蜂蜜の代償

Last-modified: 2015-07-10 (金) 02:00:06
728 名前: ◆t8a6oBJT5k 投稿日:2006/04/23(日) 04:42:23 [ 8eUriyR6 ]
タイトル 『蜂蜜の代償』
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どうしてこんなことになってしまったんだろう。
あたしはただ、蜂蜜を食べただけなのに。

狭い部屋の片隅に据えられた檻の中で、あたしは考える。
親友のシイネに蜂蜜泥棒をするように言われたからやっただけ。
蜂蜜の所有者はボーッとした感じの男が1人きりだったから簡単に盗めた。

ああ、おいしかったな、あの蜂蜜。
罠にかけられて捕まりさえなければ、ずっと味わえたのに。

何度も同じ場所で盗み続けたのが悪かったのかな。
ううん、あの男に捕まったのは愚図なシイネのせい。
なのにどうしてあたしが、こんな酷い目に遭わなきゃいけないの?
全部、ぜーんぶシイネが悪いのに。シイネのせいなのに。

お耳をホッチキス針で挟まれて、お手手を熱油で揚げられた。
と、言っても。実際に針を刺したのはシイネだったけど。
あの男が、あたしとシイネ、どちらかは助けるって言ったから。
だから命令に従い傷つけあった。
あたしたちが争う姿を見て笑っていた、嫌な男。
けどシイネは、もっと嫌な奴。
本当はあたしが勝つはずだったのに。シイネの裏切り者!

負けたあたしは、あの男に縛られて片腕を油に浸けられた。
じゅわあっと音がして、凄まじい熱があたしの腕を包み込んだ。
咽喉が潰れるかと思うほどの悲鳴を上げても誰も助けてくれなかった。
毛皮は縮み引き攣れ、肉の上で油が弾ける激痛。
火傷のあとを、こじ開けるみたいにして金ブラシで擦り上げられたときは
自分の声が自分で認識できないほどに叫び続け悶絶した。

あの激痛と恐怖。苦しみ。悲しみ。明日も続くのかな。
あたしはもういや。責めるならシイネにして。

「アツイヨゥ、オミズノミターイ」
シイネが苛立った声を上げている。
たしかに暑い。室内の気温は40℃を超えていそうな感じだ。
そのせいで、あたしの焼け爛れた腕からは腐臭が漂い始めていた。

「シイヌナンカ、モウトモダチジャナイ。クサイ、サイテー」
暑さと悪臭に耐えかねたのか、シイネが鼻筋に皺を寄せて睨んでいる。
罵倒されても、反論するだけの気力が残ってない。
悔しい。悪いのはシイネなのに。
それに気安くシイヌだなんて、あたしの名前を呼ばないでよ。
あんたにはもう、あたしの美しい名を呼ぶ権利なんかないのよ!

唐突にチクリッと腕の付け根付近に痛みを感じて
あたしは考え事をやめると、自分の腕に視線をはしらせた。
ゴマ粒みたいな小さい黒い虫が無数に、あたしの腕の上を這い回っている。
小さくても何千、何万という虫の大群が蠢いているのは
かなりグロテスクで衝撃的な光景だった。

名前は知らないが、この虫は見たことがあった。
ゴミ箱の周辺に生息しているのをよく見かける、獰猛で貪欲な性質の虫だ。
餌を見つけると仲間を呼び寄せる。蟻のようなものだろうか。
どこに潜んでいたのかと思うほど迅速に増えて、喰らい尽くしていく。

あたしのお手手は餌じゃないのに。
どうしよう、いつのまに忍び寄っていたんだろう。
こんなに増えてるなんて。どうしよう、どうしよう。
ちっとも気がつかなかった。気ばかり焦って、声が出ない。
いけない、落ち着かなくては。パニックに陥ってる場合じゃない。
虫がたかっていることに気がつかなかった原因は
揚げられた腕の細胞は壊滅しているせいで感覚がないからだ。
でもそんなこと今、分かっても意味はない。

どうしよう、どうしたらいい?
爛れた腐肉を喰らい、まだ神経が残っている肉の部分に到達した虫。
このままでは、生きたまま貪り食われる。

729 名前: ◆t8a6oBJT5k 投稿日:2006/04/23(日) 04:43:48 [ 8eUriyR6 ]
「シィィィ!! ダスゲデ、ダスゲデェ」
やっと声が出せた。でも、囁きみたいな声量しか出ない。
しかも叫ぶために開いた口の中へも虫が侵入してくる。
弱りきった身体は思うように動いてくれなくて、それがもどかしい。

「シィネ、オナガイ、ダズゲデェェェ」
涙を振り散らかしながら濁った声音で必死に呼びかけると

「ヤダァ、コッチコナイデ」
シイネは自分の周辺に近づいてきた虫だけを踏み殺した。
この虫は仲間の死臭に敏感で、その方向には行かない。
必然的に、あたしの身体だけに、たかってくる。
痛覚が残っている肌を裂き、肉を喰らうために。

「ヒィッヒイィィィ」
もぞもぞと、あたしの皮膚が動いている。
自慢の白い毛先が皮膚の動きで揺れている。
その皮膚の下に潜り込んでいるのは虫だ。虫が蠢いている。

「シイィィィィィ!! ダスゲデェェェェ!!」
筋肉の一筋一筋を噛み砕きながら這い進んでくる虫の大群。
腐臭と、むせ返るような血の匂い。

視界の隅で頬の皮膚が揺れるのが見えた。
ああ、もうこんなところまで喰い進んできているんだ。

「シイィィィィ」
泣きじゃくりながら、弱った身体で懸命にもがき暴れる。
爪の先が頬を掠めると少し血が流れた。
血と一緒に、小さな点々が…虫たちが這い出てくる。

「ギャアア、アタシノカラダカラムシガアァ」
頬の内側で血肉を喰らいながら蠢く虫。
頬の外側に這い出て顔の上を這い回る虫。
気持ち悪い。怖い。痛い。食べられちゃう。誰か助けて!

「シイィィィィ!?」
顔の上を這い進んできた虫の頭が、あたしの目に大きく映った。
や、やめて。目はダメ。目の中に入らないで。

願いもむなしく、どんどん虫の姿が大きく迫ってきて
ついに目尻から眼球へと足を忍ばせた。

「シィィィ、シイィィィ」
反射的に目を閉じても、もう遅かった。
意外と眼球は硬く丈夫なようで簡単には食い破られない。
でも、そんなの何の慰めにもならない。苦しみが長引くだけなのだから。
生きたまま、じわじわと虫に食われていくなんて嫌。
これなら虐殺厨に一気に殺されたほうがマシだった。

あぁ、マターリの神様。あたしを助けて。

しぃ族が唯一信仰している神に祈りを捧げても虫は止まらない。
視神経を食い荒らされ、組織を解体されて目玉が転げ落ちた。
痛い、痛い、痛い。苦しい、苦しい、苦しい。

咽喉の器官も食い破られたのか、悲鳴をあげられなくなってきた。
ヒューヒュー呼気だけが血混じりに吐き出される。
自分の意思とは関係なく、ビクビクと四肢が痙攣した。
虫はこのまま脳や心臓にも侵入して食い荒らしていくと思う。

そしたらあたし、どうなっちゃうの?

しばらくすると痛みが和らいできた。なんだか、ふわふわする。
現実離れした浮遊感に身をあずけて思ったことは。

あたし、もう死ぬんだ。

それだけ、だった。やっと、楽になれるってことだけ。
でも死ぬ前に、もう一度だけマターリを味わいたかったな。

………ダッコ

満足に動かすことさえできなくなった唇で、最期の言葉を紡ごうとしたが
実際に出たのは声ではなく、血反吐だけだった。

ー終ー