小田喜城:RE

Last-modified: 2016-05-26 (木) 11:38:04

キャラクターデータ

小田喜城(おだきじょう) CV:● イラストレーター:神崎かるな 
小田喜城RE.jpgレアリティ武器属性
槍RE.png平山RE.png
地域
関東・甲信越
上総
築城時間
00:30:00
図鑑説明
わわっ、私、小田喜城って言います!

あの、上総国の御城です。
中世の古城です。

えっと、えっと……あああぁ、強くなれる
ように頑張るので、よろしくお願いします!
キャラアイコンキャラドット
小田喜城アイコンRE.jpg小田喜城ドットRE.jpg

ユニットデータ

ステータス

巨大化初期配置1回2回3回
耐久1043()1251()1460()2001()
攻撃48()55()63()71()
防御46()53()60()68()
範囲180()205()230()255()
回復10()10()10()10()
配置気6(+9)15(+10)25(+17)42
  • ()内はLvMAX時の値
  • 配置気の()内は巨大化時に消費する気の量
  • 表示されているのは特技によるステータス上昇も含む値

特技

耐久強化・壱
自身の耐久が20%上昇

計略

【なし】
-
使用まで-秒消費気-

 

小田喜城について

●ゲーム内でのユニットとしての立ち位置・運用に関する短評や、史実ネタ・ゲーム内ネタ・その他小ネタ等についての記入スペースです
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史実における小田喜城
  • 小田喜城誕生
    • 小田喜城は大永元年(1521年)に真里谷信清が「小田喜城」として築いたのがはじまりとされる。
      • 1521年に何があったかと言えば、風林火山の武田信玄や大内家家臣の陶晴賢が生まれたり、剣豪将軍こと足利義輝の父、足利義晴が室町幕府12代将軍になったりしていた。
      • 国外へ目を向ければ、スペインがアステカ文明を滅ぼしたり、第一次イタリア戦争が勃発したりしている。

  • 真里谷信清(まりやつ のぶきよ)
    • もしかして:真里谷恕鑑(まりやつ じょかん)
    • というのも、wikipediaによれば、同一人物ではないかという説があるそうだ。

      当時の多くの史料においては、「寿里庵恕鑑」という法名で記録されている人物である。その系譜上の実名は「信保」「信清」とされており(『真里谷殿位牌系図』)、確かな史料の上での根拠はなかったが、従来の通説的見解は恕鑑の実名をそのまま信保としてきた。(中略)近年、黒田基樹は当時の史料を精査し、恕鑑在世時の真里谷武田氏の当主と見られる人物が「式部丞信清」と署名した銘の存在を発見し、それに基づき恕鑑の実名を「信清」と推定した。ただし、「信清」は小田喜城(大多喜城)の築城者として同名の人物がおり、小田喜武田氏の祖としての記録が存在し(東長寺所蔵『上総国大多喜根古屋城主武田殿系図』)、その子孫の系譜として、子の真里谷直信、孫の真里谷朝信の流れが別個にある。

  • ちなみに真里谷家は上総武田氏の分家であり、真里谷武田氏と呼ばれる一族である。
    • まぁ、どうせ真里谷家は滅ぼされる。

  • 正木家と里見家
    • 歴史ゲームをしたことがある人ならば、
      「あれ? ここって里見家の領地じゃね? 誰だよ真里谷って」
      と疑問が湧いてくるだろう。
    • 実は信清の後を継いだ真里谷朝信の代の天文13年(1544年)。里見氏の武将正木時茂によって真里谷氏は城を奪われてしまう。
    • 信長が元服したのが天文15年(1546年)。大体の戦国ゲームはこのあたりから始まる。
    • なのでギリギリ真里谷信応が出てくるぐらいなので分からなくても仕方がない。
      • ここら辺の詳しい話を書くと(歴史として当然だが)本が1冊書ける。
      • 簡単に言えば、後継者争いによる内紛で弱まっていた真里谷家を北条家と里見家が攻撃し落城したと覚えればよい。間違ってたらすまん。
    • 以後時茂・信茂・憲時の3代に渡って正木氏が支配して、上総国東部支配の拠点とされた。
    • しかし、天正9年(1581年)に里見義頼との内紛によって憲時が殺害されると、同城には里見氏の代官が派遣されたという。
      • まぁ、どうせ里見家も滅ぼされる。

  • 小田原征伐と惣無事令
    • 天正18年(1590年)、里見氏が惣無事令違反を理由に上総国を没収される。
      • 惣無事令(そうぶじれい)とは天下人豊臣秀吉が出した、大名間の私闘を禁じた法令である。
    • 同国は徳川家康に与えられ、その配下の勇将・本多忠勝が城主となり、大多喜藩10万石が成立した。
      • 本多忠勝は、徳川四天王の一人。手には名槍「蜻蛉切(とんぼきり)」(詳しくは下記参照)、肩から大数珠を下げて戦場を駆け、生涯57度の戦でかすり傷一つ負わなかったという。
      • なお大数珠は自らが討ち取った敵の供養のため。彼女が巻いているのも恐らくソレである。
    • 忠勝は里見氏の北上を防止するために突貫工事を行い、3層4階の天守を持つ近世城郭へと大改築を行い、ふもとに城下町の建設を行った。これが今日の大多喜城である。

  • だからぶっちゃけ、本多忠勝が関係あるのは大多喜城なのであって小田喜城ではない。
    • 真里谷家、正木家、里見家は泣いていい。

  • 大多喜城へと改築された彼女は戦乱の世が終わり、安らかに大多喜藩を見守った。
    • ……とはいかず、江戸時代以降、大多喜城は彼女にとって悲しい出来事が起きてしまうのだが、それはまた別な話である。



蜻蛉切(とんぼきり)について
  • 蜻蛉切とは天下三名槍、日本号・御手杵と並び称される三つの槍の一つ。
    • 特徴として

      「笹穂の槍身で、穂(刃長)1尺4寸(43.7センチ)、茎1尺8寸(55.6センチ)、最大幅3.7センチ、厚み1センチ、重さは498グラム、樋(刃中央の溝)に梵字と三鈷剣が彫られている。三河文珠派、藤原正真の作。(中略)柄の長さ2丈余(6メートル)(wikipediaより引用)」

笹穂? 茎とかって何?
  • 笹穂とは「笹のようなとがった楕円系の刃で、断面は二等辺三角形となっている」という事。
  • 茎(なかご)とは「柄の中に入れ固定するために刃から伸ばした普段見えない部分」を指す。茎には銘を切る(誰が作ったのか掘ること)のでよく日本刀などで何か文字が掘ってある部分を想像すれば大体そんな感じである。
  • 柄とは蕪巻き(かぶらまき)、または血止めと呼ばれる槍の棒の部分の内、丸っこい鍔のような部分から下の部分を指し、この柄を握って槍を扱う。
  • つまり、上の説明は「笹のようなとがった楕円系の刃で、断面は二等辺三角形となっている。刃の長さだけで言えば、1尺3寸、柄の中にまで入れる部分の長さは1尺8寸(中略)持つ部分は2丈余(6メートル)」となる。
  • なので刃と茎も含めた全部の長さは3尺2寸(99.3センチ)。柄も合わせて全長は、およそ7メートルのとてつもなく長い槍となる。
  • 流派によって細かいところは違うらしいので間違ってたらすまん。
  • 重たいとか大きいとか小田喜城は言っているが、三名槍の中では一番小柄(日本号:刃長2尺6寸1分5厘(79.2センチ)、御手杵:4尺6寸(138センチ))。重量も最も軽い。
    • だが、通常の槍と比べれば平均的な長さであり、むしろ柄の長さで言えば2~3メートル程長い。
    • 戦国時代、織田家が足軽に使用させた長柄槍は2間(約364センチ)とされており、如何に蜻蛉切が長かったのかが良く分かる。
  • これは他の二つが大きいだけで分類上、蜻蛉切は中身槍(刃の長さが1尺(30センチ)以上2尺(70センチ)未満の槍)、日本号・御手杵は大身槍(刃の長さが2尺以上の槍)という区分になる。
    • だとしても御手杵は頭一つ抜けてはいるが
  • とは言え、立ち絵から見るに少なくとも6メートルの柄にはとても見えない。
    • おそらく、扱いやすくするために柄を短くしたのではないだろうか。
    • 放置ボイスの「もっと大きな槍」というのも多分このことだと思われる。
  • 蜻蛉切の製作者である藤原正真作(ふじわらのまさざね)はいわゆる妖刀村正で有名な村正一派の刀工の一人。
  • 青貝螺鈿細工が施された柄であったと伝わるが、残念ながら現存はしていない。
  • 有名な逸話としては『飛んできたトンボが刃に当たり、真っ二つになった』というのがあり、これがそのままその名の由来とされている。
    • ちなみに書籍によっては『刃に止まろうとした』となっているのもある。
    • だからと言ってトンボを切ろうとしないで下さい。トンボが何をしたっていうんだ。

  • 使い手はかの有名な本多忠勝平八郎
    • 戦場においては生涯無傷という武勇に並び、黒糸威胴丸具足(鹿角の兜)と蜻蛉切は本多忠勝を表す代名詞となった。
    • 晩年、自身の体力の衰えから、三尺(約1メートル)ほど柄を短くしたと言う。
    • 本多忠勝の死後、黒糸威胴丸具足と共に本多家に伝わったが、第二次世界大戦時に同家を離れ、現在は個人所有の為一般公開はしていない。
      • しかし、愛知県岡崎市の岡崎城内施設や東京国立博物館にてレプリカや「写し」が展示されている。
  • 本多家にはもう一本、蜻蛉切があるらしかったが、こちらは紛失している。

    「形は直穂で違うが、同じ模様が彫られ、作者も同じだったという。穂(刃長)1尺4寸(42.4センチ)、茎1尺8寸(54センチ)、幅3.6センチ、厚み1センチ。(wikipediaより引用)」

  • となっており、似たような槍であったことが見受けられる。
蛇足
  • 小田喜城が持っているのが実在の蜻蛉切だとした時、スキル使用時の絵から推察するに彼女の身長はおよそ刃3つ分。
    • なので小田喜城の身長はおよそ131.1センチと推定できる。
    • これは女子小学4年生(9歳)の平均身長(133.6センチ)と同じくらいである。小さい。
    • ちなみに御手杵(138センチ)より小さい。本当に小さい。いや、御手杵が大きすぎるんだが。
  • 更に付け加えるならば、大多喜城が持っているのも蜻蛉切だとした時、スキル使用時の絵から推察するにこちらの身長はおよそ刃4つ分。
    • なので大田喜城の身長はおよそ174.8センチと推定できる。
    • これは女性はおろか男性の平均身長(30~34歳が最も高く171.87センチ)を超えており、もう小さいと言うどころか、ほとんどの殿が見上げる形になってしまう。
    • 名は体を表すと言うが本当に大きい。後、おっぱいも大きい

小田喜城色々

入手時SS・御嬢姿
  • 入手時
    小田喜城入手時SS.jpg
  • お嬢姿
    小田喜城お嬢姿RE.jpg
スキル発動絵・大破絵
  • スキル発動
    File not found: "小田喜城スキル発動絵.jpg" at page "小田喜城:RE"[添付]
  • 大破
    File not found: "小田喜城大破絵.jpg" at page "小田喜城:RE"[添付]
セリフ一覧
セリフ
入手小田喜城です。なるべくご迷惑かけないように、精一杯戦います!
ログイン殿!お、おかえりなさい!体調はどうです?
本城 / クリック大きくなったら、私、お医者さんになりたいなぁ……薬医門から出入りするの。みんなの役に、立てるよね。
ちゃんと上手に戦えるかな……ほら、この槍こんなにふっといし! こんなになっがいの! ねえ、殿の槍はどんな槍?
とんぼの捕まえ方、知ってる? こうやって、くるくるくる~ってやって。今度は、逆にくるくるくる~ってやりながら、またくるくるくる……。
変身小田喜城、へ、変身しま~す!
帰還殿! も、戻りましたよ!
編成え? わ、私なんですか?
で、出来るかな……ううん、やります!
所領確認領土も大事だけど、無理しないでほしいな……。
出陣じ、自信ないです~……。
ぁ……足が震えちゃって……。
部隊選択ちょ、ちょっと~。
合戦ど、どっどっどっ……あぁ~! どいてどいて~!
お、重た~い……。
スキルと、とんぼくらい! 斬れます!
論功行賞やっとこの大きさにも慣れてきた……かな?
全壊……やっぱり私、迷惑だ……。
敗北殿、ごめんなさい。足を引っ張って……。
装備小田喜城! ぱわ~あ~っぷ!
増築みんなに迷惑、かけないで済むかな?
築城と、殿~! 私は、どっどっ、どうすればいい!?
築城完了新しい娘、目覚めたかな? 確認します!
修繕殿……す、少しだけ。少しだけ、休みますね……。
探索えっ、遠征!? 私にできるかな……。
探索終了小田喜城、帰還しましたよ。
道具その道具って、どんな効果があるんです?
商人お、お願いが……医学書買って下さい!
しんがり任命はい、殿! 私もやれますから!
しんがり失敗あぁっ!? ちょ、ちょっとぉ! 甲冑が脱げちゃう~!
捕虜あ、あはは……捕まっちゃった。私、馬鹿だよね……っ。……殿、ごめんね……?
解放うぅぅ……足手まといになっちゃったよぉ……殿、ごめんね~ありがとう。
別離(反転)殿に恩返ししたかったよ……もっと一緒に居たかったよ……。悔しいよ……もっと私に、力があったら……。
放置大きくなったら……もっと大きな槍を使えるようになりたいなぁ。

※旧御城プロジェクトから引用

コメント

  • ページ作成。ステータスのみ。 -- 2016-04-04 (月) 12:06:46
    • お疲れ様です。新テンプレ版に移行、旧版情報の移植、キャラデータ内の画像埋めを行いました。 -- 2016-04-05 (火) 18:38:53
  • 築城時間30分で出てきました。 -- 2016-04-08 (金) 08:42:23
    • 反映いたしました。 -- 2016-04-08 (金) 17:14:35
  • 30%好感度イベ「金創医」選択で5%上昇 -- 2016-05-26 (木) 11:38:03