キャラクターデータ
飫肥城(おびじょう) CV:● イラストレーター:● | ||||||||
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レアリティ | 武器 | 属性 | ||||||
☆☆ | ||||||||
地域 | ||||||||
九州・沖縄 【日向】 | ||||||||
築城時間 | ||||||||
●00:00:00 | ||||||||
図鑑説明 | ||||||||
私、飫肥城は、奪い合いの歴史の中で生きてきました。 その年月は実に100年。 戦乱が落ち着いた後は美しい町並みを形成し、九州の小京都と呼ばれています。 | ||||||||
キャラアイコン | キャラドット | |||||||
ユニットデータ
ステータス
巨大化 | 初期配置 | 1回 | 2回 | 3回 | ||||||||
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耐久 | 917() | ◯◯() | ◯◯() | 1467() | ||||||||
攻撃 | 43() | ◯◯() | ◯◯() | 63() | ||||||||
防御 | 39() | ◯◯() | ◯◯() | 57() | ||||||||
範囲 | 260() | ◯◯() | ◯◯() | 369() | ||||||||
回復 | 10() | ◯◯() | ◯◯() | 10() | ||||||||
配置気 | 7() | ◯◯() | ◯◯() | ◯◯() |
- ()内はLvMAX時の値
- 配置気の()内は巨大化時に消費する気の量
- 表示されているのは特技によるステータス上昇も含む値
特技
防御強化【範囲】・壱 | |||||||
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範囲内の城娘の防御が10%上昇 |
計略
【なし】 | |||||||
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- | |||||||
使用まで | -秒 | 消費気 | - |
飫肥城について
●ゲーム内でのユニットとしての立ち位置・運用に関する短評や、史実ネタ・ゲーム内ネタ・その他小ネタ等についての記入スペースです
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- 築城された時代は古く、南北朝時代に土着の領主・土持氏によって築城される。
- 土持氏は日向で勢力を伸ばす伊東氏と対立し、没落。飫肥城は協力関係にあった島津氏の物となる。1454年、島津氏も伊東氏に対抗するため、志布志城主で島津氏の一族である新納忠続を飫肥城に入城させた。
- 後に築城主でもあった土持氏が城主に復帰。このときに、薩摩の島津氏の内紛に11代当主・伊東祐国が介入し、飫肥城をはじめとした日向国内の島津領に攻め込む。一度目は成功するも、二度目は失敗。祐国も討死する。
- 当主が戦死するという事態に伊東氏の何かが切れたのだろう。これが日本史上稀な100年の争奪戦の舞台となるきっかけであった。そう考えると鹿児島城の「あの娘(こ)、とっても可愛い」発言が相当に意味深である。ついでに言うと、飫肥には天然の良港であり、南蛮貿易の寄港地にもなった油津港があったのも抗争の原因の一つだろう。
- 因みに島津氏も伊東氏との本格抗争を恐れ、領地の割譲と城主交代を行う。このときに入ったのが、島津家の分家の一つ・豊州家2代目当主・忠廉である。以降、しばらくは豊州家の本城となる。
- 度々伊東氏は飫肥城を攻めていたが、落とせずにいた*1。転機は、1536年に伊東義祐が当主になったことで訪れる。義祐は南大隅の肝付氏と手を組み、1541年、飫肥城を攻撃。27年間に計9回も飫肥城を攻撃するのである。
- そして、1568年。義祐は2万と号する大軍で飫肥城を包囲。兵糧攻めを行う。城の救援軍が大敗したことで、島津宗家では飫肥を放棄することを決定し、城主の島津忠親は城から脱出する。こうして、伊東氏の悲願であった、飫肥攻略が完了するのである。城主には義祐の嫡子・祐兵が任ぜられた。
- 義祐はこうして、伊東家の最盛期を作り出し、日向国内に48の支城を構える大名となる。さらに、大隅・肥後・薩摩北部の諸氏が好を通じてきた。正に絶頂期だったのだが、このころから政務に関心を示さなくなり、周りもイエスマンやおべんちゃら使いばかりで固めるようになる。
- 一方の島津氏は内紛を完全におさめ、悲願であった三州太守の実現に向けて動き出す。そして、1572年、「九州の桶狭間」とも呼ばれる木崎原の戦いで島津義弘が伊東軍を完全撃破。伊東氏の主だった武将がことごとく戦死してしまう。
- これによって、再び内紛も巻き起こり、伊東氏は一気に衰退する。1578年には再び飫肥城は島津氏のものとなり、本城であった佐土原城から義祐は逃走し、豊後の大友宗麟を頼ることとなる。
- こうして、飫肥城は島津氏のものとなったが、今度は別の敵が現れる。天下一統を狙い、九州に侵攻した豊臣秀吉である。
- 伊東家当主となっていた祐兵はこのころ秀吉に仕えており、九州征伐の際には道案内を務める。この功績が評価され、1587年に九州征伐が終わると、旧領のうち清武・曾井に2万8000石を与えられ、旧領に大名としての復帰する。翌年には飫肥城も与えられ、再び飫肥は伊東氏の領土となるのである。かくして、飫肥城を巡る100年戦争は伊東氏の大逆転で決着がついたのである。
- 関ヶ原の合戦でも、祐兵は東軍に属し、所領を安堵される。その後は江戸時代を通じて280年間、伊東家は14代にわたって飫肥藩を治めるのである。運が高いのは、伊東氏の「奇跡の逆転劇」とその後も転封されることなく、伊東氏の拠点となったことによるのだろう。
- 江戸時代に入ると、城下町が本格的に形成され、武家屋敷が整備される。
- その町並みは今も残されており、自己紹介の台詞通り「九州の小京都」と呼ばれる。
- 台詞にも出てくる「振徳堂」は1801年に作られた藩校。
- 飫肥城は江戸時代に3度も大地震の被害を受ける(地震を恐れる台詞はおそらくこのため)。特に1662年の大地震では甚大な被害を受け、大規模な改築を行う。現在の飫肥城はこのときの改築後の姿を基にしている。
- 1871年、廃城。2年後に飫肥城内の建物全てが撤去された。
- 現在の飫肥城は復元。城内には歴史資料館などが存在している。また、大手門には飫肥の特産品・飫肥杉が使われている。
- この飫肥杉とは、領内が山がちで畑作・稲作に適する土地が少ないために、伊東氏が林業を推奨・支援したことで名産になったもの。
- 現在の飫肥城は復元。城内には歴史資料館などが存在している。また、大手門には飫肥の特産品・飫肥杉が使われている。
- 2006年、日本100名城(96番)に選定された。
アクセス
- JR飫肥駅から徒歩15分
飫肥城色々
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セリフ | |
入手 | 飫肥城です。約100年もの間、様々なお方が戦をしては私を奪い合っております。 |
ログイン | |
本城 / クリック | 四半的は、武将達が、お酒の席で余興として行った弓術なのです。私は、お酒なんて飲みませんけどね。 |
あわわわわっ、いっ、今の、地震じゃないですか? だ、駄目です、危険です。一刻も早く避難しましょう! | |
家に蒸し風呂を作りました。体中の悪い物を取り除く感覚が、たまりませんわぁ~。ん? さうなって、何でしょうか? | |
変身 | 集中集中……えいっ! |
帰還 | 飫肥城、戻りました! |
編成 | 争いを抑える為に、戦います。 |
戦う為の勉学は、復習済みです。 | |
所領確認 | 小京都が、ますます広くなりますね? |
出陣 | 私の為に、喧嘩はしないで! |
出撃です。弓を持ちなさい。 | |
部隊選択 | じっ、地震!? |
合戦 | 的は外さない! |
当たれ……えいっ! | |
スキル | 百発百中です! |
私の矢、受けてみなさい! | |
論功行賞 | 勝って兜の緒を締めよ、と申します。 |
祝勝会では、四半的をやりましょう。 | |
全壊 | |
敗北 | |
装備 | 殿、新しい武具、ありがとうございます。 |
増築 | 感謝感激です。 |
築城 | 築城ですか。キャベツから生まれてくるのですね? |
築城完了 | キャベツから誕生してない!? な、なるほど……。 |
修繕 | 修繕の間に、少しさうなへ……駄目ですか? |
探索 | 遠征先で、素敵なおみやげを買ってきますね。 |
探索終了 | 飫肥城、帰還。学ぶ事が色々ありました。 |
道具 | 見た事もない道具です。 え? 茶釜ですか? |
商人 | 不思議な道具ばかりですね……。え? 普通ですか? |
しんがり任命 | 命に変えてもお守りします。 |
しんがり失敗 | くっ……どんな辱めも、耐えてみせます……! |
捕虜 | 殿。隅櫓の鐘の音が、今聞こえてくるようです。私は心配ありません! |
解放 | 殿、ありがとうございます。 この飫肥でよければ身も心も殿にささげます。 |
別離(反転) | ……悲しいですが、ここらでお暇させてもらいます。 せめてもう一度だけ、蒸し風呂にはいりたかったです。 |
放置 | 寂しさを、振徳堂にて、勉学で紛らわせておりますゆえ。 |
※旧御城プロジェクトから引用