『裏話 ~後遺症~』

Last-modified: 2015-06-27 (土) 23:15:57
509 :魔:2008/04/04(金) 23:43:10 ID:???
『裏話 ~後遺症~』
※この物語は、『天と地の差の裏話』の続編にあたります




今から少し前に、街を脅かす事件があった。
あるちびギコが猟奇的連続殺人を侵すという、未曾有の事件。

全てを知っている者は、一人だけしかいない。
関わった者は彼以外、皆死んでいったからだ。

AAの命が軽いこの街では、事件の意外性はあっても、関心はあまり向かなかった。
何も知らない者達は、何も知ろうとしないまま。
知ろうとした者達は、何もつかめないまま。

そして、その事件が遺した爪痕は忘れ去られていった。
全てを知る、一人のAAを除いて―――。




※

ポストにあった新聞を手に取り、部屋に戻る。
崩れ落ちるようにしてソファに座ると、それをテーブルに拡げた。

「・・・」

じっくりと、なめ回すように新聞を見る。
お目当てのニュースがなければ、項をめくって更に探す。

羅列された文字達が伝えるのは、政治と芸能の話ばかり。
どれもこれも、ちょっとしたお偉方の失言を叩いたもの。
やはり、これらを見ていつも思う事は、『他に報道すべきものが沢山あるだろう』。
新聞を読んでいる男、ウララーはそう心の中で歎いた。

※

あの凄まじい出来事から、一週間。
その間、片腕が黒い少年や化け物を扱ったニュースは、殆どなかった。
半ば国から忘れ去られた街とはいえ、大量の無差別殺人が起きたというのに。

公園にも、ギコと化け物という証拠を放置していた。
それなのに、メディアはおろかネットですら話題にならなかったのだ。
もし業者が処理したとしても、ギコはともかく化け物に対して何かを感じる筈だ。
あの刀のような爪を持っていた、VというAAに。

死体がそのまま放置されている、という理由は自分が否定した。
後日、しっかりと己の眼で確認したからだ。
勿論、Vはおろかギコの脚もしっかりと片付けられていた。
血も、あの大雨で全て洗い流されている。

※

証拠というものが殆どなくなってしまい、今に至る。
もう終わったことなのだから、気にしない方がいいのかもしれない。
しかしそれでも、自分以外の誰かが見つけた爪痕を探すことはやめない。

でないと、自分が自分でなくなってしまいそうな気がして。

「・・・無い、か」

自分以外誰もいない空間で、一人呟く。
余す所なく新聞を漁ったが、それらしいものは見当たらなかった。
それなりの時間が経っているので、当たり前ではあるが。

溜め息をつき、腹に巻かれた包帯に触れる。
あの出来事が夢ではないと教えてくれる、唯一の証拠。
残ったものは、その傷ともう一つ―――。

510 :魔:2008/04/04(金) 23:43:58 ID:???
※

愛用の銃を、弾倉と一緒に引き出しから取り出す。
弾倉に銃弾が入っているのを確認したら、それをグリップの中に入れる。

「・・・」

ふと、手の中でそれを翻してみる。
ひたすら黒く、それでいて鈍く光を反射する銃。

思えば、自分の身体に似た色という理由で、銃に惹かれたことがある。
扱ってみると、想像以上に容易にAAの命を奪う代物。
それを、その力を自分以外の者の為に使うという理由で、擬似警官になった。

殺伐としているが、この街にはヤクザはいない。
だから、銃という武器は虐殺に溺れた者に非常に有効だった。
それにでぃやびぃのような危険なAAにも、距離を離して対応できる。

鈍器や刃物しかない地で、銃は圧倒的な力を持つ。
その為、使い方を誤れば恐ろしい兵器と化す。

「・・・」

ウララーは少しの間銃を眺めた後、ホルスターにおさめる。
更に引き出しから小物とウエストポーチを取り出し、ゆっくりと静かに外に出た。

―――その心に、飢えと渇きを以って。




※

出掛けた先は、街の顔ともいえるあの公園。
今ではすっかり、賑わいを取り戻している。
被虐者も一般AAも、それぞれの楽しみの為に遊んでいた。

「・・・」

ウララーは、そんなAA達を軽く観察しながら公園を散策する。
ベンチに座り、肩を寄せ合うカップルもいれば、ボールを蹴りあう子供達もいる。
この遊具が多い区域だけは、地上の楽園と感じてしまうほど、平和だった。

ある程度そこを観察した後、踵を返す。
次は、雑木林の多い区域を目指し、足を動かした。




先程の区域と違い、この辺りは街らしさが垣間見える。
雑木林が間近にあることから、被虐者が身を潜める為によく利用している。
林の中に足を運べば、路地裏以上に被虐者が見つかることもよくある話。
だから、虐殺もよく行われる上、それが絡んだ事件も多発する。

擬似警官として、この区域は必ず見回らないといけない。
だが、今回だけは擬似警官ではなく、イチAAとしてもここに来た。
あの出来事で遺った、爪痕の埋め合わせの為に。

「ん・・・?」

ふと、足を止めてみる。
視界の隅で見つけたのは、不自然な形をしている植木。
垣根の役割をしている筈のそれは、AA一人が通れる位の隙間を作っていた。

形の崩れ方からして、人為的なもの。
誰かがここを、林への入り口にしてしまっている。
まさかとは思うのだが、念のためにとウララーは身を運び、中へと進んだ。

511 :魔:2008/04/04(金) 23:44:40 ID:???
※

雑草が自分の腰ほどまでに伸び、枝葉が進路を塞ぐ。
それが雑木林の本来の姿なのだが、手でそれらを掻き分けずとも難無く進めた。

被虐者が隠れ家として、ここを切り開いたのなら構わない。
が、擬似警官の持つ勧か、違和感はその答えを否定する。

「これは・・・」

視界に奇妙な色彩を持つ葉が飛び込み、目線を持っていく。
足を止めてそれをじっくり眺めると、血が付着しているということがわかった。
親指でこすってみると、僅かなぬめりを感じつつ、指にこびりつく。

まだ、新しいものだ。
匂いを嗅いでみると、被虐者のものではない。

「当たり、か」

ウララーは事実に溜め息をつき、林の奥へと進んでいく。




奥に進むにつれて、その血の跡は確実に増えていった。
雑ながらけもの道を作り、かつ痕跡を遺している。
犯人は、己の保身よりも虐殺が齎す快楽を優先して行動しているようだ。
虐殺厨ともなれば、そんな余裕などないのだろう。

暫く歩くと、血の匂いが強くなる。
加えて、眼の前には壁のように進行を阻む草木。
葉の隙間から見えるのは、ちょっとした広い空間。

その中に、一つの人影があった。
人影はその場に屈み、湿っぽく粘っこい音をたてている。
そこで、これ以上息を潜める必要はないとウララーは踏み、草木を掻き分けた。

「何やってンだ」

「!?」

ウララーが声を掛けると同時に、女は驚く。
女のその朱色の身体は、どこを見ても赤く汚れていた。

足元には赤黒い塊が、血だまりの中に横たわる。
恐らく、女が持つ包丁で挽き肉になるまでめった刺しにされたのだろう。

「何、ッテ・・・見テワカンネェノカ? 虐殺ダヨ」

と、女は罪悪感など全くないようなそぶりで応える。
どうやら、ここまで死体の形を奪えば、一般AAか否かを見分けられないと思っているようだ。

だが、ウララーは既にこれが被虐者ではないと理解している。
血の匂いがそれなのだが、己以外に通用しない証拠だ。
言い逃れを防ぐ為、ウララーはカマを掛ける事にした。

「虐殺、ね・・・わざわざこんな所まで運んでやるものか?」

「アンナ広イ場所デヤッテモ、無駄に目立ツダケダカラナ」

「・・・だろうな。そんな緑の体毛のAAを公の場で虐殺するのは、注目の的だろうな」

「ッ!」

女が、言葉を詰まらせる。
体毛の色なんて、既に真っ赤に染まってウララーには判別できない。
単なるでまかせだったのだが、運よく当たったのだろう。
もし外れたとしても、それが被虐者でないと理解していることを仄めかせばいいだけだ。

「何故・・・ワカッタ」

女の表情が強張る。
それは寧ろ、開き直るといった感じだった。
女はゆっくりと包丁を持ち上げると、切っ先をウララーの喉に向ける。

「半信半疑だったんだがな。いや、お前が正直者でよかったよ」

包丁の刃を向けられているのに、あえて煽るウララー。
同じように、ホルスターから銃を静かに引き抜く。

512 :魔:2008/04/04(金) 23:45:01 ID:???

得物の差は歴然としているのに、女は刃を向けてきている。
それは裁かれたくないというあがきなのか、或いは己の身体能力に余程の自信があるのか。

「・・・何故、刃を向ける?」

答は自分の中でかたまりつつあるが、あえて問うウララー。

「単純ナ理由サ。追ウ者ヲ殺セバ追ワレズニスム」

女は口角をつりあげ、目を細めて笑う。
直後、素早く屈んだかと思うと、地面を蹴ってウララー目掛け飛び込んだ。

「!」

虐殺厨を裁く時、擬似警官は逆に襲われることも珍しくはない。
人質をとる強盗と同じで、奴らはひたすら抗うのだ。

だから、こういったシチュエーションにウララーは馴れている為、冷静でいられた。
飛び掛かってきた女が振るった包丁を身体を反らして避け、擦れ違い様に一発。
包丁はウララーの肩の皮を裂き、鉛弾は女の腹部を貫いた。

「ガアァッ!?」

突然の激痛に女は対応できず、地面に滑るように倒れ込む。
ウララーはそれとは逆に、追い打ちを掛ける為にと女の方へ踵を返した。

「無駄な事をするから、無駄に苦痛が増えるんだよ」

「ッッ・・・テメ―――」

動きを止めたら、後は仕事を熟すのみ。
ウララーは女の言葉を無視して、その頭蓋を狙って炸裂音を響かせた。




※

「・・・ふぅ」

短く息を吐き、銃をホルスターにおさめる。
その場に残ったのは、女が虐殺していた肉塊と女の遺体。
あとは木々が風に揺られて、ざわめいた合唱が聞こえるだけ。

ここなら、都合が良い。
擬似警官としての行動は終えた。
次は、イチAAとして動くのみだ。

用があるのは、女の遺体。
先ずは作業しやすいようにと、仰向けに姿勢を整える。
確認するまでもない事だが、瞳孔はしっかりと開いている。

「・・・」

次に、ウララーは家を出る際に用意していたウエストポーチに手を掛ける。
片手で器用にそれを開け、取り出したのは刃渡り十数センチのナイフ。

この街では、虐殺の為ならナイフは非常に便利な道具。
反面、虐殺以外では殆ど用のないものである。
だから、擬似警官が持つ事は寧ろあまり好ましいものではない。

それなのに、ウララーはナイフを握る。
虐殺厨の遺体も、普段は裁いた後は触れずにおくもの。
何故ウララーは擬似警官でありながら、このようなことをするのだろうか。

答は前述の通り、自分自身の為。
それは、あの出来事がウララーに刻んだ傷。
爪痕を埋めるものが、虐殺厨の遺体にあるからなのだ。

513 :魔:2008/04/04(金) 23:46:17 ID:???

ナイフを逆手に持ち、女の胸に突き立てる。
景気よくそれは肉を裂き、肋骨をいくつか砕いた。
不快な音と感触が、それぞれ耳と手に残るが、気にしてはいられない。
ウララーは更に刃を走らせ、乱暴に解剖を続けた。

「・・・っ」

自分は医者でもないし、扱っているものはメスですらない。
だから、女の胸は獣が食い散らしたかのように切り開いてしまった。
ただでさえ内臓に不快感を覚えるのに、これでは自縄自縛を行っている。

うっすらと胸やけを感じるが、背に腹は変えられない。
爪痕を埋める為には、なんとしてでもそれにたどり着きたいのだから。

折った肋骨と剥いだ皮を一緒に切除し、肉塊の上に投げ捨てる。
べしゃと湿った音がして、少量の血が辺りを汚す。
次いで、肋骨に守られていたそれらを分け、取り出していく。
その先にあるものは、生命を支える赤いモノ。

「・・・あった」

動かない心臓を見つけ、ウララーは喜びと共に呟いた。




※

あの出来事以来、ウララーの精神を苛むものが芽吹く。
原因はおそらく、フーの亡きがらを抱いて帰路についた事。

視界を阻む程降りしきる雨の中でも、その臭いはした。
皮膚を失い、露になった肉から漏れる血の腥ささ。
それを、否応なしにウララーは身体の中に入れてしまったのだ。

虐殺を好む者にとって、被虐者の悲鳴は高揚感を煽る音楽。
さしずめ、はらわたや血の臭いは煙草の煙のようなもの。
科学的に証明されていないものの、それらには妙な中毒性があった。

それがウララーの心を蝕むようになるまでに、時間は掛からなかった。
喉を掻きむしりたくなるような渇きを潤すには、元である血が必要になる。
しかし、自分は擬似警官という立場である為、虐殺は行えない。

渇きを抑える為に自らの血を飲んだこともあるが、どうしてか効果は全くなかった。
半ば命懸けの折衷案も、身体はうんともすんとも言わなかった。

そして、ウララーが行き着いた答が、虐殺厨の血を貰うこと。
だが、それでは裁く事の意味がなくなってしまう。
死体を漁ることをしてしまえば、それは虐殺と変わりない。
擬似警官という肩書を殆ど踏み外したような結論だが、本人にはそれ以外に道がないのだ。

※

「・・・」

血管を切断し、女の身体から心臓を切り離していく。
中身を、血液をなるだけ零さぬように慎重に。

上手いこと切り離して、ウララーはそれを掲げる。
その血の詰まった肉の袋は、それなりの弾力をもっている。
取り出す際に漏れた赤い液が、艶かしく滴り落ちる。

奇妙な妖艶さをウララーは感じ、ついそれを眺めていた。
ふと我に返ると、やるべき事を思い出し行動に出る。
何度かやってきたことだが、多少ながら躊躇ってしまう。
それでも、方法はまだこれしかないのだから、やるしかない。

ウララーは心臓の穴の開いた所に口をつけ、一気に煽った。

514 :魔:2008/04/04(金) 23:46:58 ID:???

「っ!!」

最初は、鉄分の味。
直後、むせ返る程の腥ささが鼻をついた。
独特のぬめりが喉に絡み付き、それを身体が拒絶する。
内臓までも戻しそうな勢いで吐き気が込み上げてくる。

ウララーは中身がなくなった肉の袋を投げ捨て、両手で口を塞ぐ。
逆流してきた胃液と血を、必死で押し込めようとする。

「―――!」

身体は受け付けなくとも、精神がそれを欲しているのだ。
吐き出してしまっては、元も子もないわけで。

脂汗と涙が溢れ、全身が殆ど痙攣しているかのように震え出す。
それでも、ゆっくりと、確実に血を飲み込んでいく。

ほんの少量でも、喉を通過する度に酷い不快感を覚える。
胃はそれを押し出そうとしているのに、無理矢理詰め込もうとしているからだろうか。
気絶しそうな程の胸やけを感じながら、渇きは確実になくなっていった。

口の中のものを全て胃におさめても、両手はそのまま。
姿勢も足の指一本動かすことなく、状態を維持する。
下手に行動すると、また胃液が逆流しかねないからだ。
ウララーは石になったかのように、その場からぴくりとも動かなかった。




※

どれくらいの時間が経っただろうか。
無限とも感じ取れる時の中、気絶と覚醒の境目を覚束ない足取りで歩いていたような。
そんな奇妙な感覚も消え、胸やけも何もかもがおさまった。

「はあ、っ」

ウララーはとりあえず、緊張を解く為に息を大きく吐いた。
直後、自慰の後のような倦怠感が、全身を包み込む。
やっと冷静になることができた今、今後の事を考えなければ。

ほぼ殺人と同じ事をする為、人目のつかない所で虐殺する虐殺厨。
そいつらを追う事で、自分も人目のつかない所で血を啜る事ができる。
だが、そんなことばかりしていては、いずれ誰かにバレてしまうだろう。
虐殺厨が自分に見つかるように、恐らくは、同業者に。

いっそのこと、自殺してしまおうか。
そう考えはしたけれど、それではフーにあわせる顔がない。
家庭も何もなく、その上眼まで亡くしたフーでさえ、生を望んだからだ。

それに、あの少年だって被虐者という立場でありながら、彼なりの生を探していた。
片腕を焼かれる程の、凄まじい虐待を身に受けても、だ。
そんな彼等がいるというのに、くだらない精神の病に侵されているだけの自分が、自殺していいのだろうか。

「・・・いや」

自分だけが、逃げていい筈がない。
ヒトの命が軽いこの街で、自殺という選択肢を選んでいいわけがない。

たとえ狂ってしまいそうな程の苦痛を感じても、生き延びる。
皮を剥ぎ取られようが、全身の骨を砕かれようが、はらわたを焼かれようが。
自分は、フーの為にも自身の為にも、生き延びなければならない。

515 :魔:2008/04/04(金) 23:47:33 ID:???

渇きも失せ、精神も持ち直した。
自身が今するべきことは、特にない。
せいぜい、身体に付着した血糊を落として帰路につく位だ。

「・・・」

何と無く、辺りを見回してみる。
風に揺られ、優しく踊る木々達に囲まれた空間。
外からは見慣れていたこの雑木林も、中から見るとまた違った印象だ。

どうせ、家に帰ってもすることは何もない。
せっかくだから、この雑木林の中を歩き回ってみようか。
広大な公園とはいえ、迷うことは滅多にないだろう。
と、あいた時間を潰す為、ウララーは雑木林の更に奥へと足を運んだ。

※

自分の腰のあたりまで伸びた雑草。
所狭しと生えている電信柱ほどの太さの木々。
それにこれでもかという程絡み付く蔦。
奥に進む度に、段々と雑木林は濃さを増していく。
もはやそれは、樹海と勘違いしてしまいそうな勢いだ。

まるで異次元に入り込んだような感覚。
そこまで広くないと思っていたのに、これはとんだ誤算だった。

(・・・自殺しないって決意したばっかりなのにな)

万が一のことを想像して、鼻で自身を自嘲する。
だが、林の中は被虐者はおろか虫の気配すら全くしない。
先程から感じている異次元というそれも、あながち間違いではないのかも。
そんな無駄な妄想をしつつも、足を動かす事は止めない。

暫くして、視野が広がった。




「ここ・・・は?」

予想だにしないものが視界に飛び込んだので、思わず声に出す。
木と雑草しかない筈のこの雑木林の中に、建物があったからだ。

土色になり、ヒビと蔦にまみれたコンクリの壁。
ガラス窓は全て割れていて、カーテンが無惨な姿を露にしている。
何十年もの間放置されたようで、損傷は激しかった。
建物自体の大きさはあまりなく、周りの木々よりも背は低い。

存在する場所も兼ねて、その建物は不気味だった。
本当に、異次元に入り込んだような気にさえなってしまう程。
不用意に近付くのは危険だろう。

「・・・!」

そう警戒した矢先のことだ。
建物の入り口付近に、血の痕。
色合いからして、まだ新しいもの。

雑草を掻き分けてそれに近付き、血糊を調べる。
指で掬い臭いを嗅いでみるも、一般AAではなく被虐者のものだ。
自分が動く必要は、なさそうだ。

(だが・・・)

入り口に立つと、奇妙な感覚が更に強まる。
今度はこの建物自体が、自分を誘っているような。

しかし、こんな不気味な建物に易々と入ってはならない。
不確定要素が多過ぎる上、思考が警鐘を鳴らしている。

―――入れば、また自分は大きな事件に巻き込まれてしまう。と。

どうしてそう考えてしまっているのかは、わからない。
あの出来事でさえ、フーの悲鳴を耳にしただけの話。
いつどこで、何が起きるかなんてわかる筈がないのに。

516 :魔:2008/04/04(金) 23:47:55 ID:???
※

複雑な気持ちの中、建物に入る事にした。
血糊は、奥の方に点々と落ちている。
あたかも自分を誘っているかのように。

「・・・」

意を決して、血の痕を追って歩いていく。




驚くことに、建物の中には光があった。
天井の蛍光灯は全て沈黙していたが、足元の非常用照明は生きている。
内も外も棄てられたこの建物を、必要としている者がいるのだろう。

(だが、ここは・・・)

一体、何に使われているのだろうか。
パッと見た感じでは、病院のような構造。
所々にある部屋を覗くと、医療器具らしきものとベットがある。
どれも赤錆と埃にまみれていて、使い物にならないが。

他にも、奇妙な形をしたフラスコや蛍光色の液体が入ったビーカー。
何に使うのか全く想像できない大きな機械まである。
揚げ句の果てには、診療台の上で白骨化したAAまでもがいた。

そこまで見て、ウララーはある事を思い出す。
都市伝説として聞いた、Vという化け物の話。

Vが存在したというのなら、研究所も実在しているということ。
もしかしたら、ここはVが造られた研究所ではないだろうか。
そう考えるのは安直過ぎるが、他にまともな答が見つからない。
病院だとしても、不必要なものがあまりにも多過ぎる。

解きたい疑問と知りたくない答という、相反する気持ちを抱きながら、ウララーは更に血の痕を追う。
赤錆とヒビに塗れた建物の廊下を、ゆっくりと踏み締めながら。




外から見た時よりもずっと広く、入り組んだ空間。
ふと、前方の突き当たりを見ると、強い光が漏れているのがわかった。
非常用照明なんかよりもずっと明るい上、血の痕もそこに進んでいる。

「・・・」

その光から感じるのは、光の色とは正反対のどす黒さ。
認めたくはないが、それはVの放つ殺気と全く同じだった。

だが、ウララーは冷静だった。
先程から感じている違和感が、思考を麻痺させていたからだ。
殆ど導かれるがままに動いてきたウララーにとって、それは障害にすらならない。

何も考えず、突き当たりを曲がって光を見る。
そこには、割れたガラスで隔たれた巨大な空間があった。

例えるなら、水族館にある大きな水槽。
その中にあるものを全て取っ払ったようなもの。
天井にある円い蛍光灯が、その空間を激しく照らしている。

「・・・ッ」

その空間の中は、凄まじいものだった。
ほぼ全体が、血糊と思しきもので黒く塗り潰されている。
白骨化したAAも、半ば形を失いつつそこらじゅうに散らばっている。
研究員のものと思われる、血みどろの白衣も紛れ込んでいた。

517 :魔:2008/04/04(金) 23:48:57 ID:???

都市伝説として、聞いた通り。
あまりにも類似した点がありすぎて、不気味なことこの上ない。
うっすらと吐き気を催しながら、ガラスの壁の下部にあったパネルを見つける。

それは埃と乾いた血糊で酷く汚れていた。
よせばいいのに、気が付いた時にはその汚れを指で払いのけていた。

「・・・嘘、だろ」

もはや、感情なき笑いしか込み上げてこない。
そのパネルの真ん中に、小さくも凛々しく彫られた文字が一つ。

―――『V』

あの化け物は、ここで育てられた。
疑問が、確信となってしまった。

なにもかもは、遠い過去のこと。
だが、ウララーはやり場のない怒りを覚えていた。
あの出来事の片棒を担いだ者は、既にこの街で産声を上げていたのだった。

全ては終わってしまった話。
それなのに、子供が吐く負け惜しみのような気持ちが溢れ出す。
もっと早くここに気付き、Vが育つ前に殺していれば。と。

ウララーはその場に崩れ落ち、パネルに恨めしく爪をたてる。
がり、というそれを引っ掻く音は、燻り始めた復讐心の声のようだった。
同時に、フーと一緒に過ごした日々がフラッシュバックする。
更にそれに呼応して、あの出来事もコマ送りで再生されていく。

涙が溢れているということに気付くのには、少し時間が掛かってしまった。




※

不意に、物音がした。
咄嗟に涙を拭い、物音がした方を向く。
少しだけ開いた扉の奥で、すう、と影が動くのが見えた。
大きさからして、ちびギコかその位のAAのようだ。

こんな廃墟に用のある子供なんていないだろうに。
そう考えたが、もしかするとホームレスの類かもしれない。
雨風をしのぐだけなら、ここは都合の良い場所になるだろう。
被虐者という線もあるが、無駄に思考を張り巡らせても意味はない。

「・・・」

とりあえず自分の眼で確かめようと、ウララーは立ち上がる。
念のため、銃の中に弾が込められていることを確認してから、扉へと向かった。

きい、と不快な音をたてながら扉を開く。
用心に用心を重ねつつ、ゆっくりと中に入る。

中は先程見てきた部屋達と、なんら変わりないものだった。
節操なく並べられた怪しい道具や薬品、そして白骨。
ただ唯一、散らばっている血糊がまだぬめりを持っている所が違っていた。

「これは・・・」

被虐者という答は、間違いだと悟る。
赤い液体をばらまく者は、決まって加虐者しかいないからだ。
残る選択肢は、危険を孕むものばかり。
だが、それでも確認せざるを得ないわけで。

抜き足差し足と、部屋の奥へと進む。
ふと、妙な音がかすかに聞こえた。
ウララーは一端動くのを止め、音を拾う事に集中する。
その音はどこか湿った感じのもので、咀嚼に近いものだった。

518 :魔:2008/04/04(金) 23:49:50 ID:???

更に耳をすますと、それは部屋の角から聞こえてくる。
慎重に、ホルスターの中の銃に手を掛けつつ、近付く。

「・・・」

そこには、子供がいた。
部屋の隅っこで、肉塊をゆっくりと咀嚼していた。
こちらに背を向けているので、顔は見えない。

影の正体はわかったものの、肝心の答が出てこない。
何故なら、子供は見たことのない容姿をしていたからだ。
ギコ種よりも濃い青をした身体に、特徴的な丸耳。
ちびギコじゃないかと思ったが、こういった雑種は前例がない。

「・・・?」

と、不意に子供がこちらを振り向く。
その顔立ちは、黒目がちなちびギコといった様子。
マスコットのような感じなのだが、口元の血が物凄いギャップを与えている。
自分も身体を血糊で汚しているから、あまり言えたことではないが。

「あなたは、誰ですか?」

「えっ?」

問い掛けようとした矢先、質問をされてしまう。
出鼻をくじかれたような気分だが、質問を質問で返すわけにはいかない。
とりあえず、自分の名前と身分を軽く説明しておいた。




「ウララー、さん。ですか」

「ああ」

ここに来た経緯はぼかして説明したが、言及はされなかった。
馬鹿正直に話しても、通じはしないと判断しての事だ。
子供からの質問が途切れた所で、今度はこちらから問い掛ける。

「お前はここで何をしている?」

「え?・・・えっと、生活?」

「どういうことだ?」

※

曰く、彼はこの研究所で産まれ育ったとのこと。
両親は試験管か、或いは血の繋がっていない科学者か。
そんな事が思い浮かんだが、一端それは保留することにした。

更に聞いていくと、研究所がこんな姿になったのは数カ月前だとか。
自分と同じ境遇のAAが、ある日暴走し出して研究員を虐殺。
生き残ったのは自分と、他の自分と同じ者達のみ。
その者達は数日してここを出たが、自分だけはここに残った。

※

「―――そして、今に至ると」

「うん。お腹がすいたら、『しぃ』っていうAAを捕まえて食べてた」

意外な言葉。
被虐者とはいえ、こんな子供が体格差のでかいAAを補食できるのだろうか。
もしかすると、この子供も強暴な一面を持っているのかもしれない。
かのVを研究していた所でもあるし、白だとは言い難い。

が、あえて言及することは避けた。
何故なら、そんな強暴性があったとしたら、今自分は生きていないだろうから。
それに、Vのような力を持っていたら、少なからず殺気が漏れる筈。

(『しぃ』か・・・)

被虐者だが、AAの肉を漁っていると話す彼。
容姿もあってか、ふとあの少年の影が垣間見えた。

519 :魔:2008/04/04(金) 23:50:32 ID:???

子供が一人で、こんな廃墟で生活をしている。
その事実は、自分にとって少しばかり心が痛む。

昔から、周りのAAからは情に脆いと言われていた。
しまいには『お前のヒトの良さはいつか身を滅ぼすぞ』とまで忠告されたような。

だが、それが自分である。
たとえ偽善と罵られようが、無駄な行為と評価されようが。
目の前にいる不幸を背負った者を、助けずにいられようか。

「なあ、お前」

「はい?」

「出会った事も何かの縁だし、俺の家に来ないか」

「・・・?」

言ってる意味がわからないとでも言いたげに、子供は首を傾げる。
世間から隔離された世界で生きて来たのだから、当たり前か。

「ここで生活するのは何かと不便だろう。俺が飯と寝床を用意してやるよ」

「・・・いいの?」

「ああ」

と、子供の表情が一変する。
そこには喜びと、ほんの少しの戸惑いが見えた。
話がある程度進んだ所で、ふとある事を思い出す。

「そういえば、名前を聞いていなかったな」

「名前・・・」

会話が途切れる。
最初は何かわからなかったが、反応からしてどうやら名前を貰っていない様子。
どうしたものかと考え、先程のVのパネルを思い出す。

「あー、悪い。今のはなかったことにして、お前の部屋に案内してくれ」

「うん」




※

先程いた場所と、さほど離れていない所に彼の部屋はあった。
Vの部屋ほど荒れていないが、建物自体が傷んでいるのでやはり見てくれは悪い。

「ここです」

彼にそう促され、相槌をうった後パネルを探す。
案の定、それはガラスの壁の下部に同じようなものがあった。
指で擦り、こびりついた汚れを落とす。
そこにはアルファベットでこう彫られていた。

―――『 P O R O R O 』

意味はわからないが、恐らくこれが彼の名前。
ちゃんとここに名前があるというのに、彼自身が知らないというのは少しおかしいが。
研究員達は、付けるだけ付けておいて彼をその名で呼ばなかったのだろうか。
そうだとすると、少し惨いような気さえする。

とりあえず、深く考えるのは止めておき、そのままの読みで彼の名前にすることにした。

「一緒に暮らすようになったら、お前の事は『ぽろろ』と呼ぼう」

「ぽろろ?」

「ああ、お前の名前だ」

「名前・・・」

彼、いやぽろろは少し考えたそぶりを見せた後、小さく笑った。
つられて、自分も笑みで返す。

520 :魔:2008/04/04(金) 23:51:02 ID:???

名前も決まり、後は家へと帰るのみ。
研究所を出た二人は、林の中を真っ直ぐ歩いていく。
道中、互いの名前を呼び合いながら笑って話した。

行きは恐ろしく広く感じたこの林も、帰りとなるとそうでもなかった。
あっさりと舗装された道を見つけると、寄り道せずに帰路についた。
新しい生活を想像し、それに心踊らせながら。




※

研究所がなぜ雑木林の中にあったのか。
そこでVやぽろろが飼育されていた理由は。
あの研究所を扱っていた組織は。
語るには、謎が多過ぎる。

その謎に、ウララーはまた大きな事件に巻き込まれる羽目になる。
あの出来事が霞む程の、闇で生きる者に牙を剥かれて。

―――白昼夢は、悪夢へと姿を変える。



続く