“何か”を映し出す姿見

Last-modified: 2008-10-20 (月) 00:23:56

演劇部の部室の奥には、古びてやや曇り掛かった大きな姿見がある。
随分と年代物のように見えるそれには、いつの頃からか奇妙な噂話が付き纏っていた。




釈迦如来「僕……昨夜ここで見ちゃったんだけど……」
放課後、部活の練習が始まるまで各々が一時の雑談に興じる時間。
クラスのホームルームが早く終わり一足先に部室へとやって来ていた黒羽の元へふらりと現れた釈迦如来は、珍しくも青ざめた顔でぽつりとそれだけを告げ、傍にあった椅子の上へ力無く座り込んだ。
黒羽「……大丈夫か?」
釈迦如来「大丈夫じゃないよー……。駄目だ、僕もう衣装室一人で覗けない……」
黒羽「一体何を見たんだよ」
何時に無くおかしな釈迦如来の様子に、何を見たのかと問い掛けた矢先。


「あれ?また開かない……。鍵開いてるよね、これ」
「明かりは点いていますし、中に誰かいらっしゃるとは思うんですが……」


ガチャガチャとノブを回す音と共に、扉越しからそんな会話が聞こえた。
声から察するに、桜沢と綺咲がやってきたのだろう。
黒羽「おはよーう。またドア開かなかった?」
桜沢「あ、黒羽くん……どうやらそうみたい。開けてくれて助かったよ」
綺咲「有難うございます。三年目になるのに、未だに開け方のコツが掴めていないんですよねぇ……」
苦笑混じりに顔を覗かせたのはやはり三年の二人で。
本当にこのドアはどうなっているんだろうねと話しながら部室へ足を踏み入れた彼らの動きは、しかしそこではたと止まる。
桜沢「あ、ジールくんも居たんだね……ってか、何か……様子が……」
綺咲「あぁ、少し顔色が悪いですね。大丈夫ですか?」
釈迦如来「全然大丈夫じゃないー……」
ぐたりと机に伏したまま答える釈迦如来は、やはりいつもとどこかが違う。
黒羽「何かさ、昨日変なもん見たらしいんだよ」
綺咲「変なもの……ですか?」
釈迦如来「それがさぁ……」


釈迦如来の話をまとめるとこうだ。


昨日、練習から上がって部員全員が部室から引き上げた後、携帯電話を忘れたことに気付いた釈迦如来は一人部室へと戻ったのだという。


釈迦如来「そして帰ろうとしたときに、明かりが漏れてるのに気付いてね」


奥にある衣装室に、明かりが点いていたのだという。
ひょいと部屋を覗き込んでみれば、光源は姿見横の棚の上にぽつりと置いてある小さなスタンドライト。
普段から余り使うことが無いものだけに、何故点灯しているのかと不思議に思いながらも、とにかく明かりを消しておこうと釈迦如来は棚へと近寄る。


そして、カチリと照明の紐を引いた瞬間。


ばさりと音を立てて姿見に被さった布が落ち、そこには――。






湊「あれ?みんなで顔寄せ合って、何してるの?」
湊と一宮が部室に顔を出した時、そこには神妙な顔をした四人の姿があった。
黒羽「湊君。なんか昨日ジールがさ、衣裳部屋の姿見に妙なものが映ってたのを見たって言うんだけど……」
湊「妙なもの……?」
綺咲「その、それが……」
桜沢「最近噂になってる話、あるでしょう?それと、全く同じなんだよ……」
湊・一宮「………………」


部屋の中が、水を打ったような静けさに包まれる。


釈迦如来「え、何?どういうこと!?」
湊「ジール……よく思い出して。昨日見たのはどんな影?」
釈迦如来「へ?……あ、いや、どうだっけ……。何か薄ぼんやりしてて、余り良くは……」
一宮「人の姿はしてたか?」
釈迦如来「……そう言われればそんな気も……。でも僕全然覚えてなくて……」
黒羽「あのさ、さっきから二人は何の話をしてんの?」
振り返ってみれば、そこには一人困惑顔の黒羽。
否、話の中心にいる釈迦如来自身も同じ顔をしているから、実質は二人だが。
綺咲「黒羽さんもジールさんも……ご存知ありませんか?最近部活内で流れている噂……」
黒羽「噂?」
湊「……本当に知らなさそうだし、説明しておこうか」
軽く息を吐き、湊が二人に向き直る。


湊「噂の出所は一年生。今はもう部活に来て居ない子だから、名前は伏せるね。
彼はある日、ミーティングに遅れてきた罰として、部活後の掃除を任された。
実はその日の遅刻者は彼一人で、掃除も随分遅くまで掛かってしまったらしい。
……ここは、部長の僕の配慮ミスなんだけど。そうして、薄暗くなった部室から帰ろうとした矢先、衣装室から明かりが漏れていることに彼は気付いた」
釈迦如来「……え…」
ここで桜沢が、湊から説明を継ぐ。
桜沢「そこから先は、昨日ジールくんが体験したことと同じ……だけど、こっちは更に、その続きがあって」
黒羽「続き…」
桜沢「その子は、鏡の中に女の人の姿を見たらしいんだ。髪の長い、綺麗な女の人だった、って。
そして……そんなことがあってから、度々変な行動を取るようになった」
彼女に呼ばれてるんだ。と、彼はそう言っていた。
自分の教室から、授業中のグラウンドから、気付けば姿が消えている。気付けば姿見の前に佇んでいる。
桜沢「幸いに……と言って良いのかわからないけど、そうやって姿を消すのは学校に居る間だけのことだったんだ。
でも学校に居る間はずっと声がする。呼ばれてる。って」
釈迦如来「それ……今はどうなってるの……?」
桜沢「わからない……。休学届けを出して、もうしばらく来てないってことしか……」


再び訪れた沈黙に、ふと歪なものを感じたのは果たして釈迦如来だった。
釈迦如来「あれ……何か、今……」
桜沢「え?」
釈迦如来「気の所為……かな、でも……」
何か聞こえた気が、と小さく呟いた次の瞬間、ふと何かに気付いたようにその顔が見る見る青褪めていく。
釈迦如来「……え、嘘。これ、みんな聞こえてるよね!?」
綺咲「ジールさん……?」
一宮「俺らには、何も聞こえてないけど……」
訝しげな表情を浮かべる周囲とは裏腹に、釈迦如来は一人、ふるふると緩く首を振りながら一歩後退る。
耳に届くのは聞き覚えの無い女性の声。




――いらっしゃい、こっちへ。私の元へ来て…。




釈迦如来「………ぁ、うわあぁぁぁっ!!!」




ありったけの叫び声と共に、扉を壊さんばかりの勢いで外へと飛び出していく。


後に残されたのは、ぽかんとその様子を見送っていた部員、全五名。












一宮「……流石に、演劇で発声し慣れてる人間の大声は、耳が痛いな……」
綺咲「ジールさん、大丈夫でしょうか……」
湊「平気じゃないか……。ここから出て行った限り、声はもう聞こえないだろうし」


黒羽「……あのさぁ……」
湊「あ、総司。さっきは何も言わないでくれて助かったよー」
黒羽「もしかして今の……!」


湊「うん、ジールへのお仕置き」


にっこりと笑う湊の背後からは、未だに女性の声が微かな声で流れ続けている。


つまりは、そういうこと。


湊「こっちまでしっかり声が届くか心配だったけど、大丈夫だったね」
一宮「結局試さなかったもんなー。まぁ聞こえなかったら、さり気に衣装室まで連れてこうとは思ってたけど」
桜沢「あ、小鳥くん。姿見の仕掛けってもう回収したんだっけ?」
綺咲「はい、今朝一番に回収済みです。他の方に見つかってしまうと、大変ですからね」
一宮「あぁそうだ。プレイヤーいい加減止めてこなきゃ」
銘々が安堵の表情と共に言葉を交わす中、何かを考え込んでいた黒羽が、ようやく合点がいったように顔を上げる。
黒羽「んじゃ、さっき湊君と桜沢が話してた噂ってのは嘘で、姿見に何か映ってたってのも仕掛けがあって、女の人の声はみんなにも聞こえてたってこと……か?」
湊「そういうことだね」
黒羽「なんだー!んじゃ一昨日俺が見たのもその細工の所為だったのかー。
ってか、四人だけで考えてないで、俺にも話してくれれば良かったのにさぁー!」
湊「え?」
何気ない言葉に固まったのは、黒羽以外の全員。
黒羽「あ、ゴメン。別に文句言ってるんじゃなくて……」
桜沢「姿見に細工をしたのは、昨日だけだよね……?」
綺咲「はい……。昨日は部活を早めに切り上げるから、仕掛けるのにちょうど良いということで、ジールさんの携帯をこっそり抜き取らせていただいたんですから」
黒羽「………え?」
今度は、黒羽が固まる番だった。




一宮「プレイヤー回収してきたぞー。これでもう細工残ってないよな?」
湊「あ、灰有難う。じゃあ、ジール探してネタバレでもしに行くか」
桜沢「ジールくん……真相知ったら怒るかなぁ……」
綺咲「お灸を据える為……といえば、納得してはくださらないでしょうか……」
黒羽「ちょ、置いてくなよ!俺も……!」


瞬間耳に触れたのは、風の音か……誰かの声か。






――ここへ来て……。私は、待っているから……。