【罰】後編

Last-modified: 2015-06-23 (火) 00:11:10
59 名前: 鍵 (gxeI9vq.) 投稿日: 2003/11/23(日) 05:22 [ fP04/wmM ]
1
          【罰】      後編


       僕は歩き続けた

          ずっと

          ずっと


       背中の十字架は

     歩くたびに大きくなっていく

     歩くたびに重くなっていく


     それでも僕は歩き続けた

           ずっと

           ずっと
.

60 名前: 鍵 (gxeI9vq.) 投稿日: 2003/11/23(日) 05:22 [ fP04/wmM ]
2


   断頭台にかけられるのを夢見ながら

.

61 名前: 鍵 (gxeI9vq.) 投稿日: 2003/11/23(日) 05:23 [ fP04/wmM ]
3

 べシャ、と嫌な音が狭い部屋に響いた。

 薄汚れた壁にベビギコの真っ赤な血が飛び散る。


 不思議と当たりはしんと静まり返っていた。
まるで凍っているのかのように、
彼女たちも、そして俺も動くことが出来なかった。

ただ一点。
ベビギコがいたところをそろって見つめていた。

 「……アァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!」
突然、静かな小部屋の中に悲鳴が響き渡る。
つぶされたベビギコの親の悲鳴だ。

 そして、その悲鳴とともに凍っていた時が溶け出していく。

 心の中から、
悲しみと、憎悪と、怒りと、憎しみと、
たくさんの感情があふれ出てくる。

 そして、

 俺の手の中にある、

 すでに血で真っ黒になった刀の切っ先が、

 鈍く光った。


 切る力を失った刀は、
物を切ることはできなくとも、
物を砕くのには十分だった。

 頭を砕き、脳髄を撒き散らす。
 胸を砕き、血糊を噴出する。
 腕を砕き、脚を砕き、背を砕き、腹を、手を、腰を、

 全てを砕く。

.

62 名前: 鍵 (gxeI9vq.) 投稿日: 2003/11/23(日) 05:23 [ fP04/wmM ]
4

 「ただいま。」
癖で誰にもいない部屋へと呼びかける。

 終わったんだ。
復讐も何もかも。


 家に帰ると風呂へと直行した。
返り血で真っ赤になった服を全て洗濯乾燥機に放り込む。
そしてじっくりと風呂につかる。
 湯船に浸かっているときは壁を見つめ続けた。
別に何かあるわけではない。
ただ、何も考えたくなかった。
だから壁を見続けることに集中した。

 風呂から上がったときには、
すでに洗濯は終わっていた。
乾いた洗濯物を手馴れた様子でたたむ。
 そして、今度は刀と靴を洗う。
 靴をドライヤーで乾かした後、
部屋をぐるっと見渡した。

 ワンルーム風呂トイレ付の部屋。
その部屋は、
一人暮らしの男が暮らしているとは思えないほど、
綺麗に片付けられていた。

 それを確認すると、
視線を部屋の中心にあるちゃぶ台に落とす。

 そこには、
白い封筒と、
真新しいカッターナイフが置かれていた。

63 名前: 鍵 (gxeI9vq.) 投稿日: 2003/11/23(日) 05:23 [ fP04/wmM ]
5

 カッターナイフを手に取る。

カチリ…カチリ…。

 ゆっくりと指に力を加える。
それにあわせて鉛色の刃が押し出される。

 10cmほど刃が押し出されたところでその刃を眺める。
 灰色に鈍く光るその刃は、
つい先ほどまで振るってきた日本刀とは違い、
自分の顔すら映らないほど曇っていた。

 ゆっくり、ゆっくり、と、
まるでその動きをしっかりと確かめるような速度で、
カッターの刃を手首に当てる。
ひんやりとしたカッターの感触が手首を通して伝わってくる。

 俺はじっとそれを眺めていた。
そして、この手首を切ろうと、
カッターを持っている右手に力を入れた。

 怖い。

 突然体の奥から恐怖が地下水のようにあふれ出てくる。
 体中の全ての細胞が手を引くなと警告をしている。
全身の毛が逆立つ。
体中の筋肉が緊張で固まる。
 これは本能。
生命を維持しようとする自然の本能。
その本能が恐怖を発している。

 怖い、と。

だけど、俺の心は違った。
 腕を横に引け。
手首を切り裂け。
そして死ね。
そう言っている。
 けれど、俺の右腕は、
震えるのを抑えるので精一杯だった。

 きゅっ、と目を閉じる。
視覚からの刺激が無くなれば恐怖もなくなるはずだ。
 けれど、目を閉じたら閉じたで、
今度は手首に触れているカッターの刃の感触を意識してしまう。
ひんやりとしたカッターの感触。
そこからカッターナイフを想像し、
また恐怖があふれ出てくる。

 考えるな。
 考えるな。

 けれど恐怖は止まることは無い。

 考えるな。
 考えるな。

 目を閉じることに集中する。
目頭が痛くなるほど目に力を入れる。
歯を食いしばる。

 すると恐怖が少しだけ和らいだ。

 ゆっくりと、まるで天に掲げるかのように両手が上に上っていく。
そして、息を止めて腕を振り下ろした。


 鋭い痛みが左手首から体の中を走った。

.

64 名前: 鍵 (gxeI9vq.) 投稿日: 2003/11/23(日) 05:24 [ fP04/wmM ]
6

 赤い雫が左手首から顔を見せる。
じわりじわりと大きくなり、
やがて重さに耐え切れず、
ぺちゃん、と潰れ腕から流れ落ちる。
赤い線が腕につくられる。
そして、まるで蟻の行列のように、
手首から溢れ出る血は、
最初に流れた血がつくった細い線をたどって流れ落ちた。

 落ち着いていた。
先ほどまでの恐怖が嘘のようだった。

 恐怖と言う名の壁の向こうには何も無かった。
感動も無かった。
悲しみも無かった。
苦しみも、しいて言えば、
手首が少し痛いくらいだった。

 俺は流れる血を静かに眺めていた。
やがて、眺めているうちに強い疲れを感じた。
 今日は朝から気がはっていた。
たくさん動き回った。
その疲れが今になって出たんだろう。
 そう思い俺はベッドの上で横になった。
すぐに深い、とても深い眠りに就いた。


 意識が朦朧とする中、

 二度と起きることは無いだろうと、

 俺は思った。

.

65 名前: 鍵 (gxeI9vq.) 投稿日: 2003/11/23(日) 05:24 [ fP04/wmM ]
7


          夢
        
        
       駅の夢


    俺は急いでいる

  電車の時間が迫っている

 電車には恋人が乗っている

   だから急いでいる


       改札口

  俺は駅員に切符を手渡す

 そして改札口を抜けようとする

  けれど駅員の行く手をふさぐ

   突然後ろから少年の声


   この切符じゃ足らないよ

.

66 名前: 鍵 (gxeI9vq.) 投稿日: 2003/11/23(日) 05:24 [ fP04/wmM ]
8

 肌寒さを感じ目が覚める。
殆ど無意識の中、エアコンのリモコンを手に取った。
スイッチを押すと、ピッと電子音が鳴った。
だが、すぐに部屋が暖かくなるわけではない。
 とりあえず時計を手にとって眺める。。
針は6時を少し回ったところを示していた。

 やがて、だんだん暖かくなるにつれて、
頭にも暖かい血が回り、
意識がしっかりとしてくる。

 …あれ?

 俺は驚いた。

 「生きてる。」

 ぺちぺちと頬を叩いてみる。
「痛い。」
 うにーっと頬を引っ張ってみる。
「いたひ。」

 今までのは夢だったのだろうか。
ちびギコを殺したことも。
手首を切ったことも。
 そう思って左手首を見てみた。
けれど、
そこには血が固まりかけた生々しい切り傷が存在した。
ちゃぶ台には茶色く変色した血がこびりついたカッターナイフが無造作に置かれていたし、
ベッドのシーツにも所々赤いしみが付いていた。

 ふと、頬に何かが流れる感触を覚えた。
それが自分の涙だと気づくのに、
少し時間が掛かった。

 悔しかった。
決心していたのに、
失敗した自分が惨めで、愚かで。
悲しくて。
そして、
悔しかった。

 涙があふれてしょうがなかった。

.

67 名前: 鍵 (gxeI9vq.) 投稿日: 2003/11/23(日) 05:24 [ fP04/wmM ]
9

 一時間ほど泣き続けた後、
仕事のことを思い出した。
そういえば昨日は仕事を休んだんだ。
 重い体を動かし、仕事の準備をする。
しばらくして手首の傷をどうするか考えた。
2~3分ほど考えた後、
手首から手の甲全体にかけて包帯をしっかりと巻きつけた。
巻きつけている内に、
自分が情けなくなって、
情けなくて、
また、泣いた。
 準備を終え外に出る。
外の、太陽の日の眩しさが悲しかった。
冬の、雲ひとつ無い高い空が恨めしく思えた。

 仕事中、同僚にその手はどうしたのかと聞かれた。
 俺は自然に手の甲を見せ、
「飯を作っているときに包丁で…。
 風邪ひいているときに作るもんじゃないね。」
と苦笑いしながら言った。
すると同僚は大丈夫か?と一声かけてその場を立ち去った。
 仕事に戻っていく同僚の背中を見ているとき、
突然、胸の奥から寂しさが染み出てきた。

68 名前: 鍵 (gxeI9vq.) 投稿日: 2003/11/23(日) 05:24 [ fP04/wmM ]
10

 仕事からの帰り道。
朝からのことだが体が重い。
いっそこの場で倒れてしまいたい。
そう思いながら歩く。
けれどその思考もどこか曖昧だ。
まるでコールタールが頭の中にまとわり付いているようだ。
肩にかけているディパックも今日はどこか重い。
 ふと公園の前を通った。
比較的広く、
小さな林もある公園。
 俺はそこに入ると胸いっぱいに空気を吸ってみた。
草木の爽やかな香りと、
わずかな排気ガスの臭いが鼻を刺激する。
ふう、と一息つくと俺は手短なベンチに座り込んだ。
そして、ベンチの上でこれからどうするのか考え始めた。
ふと、頭の中にもういない彼女の姿が浮かんだ。

 『君』と一緒にいることが人生の希望だった。
でも、それはもう叶わない。
けれど僕は同時に一つの目的を見つけた。
それは復讐を果たすこと。
だが、それももう終わった。

 何も無い。
人も、
建物も、
道も、
天も地も。
真っ暗な世界。
俺を導いてくれる光すら指さない。
そこで俺はどうすればいいのだろうか。

 だが、考えはまったくはかどらなかった。
頭の周りを何かどろりとした黒いものが纏わりつき、
考えることを意識することで精一杯だった。
少しでも気を抜けばそのまま黒いものに包まれ何も出来なくなりそうだったから。

 けれど、
真っ暗な舞台に照明が照らされるように、
突如、俺の意識がはっきりした。
そして同時に頭の中で声が聞こえた。
それはとても悲しそうな少年の声だった。









      足りない





.

69 名前: 鍵 (gxeI9vq.) 投稿日: 2003/11/23(日) 05:25 [ fP04/wmM ]
11

 意識がはっきりする瞬間視界に何かが映った。
それに焦点をあわせる。

 ちびギコだった。

 いや、やや毛が長いからちびフサだろうか。
まあ、どうでもいいことだが。
 俺はちびフサを確認するとすぐに視線を落とした。
とりあえず頭がすっきりした。
それ以上は考えないようにしようと思った。
そのまますっきりとした気持ちで帰りたかった。
 けれど突然、強い衝動が僕を襲った。

 チビフサヲコロセ

 あいつを殺したいと言う気持ちが体の奥から溢れ出てくる。。
だがそれは、火山の噴火のような爆発的ではなく、
まるで、水が湧き出すように、静かに、ゆっくりと、けれども力強く頭の中を占領していく。
 必死で理性で抑えようとする。
けれど、自暴自棄となっている今の俺の理性では、
あまりにも力が無さ過ぎた。

 ゆっくりと腰を上げベンチから立ち上がる。
そして、一歩一歩踏みしめるようにちびギコの方へ歩いた。
途中ディパックへ手を入れ中を探った。
 そのとき一つ疑問が浮かんだ。
 いつも仕事のときに使うのは『ブリーフケース』の鞄だ。
なのに何故いま『ディパック』を持っているのだろう。
 ふと、手に何かが当たった。
取り出してみると、
所々に黒い染みの付いた日本刀だった。
 なぜこんなものを持ってきてしまったのだろうか。

 だが、俺はすぐに考えるのをやめた。
そのほうが楽だった。
そして俺は衝動の赴くままに動き始めた。

 ふと、ちびフサのほうに目をやる。
あさってのほうを向いて何かやっている。
こちらには気づいていないようだった。
 俺はちびフサの後ろに立つと鞘から刀を抜いた。
カシャシャシャシャシャと摩擦音が響く。
それに反応してかちびフサが振り向く。
が、そのときにはもう遅かった。
俺は振り上げた刀を振り下ろした。

 ちびギコ特有の大きな瞳と目が合う。
その瞳の瞳孔が一杯に広がるのが分かった。

70 名前: 鍵 (gxeI9vq.) 投稿日: 2003/11/23(日) 05:26 [ fP04/wmM ]
12

 ガッ。

 生き物の骨を砕く感触が、
腕から、肩、首、頭へと染み込んできた。
 それはいかなる麻薬よりも気持ちよく、
そして、蠢く蟲の大群以上に気持ち悪かった。
 ひと時がとても長く感じ取れた。
大きな息をつきながら、
俺はちびフサを撲ったままの体勢で動きを止めていた。
ただ、じっとちびフサを眺めていた。
 頭が半分潰れ寒天のような灰色の脳髄が少しはみ出ていた。
大きな瞳はと言うと、片目は飛び出て、
飛び出さずにすんだもう片目は虚空を見つめていた。
鼻と耳からはどす黒い血をだらだらと流していた。
 誰が見ていても死んでいるだろう。
 だが、突然片目がぎょろりと動き俺を捕らえた。
 冷たいものが背中を走る。
恐怖が体の中を駆け抜ける。
 僕はもう一度刀を振り下ろした。
今度は真っ赤な鮮血が当たりに飛び散った。
 更に刀を振り下ろす。
 もう一度。
 もう一度。
 服に血がかかる。
顔や手に血の赤いしみが出来ていく。
周りの草や木を赤く染め上げていく。
 それでも俺はやめずにちびギコを叩き続けた。
 何度も。
 何度も。

71 名前: 鍵 (gxeI9vq.) 投稿日: 2003/11/23(日) 05:26 [ fP04/wmM ]
13

 止めて欲しかった。
この俺の狂気を察して警察か誰かに止めてもらいたかった。
 けれど、止めてくれる人は現れなかった。
 一人、主婦と思しき女性が現れたが、
軽蔑の眼差しを向けてその場を去っていった。
 それが当たり前だった。
 俺が今殺している相手、ちびギコには、

人権が無いから。


 1~2年前、テレビのニュースでこんなことをやっていた。
爆発的な繁殖能力を持つレッサーギコ種により、
各地で食糧難が発生。
また、また殆どのちびギコは低階級のもののため、
様々な都市でスラムが作られ、
それが犯罪の温床になるなどの問題も発生した。
そのため政府はレッサーギコ種の人権を破棄することを決定。
また、政府はこのレッサーギコ種の殺戮を推奨した。
理由は、ストレス等の心理的フラストレーションを、
レッサーギコ種の殺戮により発散させるとか。

 だから、俺が今やっていることも、
傍から見ればごくありふれた事かもしれい。
そもそも人はろくに通らなかった。
仮に通ったとしても、
あの主婦のように止める気は無いだろうし、
止める理由も無いだろう。

 だから、俺はずっと叩き続けるしかなかった
ずっと、
ずっと。
 腕が疲れ、
持ち上がらなくなるまで。
ずっと、
 そして、指一本動かせないほど疲れたとき、
叩くのをやめた。
 そして、
泣いた。
 涙が溢れてしょうがなかった。

72 名前: 鍵 (gxeI9vq.) 投稿日: 2003/11/23(日) 05:26 [ fP04/wmM ]
14


   僕は歩き続けた

      ずっと

      ずっと


  とてもとても長い時間

      歩き続けて

  脚の感覚がなくなるくらい

       歩き続けて


       そして

       やっと

    やっと僕は見つけた


       それは

     自らを裁く断頭台

.

73 名前: 鍵 (gxeI9vq.) 投稿日: 2003/11/23(日) 05:27 [ fP04/wmM ]
15

 時。
 それは雲のよう。
注意しているときはとても遅く、
だけど、気が付けばとても遠くに行っている。


 生きる目的を失った俺は、
クラゲのようにただ流されるままに生きた。
仕事に流され。
環境に流され。
親に流され。
友人に流され。
 そして、
頭の奥から染み出してくる感情に流され…。

 いつの間にか、
桜が咲く春も過ぎ、
若葉が茂る季節になっていた。
それまでの間ずっと、
俺はちびギコを殺し続けた。
一応、死はいけないという誰でも持っている道徳観は持ち合わせている。
 だが、
それでこの感情を抑えきることは出来なかった。
 ちびギコを殺す。
これを行うたびに俺の良心はひどく傷つき、
そして、その後に沸き起こる罪悪感から、
感情を抑えきれない自分を恥じてから、
何度も、何度も、
俺は手首を切った。

74 名前: 鍵 (gxeI9vq.) 投稿日: 2003/11/23(日) 05:27 [ fP04/wmM ]
17

 ちびギコを見るたびに沸き起こる衝動。
それは怒りでも快楽でもなく、
それは、

 悲しみ。

 恥、悔しさ、後悔、絶望。
たくさんの生きる気力を失わせるような感情。
そして、それから逃げるようにちびギコを殺したくなる。

 骨を砕き肉を切り裂く感触。
耳に残る苦悶に満ちた断末魔。
染み付いたら消えることの無い血の臭い。
 それから巻き起こる不快感、罪悪感が、
悲しみの洪水から逃げる唯一の方法だった。
 だけど、いくら逃げ回っても、
この衝動が消えることは無かった。
むしろ、その水位は上昇していた。

75 名前: 鍵 (gxeI9vq.) 投稿日: 2003/11/23(日) 05:28 [ fP04/wmM ]
18

 あくる日のことだった。
 いつものように目覚め、
いつものように準備し、
いつものように仕事へ行く。
まったく代わり映えのない朝の風景、
の、はずだった。
 外へ出るといきなり万力でじわりじわりと締め付けるような、
悲しくも苦しい感覚を覚えた。
そしてすぐに、
それがいつもはちびギコへと向けられている衝動を、
縮小したものだと直感した。

 チビギコヲコロセと言う衝動が、
ちびギコ以外に向けられた。
 このときほど自分を恥じたことは無い。
俺は今、人として生きることすら危うい状況なのだ。
ちびギコを殺し、
自分の手首を切り、
それでも僅かに残った俺の最後の良心すら、
否定されようとしている。
 それはなんとしても食い止めなければならなかった。
 だが、衝動を抑えるのは用意ではない。
最初は真綿で首を締め付けるようなものだったが、
時が経つにつれて、
より強く、より激しいものへと変化していく。
 そして、それを押さえ込むのに毎日神経を使わなくてはならなかった。
 やがてその毎日に疲れた初夏のある日、
俺は決心した。

 それは、

 自首すること。

別に犯罪はしていない。
ちびギコ(レッサーギコ種)の殺傷も合法だ。
 でも、このままでは犯罪を犯してしまう。
人の命を奪うという大罪を。
 だから、
逮捕でもしてもらい、
拘置所にでも留置場にでも刑務所にでもつれてって欲しかった。
絶えず監視の目があるここならば、
大罪を犯さないですむ。
そう、俺は考えた。

76 名前: 鍵 (gxeI9vq.) 投稿日: 2003/11/23(日) 05:28 [ fP04/wmM ]
19

 交番の前。
自分で選んだとはいえ、
逮捕されるとなると足がすくんでしまう。
 だけど、
これを拒否してしまったら、
逮捕されるだけではすまないことになってしまう。
 そう思い、足を出し、
交番の中に入る。

 「こんにちは。どうかしましたか?」
にこやかに中にいた警官が迎えてくれた。
だが、俺のただならぬ様子を察したのか、
すぐに表情がけわしくなる。
 「…っ、お、……。」
「お?」
 言葉が出ない。
逮捕されるのはいけないと言うたいていの人が持つ、
やや湾曲された感情のためか、
ただ警官に迷惑をかけたくないためか、
ある種狂言にも見えるから恥ずかしいのか、
それとも、それら全部が混ざったのか、
言葉が喉から出てこなかった。
 「重要の話ですよね。
  でしたらそこに座ってください。」
椅子に座るように進める。
断る理由も無いので座ることにする。
 「で、いったいなんでしょうか?」
前に警官が座り、
俺の目を見つめ問いかける。
 「…お…。」
片手で言葉を放つのをとがめようとする気持ちを必死に抑える。
そして、もう片方の腕で、
今話そうとしている言葉を引きずり出す。
だけど、それはそう簡単な作業ではない。
時間だけだ過ぎていく。
 「お・・俺を…。」
もう少しだ。
あと少しじゃないか。
でも、つい力んでしまい、
歯を食いしばってしまう。
 「俺を…。」
思考を『今思っている言葉を話す』でループさせる。
恥といったとがめようとする気持ちを考えないように。
 そして、

 「俺を…、逮捕してください。」

言い切った。

77 名前: 鍵 (gxeI9vq.) 投稿日: 2003/11/23(日) 05:28 [ fP04/wmM ]
20

 警官の眉がピクリと動いた。
「それは、何か犯罪をしでかしたと言う意味ですか?」
「いえ、犯罪はやっていません。」
「では、何故自分を捕まえて欲しいと?」
「このままでは人を殺してしまいそうなんです。」
「……何故でしょうか。」
「…っ。」
 その言葉を聞いた途端、
胸がドキンとなり、
つい力んでしまった。
だから腹と胸と顎が痛くなった。
 言いたくない。
この衝動を他人に理解させるのは俺では不可能だろう。
中途半端に説明しても分かってもらえるとは思えない。
精神異常者と思われてしまうだろう。

 でも、
それ以外にどう説明すればいいんだ?
話をでっち上げると言う方法もあるけど、
0から話を作れるほど俺は想像力豊かじゃない。
それに、それで失敗したら地方紙の三面記事に載るような、
自作自演のお騒がせ事件やら何やらになり、
恥をかくだけだ。

 そして、
しばらく考えたあげく、
俺は決心した。
ありのままのことを話すことを。

 最愛の人がちびギコ殺されたことを。
その後毎日のようにちびギコを殺し続けたことを。
頭の奥からあふれ出す衝動のことを。
一つ一つ説明した。

78 名前: 鍵 (gxeI9vq.) 投稿日: 2003/11/23(日) 05:29 [ fP04/wmM ]
21

 話し終えた後、
警官はしばし考えた後、
頭をぽりぽり掻きながら言った。
 「まあ、話は大体分かりました。
 ですが、あなたを逮捕することは出来ません。
 今は、ちびギコを殺すのは合法です。
 そのため、現在はたくさんの人がちびギコを虐殺しています。
 その人たちを、一々対象が人に移り変わる可能性があるので逮捕するのはできません。
 もししたとしたなら社会が混乱になる可能性があります。
 他にも、
 あなたには前科が…。」
 失望した。
最後の希望とも言うべきものは、
やんわりと僕を避けた。
 裏切られたと言う悲しみと、
頼れるものが無いという絶望がどっと押し寄せてきた。
涙をこらえ、
席を立ちたいという衝動をこらえるので精一杯で、
警官の話を途中から聞くことが出来なかった。

 「とりあえず自分をしっかりと持って、
 その、衝動に流されずにがんばってください。
 暇があったら病院の精神科に診てもらうといいでしょう。
 がんばってくださいね。」
そう言って、
警官は肩を落として出て行く俺を見送った。
外に出ると、
初夏の、じっとりと湿気を含んだ生ぬるい風が吹いた。

79 名前: 鍵 (gxeI9vq.) 投稿日: 2003/11/23(日) 05:29 [ fP04/wmM ]
 22

 絶望の淵。
足が重い。
体がだるい。
考える気も起きなかった。
 交番から出るとすぐに近くの壁にもたれかかった。
空を見上げる。
空は静かに紫へと変わりつつあった。

 ため息をつくと同時に、
頭の中で言葉が響いた。
どこかで聞いたことのある、
悲しい、少年の声。

アトドレダケスレバイイノ?

 突然目が熱くなった。
それと同時に、
『僕』は悟った。
これからどうすればいいのか。

 そして僕は家に帰るといつものディパックを手にした。
中には前日よく磨いだ日本刀が入っていた。
いつの間にか全ての音が止んでいた。
周りの雑音もどこか遠くのように聞こえた。
家の戸を開けるとすでに日は傾きつつあった。
 家の扉を閉めると、
僕は自分に言い聞かせた。

大丈夫。
これで、最後だよ。

80 名前: 鍵 (gxeI9vq.) 投稿日: 2003/11/23(日) 05:29 [ fP04/wmM ]
23

 夕日の差し込む商店街。
その中を行きかう沢山の人。

 その光景を、
僕は静かに、そして冷静に見ていた。
そしてなぜか、
いつものあの衝動が湧いてこなかった。
 悲しくて、
悔しくて、
自分を叩き、
周りを叩き、
暴れたくなるような悲しい衝動が。

 でも、
それはもう関係なかった。
これは自分で決めたことだから。

 そして僕は刀を抜いた。

 のこぎりの様にギザギザになった刃に浮かぶ波紋が印象に残った。
誰かの悲鳴。
この凶器を見たからだろうか。
でも、
僕はそれにかまわず、
近くの人に、
刀を振るった。

鮮血が辺りを染めた。

81 名前: 鍵 (gxeI9vq.) 投稿日: 2003/11/23(日) 05:30 [ fP04/wmM ]
24

 目の前にいたモナー種の男の背中を切りつける。
肩甲骨を砕き、
その後ろの肺を切り裂き、
想像以上に血が噴出した。

 また悲鳴。
そして、周りにいる人たちは我先にと逃げ出す。
 その集団の中へ僕は突っ込んだ。
首を刎ね、
腕を切断し、
胸を抉り、
沢山の血を噴出して、
沢山の血を僕へ浴びせその場に崩れる。

 沢山の、本当に沢山の血を浴びせかけて。

82 名前: 鍵 (gxeI9vq.) 投稿日: 2003/11/23(日) 05:30 [ fP04/wmM ]
25

 僕はただ、
罪を償いたかっただけだった。
僕が最初に行った罪。
ちびギコ…いや、
僕を見上げ微笑をくれたあのベビギコを殺した罪を。

 けれど、誰も罰してくれなかった。
罪を消すことが出来ずに、
償うことが出来ずに、
心の中に重りとしてつけられた。

 理由は、
その罪はあまりにも軽すぎたから。
 けれど、僕にとっては、
背負いきることすら出来ない重い罪だった。

 それを償うことが出来なかったから、
新しい罪を作った。
その罪を償うことが出来れば、
この心の重りも一緒に取れると思ったから。
 けれど、これも償うことが出来ず、
ただ、新しい枷として心につけられた。
 これでも、まだ軽かった。

 だから、
もっと、もっと重い罪を犯すため、
もっと重い罪ならば刑を課せられ、
罪を償えると思ったらから、
僕は、
刀を振るった。

83 名前: 鍵 (gxeI9vq.) 投稿日: 2003/11/23(日) 05:30 [ fP04/wmM ]
26

 …五人…六人…七人…八人……。
僕は途中で数えるのをやめた。
 僕の心の大きな罪を、
新しい血で染め上げるのには途方も無い数に思えてきたから。

 地で手がすべり、
突きが下へそれた。
そのため切っ先は背中ではなくわき腹の後ろに突き刺さった。
腕を横へ動かすと、
いとも簡単にわき腹は裂けた。
 ずるりと血と一緒に黄色い海栗のような物を撒き散らしながら、
腸が裂けたわき腹からはみ出てきた。
 若いしぃ種の女の子だったからだろう。
その狂気の混ざった悲鳴は、
つい先ほどまで聞いていた群衆の叫び声よりもはっきりと聞こえた。
 垂れ下がった腸を臆すことなく持つと、
傷口へと押し込む。
だけど、手を離すとまたぬちゃぬちゃっ、と嫌な音を立ててはみ出てくる。
すると、また手でつかんで傷口へと押し込む。
 何度も、何度も。
恐怖と、狂気と、驚きと、悲しみの悲鳴を上げながら。
 僕はそのしぃを刀の背で2~3撲った後、
今度は刃で胸を突き止めを刺した。
 そして、踵を返して、
また、殺戮のために走り出した。

84 名前: 鍵 (gxeI9vq.) 投稿日: 2003/11/23(日) 05:31 [ fP04/wmM ]
27

 ハイヒールのためか、
一人のしぃが蹴躓き、転んだ。
すぐに立ち上がろうとするが、
腰が抜けたのか、
脚は辺りを引っ掻くだけだった。

 チャンス、と、僕は走るのをやめて、
ゆっくりと近づいた。

 体を捻り、
尻餅をつく格好で腕を使い後ろへと下がっていく。
足も動かすが、
アスファルトの地面に引っかかることなく空を切る。
 顔を恐怖で強張らせ、
涙をぽろぽろと流し、
言葉にもならない悲鳴を喉から吐き出しながら、
必死に後ろへと下がっていく。

 だが、その速度はあまりにも遅い。
ゆっくりとした僕の足取りでもすぐに追いついた。

 「 ヤァ。イヤァ。イヤァ。イヤァ イヤァ イヤァ ヤァ ヤァ ヤァァァァァァァァァァァァァァ!」
甲高い悲鳴を上げ、
反射なのか、片手で頭を覆う。
 その行為を眺めながら、
僕はゆっくりと刀を振り上げた。

 その頭を砕くために。

 生を奪うという大罪を犯すために。

 そして、

 その罪を背負い、

 その罪を償うと言う『形』で、


  自 分 を 殺 す た め に 。

.

85 名前: 鍵 (gxeI9vq.) 投稿日: 2003/11/23(日) 05:31 [ fP04/wmM ]
28

 そうだ。
僕はただ、
夢で見た『君』の乗る電車に一緒に乗りたかっただけなんだ。
僕は、『君』のところへ行きたかっただけなんだ。
 けれど、
僕は自分で自分を殺すことが出来ないから。
そんな勇気を持っていなかったから。
 だから、
罪を犯し、
罪を償うということで、
死を求めていたんだ。


 そして、僕は振り上げた刀を振り下ろそうとした。
そのとき、
突然腹を何かが突き抜ける衝撃を受け、
同時に、

 パン!という乾いた音が聞こえた。

86 名前: 鍵 (gxeI9vq.) 投稿日: 2003/11/23(日) 05:31 [ fP04/wmM ]
29

 2~3歩ほどよろめく。
不恰好に体を捻り、
後ろを振り返る。
 青い制服を着た警官が立っていた。
拳銃を構えて。
やや遠くでその顔は分からなかったが、
紛れも無く昼に話をした警官だった。
 それを確認すると、
その警官へ向かい足を踏み出した。

 閃光、衝撃、銃声。

 左肩をハンマーで叩かれるような衝撃が襲った。
 でも、
まだ倒れることなく、
また、数歩よろめくだけで、
僕は立っていた。
 さらに、足を踏み出す。
勢いをつけ、
走り出すために。

 また、閃光。

 熱せられた鉛球が胸を貫く。
 倒れちゃ駄目だ。
 だけど、脚に力が入らず、
脚に力を入れてるはずなのに、
その脚は後ろに動くことなく、
後ろに行き、体を支えることなく、
地面から離れた。

87 名前: 鍵 (gxeI9vq.) 投稿日: 2003/11/23(日) 05:31 [ fP04/wmM ]


30

 空が見える。
夕日で真っ赤に染まった空が。
雲ひとつ無く、
一面、朱色に染まった世界。

 倒れたことに気づくには少し時間が掛かった。
僕の体は銃の衝撃に耐えることが出来ず、
地面に倒れたみたいだ。
 頭の上のほうで走る音が聞こえた。
多分、ハイヒールを履いたしぃだろう。

 硝煙の匂いがあたりを漂う。
背中にあるアスファルトを、
僕の血が広がっていく。
 少し指を動かしてみる。
すると、ぴちゃりと血だまりに触れた。
 もうそこまで広がったのか。
出血は早いようだ。
 湧き水のように胸と背中の穴から血が出て行くのが分かった。
手首を切ったときに何度も感じた感覚、
体の先端からじわりじわりと温もりが無くなり、
次に、感覚がなくなり、
そして最後には、その中身すら、
中に入っている自分すら消えていくような感覚。
それを感じた。

88 名前: 鍵 (gxeI9vq.) 投稿日: 2003/11/23(日) 05:32 [ fP04/wmM ]
31

 一年。
今日は君の命日だね。
長かった。
とても長かったよ。
でも、
もうすぐ、会えるよ。
もうすぐ、君のところに行けるよ。

 遠くのほうでサイレンの音が聞こえてくる。
だけど、もうどうだっていい。
それが、増援の警察のパトカーのサイレンでも、
負傷者を運ぶための救急車のサイレンでも。
 だって、

もう君のところにいけるのだから。

 ふと、
目の前に君が現れた気がした。
その白く細い腕を差し伸べている気がした。
だから、
その腕をつかもうと僕は腕に力を入れた。

 ありがとう
迎えに来てくれて。

いま行くよ。


 だけど、

腕は、



動かなかった。

.

89 名前: 鍵 (gxeI9vq.) 投稿日: 2003/11/23(日) 05:32 [ fP04/wmM ]
32


     僕は歩き続けた

        ずっと

        ずっと


   そして見つけた断頭台

   僕の首を落とす断頭台


 そして僕は断頭台に掛けられる

   僕の背負う罪を裁くために

   僕の背負う罪を償うために


        だけど

        その刃は


     落ちることは無かった


.

90 名前: 鍵 (gxeI9vq.) 投稿日: 2003/11/23(日) 05:32 [ fP04/wmM ]
33

 鉄格子の向こうに星空が見える。
あの星空の中に君はいるのだろうか。
でも、僕はもう君のところにはいけない。

 結局僕は死ぬことは無かった。
あの後僕は救急車に乗せられて、
治療を受けた。
 最初は絶望した。
 けれど、
僕はこれほどの重犯罪を行ったのだから、
極刑は免れることは無いと思った。
だって、
僕のような人間が生きていたら、
また、誰かを殺してしまうかもしれないから。
 でも裁判の結果は僕を裏切った。

 『責任能力が無いとして、無罪』

 責任能力が無いということは、
つまりは、精神異常者だということ。
 そして、僕は刑務所の代わりに、
精神病院へと入院した。


 ふと、外のほうで色とりどりの閃光が走った。
そして、数秒送れて、どーん、という音が聞こえてきた。
 君は、花火を見るのが好きだったね。
 そう思い体を起こして窓の外を見ようとする。
だけど、両手両足に着けられたベルトが閉まり、
体を十分に起こすことが出来なかった。

 鉄格子のはめられた窓の向こうで、
また、閃光が走った。
けれども、
僕はその花火を見ることが出来なかった。

91 名前: 鍵 (gxeI9vq.) 投稿日: 2003/11/23(日) 05:32 [ fP04/wmM ]
34

      僕が犯した罪は

         とても

        重い物だから

     死では償えないほど

        重い物だから


         だから

   断頭台に掛けられること無く

     別の罰が与えられた


    僕に課せられた本当の罰

         それは


    道化師の仮面をつけること

      手枷足枷をつけること

          そして

       歩き続けること

        いつまでも

          永遠に


     そして僕は歩き続ける

         ずっと

         ずっと


         ずっと

         ずっと


         これが

      僕が犯した罪への

         僕への

           罰




                    【終】