
 毎回こうだ。まあ、飽きっぽい桃子をここまで連れてきたお駄賃だと思えば、納得できなくもないけど…
それにしてもちょっと高い気もする。
「いただきまーす」
 俺がクレープをご馳走すると彼女は実に嬉しそうな笑顔でそれを食べ始めた。
「ったく、人の金で食べてんだから、ちょっとはありがたがれよな」
 そう言ってはいるが、俺は内心もう諦めている。恐らく未来永劫、俺が桃子に何かしらのものを『ご馳走』
されるなんて事はきっとないに違いない。ま、そういう付き合いもあっていいのかもな…と思ったりもする。
もっとも、財布が悲鳴を上げそうだけど。
「付き合い、か…」
 自分の考えた事が何か頭の中で引っかかって、俺は窓の外を見た。窓の外はまだ雨だ。
「…ねえ、どうかした?」
「…えっ?あっ、何でもない」
 俺の意識は、すぐに元に戻された。

 

 店を出て元来た道を歩き、桃子と別れて俺は自宅に帰った。時計の針は夜8時を過ぎている。
「こんな時間までどこ行ってたの」
「あー、ちょっとね」
 母親の小言を背中越しに受け、それを振り向かずに返して、俺は自分の部屋に入った。
「やれやれ…」
 家に帰ると自分がやらなきゃいけない事、やった方がいい事が沢山思い出されて、気が滅入る。そう、
俺は今、『受験生』なんだし。
「えーっと…」
 ラジオをつけると野球中継が流れ始めた。それをBGMにして一人参考書を解く。
「6回の裏 2アウトランナーありません。ここまで4安打…」
 ラジオの音が段々俺の聴覚から消えていく。誰もこない夜は、珍しく勉強がはかどった。
「…ふぅ」
 気がついたときには試合も終わっていて、ラジオからは聞いた事のない番組が流れ始めていた。
「あぁ、腹減った…」
 時計を見ると夜の11時を過ぎている。下に降りてご飯を食べて、風呂から出ると日付が変わっていた。
「寝なきゃ…」
 寝床に入った時…俺の脳裏に須藤さんの顔が思い浮かぶ。さっきまですっかり記憶の埒外に置かれて
いたはずなのに…
「…もう、私に関わらないで…と…ゆいたいです」
 その言葉が、脳内でリフレインされ続けて、俺はなかなか寝付けなかった…

 

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