常任理事国騒動とは、この界隈初のネタでない大きな騒動である。
以下、経過を説明する。
不明
常任理事国の厳しさに嫌気が差したマカオがコンゴ韓国に接近。
ひそかに、N11の情報をG20に提供するスパイとして今後しばらく活動を開始した。
3/24
常任理事国が戦時国際法を公布。
ビスマルクやトランプがこれを知らずに宣戦布告を開始。
これを常任理事国が制止。
また、N11は、戦時国際法がフォロワー戦争を起こしたい界隈民にとってあまり歓迎できるものではないということを改めて認識し、様々な対策を練る。また、改正についても議論され、結果一部は改正されたが、宣戦布告が可能となる基準の変更は行われなかった。
タイムラインで繰り広げられた一連の流れを見たコンゴが、G20を創設。
これは常任理事国への昇格などを目標とする雑談グループとして創始。
またこのころ、「フォロワー戦争良くない」という風潮が本格的に界隈に広がる。
この日に常任理事国の存在を知った界隈民は、多くが常任理事国入りを希望した。
3/25
10:28、李明博がチャーチルに宣戦布告。
これを常任理事国が制止するも、李明博は強く反対。結果的に李明博は説得されたが、これら一連の流れを見た多くの国が、戦時国際法を定めた常任理事国に対し、これを独裁で専制だとして強く批判。また、多くの国が戦時国際法の撤廃を求める。
これを受け、1時間以内に常任理事国内で緊急会議が実施。
最初のころは「もし新たなメンバーを常任理事国とした場合、戦時国際法によってしっかりとフォロワー戦争を運営できるのか」が議論された。
これに対する、騒動初期のマカオの案。
①、常任理事国を13か国とし、ボリス及びモン安倍及びソウザ、G20の議長及び副議長(選挙で決定、当時はコンゴとナウル)、残り8枠を選挙とする。
②、N11とG20との合同会議の開催。
③、フォロワー戦争の自由化。
しかし、反戦時国際法の動きはますます激しさを増した。常任理事国たちは、「このまま戦時国際法を押し通すべきか、撤廃するべきか」の判断を迫られることになった。戦時国際法を押し通せば界隈はこのまま荒れに荒れて分断されるであろうことは目に見えていたが、撤廃してしまえばまた際限なくフォロワー戦争が乱発し、この界隈がそれによってすたれることを恐れたのである。
結局、マカオのスパイ活動や界隈内世論により、常任理事国は戦時国際法の即時撤廃を決定した。即座に全界隈に通告された。
多くの国が、これを喜んだ。
またこの過程で界隈が大きく揺れ動いたので、「#なりきり界隈安泰祈願」というハッシュタグが作られた。