SS3 Cの恋心

Last-modified: 2013-08-15 (木) 01:40:03

当時、Cと女の家は隣同士だった。
Cの方が1歳年上だったが、2人は幼い頃から非常に仲が良かった。いつも、どこへ行くのも必ず2人一緒だった。

快活でやんちゃボウズなCに対し、女は内向的で引っ込み思案と、性格的には正反対の2人だったが、

あるいはそれで一種のバランスをとっていたのかもしれない。

歳の差ゆえに幼稚園や小学校で同じクラスになるということはなかったが、

その間も、2人は仲の良い・・・・・・周囲にからかわれつつも暖かく見守られている・・・・・・友達だった。

Cが女に対する恋心を自覚したのは、皮肉にも彼が生家から数十キロ離れた都市部へと引っ越した後のことだった。

Cが小学校を卒業すると同時の、親の仕事の都合による転居だった。
もちろんCは女との別れを惜しんだ。言い知れぬ悲しさと寂しさ。だがその時の気持ちは、思い返せばまだ『仲のいい友達と別れるつらさ』に過ぎなかった。

知り合いなど全くいない街の中学校で、Cは肺に、いや、胸に小さな穴が開いていて、そこから何かが常に漏れ出しているような奇妙な感覚を味わうことになる。
最初、それは都市の空気とか、自分の身体の問題だろうとCは考えた。馴れない環境に対する一時的なストレスに過ぎない、と。

しかしその感覚は何日たっても、何週間、1ヶ月が過ぎてもCを苦しめ続けた。
そしてある日、何の前触れも無く、Cはその原因に気づいた。
それは改めて持ち出すことすらおかしい、呆れるほど明白な、ひとつの『事実』だった。

気づけばCは放課後の学校を彷徨っていた。
運動部の声が響くグラウンドを見渡し、ひとつひとつの教室をのぞきこんだ。
全ての廊下を歩き、階段と踊り場を確かめた。
男女両方のトイレすら、その時には、ただ確認すべき空間に過ぎなかった。

そうして校舎の全てを確かめたあと、最後にCは屋上に出た。
そこにも彼の求めるものの姿は無かった。
ふらふらとフェンスによりかかるCを、沈み行く夕日が照らす。
いつの間にかCは泣いていた。今、Cの中で、『事実』はようやく『現実』として訪れた。

『女が、いない』

この一ヶ月、自分でも知らず、Cはその喪失感に苦しんでいたのだった。

視界の角に、いつも女の影を求めていた。
内気な彼女の控えめな眼差しのありかを探していた。
知らなかった。知らなかった。
彼は自分の女に対する気持ちに、今でははっきりと気がついた。

しかし、遅すぎた。

一ヶ月分の後悔と悲しみ、ごたまぜの感情が渦となってCにのしかかっていた。日が沈み、辺りが暗くなっても、Cはそこで1人、むせび泣き続けた。

しばらくはどのような気力も湧き起こらなかったCだったが、時がたつにつれ、徐々にその精神状態を持ち直していった。もともとが前向きな性格なのである。
やがてCは失意の日々に終止符を打つべく、ひとつのことを決心する。今は無理でも、いつか女のもとへ、生まれ育ったあの町へ戻るのだと。そのためにできることを今日から始めよう。

幸いにもCは以前からある職業に興味を持っていたため、真剣にその道について考え、調査し、勉強することにした。一人前の男になって、自分の力で女のもとへ行くのだ。

そのように一度目標を明確にすると、それからのCはただひたすらに努力した。
その一方で学生としての本分もおろそかにはしなかった。授業は集中して聞き、定期的に復習を行った。部活動には参加しなかったが、可能な限り自分で体を鍛えた。文武両方に秀でたCは、持ち前の明るさもあり、誰からも好かれる存在となった。何度か女子生徒から告白を受けたこともあったが、彼はその全てを丁重に断った。Cの心にはいつも女しかいなかった。

高校を卒業したCは、女のいる町で1人暮らしを始めた。そこから近くの専門学校に通うためである。2年間のアルバイトでその資金を貯めた。
Cの調査(地元の古い友人たちからの情報)によると、女は地元の高校に通っているらしい。もし引っ越さなければ、自分も通っていたはずの公立高校。

「あー、でもな」
気にかかったのは、Cの古い友人、女と同級の男が電話で言ったことだった。
「そういうことなら、女にゃ会わねー方がいいかもよ」

・・・・・・それは一体どういうことだ?

「・・・・・・何ていうか・・・・・・いや、やっぱ自分の目で確かめた方がいいか。俺からは言えねぇ」
釈然としないながらも、アパートへの引越しを終えてひと段落したある日、Cはついに女の通う高校へと向かっていった。
下校時刻、校門から吐き出される生徒たちの中に、Cは女の面影をさがし求めた。
校門の前に立ちはだかるCに、生徒たちは奇異と好奇の視線を向けたが、それすらも気にならない。

しかし下校する生徒がほとんどいなくなっても、彼女らしき人物は現れなかった。

友人の情報によると、女は今日ちゃんと登校してきている。部活動にも参加していないはずだ。となるとまさか、見落としてしまったのか・・・・・・。
失意に肩を落とし、帰ろうかもう少し待ってみようかと考えていると、ふと挙動不審な男子生徒の姿がCの目に入った。
「・・・・・・」
彼はしきりに周囲をうかがいつつ、校舎から校門までを素早く物陰に隠れつつ近づいてくる。

まるで・・・・・誰かの目を避けるかのように。

「・・・・・・よし!」

やがて門柱の陰から顔だけを出して左右を確認した男子生徒は、小さなガッツポーズとともに一歩、その足を学校の敷地から踏み出した。
その瞬間だった。
Cの目の前、校門脇の植え込みががさりと音を立てたかと思うと、

「男ぉおおおおおおおおおお!!!!待っ・て・た・ぞぉおおおおおおおおおお!!!!!」

男子生徒の名(だろう、たぶん)を叫びつつ、植え込みから『陰』が飛び出し、男子生徒へと『喰らいついた』
めきみきみきべしっ!!

「ぎぃやあああああああああああああああああああ!!!!」
男子生徒の絶叫と同時、個人的な努力がまとめて無に帰したかのような壊滅的擬音が辺りに響き渡った。
「何で、何で逃げるんだぁああああああああ!!私を、置いて、帰るなぁああああああああああ!!!」
「は、離せぇええ!!、ほ、骨!骨がぁああああああああああああ!!!!!」
「・・・・・え、わ、わ、お、男ぉおおおおおおおおおお!!!死ぬなぁああああああああああ!!!!!」

Cは、見た。

男子生徒にのしかかる『陰』が顔を上げた。
男子生徒の肩を掴んで揺さぶる『陰』。(より深刻な状況に陥る男子生徒)

その横顔は、

「女・・・・・・」
紛れもなく、彼が6年想い続け、今日、会いに来たひとだった。

だが、顔は間違いなく彼女なのだが、その雰囲気といったら、Cの記憶の中の彼女とは、到底似ても似つかぬものだった。

彼女は、とても内気で恥ずかしがりだったはずだ。いつも自分が彼女の代わりにしゃべっていたような気がする。だが、今目の前にいる彼女はその真逆。

女は呆然と立ち尽くすCに気づくこともなく、男とのかみ合わないやりとりを続ける。

「どど、どうしたんだ男ぉおおおおお!!?誰だ?誰にやられたんだぁあああああ!!!?」

「ぶくぶくぶく・・・・・・」

あわをふいている。もういしきはないようだ。
しばらく身動きもとれなかったCだったが、男子生徒の状態がシャレにならないことに気づくと、一瞬の躊躇の後、2人のもとへと歩み寄って声をかけた。

彼の状態は思わしくないようだが、とりあえず学校の医務室が使えるならそこに運んだ方がよくはないだろうか。
「え・・・・・・?」
女は突然話しかけてきたCに驚いた様子だったが、
「え、えー、と・・・・・・わ、わかりました。え、手伝ってくださるんですか?じゃあ医務室までは私が案内します」
男の生命を優先したのだろう。それ以上Cに何も訊ねることなく応じてくれた。

いつの間にか、女のCに対する口調は、それまでの猛烈な雄叫びから、Cの記憶していたころの女と同じ、穏やかなもの言いへと変わっていた。

「う・・・・・・ん、あれ、ここは・・・・・・」

『男』が目を覚ました。

Cは自分が学校の医務室まで男を運んできたことと、女は男に呼びかける声があまりにうるさかったため保険医によって外に連れ出されていったことを簡単に説明した。

「それはどうも、ありがとうございました。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
誰だって目の前で命の灯火が消えゆこうとしていれば、助けようとするだろう。
「そんなにヤバそうでしたか俺・・・・・・まあもう馴れましたけど」
『馴れ』とはあらゆる意味でおそろしいものだ。
「はは、確かに自分でもそう思います・・・・・・それで、あの・・・・・・あなたは?」

ただの通りすがりのものだ。偶然通りかかったのだ。

「そうでしたか・・・・・・それじゃあさぞかし驚いたでしょうね、『女』には・・・・・」
『女』。その名前を聞いて、Cは彼女が間違いなく自分の探していた『女』だということを知った。

そして、訊かずにはいられないことを、訊く。

「え、俺と女ですか?そうですね・・・・・・中学で初めて会って、あ、小学校は別だったんですよ。それで、なんか、もういきなり『あれ』で、来たんです。もう、最初はわけわかんなくて。初対面で、『好きだぁああああああ!!!』ですもん」

Cは黙って続きを促す。

「女が言うには、学校が始まる前に一度会ってるみたいなんですけど、俺ほとんど覚えてなくて、でも、なんかずっと一緒にいて、嘘みたいな話ですけど、ホントに俺のこと好きでいてくれてるみたいで、俺もいつの間にか・・・・・・すごく好きになってて」
心なしか男の頬が紅くなっていた。照れくさそうに首筋をかいている。

Cはその様子を見て、無言のままでいる。その言葉の重みを確かめる。

「・・・・・・あ、なんか、すいません。のろけ話なんてききたかありませんよね」

Cは静かに首を振る。聞きたくなかったとしても、のろけ話だから、ではない。少なくとも。

最後にCは、一番重要なことを確かめる。
「え・・・・・・そうですね・・・・・・つきあってる・・・・・・って言うのかな?少なくとも、『つきあいましょう』『そうしましょう』みたいなことは、お互い言ってません」

・・・・・・まだ。
まだ、2人は。

だが、それはもはや可能性ですらない。

先ほどまでの女と、今の男の様子を見て、Cにはもうわかっている。

だから、最後にCは男に忠告を与える。

自分ができなかったことを。
押し付けているのかもしれないけれど。

一緒にいるのが当たり前のような2人でも、

人生には何が起こるかわからない。
後悔する前に、彼女と自分に確かめるんだ。
大事なことを、確かめておくんだ。
必ず、必ずだ。

そのことを、今ここで、俺に約束してくれ――

Cが医務室の外に出ると、女がいた。

「あ、あの・・・・・・もうお帰りですか?」

とっさのことにCは声も出せない。「そうだ」とひとこと言えば済むのに、喉が締め付けられたように、声が出ない。

「あの、ほんとに、ありがとうございました。それと、すいませんでした。見ず知らずの方に助けていただいて・・・・・・」
見ず知らずの方。その言葉に、感情が落ち着きを取り戻す。声も出せる。

なに、たまたま通りがかったらあの状況で、当然のことをしたまでだ。
Cの返答に対して、女は何も言わずじっとこちらを見つめてくる。
その表情は、ふいに記憶を揺り動かされた人間のそれだった。

人が、何かを懸命に思い出そうとしているときの、
「え?」

とっさにCが放った言葉に、女は驚きを隠せない。

「ど、どどど、どうして知ってるんですか?そ、そりゃ最初はそうでしたけど、でも、最近はなんだか、どっちが本当だったかよくわからなくなってるんです。だから、どっちも『私』でいいのかなあ、って・・・・・・す、すいません。何のことだかわかりませんよね。ちょっとびっくりしちゃって」

Cは、昔よくそうしたように、女の頭に手を置いた。

「・・・・・・ふぇ?」

しかしそれも一瞬のこと。
さようなら。

手を離すと、Cは女に別れを告げて、歩き始めた。
「あ、あの!」
彼女の呼びかけに、Cは一度だけ振り返る。
彼女は、6年前と同じ笑顔を浮かべて、そこにいる。
「・・・・・・さようなら」

やがてCはわずかに頷き、踵を返すと、今度こそそこから歩み去った。

廊下の角を曲がるまで、背中に彼女の視線が注がれているのを感じた。

校門を出るとき、はるか後方で女の大音声と男の絶叫が聞こえたような気がした。

しばらくはどのような気力も湧き起こらなかったCだったが、全く同じようなことを既に経験済みなのだ。以前よりもはるかに素早く、Cは自分自身を立て直すことに成功した。自分も成長したのだろうか。

Cはそれ以降専門学校での勉強に集中した。直線的な努力を継続できるというその稀有な能力を発揮し、生徒たちの中でも優秀な成績を修め、順調にその技術に磨きをかけていった。
あるいは、それは全てを忘れるための努力だったのかもしれない。
しかし、彼が選んだこの仕事だけは、彼にとって何ものにも揺るがせにできない彼自身の道だった。

女と男は彼らの道を行くだろう。
自分も、自分の道を行くのだ。そして、それ以外にできることは無いのだ。

歳月は流れ、Cは町の一角で働いていた。

専門学校を卒業し、取得した資格を携えて、その技能をさらに昇華させるために。
尊敬する師匠のもとで修行しつつ、いずれは自分自身で店を持ちたいといのがCの夢だった。

そしてその夢は遠からず叶うだろう。Cにはそれができる。

その店には大勢の客が来る。
そしてその中には、あの2人の姿がある。

「男ぉおおおおおおおおおお!!男前に、してもらえよぉおおおおおおおおお!!!」
「だから何でこんなとこまでついてくるんだぁーッ!!」
「私もお前のためにもっと綺麗になるからだあああああああああああああああ!!!」
「お前も予約してたのかよ!!」

その時ちょうどCの前の椅子が空く。
Cは予約の客、男を自分のもとへと呼び寄せる。どうぞ、こちらへ。

椅子に座った男の注文を聞き、作業を始める直前、Cは、男にこう話しかける。

「お客さん、覚えてるッスか?俺、あん時の――」