天と地の差の裏話 その6

Last-modified: 2015-06-27 (土) 22:57:10
408 :魔:2007/09/24(月) 23:36:12 ID:???
>>390より続き

天と地の差の裏話
『まとめ』




※

血塗れのコンクリで被われた空間。
雨水が溜まった取っ手のないバケツ。
赤錆だらけで使い物にならないロッカー。
片隅には無数の白骨化した被虐者達。

取り壊しもされないまま、十数年放置されている小さなビルがあった。
その中では、被虐者がよく連れてこられ、虐殺されている。
表では出来ないやり方を試す疚しい考えの持ち主が、ここをよく利用していた。
商店街とは違う意味での、虐殺スポット。

未だにここは使われている。
しかし、最近では利用する者がどうしてか激減していた。
その理由は、皮肉にも今、その原因となる者がそこを利用していた。




赤褐色の空間に、メイは腰をおろしていた。
その尻の下には、もぞもぞと蠢くものがあった。

「ぁ・・・っ、かひ・・・」

喉を鳴らし、必死に酸素を身体に取り込もうとする茶色の達磨。
四肢の付け根から漏れる血は鮮やかで、まだ新しい傷のよう。
彼の、ちびフサの手足は、既にメイに奪われていた。
目的は勿論虐殺であり、また、食事の為でもあった。

「・・・ん」

丁寧にちびフサの脚の皮を剥ぎ、そこから覗いたピンク色の肉にかじりつく。
水道がないため、血抜きを行わないで食べたものだから生臭さが半端じゃない。
しかし、その臭いと味には当の昔に慣れているので、特に気にならなかった。

「ふぐ、ぅ・・・も、もう許して・・・ぇ」

命の燭が消えかかったちびフサに乗っかり、それを眺めながらの食事。
悦に浸る程の快感は得られないものの、愉快といえば愉快だ。
火傷と片耳を、鬼の首をとったかのように馬鹿にしていた者が、
今ではそれ以下の達磨と化し、死に物狂いで生にしがみついている。

四肢を奪い、それの痛みに絶叫し、叫び疲れた所を狙って今こうしている。
酸欠に近い状態で肺を圧迫されてしまえば、苦しみは半端じゃない。
首を絞められながら、重しを乗っけられているのと同じだ。

「頑張って生きる事を馬鹿にしたくせに、死にたくないなんて我が儘だよ」

「そんな、醜い姿で・・・生きるのが、間違ってる、デチ・・・」

まるで全力疾走した後のように、呼吸を交ぜ途切れ途切れに話すちびフサ。
涙を目尻に沢山溜めながらの罵倒に場違いの根性を感じ、呆れてしまう。
命乞いをして、生を掴む方がよっぽどマシだというのに。
尤も、そんな達磨では一人で生きてはいけないけれど。

「そうだね。醜いよね。でも、キミみたいなダルマの方がもっと醜いと思う」

毛虫みたい。と付け加え、食事を続ける。
と、その言葉の直後、ちびフサは顔を赤くして反論してきた。

「ぉ、おお前が!! こん、こんな・・・こんな姿にしたんデチ!」

変にプライドが高いせいで、屈辱感はかなりのものらしい。
苦しみ、大粒の涙を流しながらも、暴言を吐くことだけは忘れない。
息を大きく吸っては吐き、時折咳込みながらのそれは、滑稽でしかない。

「だって、毛虫なのに手足があったら変だったから」

「そっ、そんな、程度のっ!・・・理由、で・・・っ!」

怒号を飛ばそうにも、圧迫され許容量の小さくなった肺では、満足に行えない。
必死だなあと思いつつ、骨つきチキンの食べ残しみたいにになった毛虫の脚を捨てる。
そして、まだ毛皮のついている残りの四肢に手を付けた。

409 :魔:2007/09/24(月) 23:36:44 ID:???

「・・・むう」

毛虫の中途半端な怒りを適度にあしらいながら、全ての四肢を食べ終えたメイ。
だが、いつもこの量の倍近くは食べていたので、少々物足りない。

※

ここ最近、細かく記せばVと出会ってから数日。
メイは、まともな狩りが出来ないでいた。
街中のAA達の警戒心がより高まり、行動を制限されていたからだ。
加虐者は勿論、アフォしぃすら仕留める事が出来ない日々。
ちびギコ達では量が足りず、だからといって一日に何回も狩りは行えない。

警戒が強くなった原因は、Vのせいでも警察の呼び掛けでもない。
真の原因はメイがやってきた事の積み重ね、『時間』だった。
残酷な事件が起こって、かなりの時間が経った今、住民は嫌が応でも怯えなければならない。
そして、その怯えを取り払おうと、事件の根元を絶つべく怒る住民もいた。

加虐者が狙えないのは『怯え』からくる『警戒心』で。
アフォしぃが狩れないのは『怒り』でメイを追う住民のせいだ。

※

(別の街に行こうかな・・・でもなぁ)

程よく閑散としているこの街が、ちょうどよい。
下手に人口密度が高ければ、敵が多過ぎて袋の鼠になる確率が半端じゃないし、
逆にど田舎だったりしたら、獰猛な動物や元気な高齢者が仕掛けた罠など、新しい危険が増えてしまう。

どちらの理由もこの街から抜け出そうとして、被虐者が身体をはって見せてくれたものだ。
できの悪いコントのようだったが、紛れも無い事実であり、反面教師として十分に役にたった。
選択肢が消えた事は残念だったが、自分の命とは比べるまでもない。

「ぅ・・・ぶへっ!」

毛虫の腹を一発殴り、立ち上がる。
そして、硝子のなくなった窓の方へと歩き、外を覗いた。

鉛色の空を除けば、視界の大半を被う雑木林が目に飛び込んだ。
その端に、ぽつぽつと舗装されていない黄土色の地面。
紛れも無く、ここは自分が生き延びる事を誓った公園だ。

あまり高い場所からの眺めではなかったので、妙に大きく目に映る。
できれば、戻りたくはなかった所。
AAの目を避け、なるだけ自分への意識が薄い地域を探して来た。
その逃げ道が塞がれかかった今、全く手を付けてないここに来てしまった。
あのモララーのいる、モナーのいる、ギコのいるここに。
奴らが生きていたら、血眼で自分を追って―――

「・・・?」

思考にストップを掛ける。
『生きていたら』
何故、そんな言葉が浮かんできたのだろうか。
別に死んだ瞬間を見たわけでもないというのに。
しかし、どうしてか脳裏に映るビジョンがあった。
モナーとモララーを殺し、血塗れになったギコの姿が。




『ぐぅぅぅ』

不意に、自分の腹の中の人が不満を告げる。
まだ食べ足りないのか、その声は大きかった。

毛虫の方に向き直ると、それはまだ必死に呼吸をしていた。
大袈裟に上下動する毛むくじゃらの腹部は、針でつついたら萎んでしまいそうだ。
とりあえず近付き、いろんな角度から見詰めてみる。
すると、毛虫は余裕を取り戻したのか、こう言ってきた。

「・・・フサタンの綺麗なおケケが、そんなに羨ましいデチか?」

「・・・」

こいつは本物の馬鹿なのか。
そんな言葉が頭に浮かんだが、口にはしないでおいた。

410 :魔:2007/09/24(月) 23:37:59 ID:???

「違うよ。どこ食べようか迷ってるだけ」

「・・・はっ?」

こいつは何を言っているんだ。そういった顔をする毛虫。
直後には喚きだし、手足がない代わりに首を振り回す。

「ふ、ふざけるなデチ! AAを食べるなんて、馬鹿、変態じゃないデチか!?」

「・・・」

もはや反論する事すら面倒なので、片方しかない耳を畳んで塞ぐ。
そして、少しだけ考え込んでから、行動に移った。




毛虫の胸、正中線上にナイフを宛てがう。
狙いを定め、あまり力を込めずに一気に腹へと引いた。

「ヒギャッ!!」

血がいくらか吹き出たが、あまり気にはしない。
切り口を開き、どの位の深さまで入ったのかを見定める。
指を這わせ、皮を引っ張る度に血が漏れ、同時に毛虫が悶える。

(まだまだかな)

目標の、皮の奥にあるピンク色の肉は見えない。
ナイフを握り直し、次は切り込みに沿って刃を走らせる。
ある程度繰り返せば、それはうっすらと顔を出してきた。
そこで、今度は刃を傾けて皮を削いでいく。

「うあ、ぁぁぁああ!! やめろデチィィィ!!」

痛みに耐え兼ねてというよりは、毛皮を想っての叫びに聞こえた。
この状況下でも、まだ自分の身なりを心配している毛虫には、違う意味で感動させられる。
もし自分が毛虫の立場なら、おとなしく死を待つというのに。

そんな事を考えていると、いつの間にか皮を剥ぎ終わらせていた。
小汚い毛皮の扉を開くと、お目当ての肉が血を滴らせながらこちらを待っていた。
毛虫の呼吸に合わせて動くそれに、ゆっくりと刃を入れる。

「あギゃっ!!」

喚く毛虫を見る限り、今度は気持ちより痛みが勝ったようだ。
円を描くようにナイフを動かし、乱暴に切り開く。
落とし蓋のようになった腹の肉を取り除けば、見慣れた物達がすし詰めになっていた。

「・・・さて」

悩んでいたものは、そこにあった。
極太のミミズのような、小腸と大腸。

小さい被虐者を狩った後、手足だけでは足りなかった時によく世話になった。
だが、それは近くに大量の水があった時だけの話だ。
流石に排泄物を食べる程切羽詰まってはないし、そんな特殊な性癖も持っていない。

―――悩んだ末、諦める事にした。
臭い飯より、生臭い飯の方がずっといい。

「ぁ・・・ぁぅぅ」

気が付けば、毛虫の方は段々と衰弱している。
折角開腹したのだから、何か一つくらいは食べないともったいない。
とりあえず、腸のまとまりより上にあるもの、肝臓に手を出した。

摘出し、そのくすんだ色と弾力のある手触りを堪能する。
肉という枠組みの中で、一番まともな美しさを持つ肝臓にも、当たり外れはある。
一度泥酔していたAAを殺し、それを取り出した時は泣きそうになった。
今回は良い方だったので、この喜びを伝えようと持ち主の毛虫に見せる。

「君のこれ、キレイだね」

「ぇ?・・・ぇ、ぇっ? ぇっ?」

虚ろな目で己の臓を見て、じわじわと青ざめる毛虫。
震えだしたかと思えば、急にうなだれて動かなくなった。




酷く端切れの悪い虐殺で終わってしまった。
あえて死因を添えるなら、ショック死だろうか。

(これで何回目だろう・・・)

ナイフ一本では、達磨か割腹ぐらいしか虐殺のメニューがない。
それではつまらないと思い、いくつか自分なりに考えてはいるが、なかなか上手くいかない。
メイは溜め息を一つ零し、手の中にあるつるつるの肝臓にかじりついた。

411 :魔:2007/09/24(月) 23:38:26 ID:???

食事を済ませ、虐殺も終えた。
腹の中の人も一応満足したようでなによりだ。

「さて、と」

ヒラキになった毛虫を、白骨の山に投げ込む。
無数の乾いた音が山から響き、毛虫はその中に埋もれた。
真っ白い空間に肉塊が置かれているのは、かなり違和感があった。
が、数週間もすれば、毛虫は彼らと同じ姿になるだろう。

次に身体中についた血を落とす為、バケツの方に近付く。
覗き込むと、そこそこの量の水の上に、自分の顔が映りこんだ。

「・・・」

もう、あの時のような感情は湧かなかった。
さっきの毛虫や、他の頭の悪いちびギコ達に何度も醜いと言われたこの姿。
自分で評価するとなれば、これが『本来の姿』といった所だ。

母と一緒に居た時の、両耳両目のある自分の眼は死んでいた。
だが、一人になって生きて来た今の自分は、皮肉にも生き生きとしている。

(・・・なんで今更、こんなこと)

メイはバケツの中の自分を乱暴に掻き混ぜ、身体についた血と共に思考を拭い去る。
ついでにナイフも丁寧に洗い、何度か振って水を切った。




ふと、振り返る。
顔は後ろを向いたまま、目だけを動かして辺りを見る。
特に何もなかったが、どうしてか違和感を覚えた。
その正体は、自分の呼吸が聞こえた所で理解した。

何故か、音がなかった。
クルマの走る音も、AA達が騒ぐ声も、虫や小鳥のさえずりすら聞こえない。
まるで自分だけ、異世界に飛び込んだかのような気分だ。

注意深く、窓を覗き込む。
身を乗り出しても、一般AAや被虐者の姿はみつからない。

「・・・?」

いや、見つけた。
ちょうどビルの真下で、何かを捜すようにうろうろとしている者が。
毛並みと体格からして、レッサー種ではないフサギコだろうか。
手に持った棒でごみ箱を突いたり、段ボールを殴ったりしている。
理由はわからないが、恐らく被虐者を捜しているのだろう。

両目を被うように包帯を巻いているそのAAは、紛れも無く一人だ。
身体に障害を持ちながら、のうのうとこの辺りを散策するなんて。

久しぶりに大きな肉を食べられるチャンスがやってきた。
獣に襲われるよりも、自ら命を落とすよりも先に、自分が狩ってやる。
舞い降りた幸運を、逃すわけにはいかない。

(・・・やるしかない)




※

フサギコの後を追うため、非常階段の方へ走りそこから外に出る。
錆まみれの階段は、隣の建物の屋根の近くに配置されていた。
そこに飛び降り、なるだけ音を立てずに獲物の方へ駆けた。

息を潜め、気配を殺す。
メクラとはいえ、狩りに気を抜く事はできない。
何事も本気で行かなければ、この街で生は掴めない。
メイは自分にそう言い聞かせ、じっくりと様子を窺った。

「・・・」

この街の路地裏に、抜け道なんて殆ど存在しない。
獲物はいずれ、袋小路へと身を寄せる筈だ。
そこで足を止めたら、後は一気に飛び込んでナイフを突き立てるだけ。

いつもやってきた事だ。
失敗なんて、するはずがない。
娯楽の為に殺すのとは、覚悟が違うんだ。

412 :魔:2007/09/24(月) 23:39:51 ID:???

時間はそんなに掛からなかった。
獲物は袋小路に入り込み、コンクリの壁を棒でつついている。

本人からすると、目の前は壁ではなく、何かが積まれているように感じたのだろうか。
だが、片目の自分が見ても、そこは紛れも無くコンクリで阻まれている。
獲物はそれに気付くことができず、丁寧に壁を調べていた。

(・・・やるなら今だ)

十数秒経ってから、メイはそう決意した。
観察のみに留めていた思考を、狩りへと移行させていく。
獲物の頭蓋へと狙いを定め、それ一点のみを見る。

視界に獲物しか映らなくなるまで集中した時、力強く地を蹴り、跳んだ。




―――その時だった。

「みぃ~つけたっ」

跳び掛かった瞬間、獲物は振り向いてそう言ったのだ。
それは酷く小さく、虫の鳴き声にも掻き消されそうな程だった。

獲物は壁を背にするように動き、ナイフが描く軌道から離れる。
身体は引力に逆らうことなく、そのまま落ちていく。

「ッ!」

気付かれ、そして避けられた。
まるで、こちらが跳ぶタイミングに合わせたかのようだった。
思考が狩りから逃亡へ一気に切り替わる。
だが、脚が地に着かなければ逃げる事はできない。




どすん、と鈍く低い音がして、脚に衝撃が走った。
間髪入れずその場を蹴り、獲物、いやフサギコとの距離を取る。
振り向いた瞬間、そこで自分の足は動かなくなった。

「・・・っ」

フサギコが恐ろしく見える理由は、単純なものだった。
思考が狩りから逃亡に切り替わった時、同時に立場も逆転していたのだ。
『殺人鬼と被害者』から、『被虐者と加虐者』に。
更に、目を患いながら不自由なく動くというフサギコの奇抜さ。
それが感じている恐怖に拍車をかけていた。

あの包帯の巻き方からして、絶対に見えてはいない筈なのに。
奴は今、こちらにしっかりと顔を向けている。
にっこりと笑っているフサギコは、必要以上に悍ましく見えた。

「まだ、そこにいるの?」

唐突に、フサギコが口を開いた。
棒をゆらゆらと揺らしながら、じわじわと近付いてくる。

子供だと思って、油断した。
奴は最初から、自分を誘っていた。
棒で道を探しながら、耳でこちらを捜していたのだ。

(こんな、こと・・・)

Vの時とは違う恐怖が、自分を縫い付ける。
だが、奴は自ら包帯を解かないことから、本物のメクラだ。
少しだけ、ほんの少しだけ自分を奮い立たせられれば、ここから逃げ出せる。
今まで、幾重ものAAから逃げてきたんだ。

(メクラなんかに、捕ってたまるもんか!)

棒が鼻の先に触れるより先に、メイは踵を返す。
途端、更なる恐怖がメイに襲い掛かる。

「あ、待てっ!」

フサギコが棒を投げ捨て、一直線にこちらに向かって来たのだ。

「うわあああっ!!」

堪らず、叫んでしまった。
恐怖で脚が縺れて、うまく走れない。
少しでも時間を稼ごうと、辺りにあるものをナイフで倒し、進路を塞ぐ。

「わっ!?」

倒したものが上手いことフサギコの臑に当たり、よろける。
慌てようからして、流石に不意打ちには弱いようだ。
運よく隙を作らせることができ、後は猛ダッシュで走るのみだ。

413 :魔:2007/09/24(月) 23:40:25 ID:???
※

逃げながら、メイは考える。
狩りが失敗した、その前の出来事を。

フサギコを見つける前の、あの奇妙な感覚は何だったのだろうか。
音が消え、導かれるように窓の外を覗いてしまったアレは。
思い返してみれば、路地裏なんて窓から落ちる勢いで見ないと、視界に入らない。
それに、奇妙な感覚に陥った時の自分も、腑に落ちない。
その時の行動を反芻してみると、今まで自分が欠かさなかった警戒心が全くない。
フサギコを一目見ただけで、脳内は狩りでいっぱいだった。

全てが、自分のミスだ。
死に関係なかったからといって、無駄な行動に出た自分が、憎い。

(・・・くそっ!)

歯噛みし、路地裏をひた走る。

何度目かの曲がり角だった。
奥の方ではコンクリの壁はなくなり、道路が見えていた。
左右には木材や粗大ごみが打ち捨てられていて、見た目より狭くなっている。

「はっ・・・はあっ・・・!」

必死になりすぎて、既に息はあがっていた。
振り向いてもフサギコの姿はなく、振り切ることができたようだ。
だが、一本道であるここで休んでいる時間はない。
肺になるだけ酸素を溜め、再び駆け出す。




いや、駆け出すつもりだった。
また足が、恐怖で固まってしまった。

「残念だったな」

道路の方から差し込む光を背に、男が立っていたのだ。
影そのもののような身体の色と、特徴的な赤い線の入った耳。
そして、その手の中にはしっかりと拳銃が握られていた。

「う・・・っ」

予想はしていたし、そうであって欲しくないと願いもした。
『フサギコは囮で、他に仲間がいる』ということ。

吐き気と眩暈が同時に襲ってくるが、必死に堪える。
酸素と冷静さが欠けているが、それでもこの状況を打破する術を考える。
男との距離、周りにあるもの、後方のフサギコ、自分の脚力、ナイフ。

と、ここで男が動いた。
ゆっくりと嫌らしく、拳銃を持ち上げていく。
咄嗟に構えるものの、男はそれを無視するように口を開いた。

「何故、お前はこんなことをしてきた」

「・・・何故、って」

男の声が思ったより緩かったせいか、つい反応してしまった。
吐き気も失せ、いつの間にか思考は会話を優先していた。

「訳もなく、お前のような子供が殺人をするはずがないだろう?」

「・・・」

「復讐か? それとも唯の虐殺厨なだけか?」

「生きる・・・為だから」

自分の一言に、男は眉を寄せる。
それは怒りではなく、哀れみを含んだもののように見えた。

「食べる為に、見境なく殺してきたのか」

「うるさい!」

怒りが込み上げてきたのはこっちだった。
今更になって、同情してくるような奴が現れるなんて。
自分を捕まえて、殺すつもりでいる癖に。

「お前らみたいに、遊びで殺してる訳じゃない!!」

「食べる為に殺していい訳でもない」

「っ!・・・」

「お前はAAを『家畜』扱いしている。そうだろう?」

言葉に詰まった。
男の言う事に、間違いはない。

414 :魔:2007/09/24(月) 23:41:24 ID:???

だからといって、今までやってきた事を、生きる為にしてきた事を否定されては意味がない。
こいつの言うことを認めれば、自分は死んだ事に変わりはなくなる。
自分を保ってきたものが、じわじわと失われていくような感覚。

「虐殺の概念があるとはいえ、誰彼構わず殺していい筈がない」

「・・・黙れ」

呟くが、男には届かなかった。

「お前も、結局は『虐殺厨』なんだよ」

「黙れぇぇぇぇッ!!!」

言われたくない一言を言われ、怒りが爆発した。
その場にあった空き瓶を引っつかみ、壁の方に向かって投げる。
ぱあん、と空き瓶は弾け、破片達は跳ね返って男に降り懸かった。

「なッ!?」

男は腕で顔を庇うも、破片は容赦なくその黒い身体を切り裂く。
感情に身を任せた行動が、運よく相手に隙を作らせることができた。
息をつく間もなく、男の脇を縫うように駆け、路地裏を抜けた。

※

無駄な抵抗だとは、うすうす感じていた。
精神力も体力も大分削られた上、通りに出てしまった。
他に逃げ道がないのだから、仕方ない事だけれども。

広い空間では、この小さい身体じゃ不利な要素だらけだ。
追っ手の二人にも、薄皮一枚くらいのダメージしか与えられていない。
身を隠すより先に、どちらかに捕まってしまうのがオチだ。

「待てッ!」

後方で、男の声がした。
振り向かずとも、どのくらい離れているかはすぐにわかった。
それと同時に、互いの距離が早い段階で縮まっていくのも。

唯ひたすら、前を見て脚を動かす。
いくつもの柵を飛び越え、ガードレールを潜った。
それでも、男の気配は消えない。

不意に、視界にあの緑が映った。
街の中央に位置する、巨大の公園の一部。
距離が迫っていたので、身を眩ませるかどうかはわからない。
だが、今の自分に残っている選択肢は殆ど無い。

「っ!!」

ほぼ体当たりに近い動作で、植え込みに飛び込んだ。
身体にぶつかったのは枝だけだったので、運よく雑木林にすんなりと入れた。

「逃がすか!」

男も、負けじと植え込みに突っ込んでくる。
しかし、身体の大きさから引っ掛かる枝が多すぎて、遅れを取ってしまう。

距離が開いた。
辺りには自分より背の高い雑草だらけ。
上手くいけば、逃げられるかもしれない。
なるべく身を低くしながら、必死で雑草をかきわける。

(これなら・・・これならっ!)

右往左往することなく、ひたすら前に突き進む。
目標は雑木林の奥、男が自分を見失うまで。
気合いを入れ、地面を強く蹴っていく。

―――不意に、視界が開けた。




「・・・!!」

目の前には、信じたくない光景が広がっていた。

公園だ。
舗装されてない地面が、草木が全く生えていない地面。
奥には、突入した緑より遥かに大きな緑があった。

(そんな・・・!)

なにもない上、奥の雑木林まではかなりの距離があった。
一直線に駆け抜けても、先程取ったマージンだけでは足りない。
絶対に、追い付かれる。

走りながら振り返った。
自分が逃げ込んだ所は、紛れも無く雑木林。
だが、大きさを比べればその違いは一目瞭然。
それは公園という悪魔によって、親から引きはがされていたようだった。

415 :魔:2007/09/24(月) 23:41:53 ID:???

抜け出した所にあった植え込みが、音をたてて暴れた。
その奥には、自分を追う男の影があるのがわかった。
ばさ、と一回り大きな音がして、植え込みの中から男が出て来た。

銃口を、こちらに向けながら。

「うあっ!」

男の手元が光り炸裂音がしたのと、左足を凄まじい痛みが襲ったのは同時だった。
勢いを残したままバランスを崩したので、土の上で身体が二転三転する。
止まった時には、自分の毛は土埃に塗れ、左足はもう赤く染まっていた。




「はあっ、はっ・・・っく・・・ああっ!」

酸素が足りない上、激痛のせいで気を失いそうになる。
だが、同じ痛みにまた覚醒させられてしまい、感じる苦しみは半端じゃない。
幸い骨は砕けていなかったが、弾丸はしっかりと腿を貫通している。

気が付くと、手の中にナイフがなかった。
俯せに倒れ込んだまま、首を動かしてそれを探す。
が、視界が黒い影、男の足に阻まれたせいで見つけることができなかった。

「っあ・・・!」

「・・・観念しろ。お前はやりすぎたんだ」

冷たく、心に刺さるような声色だった。
だが、どうしてかその声の中にまた哀れみの念が込められている。
『悪い奴なんだが、殺したくはない』
そんな風な気持ちが、ごくわずかに感じ取れた。

何故なのだろうか。
こいつは、自分を捕まえて虐殺するつもりじゃないのだろうか。
いや、もしそうだとしたら、囮を使ったり撃ってきたりはしない筈だ。

「どうし、て・・・早く、殺さないの・・・っ」

自分の思考だけでは答が見出だすことができず、つい問い質してしまった。

「・・・」

返事が返ってこない。
傷口を押さえつつ、朦朧とする意識の中、顔を上げて男の顔を見た。

それは哀しみに満ち溢れていた。
銃口を向けていながら、苦虫を潰したかのような表情。
哀れみなどではなかった。
寧ろ、自分で自分を責めているかのような感じだった。

「お前とは・・・事が大きくなる前に会いたかった」

「ぇ・・・っ?」

意味深なことを告げ、男がその場から離れる。
目線を落とすと、そこには探していたナイフがあった。
自分と同じように土埃に塗れたそれは、こちらを待っているかのように見えた。

「・・・拾うか」

「・・・っ」

足の痛みを堪えながら、はいずってナイフに近付く。
男が自ら道を開けた理由なんて、この際どうでもよかった。
真意が読めないことに頭を悩ますより、抗うことを最優先としなければ。
生を諦めることなんて、絶対にしてたまるものか。

後少しで、指先に柄が触れる。
触れるはずなのに。
ナイフは自分を拒むかのように、ゆっくりと遠ざかる。
いや、拒んだわけじゃなく、ただ単に誰かが拾い上げただけだった。

人差し指が異様に短い、青い手だった。
顔を上げると、そこにまた信じられない光景が。
最も会いたくないと思っていた、AAがそこに立っていた。

416 :魔:2007/09/24(月) 23:42:54 ID:???

「あ・・・ああ、あ」

心の底から、信じたくなたかった。
こんな状態になってから、こいつに出会ってしまうなんて。

「久しぶりだな。コレ、返して貰うぜ?」

鉛色の空を背にした、無表情のギコが居た。
その感情のない仮面の奥に、鬼が居ること位、考えなくてもわかる。
囁くように問い掛けるその言葉は、酷くねっとりとしていた。

※

身体の傷の殆どは、モララーがつけたものだ。
実際、ギコには左眼だけしか奪われていない。
だが、虐殺されそうになった時に会った三人のAAの中で、最も恐ろしいと思ったのはギコだ。
隙を窺ってナイフを奪い、逃亡を謀った直後に唯一追って来た男。
ただ、それだけなのに。

あの時のギコの全ては、本当に恐ろしかった。

思い出し、言葉に表そうとしても、思考がストップをかける程。
トラウマを通り越し、記憶の引き出しから外されて奈落へと封印されたかのような。
しかし、それは今奈落から引き上げられ、封を解かれようとしている。

あの時の続きが、
想像したくもなかった事が、
皮肉にも、夢なんかじゃなく現実で行われようとしていた。

※

「ウララー、ありがとうよ・・・まさかこんなに早く出会えるなんてな」

ギコは黒い男の方を見て、そう言った。
もう、誰がどうかなんて考える気力は、なかった。

最悪のパターンで、死を迎えることになるなんて。
これなら、危険を犯してでも、毎日空腹に苛まれていた方が幸せだったかもしれない。
このギコが、自分を骨の髄まで苦しめて殺すのは目に見えている。
もしそうでなければ、自分はあの時眼でなく命を奪われていた。

「少年だからといって、甘くみてしまったがな」

「その腕・・・やられたのか?」

「ガラス瓶の破片をうまいこと浴びせられたよ。なに、唯のかすり傷だ」

「かすり傷程度なら、まだいい方じゃないか。俺なんて指だからな」

自分が絶望に打ちひしかれている中、二人は呑気に会話をしている。
まるでこちらが素早く動けない事をいいことに、嘲笑っているかのようだった。

こんな最期、認めたくない。
地獄の始まりなんて、信じたくない。
この出来事の落ちは、夢であって欲しい。

呪詛のように頭の中で繰り返すも、それは無駄でしかなかった。
だが、自分を保つそうするしか他にないわけで。

「ぐぶっ!?」

突然、腹部に鈍痛を覚え、身体はくの字になって宙に投げ出される。
撃たれた腿の痛みを忘れそうな位の激痛が腹を襲った。
蹴られた箇所からして、肋を何本かやられたかもしれない。

「さあて、おっ始めるとしますか・・・」

蹴り飛ばしたのはギコだった。
精神的にもいっぱいいっぱいだった為、全く反応できなかった。
ギコ以外、誰もする筈はないとわかってはいたけれど。

417 :魔:2007/09/24(月) 23:43:39 ID:???

青すじを顔いっぱいに立てているギコは、何者にも例えようがなかった。
それは虐殺厨という、新しい畏怖の象徴が生まれたかのようだった。

「げほっ・・・ぐ」

「ノビるのはまだ早ェぞ? コレは唯の前戯だからなァ」

そう言って、今度は左腕を掴んできた。
未だに血が止まらない火傷が刺激され、痒みに近い痛みを感じる。
しかし、既に大きなものを二回受けていたので、それ程気にならなかった。
寧ろ、虐殺の真の恐怖は、持ち上げられてからやってきた。

「ぎゃっ!?」

痂が裂けたかのように、鋭い痛みが襲い掛かる。
直後、腕の方から生暖かいものが身体へと滴り落ちてきた。

腕を切り裂いたのはナイフだった。
ギコから奪い、半身のように扱ってきたナイフ。
それが今、元の持ち主の手に戻り、こちらに牙を向けている。

「痛ぇだろ? 俺はこの痛ぇナイフで指切られたんだぜ?」

顔を近付け、ナイフを頬に宛がいながら囁いてくる。
嫌悪感など覚えている暇はなく、もはや蛇に睨まれた蛙状態だった。
身体はもう疲労と恐怖でガチガチに固まり、自分では動かすことができない。
唯一、外的刺激を与えられれば、ほんの少しだけ動いてくれる。
つまり、今の自分は『痛みに悶える』事しかできなかった。

「いっ、痛・・・っうぁ! あああっ!」

皮膚が浅く、深く、長く、短く切り刻まれていく。
そこから溢れる真っ赤な血は、身体の大部分を鮮やかに彩る。

何度目かの切り込みで、ギコの手が緩む。
身体は引力に引かれ、そのままの体制で地面にたたき付けられた。

「ぐっ!」

その衝撃で、折れたと思われる肋が体内で暴れた。
恐らく、内臓のどれか一つに刺さっただろう。
吐き気と頭痛が精神を更に苛み、気が触れそうになる。

「どうした? 逃げないのか?」

くく、と喉で笑いながら、ギコが追い打ちを掛けてくる。
先程皮膚を切り裂いた左腕に、そっと足を置いてきた。

(・・・ああ)

生きたいと強く願う中、『諦める』という想いが芽吹いた。
そのまま力強く踏み付け、潰しでもするのだろうか。
四肢を失えば、希望は費える。
ならば、もう諦めるしか他に道はなくなる。
迷う事なく死を望めば、苦しみだって―――

「おい、なんだその顔は」

途端、ギコの態度が豹変した。
悦に浸りながら、復讐を兼ねて虐待していた男に、また鬼が張り付く。
それは気を緩めた自分に対しての怒りだと、すぐわかった。

「まさかお前、死を受け入れるとか思っているんじゃねぇだろうな?」

「・・・っ」

「死にたいっていうなら無限に苦しませてやる。生きたいなら今すぐ殺してやる」

418 :魔:2007/09/24(月) 23:44:20 ID:???

「あまり調子こくんじゃねぇぞ?」

その言葉の後、左腕に位置していた足に力が入る。

「ッ!? あっ! ああぎゃああぁっ!!」

ほんの少ししか体重を掛けない代わりに、ぐりぐりと左右に動かしてきた。
傷口に砂粒が入り込み、痛覚神経が無理矢理に刺激されていく。
その痛みは炎に焼かれた時よりも凄まじく、気持ち悪さまで感じてしまう程。

全身の毛穴が開くような感覚を覚えつつ、その激痛を必死に堪える。
腕が足の下にあり、体制を変えられないことからも、苦しみが上乗せされる。

「あああぁぁぁァァァ!!!」

いくら叫んでも、苦痛は止まらない。
涙で視界が滲む中、ふとギコの顔が目に入る。
それは、『今人生で、最高の瞬間を体験している』といった表情だった。
滲んだ世界の中でも、くっきりと見えた吊り上がった口と、弓を張ったような眼。




無限とも取れた地獄の時間が終わる。
ギコの足が持ち上がり、腕から離れたのだ。
だが、その火傷していた腕は更に醜く、その姿を変えていた。
血と膿と、それらで溶けかけた痂に泥となった砂粒。
骨は折れていないし、こんな容姿になっても動くこの腕。
持ち主である自分でも、切り落としたくなる程醜くかった。

「あーあ・・・汚くなっちまったな。お前の腕」

まるで他人事のように話す当事者。
だが、怒る気力すら今の自分にはもうなかった。

「ぐ、ぅ・・・っは・・・あ」

呼吸を一つするだけでも、酷く苦しい。
『諦める』という逃げ道さえ、ギコは否定した。
だからといって、虐待に身を委ねるなんて事、絶対にできやしない。

モララーの所から逃げることを誓った時、出来るなら五体を差し出すなんて考えもした。
だが、あれは間違いだと、今更になって気が付いた。
無意識の内に、される筈がないと思ってから考えていた。

自分は馬鹿だ。
あの時、そのまま虐待に抵抗して死ねばよかった。
イチ被虐者が抗っても、結局はここに辿り着くんだ。

不意に、身体が宙に浮かぶ。
今度は右腕を掴まれての持ち上げだった。

「左腕のその皮、剥いでやろうか。どうせ要らないだろ?」

俺から見ても気持ち悪いしな、とギコは付け加える。

「・・・」

自分は無言でイエスと答えた。
もう何も考えたくないし、考えれば考える程、苦しみが増しそうだったからだ。

―――ナイフが、ゆっくりと左腕に宛がわれる。



続く