弟者の実験

Last-modified: 2020-07-15 (水) 00:24:32
696 名前:若葉 ◆t8a6oBJT5k 投稿日:2006/05/30(火) 22:09:54 [ UaZ8zSzw ]
タイトル 『弟者の実験』
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「いきなり訪ねてきて、しぃを飼えだなんて酔狂モナ」
呆れたようにモナーは言った。小さな木製テーブルを挟んだ正面には、
困ったように微笑む流石家の弟者が座っていた。モナーの友人でもある。

「清潔にしているから悪臭もないし蚤もいないから安心しろ」
「信用しがたいモナね」

しぃ族といえば害虫や鼠にも劣る種族ではないか、と
責めるような眼差しで見つめられて、ぽりぽりと弟者が頭を掻く。

「しぃが不潔で性格に問題があるのは生息環境が劣悪だからだろう。
試しに厳しい教育を施してチビしぃをレディーに育ててみたんだ。
しぃ族ってのは顔だけは可愛いから、兄者が喜ぶかと思ってな」

「相変わらず仲のいい兄弟モナ」
弟者は研究者として新薬や害獣駆除装置の開発など華々しい活躍をしているが
兄の方は今も引きこもりだとモナーは聞いていた。
ちなみに研究には、繁殖が容易で他のAA達と体の構造が似ている
しぃ族を生体実験用として使うことが多いのだとも、聞いていた。

「研究が佳境に入ってくると、あまり家に帰れなくなる。
兄者がブラクラゲットして困っていても助けてやれないからな。
小奇麗なしぃが傍にいれば、兄者は萌え画像を求める必要もない。
しぃで遊んでいればパソコンに触れることも減るだろう」

「ちょっと過保護モナ。だいたいレディーに育ったんだったら
モナに渡さずとも兄者に渡せばいいモナ」

最もな意見だが、弟者の表情は暗い。
「母者にも躾を手伝ってもらったから従順なんだが感情面が希薄でな。
他人を見ると怯える。多分、愛情が不足してるんだろう。
とりあえず兄者に渡す前に、まずモナーに預けて様子を見ようかと」

やれやれ、とでも言いたげに首を左右に振ってみせる弟者に
「弟者の施した躾ってのは、どういうものモナ?」
興味を引かれたらしくモナーが質問をする。
「逆らうたびに関節を外して、神経を挟んだ状態で元に位置に戻すだけだ。
神経への直接攻撃だから効くぞ。外傷もつかないし治すのも容易だ」

モナーは黙り込んだ。逡巡してから遠慮がちに口を開く。
「そんなことばかり続けてたら怯えるのは当たり前モナ」
「ミトコンドリアやモルモットと同じくらい大事に管理して
他の実験用しぃ族とは比べ物にならないような衣食も与えてやったんだがな。
それだけでは不足らしい、というわけで。モナーに愛情を注いでもらいたい」

「よくわからんが躾が完璧だというならしばらく預かってもいいモナ。
ただ、できれば先に弟者の研究施設を見学させてほしいモナ」

弟者にとって研究施設は『大きな玩具箱』だとモナーは聞かされていた。
建物の規模は小さいが実験種類は雑多で、ひとつのことだけに執心するタイプとは
違うらしい。そのわりには生体実験による効果的な拷問器具の開発や
医療技術の促進など、数々の成果を挙げているのは雑誌等で見聞きもしている。

「預けるしぃの飼育状況を知りたいのなら意味が無いぞ。環境が違うからな」
「単なる好奇心モナ。どんな研究をしているのか興味があるだけモナ」

研究施設は部外者立ち入り禁止なのだが、と弟者は腕組みをして
「ふーん?」
しばらく考えてから、モナーの要望に妥協案を提示した。

「俺とゲームをして勝てたらってことでどうだ?」
突拍子もない提案に一瞬、モナーの目が細められる。
真意を測るように弟者を見るが、いつもどおりのポーカーフェイス。
意味もなくこんな提案はしないだろうが、と逡巡しながらも首を縦に振った。
「それでいいモナ。負けても恨みごとは言わないモナ」

交渉がまとまり、弟者の案内でモナーは研究施設の隣にある
宿舎へと向かった。モナーを部屋に残して、弟者が退室する。
数分後に戻ってきた弟者は、プラスチック水槽を手にしていた。
中には小指サイズのミニしぃが20匹ほど入っている。

「小型化研究の成果だ。虐殺好きの家庭に産まれたベビが
虐殺入門用として負担なく遊べるように開発したんだが
クレームが来てしまってな。まだ実用化できない」

水槽の中にいるミニしぃたちは、縁日で叩き売りされている
カラーひよこみたいに薄く色がついていた。
いかにも玩具っぽくて、ベビにも受けが良さそうに見える。

「生きた人形モナね。ベビに噛みつきでもしたモナか?」
「ミニしぃは弱いから噛まれても痛くないし問題ない。
ただベビってのは何でも口に入れるだろう? 不衛生だってさ。
しぃ肉の不味さがトラウマになる可能性も指摘されている」

697 名前:若葉 ◆t8a6oBJT5k 投稿日:2006/05/30(火) 22:13:32 [ UaZ8zSzw ]
水槽の中から、薄っすら全身が緑色のしぃをつかみあげて
「とりあえず食用できるよう改良してみた。こいつはメロン味だ」
ぱくりっと生きたまま口に放り込んみ、もぐもぐと咀嚼する弟者に
モナーが目を丸くして驚いた。

おそるおそる、モナーも薄紅色のしぃをつまみあげる。
と、ぐにゅっと不快な感触がして、しぃの腹が裂けて腸が飛び出た。
鮮やかに赤い汁が散ったが血の匂いはしない。甘酸っぱい苺の匂いだ。

「食用に開発したら、必要以上に柔らかく脆くなりすぎたんだ。
力を入れて掴むと潰れるのが難点だが、旨いぞ」
モナーの指で潰されたしぃの身体が断末魔でビクッビクッと動く。
それが指に伝わってきて不気味だったが、確かに旨そうではある。

思い切って、そのしぃを口の中に放り込んで咀嚼すると
モナーの舌の上にヒクつく苺の味が広がる。
食感は硬めのゼリーみたいで、歯ごたえが強い部分は骨だろうか。
噛んでもまだ微かに動いていて、ほんのり温かくジューシーだ。

「意外とイケるモナ。これなら肉の硬さを調整すれば売れるモナ」
もう1匹、橙色のしぃを今度は潰さないよう注意深くつかみあげると
「シィィ、ヤメテェ、タベナイデ」
小さな声が聞こえて、口に入れようとしていた手を止める。
よく見ると恐怖に顔を歪ませたミニしぃが必死で命乞いをしていた。

「ちっちゃくても意思があったモナか。痛みも感じるモナ?」
ぶちっと片足を引き千切ると血飛沫が跳ねて、断面からは白い骨が見えた。

「シイィィィィィィ、イタイ、イタイイタイ、タスケテヨォ、アタシガ、ナニシタッテイウノ」
肉色は薄くて匂いは柑橘類に近い。血潮の香りはオレンジだ。
千切った足を口に入れても小さすぎるせいか、あまり味がしなかった。
泣きじゃくり、もがいているミニしぃの前でモナーが再び口を開くと

「シィィィ、タベナイデ、タベナイデ、ダッコスルカラ、ユルシテ」
ミニしぃが悲痛な叫びを放った。モナーは笑って
「だったらモナの歯や舌をダッコしてみるといいモナ」
答えるのと同時に自分の口の中へ放り込んだ。
舌の上でしぃがバタつくのを感じる。まずは歯を立てず、上顎と舌で挟みこんでみた。

何か叫んでいるらしくモナーの口内の空気が振動して、痒い感じがする。
窒息と圧迫で、もがく力が弱まってくる動きを楽しんでから、
モナーは舌と上顎に力を入れてミニしぃを、すり潰した。
ぷちゅり、という感触と共に体液が舌に広がり、まったりしたオレンジの芳香が充満する。
「ウマー」
「ときにモナー。食事にきたんじゃないだろう。ゲームを始めよう」

恍惚の表情を浮かべて食感を楽しんでいたモナーに苦笑しながら
弟者が声をかけてきた。その手には、いつの間にか板がある。
いくつもの丸い穴が開いた板を水槽の上にのせて、穴から水を注ぎ始めた。

「何をするつもりモナ?」
「もぐら叩き……いや、しぃ刺しというべきか?
溺れて丸穴から顔を出したミニしぃをフォークで刺して捕まえる。
たくさん捕まえたほうの勝ちってわけだ」

水槽の中のミニしぃ達は阿鼻叫喚だった。
「アタシハ、オヨゲナイノヨ、タスケナサイ」
泳いで水面に顔を出そうとしている仲間に、しがみつく者。
しがみつかれた方は泳ぎを妨害されて、一緒に沈んでいったり
殴る蹴る噛みつくの攻撃を加え、なんとか引き剥がす者もいる。

「イヤダヨ、コワイヨ、シィダケハ、タスカラナクチャ、イケナイノ」
他のしぃを押さえつけて、その上に乗って助かろうとする者もいた。
水位が増せば無駄なのに知能が低いとしか思えない悪あがきだ。

醜い争いの中、とうとう水は水槽の淵まで溢れた。
息をするためには嫌でも穴から顔を出すしかない。
たとえ、弟者やモナーに攻撃されると判っていても。

耐え切れず丸穴から顔を出したミニしぃの脳天に、フォークが突き刺さった。
流れ出た脳髄と血潮で水が濁る。悲鳴を上げる間もなく絶命したミニしぃは、
フォークごと水槽から引き上げられいく。

その間を狙い、数匹のしぃが呼吸をして素早く沈む。
他の者が襲われている間は安全に呼吸が出来るのだということは
ミニしぃ達にも理解できているようだ。
と、いっても。いつまでも仲良く全員が沈んでいられるわけもなく。

誰かが先に水面に顔を出してくれないと、自分は安全に呼吸ができない。
水中では小賢しいミニしぃが、仲間の身体に噛みついて悲鳴を上げさせたりしていた。
悲鳴をあげることで酸素を失ったミニしぃは、他の仲間より早く苦しむことになる。
我慢できずに空気を求めて浮上するしかなかった。

698 名前:若葉 ◆t8a6oBJT5k 投稿日:2006/05/30(火) 22:15:37 [ UaZ8zSzw ]
そうやって互いの足を引っ張り合ったところで、殺されるのが速いか遅いかという
僅かな時間の違いしかないのだが、それでもミニしぃ達は懸命に争い合っていた。

「あっ。狡賢いのがいるモナ」
水面が濁って、どの穴から獲物が顔が出してくるか判らなくなってきた頃
一匹のミニしぃが知恵をつけていることにモナーは気がついた。

胴体を離れて水中に落ちていた頭を拾ったらしく
仲間の頭部を自分の頭上に掲げて攻撃をブロックしている。

「プハァッ、ハァハァ、ハギャアワ!!」
バレているとも知らずに、再び頭上に仲間の頭を掲げて
呼吸しようとした顔めがけて弟者のフォークが横から襲いかかる。
右顔面に突き刺さって、ミニしぃの口から濁った絶叫があがった。
顔を抉られながらも、そのしぃは、まだ生きていた。

「ウギイィィィ、シィギアァァ」
顔にフォークをさされたまま引き上げられ、宙吊りにされて
ぱたぱたと手足を振り回しながら、獣めいた叫びをあげている。

「プッ。暴れると顔肉が削げ落ちるだけなのに」
弟者の言うとおり、しぃの動きで顔肉が更に抉れていく。
しかし激痛のせいで、とてもじっとしていることなどできない。

暴れ続けるしぃの動きで肉が削げ落ちていき、フォークに大部分の
顔肉を残したまま、自分の体重でしぃは落ちた。
ベシャリと地面で潰れて、ようやく絶命することが出来たようだが
その死に顔は兄者がゲットするブラクラ画像みたいになっていた。

どうやら、そのミニしぃが最後の生き残りだったようで、その後は
血糊と臓腑で汚れた水面は動かなくなった。気泡ひとつ上がってこない。

不気味な色には似合わずフルーティーな香りだけが漂っている水槽から
水を捨てると底からはフォークで裂かれた死骸が2体と溺死体が1体、見つかった。

「そういえば刺したのに逃げられたのが何匹かいたモナ」
それでも、刺した獲得数はモナーのほうが弟者より2匹、多い。
「流石だなモナー。約束だ、施設の見学を許可しよう。
この遊びを最後まで楽しめるようなら、実験体に同情することもないだろう」
「モナーのことを試して観察してたモナ?」
「当然だろう。面倒事は避けたいからな」
「友達なのに信用されてなかったのは寂しいけど別にいいモナ」

施設までの道は、それほど遠くは無い。2人は並んで歩き出した。
むっつりと黙り込んでしまったモナーの横顔を心配そうに見おろしながら
「……気を悪くしないでくれよ? 信用してなかった訳じゃないんだ」
ちょっと焦ったように弟者が言う。

「念には念を入れてってこともあるし。なぁ、モナー。返事をしてくれ」
「………」
「…そうだ。あのゲームを楽しめる豪胆さがあるなら、母者がしぃに施した『躾』も
隠さずに教えてもいいかもしれないな。実用性がないから別に知る必要もないんだが
一応データとして母者の手記をコピーしてあるんだ。読んでみるか?」
「……隠さずに、ってことは、本当は教える気は無かったモナね」
「怒るなよ。温厚なお前らしくも無い。頼むから機嫌を直してくれ。
残酷系に耐性の無い奴には不快な内容だろうから、気を遣ってたつもりだったんだ。
お前は、いつもポワーンとしていて、どちらかというと、まったり系の性格だろう?」

あんまり弟者が悄然としているので、モナーはプッと吹き出した。
「判ったから許してあげるモナ。ちょっと意地悪しすぎたモナね。
でもモナーは別に虐殺反対派って訳じゃないモナから、あまり気を遣わなくていいモナ。
弟者が何をしていたって、モナーは弟者を軽蔑したりしないし、ずっと友達モナ」

モナーの穏やかな言葉で弟者は、自分でも意識していなかった本音を悟った。
数少ない友達であるモナーに、実験内容を知られて嫌われるのを恐れていたのだ、と。
「ごめん」
「もういいモナ。それより母者の手記に興味があるモナ」
「あぁ、これだが数日分だけだし有用性は本当に乏しいから、無理に読まなくていいぞ」

弟者はモナーに母者の手記を渡した。モナーが興味深そうに、それに目を通す。

699 名前:※母者の手記※ 若葉 ◆t8a6oBJT5k 投稿日:2006/05/30(火) 22:19:10 [ UaZ8zSzw ]
『母者の日記帳』
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〇月〇日
弟者が、1匹のしぃを躾けてくれと言って連れてきた。
誰がそんな奇特なことをするのかと怒りを覚え、つい弟者の両耳を掴んで
足が宙に浮くまで持ち上げたてやると、ぷらーんと揺れながら落ち着いて語る。
「OK、ときに母者、もちつけ。耳が千切れる。勘弁してくれ」
生意気な口を叩くから腹立ち紛れに頬を張り飛ばしてやった。

他種族のAAなら血反吐を撒き散らしながら顔を変形させているところだろうが
うちの息子は幼少の頃からスパルタ教育には慣れている。
痛そうに頬を撫でさするだけで特にケガはしていない。流石あたしの息子だ。

「母者は兄者をどう思う? 俺は研究者として自立に成功しているが兄者は?」
落ち着いたまま、こんなことを言う。
たしかに、あの子は対人恐怖症なところがあって滅多に部屋から出てこない。
殴っても蹴っても崖から突き落としても、引きこもりは治る見込みがなかった。
だが、あたしにはよく判らないがネットとやらの翻訳業や広告収入で
そこそこ稼いで生活費は入れてくれているし、こういう仕事もアリなんだろう。

「稼ぎはあっても母者から見れば、ぐうたらな生活をしてるように見えるだろう?
見ていて腹が立ってくるだろう? そこで、しぃをメイドとして使うわけだ。
兄者専用のメイドがいれば、母者が兄者の世話をする必要が無くなる。
母者の負担は労働面も精神面も軽くなるはずだ。そうは思わないか?」

この子は、理詰めで語ってくるところが嫌いだよ。
気がついたら、丸め込まれるように厄介ごとを引き受けさせられちまうんだから。
どうせ、しぃの躾ってのも何かの研究レポートに役立てるつもりだろうに。

―弟者から感謝―
しぃの成育日記をつけてくれるのか。流石だ母者。
俺もたまに記録を拝見させてもらおう。期待している。

――――――――――――――――――――――――――――――――――
〇月△日
しぃに針仕事を教える。手本を見せてやっているのに物覚えが悪い。
誤って、このあたしの指に針を刺しやがった。
本当なら剣山で全身を滅多殴りにしてやりたいところだが、頬だけで勘弁してやる。
花器から花を抜き取って剣山を取り出し、素早く小娘の腹の上に乗っかって
思いっきり一撃を加えると、剣山の四角い痕がくっきりと頬に刻まれた。
細かい穴が剣山の形で烙印を押したみたいになっている。

悲鳴が鬱陶しい。こんなときは叫ぶ余暇を与えなければいい。
もう一撃を加えると、同じ位置には刺さらなかったようで、少しずれて四角痕が出来た。
何度も腕を振るう。なるべく同じ位置を狙いながら殴り続けるたびに
ぶへっごぶっ、と変な息を漏らし、血飛沫を飛ばしながら、しぃの頭がぶれた。

……お岩さんみたいなご面相になったのは少し不味かったかもしれんね。
せめて表面だけでも、つるつるに研磨すべきだろうと思いついて
父者の日曜大工用具から、ひとつ道具を借りることにした。

手持ち扇風機のような形状の機器にパイナップルを輪切りしたような研磨円盤を
嵌めこんだ機械。これは木材の表面を研磨するために使われていたはずだ。
稼動させると、ぶわぁっと強力な風が巻き起こって、涼しい。

体が小さくて軽いだけに、風圧で飛ばされそうになっているしぃを片手で捕まえ、
ぐいっと回転している円盤の表面を頬に押し付けた。
何やら絶叫しているが、その悲鳴は風に掻き消されて、ヴェェェェェェという
なんとも間抜けな響きになっていた。白い毛が粉雪みたいに細かく散る。
もっと強く押し付けると、その粉雪は薄紅に染まった。

紙やすりを高速回転させているようなものだから、殺傷力はない。
ただし、痛みは激しいはずだ。
じわじわと紙やすりでつくられた擦り傷の上を、さらに削られているのだから。
薄紅の粉雪が真紅に染まってきたところで満足し、機械を止めてやった。

しぃの頬は毛皮が剥がれ落ちて肉が露出し、細かい擦り傷から血を滴らせていた。
あんまり綺麗に研磨できていないのは木材と肉の差というものかもしれない。
まぁ弟者が治すだろうさ。そうだろう、これくらい。たいした怪我じゃないさ。

これだけでは、まだ躾には足りない。だから指と爪の間を布団針で貫いてやった。
身体で1番、痛覚が鋭いのは指先らしいから、これは効いたろう。
神経が凝縮した敏感な皮膚に太い針を押し込むのは少し疲れたよ。

さっくりとは入らないから、先端を捻るようにしながら少しずつ深く刺した。
おかげで、鍵爪の形だった指が、埋めた針で真っ直ぐに伸びた。
血で染まった爪はマニキュアを塗ったみたいで贅沢なこったね。

700 名前:※母者の手記※ 若葉 ◆t8a6oBJT5k 投稿日:2006/05/30(火) 22:21:10 [ UaZ8zSzw ]
しぃのくせにマニキュアでオシャレができたんだから感謝してもらいたいもんだ。
それに真っ直ぐってのは気持ちいいもんだ。今度、尻尾にも鉄串を入れてやろうかね?

―弟者の悲願―
すまん母者。治すのに高価な薬を使うのがもったいない。
できれば傷痕がつくような折檻は控えてもらいたい。

爪を剥がして『ねんがんの つけづめを てにいれた!』も、勘弁してくれ。
この世に『ころしてでも うばいとる』と母者に言える勇者はいない。
第一、こんなレトロなネタなど年若い者は知らないんじゃないかと。
そして、しぃ族の爪なんか欲しがる香具師もいないわけだが。

――――――――――――――――――――――――――――――――――
〇月×日
しぃに風呂焚きを教える。何べん湯加減を間違えたら気が済むのか。
叱ると反抗的な顔をして、こともあろうに口答えしやがった。
このあたしに歯向かうなど言語道断だ。許しがたい。いや、許さん!

火傷するほどではないが充分に熱い湯船に頭から逆さに漬け込んでやった。
足がパタパタ動いて、みっともない。女が簡単に股を割るもんじゃないよ!

足を掴んで閉じさせると身を湯船に浸したまま反転させた。
湯底に頭を打ち付けて悲鳴をあげたのか、ゴボゴボと気泡が上がってくる。
しばらく観察していたら、肺の中に空気が無くなったのか気泡が尽きて
そのおかげで水底の、苦しみに引き歪んだ顔が確認できた。
パクパクと馬鹿みたいに口を開けて片手で咽喉を押さえ、必死の目であたしを見てる。

本当に肺の空気は全部、無くなっちまったのかねぇ?
試しに、ごんっごんっと湯底に頭を打ち付けてやったが気泡は出てこない。
くるんっと目玉が反転して黒目が隠れ、ふにょっと口から舌を垂れ出させたところで
渋々と湯底から顔を引き上げてやった。この程度で気絶するとは情けないねえ。
腹が膨らんでるから、たらふく熱湯をご馳走になったようだ。
こんな腹になるまで飲むとは、意地汚い娘じゃないか。生意気な。

タイルの上に転がして足で腹を踏んで水を出させようかと思ったが、脚力の加減は難しい。
ヘタすると内臓まで踏み抜いて殺してしまうかもしれないからね。
ここは手で締め上げるって方法で吐かせたほうがいいだろう。

エプロンを外して、腰紐の部分をしぃの腹に巻きつけると
「さぁ湯水を吐き出しな」
言いながら、きゅうぅぅっと紐端を左右に引いてやった。

腹に巻かれた紐が締まり圧迫されて、行き場を失った水が
食道を逆流して、噴水みたいに口から湯水が吹き上がる。
面白いねえ。余興だねえ。これなら外傷はつかないよ。

激しく咳き込みながら目を覚ましてすぐ、あたしの姿を確認すると
その表情が泣きそうに歪んだのが気に入らない。失礼な子だよ、まったく。

まだ全部、湯水を出してないだろう?
更に腹部を締めあげると紐が肉に食い込んで毛皮の内側に隠された。
まるで雪達磨だが、顔だけは赤く染まっている。

苦しいのか脂汗を垂らし、頬をぷくっと膨らませて
腹から押し出される空気を水と一緒に噴出しながら何か言っている。
水を出しながらガボゴボ泣いたって何を言ってるのやら判らない。

訳のわからない話に耳を傾けてやるほど、あたしは暇じゃないんだ。
紐が腹の薄皮を通して内臓を絞る感触を伝えてきたころ
しぃの赤かった顔が青くなり、白くなってきた。
水は口端から垂れる程度で、もう勢いはなくなっている。
これ以上やったら水の代わりに腸が口から飛び出てきそうだ。

元気よく手足を振ってタイル上に溜まった水を叩いていた動きも
引き攣れたみたいに不規則になって、手足は瀕死の虫みたいに
自分の身体を抱しめるような動きで固まりだした。

……やりすぎた、かもしれない。
しぃの鼻孔からポタリ、と赤い雫が零れ落ちた。
ガクンッと首を転がした耳孔からも、細い赤い筋が流れ落ちてくる。

慌てて紐を外してやると、しぃは朦朧としながら腰を曲げ、身を丸くした。
大きく腹を波打たせて新鮮な空気を循環させている。
これなら、まだ死にはしない。そのうち、落ち着くだろう。

701 名前:※母者の手記※ 若葉 ◆t8a6oBJT5k 投稿日:2006/05/30(火) 22:25:06 [ UaZ8zSzw ]
だけどまだ目の焦点が合っていないから、ちゃんと覚醒させる必要がある。
正気づけるために剥き身の電線を使って感電させてみた。

踊るみたいに体を上下に跳ねさせ、濡れた毛皮に青白い閃光がはしる光景が綺麗だ。
死なない程度に目を配りながら眺めてたんだが、あまり面白いもんじゃないねえ。
もっと派手に蠢くかと思ってのに、感電させた箇所だけでなく水を伝って全身に電流が
駆け巡っているせいか、やたら動きも悲鳴も単調で、すぐに飽きちまったよ。

つまらない女さ。退屈しのぎにもなりゃしない。
もちろん弟者の注文どおり、怪我もさせちゃいないよ。
毛皮は濡れてるんだから火花で燃えることもなく、焦げ痕1つ無い。綺麗なもんさ。

なのに弟者ときたら血相を変えて、しぃを連れて行ってしまうたぁどういう了見だい?
まったく。面倒を引き受けて躾けてやってるってのに、恩知らずな息子だよ。

―弟者から回収報告―

OK、わかった俺が間違っていた。
たった数日でここまでしぃを破損できるとは流石だな、母者。

このしぃには研究費だって結構かかってる。このまま死なれたら俺は大損だ。
母者には無理を言って悪かった。しぃは回収させてもらおう。
――――――――――――――――――――――――――――――――――

母者の手記を読み終えたモナーが、苦笑を浮かべながら手記を弟者に返す。
コメントは無い。いろいろと思うところがあったのだろう。
弟者もあえて、感想を聞くようなことはしなかった。

702 名前:若葉 ◆t8a6oBJT5k 投稿日:2006/05/30(火) 22:27:13 [ UaZ8zSzw ]
そうこうしているうちに施設に到着した。
施設内で出口から1番近い扉を弟者が開けると無機質なコンピューターが
整然と並んでいて、一定の間隔で網籠や檻、硝子ケースなどが設置されており
それらの中には、一匹ずつ実験体のしぃ族が入れられている。

「好きなものを見て行ってくれていいぞ」
弟者の許可を得て、モナーは正面にある小さな籠へと近づいた。
「これは何の実験モナ?」
「実験というより遊びに近い暇つぶしだな。
こいつで、『ことわざ』を実演してみるとどうなるか試しただけだ」

怯えた目で弟者たちを見つめるしぃの口周りが、妙に膨らんでいた。
「口を開けろ」
弟者が短く命じると、しぃがビクッと身を竦ませて涙を流す。

「ハニャーン、イウトオリニスルカラ、ヒドイコトシナイデ」
咽喉が潰れているのか不鮮明な声で答えて口を開く。口内はケロイド状に爛れていた。
舌も奇妙な形に歪んでしまっている。歯だけは綺麗なままだった。

「……何をしたモナ?」
「ことわざの『焼け石に水』を実演させただけだ。
熱した小石を唾液に含まれる水分で冷まそうという実験なんだが
口の中に押し込んだとたんに吐き出しやがる。そのうち石も冷めてしまったし
特に面白いデータは得られなくて、がっかりだ」

チッと、忌々しげに弟者が舌打ちをする。
「腹部を切開して『腸が煮えくり返る』の方が面白かったかもしれない」
「シィィィィィィィィ、ゴメンナサイ、オナガイ、ユルシテ、ユルシテ」
「だったら面白い実験結果を出せ」
吐き捨てるように言い放つ弟者の前で、しぃは泣き崩れた。

「まぁ、ここは見ていてもつまらないだろう。次にいくか」
弟者の言葉を受けてモナーは、ぎこちなく頷いた。

少し歩いて硝子ケースを覗くと、そこに閉じ込められているしぃは
背中の毛皮を大きく毟られた上に茶色い薬品を塗りたくられている。
所々の皮膚が壊死して膿んで、じくじくと体液が滲み出ていた。

「煙草害と薬の実験だ。マウスでも同じ実験をしたんだが、結果は全く同じだ」
「このボタンは何モナ?」
弟者の説明を聞き流して、ケース台の下についていた赤いボタンを何気なく押す。

シュワアアアという噴出音を立てながら、硝子ケースの中に煙が充満していく。
中からは、煙に包まれたしぃが咳き込む声が聞こえた。
「シィィィ、ケムリヲトメテ。ケホッケホッ。クサイシ、クルシイヨ」
「しまったモナ、もしかして毒モナ!?」
焦るモナーだったが、弟者は落ち着き払っている。

「毒ガスじゃない。それは強制喫煙の実験をするときに押すボタンだ。
煙で燻しているだけだから気にすることはない。
しばらく待っていれば自動的に排煙される」

灰色の煙に覆われて硝子ケースの中身は見えなくなった。
苦しさのあまり暴れている気配が伝わってくるが、そんなことで煙は消えない。
どんっと、硝子にピンク色の肉球が押し付けられた。
硝子に密着した肉球だけは、煙に隠されず鮮やかに見える。

「結構、可愛い色をしてるモナね」
「しぃの肉球は可愛いと俺も思う。抉り取るとすぐに腐るけどな」
どんっどんっと硝子を叩く瞬間だけ現われるピンクの肉球も
硝子から離れれば煙に包まれているせいで、薄汚く染まってきた。

「タバコ煙の中で呼吸するのは、どんな気分だ?」
「クルシイヨ、クルシイヨ。ハニャーン、ママァ」
観測記録をつけるときみたいに事務的な声音で弟者が声をかけると
硝子ケースの中からは弱々しい泣き声が聞こえてきた。

「ママって。もう成体しぃが何を言ってるモナ」
モナーが腹を抱えて笑っている間に、排煙機能が稼動し始めた。
狭い硝子ケースは、すぐに透明度を取り戻す。
しぃの全身は薄く灰色に染まっていた。
鼻と口からは、まだ肺に充満しているのであろう煙が出ている。

「嗅ぎタバコみたいになってるモナ。火を熾したら燃えるモナ?」
からかって言うモナーに、しごく真面目な表情で弟者が頷いた。
「今なら燃える。見せてやろうか?」
弟者は硝子ケースを少し開いて、薬品を塗布されている皮膚へと
火のついたマッチを落とした。

「ギジィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ」
カッと目を見開いて、しぃが甲高い泣き声を上げる。
狭いケースでは逃げる場所もなく、その場に寝そべったまま泣くことしかできない。
皮膚の上で炎が、ゆらゆらと揺らめいている。
肉の焦げる臭気と一緒に、ヤニ臭さが鼻をついた。

「今、燃えている部分の皮膚が炭化するまでは燃え続ける。
皮膚を這って燃え広がることはないから焼死の心配もない」
「薬液の観測実験じゃなかったモナ?」
「当初の目的はそうだったが、マウスと同じなら意味は無い」

703 名前:若葉 ◆t8a6oBJT5k 投稿日:2006/05/30(火) 22:29:19 [ UaZ8zSzw ]
火傷の新薬実験にまわすとしても、皮膚が炭化したら役に立つまい。
しかも火傷箇所には薬剤が塗布してあったのだから正確な統計は取れない。

「今後はストレスの実験に使うことにしよう。
長期に渡って不眠、飢餓、激痛を与え続けたら
どのくらいのレベルで異常が現われ、壊れるかを調べるのに役立つ」

「焦げ臭くて鼻が曲がりそうモナ。弟者、ここから離れたいモナ」
「OK。次は合成実験の失敗作を見せようか。
しぃの上半身に豚の下半身をつけてみたんだが予想通り、下半身から腐ってきて
毒素が上半身にも伝染したことによって、なかなか面白いデータが……」
「ちょっと待つモナ」
話を続けようとしている弟者を制して、左側の通路をモナーが指さす。

「あれは何モナ?」
左のつきあたりに奇妙な形の器具が置かれていて、それに押さえ込まれている
白い毛皮が見えている。ここからでは、ちゃんと見えないが多分、しぃなのだろう。

「あれは頭部固定器だ。しぃの両目を抉って歯を全部抜き取った後
眼孔と口内に棒を差し入れて頭を固定してある。別に珍しい器具じゃないと思うが」
「で、頭部を固定して何の実験に使うモナ?」

「生殖器に電極棒を突っ込んで電圧実験に使う予定になっている。
交尾、交尾とうるさかったからな。濡れているほうが電流の通りがいいから、
少しくらいなら通電前の電極棒で悦ばせてやってもいい。
よほど下半身が寂しかったんだろうから、あのしぃも本望だろう」
「あー、そういうのには、あんまり興味ないモナ」

モナーが嫌そうに首を振って、わざとらしく背を向ける。
そう言うと思ったよ、と弟者は肩をすくめた。

「なんだか気分が悪くなったモナ。合成実験も遠慮しとくモナ」
「そうか。それじゃ、お待ちかねの『レディーしぃ』を迎えに行こうか?」


研究施設の最上階へと案内され、紹介されたレディーしぃは
立ち居振る舞いが優雅で、表情には知性が現われていた。
黒曜石のような瞳が印象的な美少女だ。
淡いレモンイエローのドレスを身に纏った彼女は、
部屋の扉が開かれた瞬間に身を強張らせて、瞳に恐怖の色を湛えていたが
厳しい教育の成果なのか、すぐに恭しく跪く。

モナーは、なるべく優しく話しかけた。
「こんにちは。今日からしばらく一緒に暮らすことになるモナ」
握手しようとして近づくと、ふわりと石鹸の香りが鼻孔を擽った。

「お待ちしていました。お会いできて光栄です」
彼女は顔を上げて、モナーが差し出していた手に自分の指を絡め
軽く会釈してからすぐ指を離した。丁寧ではあるが怯えが隠しきれていない。

「全角で喋れるとは驚いたモナ」
「惚れるなよ? そいつは『しぃ族』だってこと忘れるな」
ぽんっと弟者に肩に叩かれたモナーが、微かに頬を染める。
「心配しなくても大丈夫モナ。それに彼女は兄者のものだモナ」

モナーの態度を見て、弟者の胸を一抹の不安がよぎったが、
ここは長年の友を信じるべきだろうと思い直して目を伏せた。




数ヵ月後。
今日は、モナーに預けた『レディーしぃ』を引き取る日。
弟者は胸騒ぎを感じながらも、モナーの家に訪れていた。
扉をノックしようとした弟者の耳に、ガツッという鈍い音と

「やめるモナ、何をするんだモナ!!」
モナーの憔悴した声音が扉の隙間から漏れ聞こえてきた。
弟者は思わず、ドアノブを握ったままの姿勢で耳を澄ませてしまう。

「アタシハ、チョコレートケーキガ、タベタイッテイッタノヨ。コノヤクタタズ!!」
ガシャン、と扉に何かがぶつかって砕ける耳障りな音が響く。
その扉のすぐ向こう側にいる弟者の指にも、振動が伝わってきた。

「だから売り切れていたんだと、さっきから何度も言ってるモナ。
それに生クリームのケーキだって美味しいモナ」
「ウルサイ。コンナモノ、コウシテヤルンダカラ」
また、何かが壊れる音。モナーの悲鳴じみた声。
「高かったのに何するモナ、どうしてそんなことするモナ!?」

ドアノブを握り締めたままだった弟者の顔に苦渋の色が浮かぶ。
苛立ちまぎれに荒々しく扉を叩くと

「ダレカキタワ。アタシハイマ、キゲンガワルイノヨ。オイカエシナサイ」
高飛車な声音にかぶさるようにして
「今日の来客予定は1人だけモナ。やっと来てくれたモナ」
安堵に満ちたモナーの声が聞こえてくる。

「レディーしぃ、きっとお前をダッコしに来てくれた人モナ」
「ダッコ!! ハニャーン。ソウイウコトハ、ハヤクイイナサイ」

ぱたぱたと誰かが駆け寄ってくる気配がして、ドアノブがまわる。
「イラッシャイ、ハヤク、ダッコシナサイ」
扉を開けて期待に瞳を輝かせていたしぃが、来客の顔を見た瞬間に青褪めた。

704 名前:若葉 ◆t8a6oBJT5k 投稿日:2006/05/30(火) 22:31:23 [ UaZ8zSzw ]
「ア…ア、アァ……」
酸欠の金魚みたいに口をパクつかせながら、
へなへなと床に崩れ落たしぃを、侮蔑の眼差しで弟者は見下ろしている。

しぃの美貌は今も健在だが、せっかく身につけさせた気品と知性が
きれいさっぱり消え失せてしまっていることに落胆を隠せない。
「久しぶりだな、しぃ。随分と変わってしまったようだが?」

「チ、チガウ、チガウノ。コレハ、アノ、ソノ……」
恐怖で強張った表情のまま、意味のない手の動きをみせながら
必死に弁解しようとしているしぃから視線を外して
弟者が部屋の様子を横目で確認する。

扉のすぐ傍の床には、粉々に砕けた陶器の破片が散らばっていた。
モナーお気に入りの木製テーブルの下にはケーキ皿が逆さに落とされ
その周辺には割れた小皿が転がっている。
しぃが癇癪を起こして投げつけたものに違いない。
苦い溜息をついてモナーのほうを見たとき、目を瞠った。

「ときにモナー。その額はどうした?」
しばらく沈黙が流れ、やがて弟者が声を搾り出す。
モナーの額には大きなコブができていた。
「さっき、しぃに皿を投げつけられたんだモナ。痛いモナ」

ギッと弟者が険のある視線でしぃを睨むと、しぃは竦んで硬直した。
混乱と恐慌で唇が震え、歯の根がカチカチと鳴っている。
「今日でお別れだからケーキを食べさせてやろうと思ったんだモナ」
「しぃは、どうしてこんなにも堕落してるんだ?」

「ちょっと甘やかしすぎたんだモナ」
ばつが悪そうにモナーが口ごもる。
怯えるばかりだった頃のしぃは、思わず守ってあげたくなるような
儚さがあって、遠慮深い性格が愛しかったのだ、と
モナーは悲しそうな顔で言って、現在の堕落したしぃを見つめた。

「愛情深く育てるって約束だったモナ」
怯えていたしぃにモナーは優しかった。それこそ猫かわいがりした。
しぃは少しずつ自我を出し始めて、つけあがっていった。
打ち解けてきてくれたのだと勘違いして喜んだモナーが
請われるままにダッコと高級な菓子を与え続けているうちに
しぃ族本来の性質を露わにしていったのだった。

マズイことになったとモナーが後悔したときには既に遅かった。
理知的だった瞳には欲望だけが揺らめくようになり
傲慢な言動を繰り返し、モナーの命令にも従わなくなった。

自分がモナーに預けられただけの身だと彼女も知っていたはずなのに。
いつか弟者に返される日がくると判っていたはずなのに、それを忘れた。
弟者が義務づけていた家事労働や勉強も放棄してしまった。
あっというまに『レディーしぃ』のメッキは剥がれ落ちた。

「これじゃとても兄者に提供できないモナ。ごめんモナ」
「気にするな。しぃは、どこまでいってもしぃっだったってことだ。
どんなに苦労して教育しても、甘い汁を吸わせれば元の木阿弥。
それが分っただけでも研究の成果といえるだろう」
意気消沈しているモナーの肩を抱き、優しく弟者が慰める。

「だが、しぃ。だからといって、お前を許すことはできない。
他の実験体と比べれば破格の扱いをしてやっていたのに
よくも期待を裏切ってくれたな。しかもモナーに怪我までさせて」

施設で実験体として産まれたしぃ達には、ケーキなど生涯、見ることも叶わない。
野生のしぃ族でも、よほど恵まれた環境でなければ口にできまい。
それを、贅沢に慣れたしぃは、ひとくちも食べず床に捨てたのだ。
あまつさえ、弟者の数少ない友人を傷つけた。弟者の怒りは骨髄まで達していた。

「シィィィィィ、ユルシテ。オシオキ、コワイノ。イタイノ、イヤダヨ」
しぃが両手をすり合わせながら懸命に許しを請う。
モナーの趣味で着せられていた白いエプロンドレスに黄色い染みが
広がっていくのは、恐怖の余り失禁してしまったからだろうか。

「アタシハ、トクベツデショ!? オナガイ、ミノガシテ」
「特別だったさ。でも今は屑だ。もう全角での会話も忘れたか」

「ゼンカク、ゼンカク、アレ。アレ。アレレ、デキナイ、デキナイヨ」
しぃは全角で喋ろうとしているようだが、うまくいかない。
もともと発声器官が全角に向いていないのだから、すぐには復活できない。

「実験用としてなら使えるモナ。研究施設へ連れて帰るといいモナ」
「マッテ、モナー。オナガイ、イイコニナルカラ、ココニオイテ。オイダサナイデ」
しぃは涙ながらに訴えたが、モナーの目は醒めきっていた。

「もう疲れたモナ。早く持って帰ってほしいモナ」
「マッテ、マッテヨ。アタシガコウナッタノハ、アナタノセイヨ。セキニンヲトリナサイヨ」
諦めきれないしぃが叫びながら追い縋る。

705 名前:若葉 ◆t8a6oBJT5k 投稿日:2006/05/30(火) 22:33:09 [ UaZ8zSzw ]
「いいな、それ」
弟者が、冷たい響きでポツリと言う。びくっと、しぃの背が震えた。
「責任を取ってやろうぜ。なぁモナー?」
何かを含むような、ねっとりとした口調に反応して、しぃが恐る恐る振り向くと
弟者は剣呑な光を湛えた双眸で見据えたまま、口元を歪ませていた。

「失敗作だったら研究に使い回しする予定にしていたんだが
責任を持って、不用品はここで廃棄しよう。手伝ってくれるな?」
「もちろんモナ!」
しぃが荒れても、モナーは弟者から託された身なのだからと自分を戒めて
乱暴なことはしなかった。耐えるばかりでストレスが溜まっていた。

清楚だったしぃが本性を現したことによって、なんとなく夢を裏切られたような
寂寥感も増していた。それが少なからず憎しみにも変化している。
そんな苛立ちの対象が、弟者自身の判断により加虐可能になったのだ。
モナーが喜び勇むのも当然のことだろう。

弟者は、しぃが引っかいてボロボロになっていたカーテンを掴み
ピーッと引き裂いて布紐を作った。
次に、足元に落ちていた陶器の破片を拾い上げて吟味すると
3個の大きめな破片を選んで、それぞれを布紐で括りつける。
紐の先を握って振り回せば簡易武器として使えそうだった。

それを凝視しながら、しぃが掠れた声で許しを請い続けている。
ペタリ、と座り込んでいるのは腰が抜けて立てないためだ。

「イヤ、イヤイヤイヤ。ソンナノ、ツカワナイデ、ヤメテ」
「振り殴ったりはしない。確かにこれで攻撃すれば威力は抜群だが
熟練した技術がないと、自分のほうに戻ってきて怪我をするからな。
おまえには、こいつを飲み込んでもらうだけだだ」

弟者がしぃに近寄ると、しぃは咽喉笛を鳴らして、尻でずり上がって逃げようとした。
その背が、柔らかなものに触れる。モナーだった。
「シィィィ、ハナシテ、ハナシテヨ」
モナーが片腕でしぃを抱きとめたまま、もう片方の手で顎をつかんだ。
顎ごと頬を強く握られると自然に口が開いてしまう。

弟者が、しぃの無理やり開けされられた口内に陶器片をねじこむ。
「こういうのを『自業自得』って言うんだな。
モナーの好意を素直に受けてれば、口に入るのはケーキだったのに。
皿を割ったりしなければ、こんなことにはならなかったんだ。
全部、お前の愚かしさが招いた結果だ」

しぃの口端から鮮血が伝い落ちる。弟者の指も血に塗れていた。
割れた陶器の破片には鋭利な部分もあるから口内が切れたのだろう。
しぃは自分の血と一緒に陶器の破片を飲み込むしかなかった。

3個の破片を飲ませ終えると、弟者は紐の端を握って歩き出した。
「ヤメテ、イタイ、イタイッテバ」
飲み込まされた破片が紐に引っ張られて、しぃの胃の中で動く。
胃の中で破片が突き刺さり、腸を切り裂く激痛に悲鳴を上げながら
しぃは両腕だけで這った。腰は抜けたままで、立ち上がれない。
這ってでも弟者についていかないと、体内の破片が引っ張られてしまう。

「へっぴり腰だモナ」
モナーが笑いながら、しぃの後ろ足を踏みつけて這うのを邪魔する。
「ギャッギャギャギャ」
腹で陶器が擦れあい、自分の体が内部から破壊していくのを感じて、
しぃが獣じみた叫びとともに血塊を吐き出した。
腹部がピクピクと痙攣している。モナーは笑って、足を離してやった。
ほとんど気を失いかけながらも、しぃは本能的に這うのを再開した。
「流石だな、しぃ」
歩きながら弟者も笑った。

部屋の隅の柱までくると、弟者は慣れた手つきでしぃを柱に縛り付ける。
モナーが嬉々として弟者に聞く。
「サンドバック代わりに殴っていいモナ?」
「駄目だ。破片が腹を突き破ってモナーに刺さったら危ない。
紐を引けば取り出すことが出来るんだが」
目だけで何かを促すような態度の弟者に、モナーが頬を綻ばせる。

「タスケテ。モナー、アナタハ、ヤサシイ。アイシテルワ、ダイスキヨ、ダカラ、ダカラ……」
モナーが、しぃの口から垂れ下がって紐のうち、1本を握った。
しぃがガタガタ震えながらモナーを見つめる。
祈りにも似た視線は、モナーが紐を引いたことで宙を彷徨った。

「シィィィィィィィィィィィィ、シィィィィィィィィィィィ」
口から泡を噴きながら、しぃが身悶える。
「結構、力がいるモナ。あちこちに引っかかって抜けないモナ」
力任せに引っ張ると、しぃの体からゴキュッという音がした。
内臓を突き破り筋肉を裂いて骨に引っかかっていた破片が、その骨を砕いた音だった。

「やっと出てきたな」
テラテラと血に濡れて輝く陶器には、しぃの肉と骨片が引っかかっていた。
しぃは項垂れて、ピクリとも動かない。失神したようだ。

706 名前:若葉 ◆t8a6oBJT5k 投稿日:2006/05/30(火) 22:34:27 [ UaZ8zSzw ]
「起きるモナ」
モナーが雑巾バケツの薄汚れた水をしぃの口に流し込む。
咽喉奥に溢れる異臭と味に、しぃが目覚めてゲベゴボと不明瞭な叫びをあげた。
叫べば叫ぶほど汚水は勢いよく流し込まれていく。
口を閉じようとすれば腹を殴ってでも悲鳴をあげさせる。
弟者は、その暴行には参加せず、煙草を燻らせながら見物していた。

「旨かったモナ?」
空になったバケツを床に置いて、しぃの耳を引っ張るようにして顔を見るモナー。
しぃの視線はモナーのほうに向いているが、焦点が合っていなかった。
「ゴゲッグゲェェェ」
大量に汚水を飲まされたしぃが、苦しがって身を捩っている。

「寝ぼけてるのか?」
弟者が、しぃの片目に煙草の火を押し付けて灰皿代わりに使う。
涙で潤っていた眼球からジュッと音がして白煙が立ち昇った。

「シィィィィィィィィィィィ」
身を跳ねさせ、しぃが悲痛な絶叫を上げた。熱さで堅く目を瞑ったせいで
煙草は瞼に挟まれて、数秒ぷらぷら揺れてから落ちた。
目を押さえて転げまわっているしぃを見て、笑い上戸のモナーが爆笑している。

「目玉は燃えないモナね」
しぃの身体を踏みつけて顔を無理やり上げさせ、しぃの目を開かせると
黒目が煮えて白く濁っていた。火傷の跡は見当たらず血も流れていない代わりに
薄っすらと白濁した粘りけのある体液を垂れ流している。

「水をもらったら、ごちそうさまでした、だ。それとも、おかわりか?」
何事もなかったかのように弟者が言う。
モナーが床に置いたバケツに手を伸ばしているのを、残った片目で見たしぃは
「ゴ、ゴチソウ、サマ、デヂダ。ゴチソウサマデシタ……」
震える唇で嗚咽交じりに言い終えると、力尽きたように再び意識を手離した。

しぃが意識を失うたびに、殴る蹴るの暴行を加えて無理やり覚醒させる。
そんな単調な遊びを繰り返して数時間が経過した頃だろうか。
生命の限界がきたしぃの瞳から、急激に光が消えていった。
筋力が緩まった体から涎と糞便を垂れ流しながら、息絶えようとしている。

「あー、尻から陶器の破片が出てるモナ」
糞に混じって、薄汚れた布紐に括られた陶器の破片が2個、体外に排泄されていた。
通常なら胃の内容物が消化されてからでないと排泄されないはずなのだが
あちこち傷つき破れている体内で、しかも大量の水を含まさせているために
その水と一緒に流されて落ちてきたのだろう。

「どうだモナー。俺が口の紐を引っ張るから
お前は肛門から出た紐を引っ張って、綱引きか縄跳びをしないか?」

「嫌モナ。こんな汚いもの触りたくないモナ」
鼻筋に皺を寄せて、モナーがしぃの糞便にまみれた破片に唾を吐く。
「同感だ。じゃあ口の紐を2人で同時に引っ張ろう」
「それならいいモナ」

一本ずつ、紐の端を握って2人は一斉に引っ張った。
柱に括りつけられたしぃの体が、つっぱるように強張る。
僅かに背が反って、瞼に溜まっていた涙が頬を伝い落ちた。

更に力を込めると糞便の中に埋もれかかっていた破片が引っ張られて、体内に戻っていった。
しぃの体が揺れる。もう悲鳴は出ない。
時々、蛇口を捻ったみたいに胃の中に残っていた汚水をジャバジャバ吐き出した。
しかし意識は混濁しているようで、体が僅かに痙攣するだけだった。

しぃは死んだ。

それでも2人は紐を引くのをやめなかった。
筋肉が弛緩しているせいか、先程よりは簡単に紐が引き出されていく。
やがて、しぃの口から、糞便と血反吐に包まった破片が飛び出した。
「うわっ。汚いモナ」
「こんなものだろう。しぃの体の中身なんてものは。汚れてるのさ」

「後片付けが大変モナ」
部屋の惨状を改めて見回して、モナーが肩を落とす。
興奮が過ぎた後には、憂鬱な現実がある。
「……仕方ない。手伝おう」

2人は深い溜息をついて、部屋の清掃を始めた。

ー終ー