蜂蜜の代償 第3部

Last-modified: 2015-06-26 (金) 02:36:45
638 名前:若葉 第3部 投稿日:2006/05/01(月) 21:41:47 [ I5RRU.2M ]
タイトル 『蜂蜜の代償 第3部 シイネ編』
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シイヌが死んだ。
あたしはシイヌがいつ、死んだのか気がつかなかった。
だって虫の動きで、身体はいつまでも微かに動いていたから。
首筋を食い破られてゴロンッと頭が、あたしのほうを向いたときに
初めて死んでしまっていたことに気がついた。

眼孔のあたりがモゴモゴと動き、黒い点々が涙みたいに溢れている。
あの点々のひとつひとつが、シイヌを殺した虫。
無数の小さな虫が、今もまだ遺体に群がっている。

ギィ

扉の軋む音で、あたしは蹲っていた体制から跳ね起きる。
あたしを閉じ込めている檻の柵をつかんで、あの男を……
シイヌを死に追いやった虐殺厨を待った。

扉を開けて入ってきた男は、意味もなくニヤニヤと笑っていた。
と、死んでいるシイヌに気づいてその笑いを引っ込める。

「腐肉の臭いに惹かれて悪食な虫を呼び寄せてしまったのか。
あいつには振りほどくだけの体力が残っていなかったんだな」

声に苛立たしさが滲んでいる。
ぞっとするような冷たい目で、あたしを睨んだ。

「で? じわじわと虫に食い殺されていく友達を見捨てたのか」
表情には、あたしへの侮蔑と不快感が浮かんでいる。
な、なによ。あたしのせいじゃないでしょ?

あんたが、蜂蜜を盗んだシイヌとあたしを見逃してくれていたら。
あんたが、こんな檻の中に、あたしたちを閉じ込めたりしなければ。
あんたが、シイヌのお手手を油であげたりしなければ。
あんたが、お部屋を涼しくしてシイヌのお手手を腐らせなければ。
あんたが、この檻に虫が近づかないように気をつけていたら。
そしたら、シイヌは死ななかったのよ。

あんたは、最初からシイヌを殺すつもりだったくせに。
あたしは、ちっとも悪くない!

「ムシハキライナノ、タスケルナンテムリヨ。シカタナイジャナイ」
思うことはいっぱいあったけど、この男は怖い。怒らせちゃダメ。
精一杯媚びた表情を浮かべて甘い声を出したのに

「お前のまわりに散らばってる虫の死骸は何だ?
自分に向かってくる虫を踏む殺す力は充分のようだな」
男の険しい表情は、ちっとも和らいでくれなかった。

「ソンナコトヨリ、ヤクソクヨ。アタシハ、オウチニカエラセテ」
この男は約束した。虐殺するのは、あたしかシイヌどちらかだけって言った。
シイヌは死んだんだから、あたしは助かるのよね。

「シイヌでは最期まで遊べなくて残念だったが
過ぎたことを悔やんでも仕方ないな」

名残惜しそうにシイヌの亡骸を見つめてから、あたしを見る目が怖い。
檻の鍵が開けられたから、あたしは動揺しながら檻から出た。

「さて、これからどうしようか」
剣呑な光を帯びた視線で貫かれてるように、体が強張る。
自由になったはずなのに、逃げ出すことができない。
どうして? あたし、助かるんじゃないの?

そうだ、あたしは可愛いんだから魅了すればいいのよ。
そしたら蜂蜜も食べさせてくれるかもしれない。

「ハニャーン、コウビ、サセテアゲルワ」
思いっきりセクシーな声を出して魅惑的に身をくねらせてみせた。
四つん這いで、お尻を高くあげて誘うように腰を振る。
あの男に背を向けた悩殺ポーズだから表情は見えないけど
視線があたしに絡み付いてくるのは感じられた。

639 名前:若葉 投稿日:2006/05/01(月) 21:42:47 [ I5RRU.2M ]
「ハニャーン、カワイイアタシト、ハニャーン…ハギャワアァァァ!!」
いきなり、あたしの無防備で敏感な部分が蹴り上げられた。
蹴られた瞬間に靴先がデリケートな体内にめり込む。
骨盤が割れたかと思うほどの激痛が駆け巡った。

「シィィィィ、シィィィィィ」
蹴り飛ばされた衝撃で体が一瞬、宙に浮いて顔から床に激突したけど、
顔の痛みより大事な場所の痛みのほうが深刻だった。
ズキン、ズキンと心臓の鼓動に呼応して痛みが広がっていく。

「ヒドイィィ、ヒドイヨオォ」
涙で霞む視界で男を睨むと、男もあたしを睨んでいた。
額に青筋が浮いている。かなり苛立っている様子だけど

なんで?
あたし、何か怒らせるようなことした? わかんない。もう最悪。

「お前の媚態なんか不愉快なだけだ。とっととこっちに来い」
首根っこをつかまれてズルズルと引きずられるようにして歩かされる。
移動させられた部屋の中央には、目の細かい網袋に入れられた木箱が置かれていた。

「その網の中に頭を入れろ」
言われたとおりに頭を入れると、男は網ごと首輪を嵌めて鍵をかけた。

「ナンナノ、アノハコ。コノクビワ、ハズシテヨ」
振り向くと、さっきまで苛立っていた男の顔にはニヤニヤ笑いが戻っていた。
嫌な予感がする。

「あの箱には蜂が入っているんだ。
箱に震動を与えると襲ってくるから動くなよ?
音にも反応するから、大きな声も出さないほうがいい」

「ヤクソクガチガウ。ギャクサツシナイッテ、イッタクセニ」
なるべく小さな抗議すると、男が含み笑いを漏らした。
「シイヌが生きていたら、状況は変わったかもな」

「イヤ、タスケテ。シニタクナイ。シニタクナイヨ」
虫に食べられたシイヌの姿が脳裏に浮かぶ。
あんな死に方は絶対にしたくない。

「ただ見てるのもつまらないから、遊ぼうぜ」
バチバチバチッ
見せつけるように、スタンガンを作動させて男が笑う。

「ヤ、ヤメテ。ヤメテヨォ」
バチバチッ
青白い閃光と共に、あたしの耳に電流が流された。
悲鳴をあげそうになって慌てて声を飲み込んだ。
大きな声は出しちゃダメ。蜂が来ちゃう。

「ヤメテ、ヤメテヨ」
涙をボロボロと流しながら、少しだけ男から遠ざかる。
あまり大きく動いて網が引っ張られたりしたら
箱が動いてしまうから、そうならない範囲でしか逃げられない。

太股に電流を当てられて、あたしは大きく足を振り上げた。
スタンガンの電力は低くて、それほど激しい痛みや熱はないけど
当てられたら反射的に動いてしまうのは止められない。

「無言でどこまで踊れるかな」
男は楽しそうに、あたしの首筋や手、足、背中へと
気まぐれに電流を流してくる。
あたしは歯を食いしばって耐えることしかできない。

どすっ
「ゲホッ、ゴフッ」
いきなり、お腹に拳が埋め込まれた。
息が詰まって胃の内容物が逆流しそうになる。

「スタンガンは飽きた。やっぱ殴るほうが面白いや」
「シィッシィィィ、ヤメテヨ、オナガイダカラ、ヤメテ」
胸や腹や背中を殴られ、蹴られながら、あたしは必死に逃げ回る。

「そんな狭い行動範囲で、よく器用に逃げられるもんだな」
愉快そうに男は、あたしを追い立てて喜んでいる。
拳が当ると、その苦痛もスタンガンより大きくて
なかなか悲鳴を噛み殺しきれない。声量を抑えるだけで必死だった。

「アッ……」
男に足を蹴られて、あたしは派手に転んだ。
首に連動している網が大きく動いて、箱が倒れる。

「イヤ、シヌノハイヤ。タスケテ、ダレカ、ダレカ」
箱から、黄色と黒の禍々しい縞模様をした悪魔が飛来した。
顔! あたしの顔! 刺されたら、大変なことになる。

「イヤアァァ、シニタクナイ、シニタクナイィィ」
渾身の力で暴れたら、後ろ手で縛られていた手の紐が解けた。
咄嗟の判断で、あたしは顔の前で網を握りしめる。

蜂が、あたしの手に止まった。
力強い六本の足が皮膚に食い込んで痛い。
複眼が、あたしの顔を見つめているような気がした。

「シィィィィィィィ、ササナイデェ」
ゆっくりした動作で蜂が尻を折り曲げていく。
尻から突き出ている針は太くて鋭そうだった。

640 名前:若葉 投稿日:2006/05/01(月) 21:48:39 [ I5RRU.2M ]
「シィィィィィィィィィィィィィィ」
ぷすり、と針があたしの手に突き刺さっていく。
「シィィィ、シギィィィィ」
1回刺しただけではなく、手に針が刺さっている状態のまま
ぐいぐいと奥へと針を動かすような蜂の動き。
今、毒液を注入してるんだろうか。

それでも、あたしは手を離さなかった。
顔を刺されるくらいなら、手を刺されていたほうがいい。
虫に顔まで食い荒らされたシイヌの姿は網膜に焼き付いている。
あたしはシイヌとは違うのよ。あんな無様な死に方などするものですか。絶対に!

「イキヌイテヤル。シナナイ、シヌモンカ」
あたしの手に止まっている蜂を、自分の手ごと地面に叩きつけた。
手の骨が折れる音と激痛には泣き叫ばずにはいられない。
でも、その下敷きになって蜂も潰れた。あたしは勝ったんだ。

蜂は死んだけど刺されたせいで腫れてきている手に口をつける。
網越しに啜って毒を吸い出すと、床に吐き出すことも忘れない。
これで、もう大丈夫ね。

「ハァ、ハァ、ハァ。シナナイ、アタシハシナナイ」
肩で大きく息をつく。首輪がきつい。咽喉が圧迫されて苦しい。
あれ、なんだか声にビブラートがかかってる。口の中が渇ききっている感じもする。

「オミズ、ノマセテ」
昨日から水を飲んでいないから脱水症状かもしれない。
なんだか、唇が痺れてきた。寒気もする。

「蜂毒によるアナフィラキシー(急激なアレルギー反応)だな。
発症が速いと重症化しやすいらしい。お前、死ぬかもな」

なに、いってるの? 毒は吸い出して捨てたから、もう大丈夫なのに。
怒鳴ってやろうとして口を開いたら、胃液が逆流してきた。
げぇげぇ吐いて、床に蹲る。眩暈がして、立ち上がれない。
さっき殴られたお腹の痛みが、今頃になって増してきた。

「オナカ、イタイヨゥ。スゴクイタイ。クルシイヨ、シィィィィ」
「そんなに苦しいなら俺が殺してやろうか?」
寒気がするような猫なで声を出しながら、男が近づいてくる。

「サワンナイデヨ」
差し伸べられた手を拒絶した。男は面白そうにあたしを眺めている。
「本当にアフォだな。窒息死ってのは派手さはないが苦しみは一級だ。
俺に虐殺してもらえたほうが楽なのに、生命根性の汚い奴だな」

はぁっはぁっ。
苦しい。息が。息が。首輪がきついせいで、息が。

「クビワヲハズシテ、イキガ、デキナイデショ」
「蜂に刺される前までは普通に呼吸してただろう。
発症してるってこと、そんなに認めたくないのか?」
男が笑いながら、あたしの首輪を外してくれた。
首輪がなくなって楽になるはずだったのに、息苦しさは消えない。

「ドウシテ。クルシイ、ヨ」
咽喉が圧迫されてる。もう何も無いはずなのに。
「ほら、鏡を見てごらん。今の自分の顔を」
「シイィィィィィィィ!?」
気味悪いほど優しい声で、男が差し出した手鏡に映っていたのは
ぱんぱんに醜く膨らんで変わり果てた顔だった。
どうして? 顔は刺されてないのに。頑張って守ったのに。
悲鳴をあげたら口の中も派手に腫れているのが鏡に映った。

「アタシノ、オクチ。ナンデ、ハレテルノヨ」
「自分で蜂毒を口に含んだからだ。馬鹿だろう、お前」
だって手に口をつけて吸い出した毒は捨てたよ? 捨てたのに。
少しの間だけでも入れたのが悪かったの?

「イ、ヤ。シタクナイ、シニタク、ナ、イ」
立ち上がろうとしたけど、うまく立てない。
ようやく立って、逃げ出そうとしたけど右足が動かない。
左足だけで走って右足は支点になってる。くるくるとその場で回るだけだった。

馬鹿なことをしていると判っているのに、左足が止まらない。
息が、できない。
目が霞んで、よく見えない。太股に濡れた感触がして異臭が漂った。
アンモニア臭と、もうひとつは……便、かな。
なんて、ひどい臭い。ここは、おトイレなの?

「うわっこいつ、漏らしやがった」
男が悲鳴をあげているのを、どこか遠くで聞いている感覚だ。
すぐ傍にいるはず、なのに。

はぁ、はぁ、はぁ。
呼吸しようと、必死で大きく口を開ける。
耳鳴りがする。頭が割れるように軋んで痛い。苦しい。
意識が混濁してきた。
自分がまだ走り続けているのか、それとも力尽きて倒れ
横たわっているのかすら、よく判らない。

もう何も見えない。何も聞こえない。
寒気がする。手足が冷たい。息が、息、が…
死にたく、な、い。
息、が。もう、でき、な……死、に…た…な……

ー完ー