砕けた絆

Last-modified: 2020-06-23 (火) 15:42:06
90 :耳もぎ名無しさん:2007/05/29(火) 04:07:06 ID:???
タイトル 『砕けた絆』
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買い物を済ませて家に帰ると、様子がおかしかった。
いつもなら長女のチィちゃんが
「ママお帰りなさい!」 と愛くるしい笑顔で迎えてくれるのに、その気配すらない。
部屋の奥にはベビちゃんがいるのに、笑い声も鳴き声も聞こえてこない。
チィちゃんが子守をしてくれているうちに、2人とも眠ってしまったの?

不審に思いながら奥へ進み、子ども部屋のドアを開くと、
誰かが部屋の中央でベビちゃんの身体を左手で押さえ込み、右手で口を塞いでいた。

「ベビチャン!!」

厚手の黒い布を頭から足先までスッポリと被っていて、それが誰なのかは分からなかった。
腕の部分は切り抜かれているけれど長袖と手袋で特徴はつかめない。

「ダレ、ナノ」

掠れた声で問いかけると、そいつがこちらを見た、気がする。
目がある位置の布は細かい網状で、あたしからはよく見えない。

「僕はあなたのよく知る男ですよ、しぃさん」

ボイスチェンジャーガスで変質させた耳障りな声で
優雅に一礼してみせてから、男はベビちゃんの口から手をどけた。
喘ぐように空気を貪ってから大声でベビちゃんが泣き出す。
今すぐ駆け寄りたいけど、男を刺激するのはマズイ気がして動けない。

「あなたの大切なものを壊しにきました」

言葉だけは静かで丁寧だけど、端々に嘲りが滲む話し方。
あたしは、こんな話し方をする男を1人だけ知っている。
声を変えても、姿を隠しても分かる。

「タカラクン? ベビチャンヲ ハナシテ」

ギコくんと結婚する前に付き合っていたタカラくんに違いない。
本当はギコくんが好きだったけど、ギコくんには妻子がいたから。
ギコくんの奥さんが事故で亡くなったとき、チャンスだと思ったの。
傷心のギコくんを慰め、プロポーズしたら受け入れてもらえた。
だから、あたしは邪魔になったタカラくんを捨てた。

「キイテ、タカラクン。ベビチャン、ホントウハ アナタノ コドモナノヨ」

逆算するとベビちゃんを体内に宿したのはタカラくんを捨てる直前で、
ギコくんに受け入れてもらった直後だった。
実を言うと、どちらが本当の父親なのか分からない。
だけど、あたしは必死だった。なんとかしてベビちゃんを助けたい。

「僕の子どもですか。それならなぜギコと結婚したんです。
ひどい女です。僕も、ギコも、ギコの連れ子も、自分の子さえも。
みんなを騙して、このまま暮らしていくつもりだったんですか」

連れ子も、という言葉のときタカラくんは僅かに顎をしゃくった。
その方向に視線をやると、部屋の隅に縛った状態で座らされて頭を垂れているチィちゃんの姿が見えた。
あたしの咽喉からヒッという短い悲鳴が漏れる。

「チィチャン!! タカラクンッ、マサカ、チィチャンヲ コロシタノッ!?」
「いいえ。気を失っているだけです。今はまだ、ね」

つまり、後はどうなるか分からないってことね。
冗談じゃないわ。チィちゃんは、あたしとギコくんを繋ぐ大事な娘よ。
ギコくんはチィちゃんを溺愛しているから、もしものことがあったら許してくれない。

「オナガイ、チィチャント ベビチャンニ ヒドイコト シナイデ」
「いいえ。それは無理な相談です。僕は壊すためにきたんですから。
それに、こんな糞ベビが僕の遺伝子を継いでいるなんて許せません」

タカラくんはホッチキスに似た器具をベビちゃんのお耳に挟み込んだ。
パチンと器具が上下に動くと同時に、お耳から血が飛沫く。

「ヂィィィィィィィィィ!!」
「シィィィィィィィィッ ヤメテッ ヤメテェッ」

ベビちゃんのお耳に小さな丸い穴が開き、絶叫と悲鳴が重なる。
ホッチキスだと思ったものは書類に穴を開けるための一穴パンチだった。
パチンッパチンッと、まるで見せびらかすように何度も器具が動き、
そのたびにベビちゃんは両手両脚をバタつかせて泣きじゃくった。
形のいいお耳が漫画チーズみたいに穴だらけになっていく。

「ん、ママ? ママ、ママァッ!!」
「ダ、ダメヨ、チィチャン ダマッテ」

あたしとベビちゃんの悲鳴でチィちゃんが眼を覚ました。
チィちゃんはギコくんに似たのか、しぃ族なのに全角で話せる。
それだけに珍しがられて虐殺厨の標的になりやすい。

91 :若葉 ◆t8a6oBJT5k:2007/05/29(火) 04:12:57 ID:???
「おや、お姫様のお目覚めですか。義妹と同じ耳にしてあげましょう」
「イヤッイヤアッ、ヤメテ、オナガイ、ヤメテヨォ」

全角での話し方についてはスルーしながらも、タカラくんはチィちゃんに近づこうとする。
その歩みが、チィちゃんの前でピタリと止まった。

「そうだ。あなたに殺す子を選ばせてあげましょう。
チィちゃんか糞ベビ。どちらか1人だけ助けてあげます」

どうします? と、楽しげにタカラくんが信じられない提案をしてくる。

「怖いよママ、チィを助けて!」

男の言葉に怯え、縋りつくような視線でチィちゃんが救いを求めている。

「チィ、チィチィ、ナッコ、ナッコォ」

ベビちゃんは耳から血を流し、あたしのダッコを求めて泣いている。

「他人の子だけど無傷なチィちゃん。
実の子だけどお耳がボロボロで奇形になった糞ベビ。
さあ、選ぶのはどっち? 早く決めないと両方殺っちゃいますよ?」

ギコくんを怒らせ離縁されるのは覚悟でベビちゃんを守るか。
ベビちゃんを見殺しにしてギコくんとチィちゃんとの生活をとるか?

「ソンナ、ソンナノ エラベナイ。エラベナイヨォ。ハニャーン、ダレカ タスケテ」

そのとき、恐怖のためかベビちゃんが失禁した。
股から足先まで黄色い液体が白い毛皮を濡らしていく。
汚いっ! という怒りを含んだタカラくんの言葉を聞いて

「マッテ! ベビチャンハ アタシノ タッタヒトリノ、コドモダヨ!! コロサナイデ」

とっさにベビちゃんを選んでいた。チィちゃんの顔が悲しそうに曇る。

「ベビちゃんがママの、たったひとりの子どもなの?
ママに愛されたくってチィお勉強も、お手伝いも頑張ったのに。
良い子にしてたのにチィはママの子になれないの?」

大粒の涙が零れ落ちるのを見て胸が痛んだ。
でも、どちらか一人だけしか助けられないのなら……

「ママ、今ならまだ間に合うよ。お願いチィを助けて。
ベビちゃんよりチィを愛して。チィを選んでよっ」

今日の買い物はチィちゃんの好きな味噌汁の材料。
夜は家族そろって遊ぼうと思って花火セットも買ってきた。
学校で使うという色鉛筆セットも買ってきたんだよ。
素直で可愛いチィちゃん。あなたの母親になれたつもりでいたけど。

あなたのために、あたしのベビちゃんを犠牲にすることはできない。

「ゴメン、ゴメンネ チィチャン」

言い終わったとたん、その場の空気が変わった。
チィちゃんから表情が消える。沈黙の後に暗い呟きが紡がれる。

「へぇーえ。そう。チィよりベビのほうが大事なんだ」

頭の中で警鐘が鳴った。今すぐ逃げろと本能が叫んでいる。
だけど、あたしはチィちゃんの静かな怒りに呑まれて動けなかった。

「チィ絶対に許さない。ベビなんか苦しめて殺してやる」
「そうですか。いいでしょう。好きにしなさい」

チィちゃんを縛ったロープを、タカラくんがナイフで切って解放する。
そのままナイフをチィちゃんに握らせてベビちゃんを差し出した。

「チョ、チョット マッテ、ヤクソクガ チガウ!!」
「ええ。気が変わったんです。予定通り糞ベビを処分します」

そ、そんなっ。そんなことって。
慌てるあたしの目の前で、妙に手慣れた仕草でチィちゃんは
薄い刃のナイフをベビちゃんの顔へと振り動かし切り刻んでいく。

「ママに似た顔。だからチィよりママに愛されてるのかなぁ」
「シヂィィィィィィィィィィィ!!」

柔らかな肌が切り裂かれ、赤い肉が露出する。
飛び出しそうなほど目を瞠らせたベビちゃんが耳を覆いたくなるような悲鳴をあげた。

ナイフは眼球の上も頓着せずに滑っていき、切り割られた中から
ドロリと涙とは違う、粘った体液が血と入り混じって流れ出ている。

格子状に細かく切り刻まれた顔は血で真っ赤に染められて
いつしかベビちゃんは、ぴくぴくと痙攣するだけになり
体力も精神力も限界かと思ったところで、チィちゃんの動きは止まった。

「ほらね。もうベビはママと同じ顔じゃなくなったよ?」

92 :若葉 ◆t8a6oBJT5k:2007/05/29(火) 04:14:17 ID:???
無邪気に笑いながらベビちゃんの血染め顔を誇示されて戸惑った。
あんなに素直で優しかったチィちゃんが、こんなことするなんて。
これはきっと悪い夢。信じられるわけがない。

タカラくんは興味深そうにチィちゃんを手伝っていた。
ベビちゃんの親指の付け根に糸を絡めて縛ったチィちゃんが
糸先をタカラくんに渡す様子を、
あたしはただ放心して眺めていることしかできなかった。

指だけで吊り上げられたベビちゃんが痛そうに口をあけているけれど
もう泣き声を出すだけの体力が残っていない。

チィちゃんは、あたしが以前プレゼントした赤いランドセルに
教科書や本をたくさん詰めて重くすると、それを紐で括った。
その紐をベビちゃんの足へと結びつけてから、手を離す。

落下の衝撃で、紫色に鬱血した指の根元から血が噴出した。
ベビちゃんは悲鳴を上げないけれど、腕の筋肉は軋んでいるはずだ。
耐え難い苦痛と負荷が指にかかっているのが容易に推察できる。

悲鳴もあげられないビちゃんの代わりに、あたしの絶叫が響き続けた。
助けに行きたいのに、恐怖とショックで身体は石のように強張り、
動くことも、目を逸らすことすら出来ないのが口惜しい。

楽しそうにチィちゃんが何度もランドセルを持ち上げては手を離し、
落とすうちに腫れあがったベビちゃんの親指は、ぶちりと千切れた。

「ヂッ」

息を吐きだすような短い悲鳴が出たけれど、それっきりだった。
床に叩きつけられたベビちゃんはヒクヒクしている。
タカラくんが握ったままの紐は、ベビちゃんの指だったものが
結ばれたまま鮮血を滴らせていた。

「タ、タスケテ。ビョウイン、ベヒチャンヲ、イマスグ、ビョウインヘ」
「あの女も痛めつけてやったらどうです。裏切者ですから」

タカラくんがチィちゃんを煽っているけど、
ベビちゃんのことが心配で自分のことを構っている余裕はなかった。

「オナガイ。マダ、イキテル。ビョウインニ ツレテイッテ」

「病院に連れて行きたいのならチィちゃんを説得することです。
ま、あなたはチィちゃんの心とプライドを傷つけたんですから、
それ相応の償いとして痛い思いをすることになるでしょうけれど」

馬鹿にするようなタカラくんの言葉に、あたしは泣き崩れた。

「ママ、泣かないで」

チィちゃんがあたしのところに歩いてくる。
まだ、あたしをママと呼んでくれている。まだ、あたしのことを。
助けて。チィちゃん。ママとベビちゃんを助けて。

望みをかけて、泣き伏していた顔をあげてチィちゃんを見上げると、
ヒタリと額に冷たいナイフが触れた。

全身から血の気が引いくあたしとは対照的に、チィちゃんは笑顔だった。
笑顔のまま、あたしの額に触れさせたナイフを滑らせる。
痛みとともに血が流れる感触が伝わってきた。

「動かないでねママ。チィに許してほしいなら黙って我慢するの」

逃げたり顔を背けたりしたらチィちゃんはベビちゃんを殺す。
そう言っているの?
あたしは悲鳴をあげることすら忘れて呆然とチィちゃんを見ていた。

「そのままでは危険です。
しぃさんが痛みで錯乱してチィちゃんに噛みつくかもしれません。
何か咥えさせたほうがいいでしょう。いくら噛んでもいいものを」

偽善者ぶって口を挟んでくるタカラくんの言葉を、チィちゃんは
真剣な表情をして聞いていた。

「たとえば、コレとか?」

そう言いながら、こともあろうにチィちゃんが選んだのは
さっきと同じ姿勢でヒクヒクしたままのベビちゃんだった。

「では、お望みのままに」
「ありがとう。ふふっ。ママ、噛みたくなったら思い切り噛んでいいよ」
「チィ、チャン!? ……ムグッ、グッグゥッ」

無理やりタカラくんに顎をつかまれて唇を開かされてしまう。
咽喉奥に、ベビちゃんが洩らした汚物で濡れている足が押し込まれた。
冷たく濡れた足。まだ生きているベビちゃんの足。
鼻先と口内にアンモニアの刺激臭が広がる。

93 :若葉 ◆t8a6oBJT5k:2007/05/29(火) 04:15:34 ID:???
「暴れてはいけません。まだ終わってませんから」

ベビちゃんを吐き出させないよう調整しながら、タカラくんが器用に
あたしを転がして馬乗りになり、一切の抵抗を封じた。

チィちゃんは満足そうに頷くとナイフを持つ手に力を込めた。
額に突き刺さる痛みに、唇を閉じることはできない。
ベビちゃんの足を喰い千切ることなんて、できるわけない。
口を軽く開けた態勢のまま、あたしは耐えるしかなかった。

ナイフは顔の輪郭を縁取るように浅く滑っていく。
あたしの恐怖感をあおって楽しんでいるのかと思っていたら
そうじゃなかった。チィちゃんは一周させたあと、皮をめくりあげて
生きたまま顔の皮を剥ぎ取ろうとしていた。

「シィィィィィィィィィィィィィ、ギジイィィィィィィィィィィ!!」

皮下の肉を削ぐように刃先と爪で抉られ、引っ張られる激痛は
とても悲鳴をこらえきれるものではなかった。
それでも、歯を喰い絞めることは許されない。
口を半開きにしたまま悲鳴を上げる。
自分の意思とは関係なく、唇端から涎が垂れる。
だけど濡れそぼった毛皮から滴る尿で口内が乾燥することはない。

「ヒギィィィィィィィッシィィィィィィギィィィィィ」

ミチミチと筋肉が引き千切られていくのが感じられる。
生温かい血が、肉と皮の間から滴り、あたしの身体を汚していく。
途中でチィちゃんの作業の邪魔になったのか、
口からベビちゃんの足を抜いてもらえたけど
悲鳴が溢れて歯を食いしばるどころではなかった。

痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い

「アアッアアアアッウアァァァァァ」

助けて助けて助けて助けて助けて

「シィィィィッシィィィィィィィィィィィィ」

無理やり剥がされた顔の皮膚をチィちゃんが満足そうに眺めている。
自分の顔に重ねてみせると嬉しそうに言ってきた。

「ママ見て。これでチィはママと同じ顔。チィだけがママの子なの。
だからベビなんてもういらないよね?」

皮が顔から消えたせいか、ほんの少し風が触れるだけで
焼けつくような痛みが顔全体に広がっていく。
痛みに咽び泣きながら、あたしはチィちゃんに懇願した。

「ナニヲ、イッテルノッ ベビチャンヲ、ビョウインニ…、オナガイ、チィチャン。オナガイ」
「そっか。やっぱり駄目かぁ。まだチィだけ愛してくれないんだ」
「アイシテル。アイシテルヨ。チィチャンノ タメニ、オミソシル ツクル」

噛み合わない会話でも、あたしは必死だった。
つまらなそうに唇を尖らせていたチィちゃんが顔を輝かせている。

「わぁ。嬉しいな。チィね、ママのお味噌汁が大好き」
「ハナビモ、カッテキタノ。イッショニ アソボウネ。ダカラ イマハ、イマハ ベビチャンヲ」
「花火!?見てもいい?」

ショックで床に落としたままだった買い物袋を拾い上げて
チィちゃんが嬉しそうに中身を物色し始めた。
そんなの後でいいから、早くベビちゃんを助けて。
あんなに指からも顔からも血が流れてる。ベビちゃんが死んじゃうよ。

「お味噌と、増えるカワメと、醤油。色鉛筆セット。あった、花火!」
「ソウヨ、ミンナデ、ハナビ シマショウ。ダカラ、ベビチャンハ ビヨウインニ」
「うんっ。待っててねママ」

あたしはホッと息をついた。これでベビちゃんは助かる。助かるんだ。
嬉しそうに袋を握りしめたまま、チィちゃんがベビちゃんに近づく。

「お腹空いちゃった。ちょっと食べちゃおうかな」

増えるワカメを開封して、ひとつまみ取り出して食べている。
何をしているのチィちゃん。そんなのどうでもいいから早く!

「ベビにもあげる。最後のご飯、たっぷり食べなさい」
「チ、チィチャン?」

乾燥しているワカメを湯戻しもせずに、そのままベビちゃんの口を
無理やり大きくこじ開けて乱暴に突っ込んでいく。
口周りも咽喉奥もワカメで詰まって、苦しげにベビちゃんが身悶えた。

「ヤメテ、チィチャン。ベビチャンハ ママノ ミルクシカ ノメナイノヨ」
「ママのミルク?そんなの飲ませてやるもんですか。
だってママはチィだけのママなんだもん。ベビにはこれで充分よ」

一袋分まるまるベビちゃんにワカメを飲み込ませたら、
醤油のポリ容器がベビちゃんの口に差し込んで逆さにした。
ゴポゴポと真っ黒な醤油が泡立って減っていくのが見えた。

「ヤメテェ、チィチャン。ドウシテ、ドウシテッ!?」

94 :若葉 ◆t8a6oBJT5k:2007/05/29(火) 04:16:52 ID:???
腹部が異様に膨れ、口端から醤油で膨れたワカメの残骸が零れて。
痙攣が一時的に激しくなり、ベビちゃんが動かなくなっていく。
あたしのベビちゃんが死ぬなんて、そんなの嘘。嘘だよね?
混乱するあたしの眼前に、チィちゃんは自慢そうに亡骸を掲げた。

見たくなかったのに、ベビちゃんの小さな亡骸が目と脳髄に刻まれる。
真っ赤でグチャグチャに切り刻まれ、激痛と恐怖で歪んだ顔が。
胃の中で醤油膨れしたワカメが際限なくボタボタと口から溢れている。

醤油で溺死したのか、ワカメで窒息死したのか、
それとも顔と指から流れ続ける血流が原因で死んだのか。
あたしには分からない。分かりたいとも思わない。

「コノ、アクマッ」
「ママ?」

なぜベビちゃんを殺したの。あたしの、たったひとりの赤ちゃんを!

「チィチャンガ シネバ ヨカッタノニ。ユルサナイ、ユルサナイカラッ」
「ママ。ひどい」

傷ついたといわんばかりに被害者づらをしてみせるのが気に入らない。
そうよ。あたしは最初からチィちゃんが嫌いだった。
自分自身すら騙して、チィちゃんを愛している振りをしていただけ。
ここでようやく、あたしは自分自身さえ気づかなかった本心を知る。

ギコくんに愛されてるチィちゃんに嫉妬してたこと。
チィちゃんに嫌われたら離婚されると思って畏れていたことも。
あたし本当はずっとチィちゃんが邪魔だったんだ。

「チィ。もう分かっただろう?この女も失格だぞゴルァ」

あたしに馬乗りになったままのタカラくんが、苦々しく言った。
その語調に、凍りつく。おそるおそる顔を背中にねじ向けると
タカラくんは誇示するように被っていた布を取り払った。

布の下から現れた顔は……タカラくんのものではなかった。

「そうねパパ。この女もチィのママに、なってくれなかった」

どうして。どうして、ここにギコくんがいるの?

「お前とタカラの関係を俺が知らないとでも思ってたのかゴルァ。
馬鹿な奴だ。裏切りの結果で生まれた糞ベビを諦めてさえいれば
俺はチィの母親役として認めてやるつもりだったのに」

ベビちゃんを殺して、あたしを試すための芝居だったの?

「ソンナノ、ヒドイヨ。ベビチャンハ、ギコクンノ アカチャンカモ シレナカッタンダヨ?」

「俺の娘はチィだけだ。
お前がチィを誰より慈しんで育てるって誓ったから
嫁にしてやったんだぞゴルァ。それを裏切りやがって!

妊娠したときも堕胎しろと言ったのに糞ベビを産みやがった。
チィが可哀想だと思わないのか?
実の母じゃないお前が、チィとベビを同等に愛せるか?
だから試してやったんだ。お前が実子よりチィを選ぶかどうかな」

ひどい。ひどすぎるよギコくん。
あんな芝居しなければ、あたしチィちゃんの母親を演じ続けたのに。
本心ではチィちゃんを疎んじていたことに気づくこともなかったんだよ?

ギコくんが愛している妻は、昔も今もたったひとり。最初の奥さんだけ。
必要なのは娘の母代わりになる女で、新しい妻じゃなかった。
そんなこと分かってた。でも、あたし、うまくやれるつもりだったのに。

チィちゃんを見ると、ふてくされたような表情をしていた。
ギコくんとあたしを繋ぐ唯一の娘。
だけど、あたしのベビちゃんを殺した憎い娘。

「ベビが産まれたときチィが喜んであげたの本気で信じてた?
ママに愛されたかったから良い娘を演じてあげただけなのに。
どうせパパがベビを処分する機会を作ってくれるの分かってたし」

反論しようと思っても唇が震えて、うまく動かない。
と、いうよりチィちゃんの不穏な雰囲気に呑まれて身動きが取れない。
これがチィちゃんの本性なの?

「そんなにベビが大事なら、お腹の中に捻じ込んであげようか?」

怖い。
怒鳴られたわけでもないのに体が竦んで脈拍が上昇した。
チィちゃんが怖い。
非力そうな小さな白い体。愛らしい顔。静かな声。
それでも充分すぎる凶暴性を含む空気を纏ったチィちゃんが怖い。
今までとは明らかに違う、虐殺厨側の者が持つ空気だ。

95 :若葉 ◆t8a6oBJT5k:2007/05/29(火) 04:18:11 ID:???
「俺は気が進まないぞゴルァ。
何人か前の女を処分するとき腹部切開を失敗したじゃないか。
皮膚だけじゃなく大腸まで切っちまって後始末が悲惨だった」

ギコくんが言うと、チィちゃんは拗ねたように頬を膨らませる。

「だってあの女、すごく暴れたんだもん。チィ手元が狂っちゃって。
やだなぁ、思い出しちゃったじゃない。
お腹の中が臭くて汚い糞便と、内臓と、血で、グチャグチャ。
それなのにまだ生きてて、もぞもぞ虫みたいにもがくのよ。

いたいよー、ハニャーン、くるしいよー、たすけてー

ですって。あはははっ。馬鹿みたい。
声を出すたびにお腹の中が動いて悪臭も広がって最低。
面倒くさいからチィが咽喉を突き破って殺してあげたの」

どうしてそんな残酷なことができるの?
来ないでって叫びたかったけど、恐ろしくて声が出せない。

「やっぱりやーめた。チィまで臭くなっちゃうもん」

買い物袋の中をゴソゴソと探って、色鉛筆セットを取り出し
あたしの前まで来ると蓋を開く。中には色鉛筆と消しゴムと、
消しゴムサイズの手回し式の鉛筆削りが入っていた。

なぜかチィちゃんが鉛筆削りを取り出して、あたしの手を取る。
何をするのかと思っていたら、あたしの右小指を削り穴に……

「マ、マサカ。マサカ。ウソ、デショ?」

ガクガクと震えながら凝視する鉛筆削りは、ゆっくりと回転を始めた。

「シィィィィィィビャギャアァァァァ」

指の肉が削られてミチミチグチグチという音が聞こえた気がした。
薄切りされた指肉が血とともに、うねうねと練り出されていく。

あまりの痛みに気を失いかけても、爪を割り抉られる痛みで覚醒する。
硬いはずなのに、チィちゃんは力づくで鉛筆削り器を回し続けていた。

「イダイッイダイィィィィィィシィィィィィィィィィ」

普段の、非力で楚々としていたチィちゃんからは想像も出来ない怪力だ。

「ヒギィシィィィィィィィィ!!」

やがて、ガツッと骨に響く激痛が指先から脳天まで駆け抜けた。
苛立たしげに眉根を寄せて、ぐりぐりと鉛筆削りを回そうとしてるが
骨に当たった削り器は、動かない。それでも振動が伝わってくる。
気を失ったほうが楽なのに、痛みが激しすぎて、それもできない。

あきらめたチィちゃんは小指を解放して、
今度は左小指を削り器の中に差し入れた。
小指以外の指は太くて、削り器の中に入らないからだろう。

「ヒャメテェッヒャメデエェェ」

口から泡を飛ばしながら懇願したけれど、無駄だった。
両手の小指から血が流れ続けている。失血のせいか眩暈がしてきた。

まだ、死にたく、ない。でも止血して欲しいとは言えなかった。
そんなことを言ったらチィちゃんは指を根元から紐で縛るに違いない。
体重がベビちゃんと比べて重いから吊られることはなくても
縛ったまま放置されたら細胞が壊死して腐り落ちてしまうだろう。
生きたまま指が腐っていくなんて、考えただけでも怖気がはしる。

痛みに泣き続けているあたしに背を向け、チィちゃんは無言で
買い物袋の中を再び物色しはじめた。

「チィは優しいから血を止めてあげるね」

振り向いたチィちゃんは手に細い棒状のものを持っている。
近づいてきたことで、それが何かが判った。手持ち花火、だ。
納涼を兼ねて家族で楽しもうと思って買った花火。
あたしは、こんなものを買ってしまった自分を恨んだ。

「チィチャン、ママノ オハナシヲ キイテ。ソンナコトヲ シテハ ダメ」

「もう遅いよ。あなたなんかチィのママじゃない。
パパも言ったでしょう。あなたは失格!
今までのママ候補の中では気に入ってたから残念だけど」

ママ候補……ギコくんの、今までの再婚相手たち。
もしかして、みんなチィちゃんに認めてもらえなくて殺されたの?

96 :若葉 ◆t8a6oBJT5k:2007/05/29(火) 04:20:07 ID:???
「大丈夫だぞゴルァ。俺はギコ族だから、しぃ族の女に不自由はしない。
チィの新しいママ候補もすぐに見つけてやる」

「今度は妹なんか産まないママがいいな。パパ」

カチッカチッと目の前で何度かライターを鳴らされて恐怖が高まる。
涙を流しながら懇願したけれど無情にも火は点けられた。

「ダメ、ヨ。ハナビハ、オソトデ、スルノ。オヘヤデ、シチャ、ダメヨ」

もうもうと煙が立ち昇り、勢いよく火花が噴出して
立ち込める煙で室内の空気が霧のように白く霞んでいく。

「イヤァ。オナガイ、ユルシテ、ユルシテヨオォォ」

白にも金にも見える美しい炎の流華が、あたしの指を包み込んだ。
削られ傷ついた指先が焼け焦げていく熱さと臭いに目を剥いた。
逃げたくてもチィちゃんは万力のような力で腕を掴んで離さない。

「お顔からも血が出てるよね?こっちも焼き潰してあげる」

助けて、お願い助けて!!

霞む視線で懸命にチィちゃんとギコくんに縋っても、
目の中にまで容赦なく火花が入り込んできて、視神経を
今まで感じたことのない熱と痛みが蹂躙していく。
瞼を閉じても、薄皮ごしに伝わる熱は防ぐことなど出来ない。
顔を無数の火花で炙られて絶叫する口内にも炎が入り込んだ。

「あははっ。お目目が白くなっちゃった。煮えたのかなぁ?」

花火の棒先で眼孔を抉られ、その棒先は鼻孔にも突き入れられた。
感触はあったけど、さほどの痛みがないのは神経が焼き潰されているから?
失明して嗅覚が失われ、煙と熱で咽喉もやられたらしく声が出せない。

「お顔の血は花火だけじゃ止まらないから、お味噌でパックしてあげる」

味噌をこすりつけるように塗られて、味噌に含まれる塩分が
皮膚を失い剥き出しになっている顔肉に激烈に沁みる。
抵抗しようとしても身体に力が入らなかった。

「そいつはもうすぐ死ぬ。そろそろ終わりにしてレストランに行こう」
「うんっパパ。チィ、ハンバーグがいい」
「家を留守にするついでに害虫駆除もしておこうか」
「あ。チィもやりたいことあったの」

コトッ

楽しそうに話し合い、何かが部屋の中に置かれるような物音がする。
ドアが閉まる音がして、ギコくんとチィちゃんが出かけたのを知る。
シュウシュウという奇怪な音とともに息苦しくなってきた。

げほっげほっ

たまらず咽せ、空気を求めて口を大きく開いたら苦しみが増した。
多分、バルサンか何かの殺虫煙が室内に充満してきてるんだろう。
こんなところで死ぬなんて。
でももういい。ママも、もうすぐベビちゃんのところに行くからね。
待っててベビちゃん。ベビ、ちゃん……

チィ… チィチィ… チィチィチィ……

!?

泣き声が聞こえた気がして、あたしは全神経を耳に集中させた。

チィチィチィチィ… ナッコ、ナッコー……

聞こえる!やっぱり聞こえる!
ベビちゃん!!あたしのベビちゃんが、まだ生きている!?
死んでいるとばかり思っていたのに。
あぁマターリの神様、感謝します。ありがとう。ありがとう。

97 :若葉 ◆t8a6oBJT5k:2007/05/29(火) 04:21:01 ID:???
気力が蘇って、動かなかった体に力が入った。
視覚と嗅覚を封じられて方向感覚がつかめないから聴覚だけを頼りに這い進む。
焼け焦げた指が床に当たるたびに、耐え難い痛みがはしったけれど
あたしを呼ぶベビちゃんの声に励まされて、必死で這い続けた。
急がないと、せっかく助かったベビちゃんが殺虫煙で死んでしまう。

ベビちゃん!今、ママが助けてあげますからね。

少しずつベビちゃんの声が近づく。あと少し。あと少しだよ。
手を伸ばすと、堅い感触があった。

?

柔らかなベビちゃんの体とは似ても似つかない感触。
網目のようなザラザラした部分とスイッチみたいなものが並ぶ感触。
こ、これ、は。

正体を確かめるべく触っているうちに絶望が込み上げてきた。
この硬いものの中にベビちゃんが閉じ込められているのだと期待した。

だけど。スイッチのような部分を指で探って押すと
カチリと音がしてベビちゃんの鳴き声は止まった。
室内からはシュウシュウと殺虫煙の吹き出る音だけが聞こえる。

硬いものの正体。それはラジカセ、だった。

スピーカーから生前のベビちゃんの声が流されていただけだった。
やっぱりベビちゃんは、あのときに死んでいたんだ。

脳裏にチィちゃんの得意気な顔が浮かんで消える。
やりたいことがあるって言ってたけど、これのことなの?

こんな、ひどい。期待を持たせておいて絶望させるなんて。

希望が潰えて、今度こそあたしの全身から総べての力が抜けた。
さっきまでは必死で気づかなかったけれど、口に流れ込む空気は
とっくに殺虫煙に汚染されていて呼吸障害が起こっている。

息の出来ない苦しみに咳き込んでも吸い込まれるのは煙だけ。
咽喉が焼けるように痛み、耳鳴りがする。
いや、よ。まだシニタクナイ。どうしてあたしが死ななきゃいけないの。

苦しい。クルシイ。くるしぃ。くやしい。べび、ちゃん……どこなの?

せめてベビちゃんの亡骸を抱しめて逝きたい。
そう願っても、もう、あたしの体はピクとも動いてくれなかった。
そして。意識が死という闇に呑まれて消えるのを止めるすべも無かった。

ー終ー

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