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基本情報
艦名 | カールスルーエ | 艦級 | カールスルーエ級 | 進水 | 1916年 | 排水量 | 5440トン | 全長 | 151.4m | 幅 | 14.2m | 出力 | 55700馬力 |
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性能諸元
基本性能
抗堪性 | 継戦能力(HP) | 16,318 | |
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防郭防御 | 7.50% | ||
火災浸水耐性 | 11.00% | ||
装甲 | 5.60% | ||
対水雷防御 | 5.18% | ||
機動性 (操縦性) | 最大速力 | 27.51ノット[kt] | |
加速時間 (最大速度) | 12.60秒 | ||
転舵速度 | 7.20角度/秒 | ||
転舵所要時間 | 6.60秒 |
隠蔽性 | 通常 | 副砲 | 主砲 | 火災 | 煙幕 | |
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海面発見距離 | 7.20km | - | - | 0.0km | 0.0km | |
航空発見距離 | 0.0km | - | 0.0km | 0.0km | - |
搭載兵器
主砲 | 船体 | 兵器名/口径 | 基数×門数 | 最大ダメージ(火災) | 装填 | 旋回速度 | 弾種 | 射程 |
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- | 150mm 45口径 SK L/45 | 8基×1門 | HE弾 392(5.00%) AP弾 560 | 5.70秒 | 8.00角度/秒 | - | 9.41km |
魚雷 | 兵器名/口径 | 搭載基数×門数(片舷指向門数) | 射程 | 雷速 | 最大ダメージ | 装填時間 | 180度旋回 | 発見距離 | |
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- | 500mm | 4基×2門(2門) | 4.50km | 56.96kt | 2576 | 32.00秒 | 16.0角度/秒 | 0.0km |
対空砲 | 船体 | 兵器名/口径 | 搭載基数×門数 | 秒間平均ダメージ | 射程 |
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- | 00mm/00 | 0基×0門 | 32 | 3.24km |
搭載可能装備
- アイテム
- 軍需物資
- 装備
アップグレード
船体
主砲
副砲
火器管制
エリート艦艇特性
...
ゲーム内説明
第一次世界大戦における最強の軽巡洋艦のひとつとして知られており、その大きさの割に強力な主砲と雷装を備えていた。
速力も優秀であり、装甲防御の面でも強豪国の類似艦と同程度の性能を持っていた。
解説
今まで小口径の主砲しかなかったドイツ巡洋艦に、ついに魚雷が装備された
主砲も150mm砲にパワーアップ
しかし機動力が同Tier巡洋艦と比べて相対的に悪くなったこともあり、これまでのドレスデン、コルベルクとは使い勝手が変わってくる
- 主砲
艦首に2門、艦尾に2門、両舷に2門ずつ、という配置
150mm砲になり、HE弾の火災発生率が向上した。
基本はAP弾主体でも、戦艦などにはHE弾で燃やしていくやり方が有効になった
- 魚雷
両舷に2基4門ずつ配置されている
射程が4.5kmと機動力や隠蔽に比べると短いので、無理に使うよりも使えるときに使う感じでよいだろう
- 機動力
旋回、速力ともに同Tier巡洋艦に比べて悪くなった
前級コルベルクに比べて控えめな立ち回りになるだろう
- 対空
対空装備もここから実装されている
ただし、一応対空装備はあるぞ、といえる程度
- 強化
編集待ち
史実
カールスルーエ(Karlsruhe)はドイツ南部の都市名に由来する。
第一次世界大戦期のカールスルーエは2種類存在したのだが、煙突の数や兵装から考えると本ゲームのカールスルーエは中南米で活動して謎の爆発事故で沈没したほう(煙突4本、105mm主砲)ではなく、ケーニヒスベルク級軽巡洋艦の3番艦のほうであろう。
このケーニヒスベルク級というのも複数あり、Tier5ケーニヒスベルクとは別のものである。
姉妹艦は、ケーニヒスベルク、エムデン、ニュルンベルク(これもTier6ニュルンベルクとは別のもの)があった。
ケーニヒスベルク級軽巡洋艦
艦名 | 起工 | 進水 | 竣工 |
ケーニヒスベルク | 1914年 | 1915年12月 | 1916年8月 |
エムデン | 1914年 | 1916年1月 | 1916年11月 |
カールスルーエ | 1915年 | 1916年1月 | 1916年12月 |
ニュルンベルク | 1915年 | 1916年4月 | 1917年2月 |
第一次世界大戦
ケーニヒスベルク、エムデン、カールスルーエ、ニュルンベルクはホッホ・ゼー・フロッテ(Hochseeflotte、大洋艦隊と訳されることが多い)に属した。
カールスルーエ級軽巡洋艦4隻の完成はユトランド沖海戦の後で、以降はホッホ・ゼー・フロッテはイギリスのグランド・フリートやロシアのバルチック艦隊との艦隊決戦を避けたということもあり彼女たちの出番はあまりなかった。
1917年秋のアルビオン作戦に参加した他は、機雷掃海や偵察任務中の小競り合い程度である。
スカパ・フロー自沈事件
1918年11月ドイツ敗戦。
ホッホ・ゼー・フロッテの軍艦のうち、指定された72隻は武装解除したうえでスコットランドのオークニー諸島にあるスカパ・フローに抑留されることになった。
エムデン、カールスルーエ、ニュルンベルクもスカパ・フローでの抑留リストに指定されていた。
一方ケーニヒスベルクはスカパ・フローには行かずドイツに留まることになった。
ドイツからスコットランドへの道中はエムデンが旗艦となり、ルートヴィヒ・フォン・ロイター少将がこの抑留艦隊の指揮をすることになった。
彼はいくつかの懸念を感じていた。
一つは艦隊の乗組員のうち下士官たちは共産主義に傾倒していて革命的暴動の恐れがあったこと。
もう一つはイギリスがこの艦隊を自国のものにするのではないかということだった。
ドイツ海軍はいくつかの海戦で敗れてはいたが決定的な敗北はなく、艦隊のダメージも軽微だった。
そのため、ルートヴィヒ・フォン・ロイター少将自身には負けたという実感が希薄であり、何もしないまま自分たちの艦船が敵に奪われてしまい弄ばれることに大いに不満だったのである。
イギリスの事情と言えば、こちらには戦勝国各国からドイツ軍艦の引き渡し要求が殺到しており、彼国らへのドイツ艦船の分配に悩んでいた。
ドイツの軍艦を引き渡すことで他国の海軍力を拡大させたくないのが本音だったのである。
実際、当時のドイツの軍艦は特にフランスにとって垂涎のものだった。
そういった事情もあり話はなかなかまとまらず、パリの講和会議は長引いた。
一方抑留艦隊では乗組員の不満が蓄積されていた。
イギリス流の慣習から乗組員は日中は艦内から出ることを禁じられていた。
ドイツのほうでは逆に艦内で過ごす時間は多くなく、航海中を除けば陸上ですごすことが多かった。
そのためドイツの艦船は居住性がイギリスのそれより低かった。
抑留は中立国でなされるべきであって、そうではなく英国の捕虜のようにされているという、自分たちが不当に扱われているという思いもあった。
共産主義的な革命分子の存在も無視できなかった。
これはイギリスも懸念し抑留艦隊側のルートヴィヒ・フォン・ロイター少将と交渉して段階的に乗組員の数は減らされ、順次本国へ戻された。
1919年6月ヴェルサイユ条約には抑留艦隊の降伏が定められた。
ルートヴィヒ・フォン・ロイター少将はイギリスが強制的に艦隊を接収するのではないかと考え、自沈を決断し計画を秘密裏に進めた。
最初は側近や幹部たちと、その後下士官達へも順次計画が伝えられて準備が進められていった。
実際にイギリスも自沈の恐れを想定していて武力接収の準備をしていた。
1919年6月21日、この日は朝からスカパ・フロー駐留のグランド・フリートが訓練のため出航した。
ルートヴィヒ・フォン・ロイター少将は頃合いを見計らって「Paragraph Elf. Bestätigen.“(パラグラフ11。確認されたし)」という信号を艦隊に伝えさせた。
これは「自沈せよ」の合図であった。
多少の伝達の乱れはあったものの、ドイツの軍艦は一斉に自沈を始めた。
70隻以上もの規模の現役のドイツ新鋭艦が一斉に沈む光景は壮観であったことだろう。
残存していたイギリス軍は慌てて自沈を阻止するために行動し、その中でドイツ側の9人が射殺された。
これは第一次世界大戦の最後の戦死者となった。自沈による溺死などの死傷者はいなかった。
イギリスが座礁させて沈没を阻止できたのは戦艦1隻、巡洋艦3隻、駆逐艦18隻。
残り約50隻は沈没した。
自沈事件後
- カールスルーエは自沈に成功した。
現在も沈没したままそこにあり、ダイビングスポットとなっているようである。 - エムデンとニュルンベルクはイギリスの手で座礁させられ、自沈は阻止された。
- エムデンはその後フランスに引き渡され、1926年に爆発実験に使用され解体処分となった。
- ニュルンベルクはイギリス所有となり、ワイト島で砲撃の標的艦となりそこで沈没した。
- ドイツにとどまっていたケーニヒスベルクは、フランスへ引き渡されてフランス海軍所属となった。艦名もメス(Metz)に変更された。1936年解体処分。
カールスルーエの現在
Cava島の北西(北緯58度53分35.7秒/西経3度11分39.4秒、深度約25m)に沈んでいるようだ。
下記Webサイトで、どのような姿で沈んでいるかを垣間見ることができる。
Scapa Flow: Historic Wreck Site
ダイバー撮影によるカールスルーエ
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