概要
ベルグマンが設計した独特の外見を持つ短機関銃。

↑手榴弾を投げるドイツ兵。MP35を持っている。
諸元
| 制式名称 | Maschinenpistole 35 |
| 開発元 | ベルグマン |
| 口径 | 9×19mm |
| 重量 | 4.24kg |
| 装弾数 | 24発/32発 |
| 全長 | 840mm |
解説
MP35の開発は、第一次世界大戦の傑作短機関銃MP18の設計者であるテオドール・ベルクマンの息子、エミール・ベルクマンによって1930年代初頭に進められた。ヴェルサイユ条約による軍備制限下にあったドイツでは、短機関銃の開発・生産は禁じられていたが、ベルクマン社はスイスのSIG社やデンマークのシュルツ&ラーセン社といった国外のパートナーとの協力関係を築くことで、技術開発を継続していた。その成果として、1932年にMP35の原型となるMP32がデンマークでライセンス生産された。これは9x23mmベルクマン弾を使用するモデルであった。
その後、ベルクマン社はMP32を改良し、1934年にMP34*1を発表した。しかし、ベルクマン社の生産能力は限られており、本格的な生産はワルサー社に委託されることになった。ワルサー社では、1936年から1940年にかけて約5,000丁のMP35が製造され、国内外に販売された。第二次世界大戦が勃発すると、生産はさらにユンカー&ルー社へと引き継がれ、1944年までに約40,000丁が製造されることとなる。これらの大半は、当時急速に勢力を拡大していた武装親衛隊からの需要に応えるものであった。
特筆すべきは、その独特な作動方式と操作系である。MP35はオープンボルト式のブローバック作動を採用しているが、コッキングハンドルは機関部後方に配置され、その操作方法は当時のドイツ軍主力小銃であったKar98kに酷似していた。つまり、ボルトハンドルを一度引き起こし、後方に引いてから再び前進させて固定するという、ボルトアクションライフルさながらの操作を必要としたのだ。射撃中にコッキングハンドルは前後動しないため、射撃姿勢の安定に寄与した。この複雑な機構は、製造コストの増大を招いたものの、機関部への異物の侵入を防ぐという利点も持っていた。弾倉は、当時の多くの短機関銃が左側面から装填する方式を採用していたのに対し、MP35は右側面から装填するという珍しいレイアウトを採用している。これは、射手が伏せ撃ちの姿勢をとった際に、弾倉が地面に干渉するのを避けるための設計であったと言われている。初期のモデルでは専用の弾倉を使用していたが、後にMP28と互換性のある弾倉に変更され、汎用性が向上した。発射モードの切り替えは、引き金の引き具合によって行うプログレッシブトリガーが採用されており、浅く引けば単発、深く引けば連射という直感的な操作が可能であった。銃身は放熱用のスリットが開けられたジャケットで覆われ、銃口にはマズルブレーキが備えられており、連射時の銃口の跳ね上がりを抑制する効果があった。しかし、その一方で、高品質な木製銃床や削り出しで製造された部品を多用したため、重量は4kgを超え、製造コストも決して安価ではなかった。
MP35は、ドイツ国防軍でも一部が採用されたが、そのほとんどは武装親衛隊によって運用された。武装親衛隊は、国防軍とは異なる独自の装備体系を志向しており、MP35の堅実な作りと高い信頼性を評価したのである。特に、独ソ戦の初期段階において、MP35を装備した武装親衛隊の兵士たちの姿が記録されている。しかし、戦争が激化し、より生産性に優れたMP40が登場すると、MP35の製造は次第に縮小されていった。複雑な機構と高い製造コストは、戦時下の大量生産には不向きだったのである。
アタッチメント
なし。
ギャラリー

↑MP35を装填するドイツ兵。

↑MP35を持つ赤軍パルチザン。

↑MP35を持つドイツ兵(左端)。