真夜中の公園に響く鋭く冷たい金属音。じんわりとした暑さの中,ちょっぴり背伸びしたブラックコーヒーをまじまじと見つめ、意を決して口へ。にがい。誰に向けたわけでもない独り言がぽつりと漏れる。けれどあんなに苦手だったコーヒー今なら飲めるような、やっぱり飲めないような。あいまいな気分だ。
そんな事を思いつつ,水銀灯と月明かりに包まれた公園でひとりぼっち。近くもなく,遠くもないどこかをぼーっと見つめながら今日を思い返す。今日はいつものメンバー,いつものお泊り。でも,いつもとは違った。結衣ちゃんと京子ちゃんが付き合いはじめたと本人達から聞かされたんだ。心がまっ黒になった。今まで目を逸らし続けた現実を突きつけられた気がして。うまく祝えたかな?うまく隠せたかな?わからない。ちなつちゃんはああだこうだ言っても、二人を祝っていたよね。でもそれは強がりだってあかりにはわかるよ。
本人はそんなんじゃないと思ってるだろうけどちなつちゃんはとってもいい子。自分よりも好きな人の幸せを第一に願うことは簡単にできるわけがない。……あかりには,できなかったよ。それからなにか盗まれたような、胸にぽっかり穴が開いた気分で、あんなに居心地がよかったあの部屋は,息苦しくて,眠れなかった。だから逃げだしたんだ。理由はなんだか分かっていた。どうやらあかりは結衣ちゃんが大好きらしい。でも,もう遅い。残るのは行き場のない後悔と,少しの嫉妬。みんなをひっぱる京子ちゃん,それを支える結衣ちゃんは二人でいちばん。
そこに割って入ろうものなら,今までの関係は脆く、一瞬で壊れてしまう。あかりのエゴでみんなを巻き込むのは違う。もちろんそんなことはしてはいけないよね。でも,わかってはいるけども,京子ちゃんがちょっぴり羨ましいんだ。みんなは口を揃えてあかりをいい子だと言ってくれるけど,違うよ。本当は幼馴染の幸せすら祝えないわるい子なんだよ。そんなあかりが情けなくて,申し訳なくて,ぎゅっと目を閉じると、堪えていた涙が頬を伝った。
どれだけの時間がたったんだろう。十分か一時間かもわからない。涙を拭って時計塔を見ると,短針はぼんやりと十二時を指している。すっかりぬるくなってしまったコーヒーをちびちびと飲んだが味なんてもうわからない。もう帰ろう。今日のことは忘れて、昨日とおんなじ朝を迎えることがいちばんだって自分に言い聞かせて立とうとすると.引き留めるように携帯が鳴り始めた。嫌な予感がする。予感は的中。電話は結衣ちゃんから。六コール目にして諦めるように緑のボタンに指を置く。
「……あかり!今どこ!?」
繋がるや否やいちばん聞きたくなくて、聞きたい、聞き慣れた声が飛び出す。
「……ごめんねぇ。公園でお散歩してたの。もう帰るから心配しないでね。」
いつも通り。いつものトーンで返す。心配させてはいけない気がして。
「なにかあったんでしょ?
今から行くからさ。そこで待ってて」
プツッ。返答をする間も無く電話は切られた。
……まいったなぁ。全部お見通しなのかもしれない。さすが結衣ちゃん。 逃げても追っかけてきてくれる。
ふたりきりになれるのは嬉しいけど、今のあかりを見たら、優しい結衣ちゃんのことだからきっと心配させてしまう。急いでお手洗いへとかけこんで、鏡の前に立つ。ばしゃばしゃと音を立てて顔を洗い、
精一杯の笑顔を作るとさっきまでの黒いきもちは消えていた。きっと大丈夫。ベンチに座り,どうごまかそうかと考えながら足をぶらぶら遊ばせているとあの声がする。
「あかりー!」
小さく深呼吸をして、高鳴る心臓を落ち着かせる。
「ここだよ」
跳ね上がり、息を切らせながらかけよってくる結衣ちゃんを迎える。よほど急いで来たんだろう。
「…こんばんは。あかり」
月に照らされたその笑顔はきれいすぎて、なぜかさみしい。
「こんばんは、わざわざごめんねぇ」
「気にしないで。それよりそこのコーヒー飲んでもいいかな?」
透き通るような白い指は、ぽつりとたたずむ黒いラベルの缶を指す。はい、と手渡すと喉を鳴らしながら、一気に飲み干した。憧れの目で見つめると、おませさんめと言うようにポンポンと頭を撫でてくれた。
「せっかくだしなにか話さない?」
空き缶をゴミ箱に押し入れ,ベンチに座りながら誘う。 優しい口調とは裏腹に、覚悟を決めたような真剣な顔。もちろん断るなんてできない。一人分の距離をとって,ゆっくり腰かける。しばらくの沈黙。まるでスローモーションかのように時間を感じる。先に破ったのは結衣ちゃんだった。
「…ふたりきりってひさしぶりだね」
まるでなにかを探っているような話しぶり。きっと、きっと結衣ちゃんは私の異変に気付いている。
「そうだねぇ。この公園も懐かしいよ」
きらきらとした思い出が蘇る。そのひとつひとつが輝かしい。
「ふふっ 京子ってばいつも泣いてたよな」
……京子ちゃんの話だ。ふたりっきりなのに。そう考えてしまう自分が嫌になり、思わずため息がこぼれる。あっ、と慌てて口を閉じても手遅れだった。
「……あかり」
心配そうに呟くとずいっと近づいてくる。吐息すら聞こえそうなほど近い。目鼻立ちのきりっとした凛々しい顔。何回だって惚れてしまいそうで目を逸らす。
「悩んでるならさ、相談しなよ」
にわかに口許をほころばしながらゆっくりと語りかけ、手を重ねてきた。
ゆれるきもち。いっそのこと打ち明けて楽になってしまおうか、隠し通して今までの朝を迎えるか、ゆらゆらゆれているきもち。
「……ほっといてよ」
絞り出した突き放すような一言。心がずきっと痛む。こんな悪態をついても結衣ちゃんは追ってくれるのかな。試しているようで余計に自分が嫌になる。
「ほっとけるわけないだろ。幼馴染の私をもっと頼ってよ!暗いあかりなんて見てるこっちが辛いんだよ!」
まっすぐなきもちを、まっすぐな瞳で、ぶつけてくる。……あぁ。突き放してもまた追いかけてくれるんだね。言い逃れようだなんてせっかくのきもちを踏みにじってしまう気がして、遂に向き合う時が来たのだと悟った。例え後悔することになっても、この何年も募らせた恋心から目を背けるなんてもうできないよ。ドミノ倒しのように一度動き始めたきもちは止まらない。
「……あかりはね。みんなが大好きなんだよ」
ゆっくりと立ち上がり、振り向きながら、一つ一つ慎重に言葉を紡ぐ。
「でもね 結衣ちゃんへの大好きは違って。その……えっと……」
言葉が詰まる。その先がなかなか喉からでてきてくれない。そんなあかりを結衣ちゃんは、優しく見つめ、頷きながら待っていてくれる。応えなきゃ。
「あかりは、私は……結衣ちゃんを…愛して…います。」
ゆらゆらゆれる蝋燭の火みたいな、か細い声での告白。体が震えるほどの恥ずかしさに頭がどうにかなってしまいそう。おそるおそる結衣ちゃんの顔を見ると、顔を赤らめ、目を逸らして、困った笑みを浮かべて、まいったな と言わんばかりに頭を掻いていた。
「うん。ありがとうね。でもごめん。応えられないよ。でもね、私は……」
まぁそうだよね。わかりきっていたよ。たったの一言、たった一晩の過ちで、もう今までの関係に戻れない事実。項を垂れると足元には自責の念と混迷が大きく口を開けていた。
「ごめんなさい……あかりなんかが夢見ちゃって、もう帰るね。」
話を遮る。いたたまれなくて、また息ができなくなって、行くあてもないのにまた逃げだしちゃった。
…… なにやってるんだろ。吐き出してしまった。ぬるま湯に浸かり続けて現実に目をつぶるのが幸せに決まってるのに。一時の感情に流されて溢した自分が馬鹿みたいだ。もう二度とおんなじ朝が来ないかと思うと、じんわりと涙が浮かぶ。
「待って!」
呼び止められ、足を休ませる。結衣ちゃんはどうするんだろ?どう慰める?それとも甘い甘い巧言に乗せてくるのかな?振り向くことはしなかった。いや、できなかった。肩をぐっと引かれて、結衣ちゃんと向き合う。その一瞬、時間は止まる。
「ごめんなあかり。辛かったよな。」
頭がまっ白になる。ぎゅっとぎゅっと強く抱き締められ、体がかあっと燃えるような恥ずかしさに包まれる。
「……こんなあかりでも、許してくれるの? 京子ちゃんに嫉妬したり、ちなつちゃんとは違って諦められないんだよ?あかりはわるい子なんだよ。わがままなんだよ?」
胸の中でずっとずっと抱えていた悩みを溢す。
「わがままだっていいさ。私にとってのあかりは、友達でも、妹でもない。もっと特別な、大事な存在なんだよ。だからもっと甘えたっていいんだよ?」
それはダメだよ。口にしようとしたが、それは叶わない。受け入れようとする自分がいるからだ。深く、どろどろとした沼にはまっていく。この幸せはもう、手放せない。
「もうすこし、このままでいいよね?」
そっと腕を回す。
「いいよ。あかりはわるい子だね」
いじわるな笑みを浮かべると、背中を優しく、壊れてしまわないように、さすってくれた。結衣ちゃんはいつだって優しすぎるんだ。いつまでもその優しい腕に溺れていたい。全てを許され、京子ちゃんとちなつちゃんを裏切って、このハリボテの関係に甘え続けるんだと思うと胸の中から何かがこみ上げてくる。歯の隙間から声が漏れ、涙が一粒こぼれ始めると、歯止めが効かなくなる。ごめんね、ごめんね、と唱えながら
すがるように固く抱きついた。
魔法のような時間もいつしか終わりは訪れる。軽快な着信音があかり達の世界を壊すように鳴り響く。ごめんねと呟くと手をそのままポケットにつっこんで携帯を取り出し、抱き合ったまま電話に出る。たぶん相手は京子ちゃん。今、結衣ちゃんはどんな顔なんだろう?
「あー京子?
今? あかりと一緒に散歩してるよ。ごめんごめん、今から帰るからさ。じゃあ、またな」
罪悪感、背徳感が背筋を伝う。
「……結衣ちゃん。ほんとにあかりなんかとこんな事してよかったの?」
腕を離して、うつむいた顔を覗く。
「帰ろっか」
そう耳元で囁くと、手を差し出してきた。そっと手を合わせる。ふたつのゆらぐきもちも、ぴったり重ねて。ゆらゆらゆれているきもち。結衣ちゃんもおんなじきもちなのかな。月明かりの中、時間を稼ぐように、ゆっくり、ゆっくり歩く。ふと見上げた夜空はあんまりにもまぶしかった。
「月が綺麗だね。結衣ちゃん」
「ふふっあかりと見る月だからだよ」
「もーっ 結衣ちゃん!そこはつっこんでよ!」
ぷんすかと膨れて見せると、嬉しそうに笑っていた。
「ごめんって。あまりにも真剣な顔だったからついつい。にしても、こうやって手を繋ぐと昔を思い出すね」
もうあかり達は昔のままではいられない。今まで築き上げてきた幼馴染という関係は、たったの一晩で変わってしまったんだ。そうだねと返して、立ち止まる。思議そうな顔を浮かべた結衣ちゃんへ、一歩近づく。
「たぶんこれからも、逃げだしちゃうこともあると思う。結衣ちゃんはまた追いかけてきてくれる?」
「あたりまえだろ?どこに逃げたって追いかけてあげる。だからさ、もう大丈夫だよ。私たちはふたりぼっちさ」
自虐の快感に浸かっているとも見られる微笑み。こんな顔は初めて見る。
「……ずっと、大好きだよ」
いけないことだってわかっている。だけど、そっと指を絡ませてみる。するとぎゅっと握り返してきてくれた。
「京子とちなつちゃんには、内緒だよ」
空いた手を口の前に持ってきて、そっと人差し指を立て、ばつが悪そうに笑った。
「ふたりだけの秘密だね」
ごめんね。京子ちゃん、ちなつちゃん。本当はぜんぶ京子ちゃんのものなのに、ちなつちゃんみたいに諦められなくて。ほしくずは決して星にはなれない。だからいっぱいのほしくずを抱えて帰るよ。それがみんな笑ってくれる、おんなじ朝を迎えることができる、いちばんの方法だと思うから。だから、あと、もうすこし、ふたりぼっちの魔法にかからせてほしいな。諦められる、その時がくるまで、どうか一緒にいさせてね。もう一歩近づく。変わり続ける私たちをあの頃と変わらない夜が優しく撫でる。ふたりの視線は甘く絡む。まばゆい月明かりに浮かぶ逃げ出したはぁと、追いかけるはぁとは溶け合ってひとつになった。