被虐者の憂鬱

Last-modified: 2015-07-08 (水) 03:58:16
965 名前:(1/3) 投稿日:2007/06/04(月) 14:21:34 [ x9bevm3w ]
アブネタ初めてなのでこちらに投稿します。
アドバイス等あればいただけると嬉しいです。
長いですがすみません。

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被虐者の憂鬱 (「ぼくは虐待されるために生まれてきた」)


「今でもあの日のことを夢に見ることがあるんだよ」
 フサギコ博士は呟いた。しゃがみこんだその足元には、ちょうど彼が両手で抱えられるくらいの大

きさの生き物がうずくまり、もそもそと動きながら時折「ぃぇぁ」と鳴き声をあげている。
 フサギコの助手を務めるギコ青年は、すべすべした肌とつぶらな瞳をもち、背中に短い触角のよう

なものを一列に生やしたその生き物を、ただ黙って見つめていた。博士が考えていることが、彼には

よくわかっていたので。
 「あの日」。今更説明されるまでも無い。あの日博士は、心無い虐殺者の手によって愛する妻子を

――それは博士にとってすべてだった――失ったのだった。


 当事者で無いはずのギコでさえも、胸糞の悪くなる事件だった。
 生まれたばかりだった博士の息子は、耳を、手足を、尾を、そして眼球をたっぷり時間をかけて素

手でねじ切られ、抉り取られた挙句、まだ一言も言葉を発したことの無い口から舌を引き抜かれて殺

されたらしい。
 博士の妻は、そんな虐殺者を必死に止めようとしたのだろう、ひどく殴られた痕が体中に残ってい

て、そればかりでなく、強姦された形跡すらあったという。最終的な死因は窒息死。彼女の喉の奥に

は、やはりちぎり取られた彼女自身の両耳と、息子の眼球と舌が詰め込まれていたらしい。
 らしいらしいと伝聞形なのは、それがすべて検死の結果やっとわかったことだからである。なにし

ろ、ことを終えた虐殺者は家に火を放ってから逃亡したので、博士の妻と息子も、顔すらわからない

ほどに焼け焦げてしまっていたのだ。


「あの日からもう、随分になるのにな。女々しいな」
「そんなこと」
 ありません、と続けようとして、ギコは言葉を切った。フサギコ博士の右手がゆっくりと生き物の

頭に伸びて、いちばん前側にある触角の辺りを、優しく撫でた。
「私がなぜこれをつくったか、君にはわかるかね。このいたいけな生き物、『ぽろろ』を」
 「ぽろろ」という言葉――生き物の名前――を、博士はゆっくりと噛み締めるように発音した。呼

ばれたことがわかるくらいの知能はあるのだろう、答えるようにぽろろは小さく鳴いた。
 ギコはほんのちょっと考える素振りを見せたあと、マニュアル通りの模範解答を導き出した。


「……虐待専用生物『ぽろろ』。いわれなく殺されるばかりの被虐者たちを守るために、人工的に生

み出された生物です。

 正当な理由なしに弱者を虐げることを規制することは出来る。しかしそれだけでは駄目だ。加虐者

と呼ばれるものたちのストレスは、被虐者を惨たらしく痛めつけることでしか発散されません。虐殺

が全面的に禁止でもされたら、行き場を失った加虐者たちの欲求は、これまでの『虐殺』が生ぬるく

思えるほどの行為となって爆発してしまうことが明らかです。

 そこで、被虐者の代替物として生み出されたのがこのぽろろです。
 いかにも嗜虐心をそそる愛玩動物的な外見に、驚異的な回復能力を兼ね備えています。体を細切れ

にされても、頭を叩き潰されても、一片の肉片からすら個体を再生できると聞いています。
 どんな虐殺行為にも対応できるため、加虐者たちは十分に欲求不満を満たすことができる。いわば

、加虐者の虐殺行為をその一身に集中させることによって、ほかの被虐者たちを守るのです。
 そうでしたね、博士」


 よどみなく答えたギコに、博士はうっすらと満足げな微笑を浮かべた。
「そう、そうだよギコ。さすがだな、完璧な優等生の答えだ。実に君らしい」
 その口ぶりに何か引っ掛かるものを覚えて、ギコは戸惑った。博士はこんなに皮肉めいた口調で話

す人だったろうか? 生物工学の権威・フサギコ博士は、いっそ不器用なくらいに、朴訥とした誠実

な人柄であったのに。


 愛する妻と息子をいっぺんに失ってから、博士はその現実から目をそむけるように研究に没頭した

。そうして生まれたのがこの「ぽろろ」だった。
 妻や息子と同じ目に遭う人を、これから少しでも減らすために。自分と同じ境遇に涙し、やりきれ

ない憤りに胸を焼かれる人を、これ以上増やさないために。
 フサギコ博士はその一念で、ぽろろを作り出したとギコは思っていた。実際のところ、それ以上の

理由などあるだろうか?

966 名前:(2/3) 投稿日:2007/06/04(月) 14:35:25 [ x9bevm3w ]
改行おかしくなってすみません。

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「だがね」
 そう言った博士が次にとった行為に、ギコは思わず短く声をあげた。
 ぽろろを撫でていた博士の右手が、すばやくひらめいた。ほぼ同時に、耳を覆いたくなる
絶叫と、ギコやフサギコと同じように真っ赤な色をした血が吹き上がった。
 振り抜かれて博士の頭上近くに掲げられた右手には、さっきまでぽろろの一部
だったもの――いちばん前の触角が、握り締められていた。
「な、なっ、何をするんですか!」
 動転するあまりにどもってしまいながら、ギコはぽろろに駆け寄った。頭部を
血まみれにしてのたうち、悲鳴をあげるぽろろは、あまりに哀れで弱弱しく見えた。
ちびギコを思わせる愛らしい顔も、苦痛にゆがんで痛々しい。

「何を? 見ての通りだよ、触角を引きちぎったんだ。随分簡単に取れるだろう? ちょうど
ちびギコやしぃの耳をちぎるのと同じような感じだ。――ほうっておきたまえ、すぐに再生する」
 博士が投げやりに言うとおり、ぽろろの悲鳴はすぐに小さなうめき声に変わり、ちぎられて
ぐしゃぐしゃになった触角の断面は、視認できるほどのスピードで肉を盛り上がらせ、
あっという間にちぎられる前と同じ形に再生する。まだ血の汚れは残っているが、それを
ふき取りさえすれば、ぽろろはすっかりもとの姿に戻ったことになる。
 だからといって、フサギコ博士がいきなりこんな非道な行いをしていい理由にはなるまい。
ギコの胸には当然の感情として義憤が生まれる。
「ふむ、もう少し調整が必要かな。悲鳴をあげる時間が短すぎるかもしれない」
「あっ、あ、あなたは……!」
 まだ動揺している口調で抗議しようとするギコを手を上げて押し止め、フサギコ博士は
嘆息と共に「話の続きをさせてくれ」と呟いた。


「君は、私が『被虐者を守るためにぽろろをつくり出した』と思っているのだね。なるほど、
正しい答えだ。あの日私は理不尽に妻子を奪われた。その悲劇を繰り返さないために
ぽろろを生み出そうと決心した。
 だがね、君の答えは正解ではあるけれど、いつの間にかそれだけでは不十分になって
しまったのだよ。

 ぽろろは虐待専用生物だ。君が答えてくれた通りね。どんな虐待にも対応し、加虐者を
満足させなければならない。
 だが、ぽろろのベースとなった細胞は、もともとは被虐者たちのものだ。とんでもなく
脆弱で、ちょっとした刺激にもすぐに駄目になってしまう。私は実験を繰り返したよ。
想像できるかね? 私にとっても、もちろんぽろろにとっても、それは苦痛に満ちたものだった」

 博士はまくし立てるように続ける。これほど多弁になった博士は初めて見る、と、ギコは
ぼんやり思う。とうとうと流れ出る言葉はひどく自嘲的で、悲哀に満ちていて、同時になぜか、
どこか楽しそうで、無邪気な子どもをすら思わせる。


「ぽろろのプロトタイプ――初めて試験管から生まれ出たぽろろは、通常の虐待にすら
耐えられなかった。私の力で殴っただけで、「核」を破裂させて死んでしまったよ。体の
真ん中からはじけ飛んでしまってね。その次の個体は、どうにも痛みに敏感すぎた。
少し切りつけただけで大声を出して引き付けを起こし、そのまま生命活動をすら停止させた。
こっちも一生懸命やっているんだがね、なかなかうまくいかないんだ。

 筋肉の抵抗が弱すぎて、体をちぎる感覚が物足りない個体もいた。出血に再生能力が
追いつかないで、血の海でのたうち回って死んでいったのもいた。水に濡れると動けなく
なってそのまま大した抵抗もなく溺れてしまったのもいた。逆に火に弱すぎるのも。
電流に晒すと一瞬であっけなく逝ってしまうのもいたな。そうだ、電流はひとつの課題だった……」


「博士、もう十分です! もう十分ですから! お願いです、もうやめてください!」
 まるで壊れたレコーダーか何かのようにぽろろ――になれなかったものたち――の
死に様を垂れ流し始めた博士を、ギコはやっとの思いでさえぎった。首筋や腕に、いや、
体中にびっしりと鳥肌がたっているのがわかる。貧血を起こしたように、頭がくらくらした。
気を抜くと嘔吐してしまいそうだ。
 それほどに、博士の様子は異様だったのだ。まさに、鬼気迫るという言葉がしっくり来るくらいに。

967 名前:(3/3) 投稿日:2007/06/04(月) 14:39:46 [ x9bevm3w ]
 ギコが落ち着くのにたっぷり数分の間を取ってから、博士もまた、やや落ち着いた声音で続けた。
「……そう、実験はおぞましいものだった。今の君のように震え、ふらつき、何度も嘔吐し、
何度も失神した。それでも、私は実験をやめなかった。やめられなかったのだ。私はぽろろへの
実験を――いや、もうありていに言ってしまおうか。私はぽろろへの加虐行為を繰り返す
うちに、いつの間にか虐待することそれ自体に取りつかれてしまった。

 私の言っている意味がわかるかね、ギコ。初めのうちは本当に、純粋に被虐者を
救うためにぽろろをつくろうとしていた。だがね、私は気付いてしまったのだよ、自分の
中にあるどす黒い、加虐者の心に。 私はいつしか、加虐者たちが妻と息子にしていたのと
同じことを、ぽろろにしていたのだよ。そして私の心は怖気づくどころか、暗い喜びをひしひしと
噛み締めていたのだ。信じられるかい? 私は心の底ではもしかしたら、自分の妻や子をすら、
こんなふうに扱いたいと思っていたのかもしれないよ。惨たらしく虐げて、その挙句に
命を奪ってしまいたいと。
 ……ふ、ふふ、おぞましいな。私は、ぽろろを『被虐者のためではなく加虐者のために』完成
させようと思うようになってしまったのだよ。
 ふふ、ふ、私は何と、おぞましいものになり下がってしまったのだろう」

 博士は静かに笑っていた。それはギコの知るフサギコ博士の優しい微笑ではなかった。
 何よりも醜い感情を他でも無い自分自身の中に見出してしまい、狂ってしまった男の笑顔だった。


 フサギコ博士は、ポケットからメスを取り出した。
「ほら、見ていたまえ、ギコ。ちょっとわかりにくいけれど、ここが頭部と胸部の境目なんだ。
ここからメスを入れると面白い」
 言いながら、博士はぽろろの滑らかな肌に、無造作ともいえる手つきでメスを入れる。ぽろろが
叫んだが、気にした様子も無い。
「……ほら、この切開したところ、わかるかね? ここの腱で背中の触角を支えているのさ。
そうそう、触角にはちゃんとひとつひとつ神経が通っている。で、このいちばん太い腱を」
 言いながら、メスの先で指し示した腱を切断する。ぽろろが鋭く叫んだ。ギコは思わず
目をそむける。
「ほら、こうすると、触角が簡単に抜けるんだ。ご覧」
 博士は前から二番目の触角を引っつかむと、ずぼ、というような音をたててそれを
派手に抜き去った。ギコの頬にも血のしずくが飛ぶ。生温かく、鉄くさい。
「血はほうっておいても止まるが、こうしても大丈夫だ。しばらくすれば火傷の跡ごと
跡形もなくなる」
 博士のポケットから、今度は小型の電熱器が出てくる。スイッチを入れた途端見る間に
赤熱したそれを、メスで無残に切り開かれたぽろろの傷口に押し当てた。小さな身体が
勢いよく跳ねる。それを押さえつけるように、続けて触角を抜き去られて穴のようになった
傷口にも電熱器が押し付けられた。
「反応もなかなかのものだろう? 皮膚や筋肉だけじゃない、どこだって再生できる」
 言い終わらないうちに、博士のメスは信じられないほどの切れ味でぽろろの顔面を
真一文字に切り裂いた。ふたつ並んだ眼球の真上に、赤い筋が走る。今まででいちばん
大きな叫び声をあげて、ぽろろは体をくねらせた。


 ギコは、今度は抗議の口を開くことさえ出来なかった。博士の狂気にあてられたかのように、
ただその場に立ち尽くす。
 目の前で繰り広げられる血なまぐさい光景に対する感覚は、とうに麻痺してしまっていた。
妻と子を奪われ、その悲しみを埋めるために実験に明け暮れ、狂ってしまった男。その末に
生まれた哀れな生き物、ぽろろ。彼らの姿を見つめながら、頭のどこかで妙に冷静に考える。

 被虐者たちに真の安息が訪れることはきっと無いのだろう。フサギコ博士にも、博士の
妻と息子にも、ギコ自身にも、そして、そこで切り刻まれているぽろろにも。安息を求めて、
それこそ狂おしいほどに、あがくことくらいはできるかもしれないが。


 博士の思い――狂気、悲しみ、憤り、愉しみ、嘲り――を知っているのかいないのか、
ぽろろは焼かれ、切り刻まれた組織をしぶとく再生させ続けていた。荒い呼気と一緒に、
「ぃぇぁ、ぃぇぁ」と小さな鳴き声を吐き出す。流れた血で真っ赤に染まったその顔は、
どこまでも無垢で愛らしかった。


(終)