概要
I号戦車をベースとした対空戦車。

↑FlakPazner I
諸元
| 制式名称 | FlakPanzer I |
| 特殊車輌番号 | なし |
| 主武装 | 2cm Flak38 |
| 副武装 | なし |
| 重量 | 5.5t |
| 全長 | 4.02m |
| 全高 | ? |
| 全幅 | 2.06m |
解説
1935年の再軍備宣言以来、ドイツは急ピッチで戦車を中心とする機甲戦力の増強を図ってきた。陸空の連携が威力を発揮する電撃戦において制空権は不可欠の存在で通常なら空軍の戦闘機がこれを維持するが、地上部隊も一定の防空戦力を持つことが必要だった。しかし新たに開発を開始するまでのリソースを割けなかったドイツ国防軍がそれをハーフトラックベースの車輌で賄っており、これらは既存車輌の改造で量産が可能だったが、防御力が低かった。
これを解決すべく、ドイツ軍が快進撃を続けていた1940年末に現役を退きつつあったI号戦車A型をベースに対空戦車開発が始まった。アルケット社によって担当された対空戦車の開発は、順調に進んだ。原型となったI号戦車より操縦席を前進させ、新たに装甲板を追加し防御力の増強が行われており、砲塔が撤去された車体上部に当時のドイツ軍の標準対空火器だったFlak38が搭載された。
I号対空戦車と名付けられたこれらの車輌は1941年7~8月にかけて24輌が改造生産され、同時にI号戦車をベースにした本車専用の弾薬運搬車、Munitionsschlepper 「Laube」も24輌生産された。
そして、本車を装備する専用の部隊として1941年5月にベルギー・アントワープにて編成されたのが第614装甲対空大隊だった。部隊は本車を受領するとハンガリーを経由しルーマニアに駐屯、1942年にウクライナ方面に展開して戦闘に参加した。この際もちろんI号対空戦車も投入されている。だがドイツ軍が怒涛の快進撃によって制空権を奪取していたため、本来の対空戦闘任務に充てられることは少なく、敵の歩兵に対して支援平射をすることのほうが多かった。
また、装甲板の追加など防御力強化が行われた車輌だったが依然として装甲は薄く、重機関銃などに射撃されると耐えられない可能性があった。1942年には南部方面での攻勢「ブラウ」作戦に参加したが、その防御力が災いしスターリングラード攻防戦の際に車輌は全滅。大隊も大損害を受けて解体された。
派生型
munitionsschlepper "Laube"

FlakPazner Iの改造生産に伴い24輌がI号戦車A型をベースに改造された弾薬運搬車。愛称の"Laube"は納屋、小屋などの意味。
ギャラリー

↑冬季迷彩を施したFlakPanzer I。

↑地上支援射撃を行うFlakPanzer I。

↑移動中のFlakPazner I。