黒い悪魔

Last-modified: 2015-06-26 (金) 02:45:50
780 名前:耳もぎ名無しさん 投稿日:2006/08/02(水) 20:44:02 [ BhxMhqzg ]
1/8
ガスッ!!!! ゴスッ!!!

夜の路地裏。月夜の晩。人気のない場所での不快な音。
物音一つない小道に吸い込まれて、消えていく。

……消えていくのは音だけとは限らない。

青白い顔をした男性が足元の物体に向かって何かを振り下ろす。
すでに狂人と化したその瞳には、恐怖の悪魔が宿ったように。

ただ、真紅に染まったナイフを振り下ろす。

ガスッ!!!! ゴスッ!!!

もう切れないのだろう。鈍い打撲音しか響かない。
刀身にヒビが入り、血糊と脂まみれのナイフが空を切る。

ガスッ!!!! ゴスッ!!!

男性の足元にある……既に骸となった人間だった「物」
二度と動くことのないソレに向かって、刃を突き立てる。

何かに取り付かれた、ケモノのように。


「きゃあぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

突然の女性の叫び声。
その瞬間、男は意識と、人間としての尊厳を取り戻した。


「……あれ?…僕は?」

女性の瞳は僕に向いている。
そして、その顔は純粋な恐怖で凍りついていた。

僕の足元にある……赤黒い「何か」
それが何なのかが一瞬理解できなかった。

…が、すぐに記憶は鮮明な色を取り戻した。
「人を殺していた時の記憶」を。

戻らなければどんなに幸せだっただろうか。


その瞬間に僕は逃げだした。
今体験した現実を認めたくなくて…それを悪夢だと願いながら。

781 名前:耳もぎ名無しさん 投稿日:2006/08/02(水) 20:44:52 [ BhxMhqzg ]
2/8
「うわぁぁぁ!!!」

混濁した意識の中で目を覚ました。
見ていた夢のように滴る汗が気持ち悪い。

夢?…そうなのか……?

僕はコートを着て、ベッドで寝ていた。
汗をかくのも当たり前。今は夏真っ盛りなのだから。

大学生の僕は探偵になりたいと思っていた。
それを理由に、時期の合わないこの季節に灰色のコートを買った。
着て外へ出てみたかったが今は夏。暑くてたまらないだろう。
それで夜にコートのお披露目と言わんばかりに飛び出したのだ。

そして、それは今、鮮血で赤く染まっている。


太陽が沈みかけた頃。帰り道。
暗くなり始めた周囲に焦りを感じて、
近道のために、路地裏を通る事にした。

日は暮れ始めているとはいえ、暑いものは暑い。
それでも新品のコートを纏い、満足感に満ちている帰り道。

大通りよりも暗く、狭いこの道を通るのは別に初めてじゃない。
路地裏といっても一本道。迷うことなどありはしない。

ドンッ!

「……誰だテメェは?」

人とぶつかった。今思えば相手が一般人ならよかったのに。
…黒いコートにサングラス。体格のいいモララー族の男性。

「おい、ぶつかって御免なさいの一言もねえのか?」

初めて見る「あっちの人」に恐怖で声が出ない。
ひざがガクガク震え、動くこともできない。

「聞いてんのかテメェ!」
「ひいぃ!」

その怒鳴り声に驚き、彼を突き飛ばした。

「…テメェ、
 覚悟はできてんだろうな?」

膝をついた状態からゆっくりと立ち上がると、懐からナイフを出した。
その銀色に光る刃を耳元へ近づけて、

「耳、ちぎってやろうか?ああ?」

その言葉に反応した僕は、
恐怖から逃れたい一心で無我夢中に拳を振り回した。

ナイフは地面に落ち、その衝撃で左肩に痛みが走る。
僕は痛みでしゃがみこみ、男性は対面に倒れこんだ。
滴る血を見て、死への予兆をその身に感じた。

「…ぶっ殺す!」

彼が次に出したのは…黒い拳銃。
死にたくない……その思いだけで手元に落ちていたナイフを拾った。

782 名前:耳もぎ名無しさん 投稿日:2006/08/02(水) 20:46:13 [ BhxMhqzg ]
3/8
昨日の出来事をゆっくりと思い出す。
たしかに…僕は人を殺した。

手に残る生きた肉を切るときの弾力感。
飛び散る鮮血に、色とりどりの鮮やかな内臓。
筋肉の間に見える白い宝石のような骨。
錆びた鉄のような撒き散らされた血の匂い。
死を直前に迎えた絶望が溢れかえる瞳。

忘れたくても忘れられない全て…これが罪なのだろうか…。

「…臨時ニュースです……」

空想にふけっていた自分をアナウンサーの声が呼び戻す。
昨日、テレビをつけっぱなしにして寝たのだろうか?

「…昨夜、擬古町自演通りの三番街で暴力団関係の…

分かっていた。そしてそれは予想を裏切ってはくれなかった。

……これで僕は指名手配だ。
案外冷静な自分に関心した。
パニックにならず、今の自分の状況を考えられるほどに落ち着いていた。

僕の名前は茂名野 茂樹(モナノ シゲキ) 大学1年。
まだ東京に出てきてから3ヶ月ほどしか経っていない。
親の仕送りとバイトで生活する一人暮らし。
友人関係にも問題はなく、絶好のスタートを切ったばかりの「犯罪者」…

「さてと…」

急いで押入れから一番大きなカバンを取り出す。
その中に今の全財産、着替え、食料を積み込んだ。

彼は知っていた。
ニュースに流れるという事は、犯人の目星は付いている事が多い。
これは犯人に対する思想誘導であり、住民の心配を和らげるもの。
…殺人事件なら自首を促す為か、情報提供を呼びかける為のどちらか。

目撃者もいる上、後始末を何一つしていないなら分かりきった話である。


最後に彼は包丁を二本、一番取り出しやすい所に入れた。
そしてそのまま住み始めたばかりの新居を後にする。

783 名前:耳もぎ名無しさん 投稿日:2006/08/02(水) 20:47:04 [ BhxMhqzg ]
4/8
「と、出てきたのは良いけど…」

隣町まで来た彼は途方に暮れていた。
ニュースで知ったのだが、彼が殺したのは「虐殺党」の重要工作員。
虐殺党は裏の世界では最も大きな組織である。

探偵になっていれば敵であるはずの存在。
だけど今から敵となるとは思ってもいなかった。

人を殺した以上、表の社会には出られない。
裏の組織を敵に回した以上、裏でも生きることができない。

彼にはどこかの孤島で過ごすくらいしか思い浮かばなかった。

「その前に明るいうちに寝床だけでも…」

暗くなってから動き回るのはよくない。
警察もこの周辺にいるだろう。視界の利かない夜に遭遇したらどうしようもない。

幸いにも、寝床はすぐに見つかった。
町外れにある「立入禁止」と書かれた、元薬品会社の建物。

そこに入ろうとした瞬間、視線を感じた。
後ろに誰かがいる。間違いない。
こんな所までついてきて、手を出さないということは裏の人間じゃないな。

大きな荷物をゆっくりと床に置き、深呼吸をする。

次の瞬間、彼は視線のした方へダッシュした。
視線の主はそれを見て慌てて逃げる。

お互いに必死である。

生活どころか、人生を賭けて追いかける茂名野。
殺人犯が向かってくる恐怖から逃げる視線の主。

茂名野は高校時代は陸上部だった為もあり、すぐに追いついた。

784 名前:耳もぎ名無しさん 投稿日:2006/08/02(水) 20:47:33 [ BhxMhqzg ]
5/8
捕まえたのはしぃ族の少女。
どうやら正義感だけで尾行してのだろう。
それほどに彼女の足は遅かった。

「ひいぃ! 御免なさい! こ、殺さないで!」
「…別に殺す気はないよ」

「え?」
「だから殺さないってば」

意外そうにしぃが問いかける。

「だって、人…殺して逃げてるんでしょ? それに…」
「殺したくて殺した訳じゃない」

しぃ族だったが本物みたいだし、正直今はそんなのはどうでもいい。

「とりあえず、荷物…」

茂名野は荷物の場所を指差した。

そのまま茂名野としぃは荷物のある場所に戻った。
茂名野は荷物の事が気がかりなのだ。
まあ、その中に全財産が入っていたら当然の反応であるが。


「…って事は不可抗力だったって事?」
「そうだ!そうなんだよ…本当に…」

事件の内容を話すと少し納得してくれたようだ。

「自主…する気は無い?」
「無い。あんな奴の為に人生終わらせるとか……絶対…嫌だ」

「でも…」
「だから、君がココで見た事を黙っていてくれるだけでいいんだ!」

「……」
「この後は誰にも迷惑を掛けずにひっそりと暮らしていくから…頼む」

「……わかりました」
「ありがとう…」

日が暮れ始めてきた。
彼女の家族も心配しているだろう。
この子は殺す方にも殺される方にもなって欲しくないな…そう思った。

「そろそろ帰った方がいいんじゃないか?」
「そうですね…それじゃ、この辺で」

立ち上がって一呼吸した後に、
彼女がそう言って無防備な背中を向けた瞬間…


彼の中で、悪魔が再び目を覚ました。
そしていつのまにか、カバンから取り出されている包丁が風を切った。

785 名前:耳もぎ名無しさん 投稿日:2006/08/02(水) 20:52:20 [ BhxMhqzg ]
6/8
音もなく歩く暗殺者の様に素早く近づき、
その背中を、肩から腰にかけてを一太刀で切り裂く。
その際に噴出した鮮血を目も閉じずに受け止める。

彼女の体がゆっくりと前に傾き始めた。
しかし悪魔はそれすらの猶予は与えずに刃を勢いよく突き出す。
その衝撃で悪魔と少女は転ぶように倒れる。

「ァギャアァァ…」

彼女の出した悲鳴はとても弱弱しかった。
二発目の突きが肺にまで到達する威力。声など出せるものじゃない。
貫通した包丁は勢いを失うことなく、そのまま横に払い、切る。

…はずだったが、包丁がそんな衝撃に耐えられるはずも無く折れる。

刀身の半分以上が彼女の体に埋没したが、悪魔にはあまり関係ないようだ。


「何で俺がっ!! 俺がこんな目にあうンだよっ!!!」

「どうしテ!! 俺ナんダ!!! 俺だけナンダ!!!」


すでに二撃目で絶命した彼女の背中にまたがって、折れた刃を振り抜く。
振るたびに赤い血が、肉片が、人間としての理性が、空に散っていく。


「なゼ、俺を苦しめルんだ!!!」

「いラナイ!! イラなイ!! こンナ世界ナンテ!!!」


怒りと、憎しみと、悲しみと、絶望を込めて包丁を振りかざす。

しかし突然、彼はピタリと手を止めた。
包丁を落とし、少女だった「もの」の傷口を瞬きをせずに
その体内にある、まだ動いている臓器を見つめている。

そして赤ん坊ような無邪気な笑顔のまま、
砕けた背骨の先にある…彼女の心臓を鷲掴みにした。


「あははハハハハッ!! アハハ、ははハはハハハ!!!」


鼓動を止めないその心臓を、古来の生贄の儀式のように空高く掲げ
血まみれの悪魔は、満面の笑みで「それ」を握りつぶした。


いつの間にか雨が降り始めていた。
空を覆う雲泥は、明日への希望を見失う。
雨雲の下で、物言わぬ亡骸が横たわる。

…時期に雨は強くなっていくだろう。

786 名前:耳もぎ名無しさん 投稿日:2006/08/02(水) 20:55:17 [ BhxMhqzg ]
7/8

昇った朝日が夏の暑さを再び造りだす。
昨日の雨を忘れられそうな澄み切った空。
廃墟の中の、赤い青年と黒い悪魔。

茂名野は考えていた。
この先の生活ではなく、自分としてのあり方を。

人を殺した。しかも二人。

あのモララー族の時は正当防衛だと、そう自分に言い聞かせていたが、
今回ばかりはそうもいかない。

罪の無い一般市民を…卑怯にも背後から切り殺した。
自分に危害を加えないと約束してくれた少女を、この手で。

罪を償いたい気持ちはあった。
普通に考えれば自主するのが懸命だが…茂名野はそれを拒んだ。

怖いのだ。

自分の罪を公に晒す事が、
それによって受ける迫害が、
「世間」から捨てられるのが…。

死ぬまで背負う十字架は変わらないが、
償い方は他にもある……そう思いたい…。

そう思ったのもつかの間…


『警察だ! 犯人は大人しく投降しろ!!』

拡声器で大音量に拡大された声。
突然の事なのに、不思議と驚きはしなかった。

「そういえば、昨日殺したアイツの死体を片付けていなかったけ…」

昔っから片付けが嫌いだったよなぁ…と思い出にふける。

『投降するなら、三分以内に武器を捨てて出て来い!それ以降は命の保障はできない!』


…残り三分。

自主するか、それとも最後まで殺人犯として立ち向かうか…

……すでに答えは決まっていた。

787 名前:耳もぎ名無しさん 投稿日:2006/08/02(水) 20:56:32 [ BhxMhqzg ]
8/8

「…ザ、…ザァァ……ニュース2chの時間がやってきました…」


誰もいない部屋に付けっぱなしのテレビの音声だけが響き渡る。
テレビを忘れる程にこの部屋の主人は急いでいたのだろうか?


「…先日の…擬古町殺人事件ですが…ザザァーー…」


数日間使われていない食器には少しホコリが溜まっている。


「…ザザ、犯人の茂名野 茂樹(19)は…ザァ…ー…ザ…」


荒れ果てた室内には人の気配は無い。


「…先日、一度目の犯行現場の隣町のー…ザザザー……」


ポストにはこの部屋の主人が取っていたであろう新聞が押し込まれている。


「…現在使われていない、元薬品会社の建物の付近で新たに少女を殺害…」


テレビの電波の入りが良くなってきた。


「…その後、建物の内部で包丁を使い、自分で首を切断し自害したそうです。
 犯人が行った二件の事件の動機は今だ不明……」



心の隙間の黒い悪魔。
昇らぬ太陽、明けない夜。
朽ちていくのはキミ自身。

                                 END