SURVIBLE IN THE DARK

Last-modified: 2015-06-23 (火) 01:17:41
602 名前: 木人 (ENZ832xY) 投稿日: 2004/03/30(火) 08:17 [ zYWiYbEc ]
    SURVIBLE IN THE DARK


「・・・キョウハ モウ ダレカ ツレテ イカレタノ?」

「ウン。サッキ、 ツレテ イカレタ ミタイ」

「ソッカ・・・」

「・・・・・・ネェ」

「ン?」

「ワタシタチ、カエレル ノカナ?」

「・・・・・・ワカンナイ・・・」


暗くかび臭い地下の牢。
何匹ものしぃが中にいる。
彼女らは全員、何処からかさらわれてきた被害者。
日の光も届かない、何も無いその場所で、いつか来たる順番を待っていた。

生贄の、順番を。

「ア・・・」

「イマ、シタヨネ・・・」

「ウン・・・。マダキコエテル・・・コワイ・・・」

「ダイジョウブ・・・キョウハ モウ アンシン ダカラ・・・」

「・・・ウン・・・ソウダネ・・・」

一日に一度、彼女らの中から誰からか連れて行かれる。
唐突に牢屋の扉が開けられ、そして腕をつかまれて、階上へ消えていく。
ここがどこなのか。
いまはいつなのか。
今の天候さえも分からない彼女らの日課は、
日がな一日恐怖に怯え、自身の変わりに奪われる命を見届け、
そしてその断末魔を聞くことだった。
彼女らに安心は訪れない。
たとえ今日、命があったとしても、
もし明日、そこの扉が開けられたら?
そして私の腕が掴まれたら?
その恐怖に怯え、精神が崩壊するものも少なくなかった。
誰もが例外なく経験しているからだ。
同じ牢から連れて行かれる、その者を見届けることを。
失禁し、必死に腕をとこうとし、涙を流して助けてくれと手を伸ばしてくる彼女を、
なすすべも無く呆然と見つめる事を。
さらわれたばかりの頃、必ず誰もが経験させられる。
だからこそ、新人の入る牢は危ないという定説すら確立しているのだ。
明日にでも、あの不幸が自分にも降りかかるかもしれない・・・。
それを考えると、恐ろしくてたまらなくなる。
そしていつからか、神に祈りをささげる習慣が出来た。
この狂った世界から、いつか出られる事を願って。

そんな牢のひとつの中に、彼女らがいた。
しぃかとキャシィ。
生まれも育ちもまったく違う二人っきりの牢の中で、共に身を寄せ合って日々暮らしていた。
彼女らは、毎日欠かさず祈りをささげている。
定期的に出される粗末な食事の前と後に、今日を生き延びれた事を神に感謝して。
この日も、いつものモララーがぶっきらぼうに扉を開けて、食事をおいていった。
しぃかとキャシィも、このモララーが恐くてたまらなかった。
二人を、片方しかないその目で思いっきり睨みつけるから。
ようやくすべての牢に食事を配り終わったモララーは、
台車を押しながら階段とは逆方向の部屋にはいっていった。

ギィィィ・・・バタン!

ドアが閉まるまで隅にいた二人は、ようやく扉のほうへ近づいていく。

「ゴハン、タベヨッカ・・・」

「ウン、タベヨウ」

いつものように神に感謝の言葉を述べた後、共に食事に手をつけた。
無言の食事。ここへ来てから、いつもそうだ。
しぃかはいつも考えてしまう。
なぜこうなったんだろう?
私、悪い事何かしたかな?
あの日だって、お母さんに言われて買い物に出かけただけなのに。
何でこんな目にあうの?
誰か、探してくれてるの?
早く、助けて・・・。

603 名前: 木人 (ENZ832xY) 投稿日: 2004/03/30(火) 08:17 [ zYWiYbEc ]
「・・・ダイジョウブ?」

「エ?」

気がつけば、しぃかは涙を流していた。
こんな顔をしていては、キャシィに心配をかけてしまう。
そう思い、慌ててしぃかは笑顔を取り繕った。

「ウン、ダイジョウブ。モウ シンパイナイ、カラ・・・ウ・・・」

だめだ。いつもなら、耐えられるのに。
涙は後から後からあふれてくる。
今日に限って止まらない。
恐い。逃げだしたい。ここからでたい。死にたく、無い。
薄い膜で隠してきた感情が、一気に張り裂けてしまった。
涙をぬぐいながら、しぃかは嗚咽を漏らしつつもキャシィに不安をぶつけた。

「キャシィチャン。ワタシ、コワイヨ。アシタ ツレテイカレルノ、 ワタシ ナンジャ ナイカッテオモウト、トッテモ コワイヨ」

「・・・・・・シィカチャン・・・」

キャシィは何もいえなかった。
思いは皆同じだったからだ。
この手の話は、あの光景を誰もが思い出してしまう。
あの恐怖の光景が一瞬でも脳裏にフラッシュバックしてしまうと、
隠してきた感情に目を向けなければいけない為、彼女らの間ではある種タブーとされていた。
その不文律は、しぃかも重々承知のはずなのだ。
まして、優しい心のあるしぃかなら、尚更。
そんなしぃかがルールを破ってまで話をしだすなんて、よほど不安なのだろう。
泣きじゃくるしぃかを見ていると、キャシィは自分まで恐ろしくなってきた。

「シィカチャン。ワタシモ ソウダヨ。 イエニ カエリタイヨ。オカアサンニ アイタクテ、タマラナイヨ」

二人とも、声を押し殺して泣きながら肩を抱き合った。
不安な気持ちが、これまで溜めていた分一気に噴出していった。
帰りたい。帰りたい。帰りたい・・・・・・
二人とも、泣きながらそう呟きあった。

10分ほど大泣きした後、お互い気持ちが落ち着いて、ゆっくり離れていった。

「ゴメンネ、 キャシィチャン。 イキナリ ナキダシチャッテ」

「ウウン、イイノ。 ワタシモナイテ チョットスッキリ シタカラ。ホラ、ショッキモ ヒックリ カエシチャッタ。 カタズケヨウ」

「・・・ウン」

キャシィは赤くはれた目をしたまま、しぃかに優しく笑顔を投げかけた。
しぃかは、彼女の持っている強さと優しさに、心底感謝した。
もしも彼女と同室でなかったら、自分の心はとっくに折れていたかもしれない。
しぃかには、そうとさえも思えるのだった。
お互い立ち上がり、別方向に散らかった食器を片付けていく。
もう、泣き言を言うのはやめよう。
言った所でどうなるわけでもないし、何よりキャシィに心配をかけたくない。
少しでも、強くなろう。
しぃかがそう自分の心を奮い立たせていると、ふいにキャシィが声をかけてきた。

「ネェ、シィカチャン・・・」

「エ?」

「ヤッパリ、カミサマッテイルンダネ・・・」

突然の言葉に、しぃかは意味が分からずキャシィのほうを振り返った。
キャシィの足元には、まだたくさんの食器と、ご飯が散らかっている。
しかし、キャシィはそんなこと気にも留めていない様子で、呆然と扉を見つめていた。
しぃかも訝しげながらつられて扉を見る。
そして、キャシィと同じように絶句してしまった。

「ソンナ・・・」

「ウン・・・・・・」

604 名前: 木人 (ENZ832xY) 投稿日: 2004/03/30(火) 08:18 [ zYWiYbEc ]
転がったお椀型の食器の一つは、扉のほうへと転がっていた。
そして、その勢いで扉を少し、ほんの少しだけ、押し開けていたのだ。
しぃかは、手に持っていたパンを床に落としてしまうほどショックを受けた。

「カギ、ガ・・・」

鼓動がどんどん早くなっていく。手のひらも汗ばんでいた。
気がつくと、キャシィの足も小刻みに震えている。

「カカッテ ナインダヨ・・・アノモララー、カケワスレテ イッチャッタンダ」

ゴクッと唾を飲み込む音が、牢内に小さくこだました。
お互いの心は決まっている。
しかし、決行すれば大きな危険が付きまとう事になるだろう。
大きな危険、即ち、死が。
しかし、それはここに留まっていても同じ事。
(行くしかない・・・)
キャシィを見ると、迷いの無い目でしぃかをまっすぐ見つめ、小さく頷いてくれた。
ついに暗い牢獄に、かすかな光が差し込んだ瞬間だった。
覚悟は、決まっている。

                                 続


803 名前: 木人 (ENZ832xY) 投稿日: 2004/05/06(木) 04:38 [ H6Czuz3s ]
   SURVIBLE IN THE DARK


=2nd=


地下牢の中は、物音一つしなかった。
捕らえられている全てのしぃが、日に日にやつれていく体を休めるために、眠りについたからだ。
この辛辣な現実から、夢の中へ逃げるように。

しぃかとキャシィは、手を握り合って横たわっていた。
二人とも瞼は閉じてはいるが、意識は覚醒している。
今は、寝たふりをしなくてはならない。
ご飯を配っていたモララーが、今度は見回りに来るからだ。
脱走の決行は、その後。
あの時、しぃかとキャシィは話し合って、計画を煮詰めていった。
といっても、右も左も分からないこんな場所では、たいした事は決められない。
結局大半は、出たとこ勝負という事で決まった。

(心臓がドキドキしてる・・・)

しぃかはとても落ち着かなかった。
こんな年季の入った、立派な牢があるほどだ。
おそらくここは昔の城か何かだろう。
そんなところから、無事脱出できるだろうか。
正直、自信が無い。
チラッと薄目を開けて、キャシィのほうを見てみた。
気の強そうな、やや釣りあがっている目を閉じて、
呼吸の度に上下している胸を見ていると、本当に寝ているんじゃないかと疑ってくる。
女性は、すべからく女優の素質を持っている。そんな言葉を少しだけ思い出した。彼女はその中でもダントツだろう。
この脱走劇は、自分だけのためではないのだ。
彼女のためにも、下手な失敗は出来ない。
湿った空気が、苔の匂いと共にしぃかの鼻腔へ侵入していく。
普段は気にならないその湿度が、妙な使命感に興奮している今のしぃかには、とても冷たく感じられた。

         ギィィィ・・・・・・

その時、ふいに不気味なドアの閉会音と共に、通路に一本の光のスリットが現れた。
あの片目のモララーが見回りに来たのだ。
しぃかは素早く目を閉じて、キャシィを真似るように疑うような寝息を立て始めた。
彼女もまた例外ではなく、賞を取れる力を秘めているようだ。
何も問題なく過ぎてくれれば・・・。
しぃかは、胸の奥で神様にそう強く願った。
暗い廊下に、足音が響く。
さっきからずっと計画を頭の中で反芻していたキャシィが、一瞬だけ眉を寄せた。
違和感を感じたのだ。
そうか。足音が、多いんだ。

(二人いる・・・)

キャシィは、手を握る力を少し強くした。

「全員寝てるみたいだな」

「ああ、いつもこうさ。静かなもんだ。いくぞ」

       コツ、コツ、コツ、コツ、コツ・・・

静かな牢の中に、低い声と足音が響いた。
二人は話しながら通路を歩いてくる。
そして、ゆっくりしぃかとキャシィの牢の前を通り過ぎていった。
しぃかは気付かれない程度に、ふっ、と安堵の溜め息をつく。
まずは、なんとか大丈夫のようだ。次乗り切りさえすれば・・・。

「一番奥も問題ない、と」

「やれやれ、大体見回りなんか意味あんのかね。
 とっとと部屋に戻って飲みなおそうぜ」

「ああ、早いとこそうしよう」

804 名前: 木人 (ENZ832xY) 投稿日: 2004/05/06(木) 04:39 [ H6Czuz3s ]
       コツ、コツ、コツ、コツ、コツ・・・

再び、モララー達は奥のほうからこちら側に引き返してくる。
瞼の間から、ちらちら光が入ってしぃかは落ち着かない。

(お願いだから、早く通り過ぎて・・・)

牢の近くから足音が聞こえてきた。
今、通り過ぎようとしているのか?それとも、既に通り過ぎたのか?
混ざり合い、反響する足音ではそれは判断できない。
しぃかは薄目を開けたい衝動に駆られたが、理性で何とか我慢した。
今はただ、扉の閉じる音を待つしか出来ないのだ。
心臓の鼓動が下がる様子は無い。
むしろ、どんどん上がっていく。
しぃかは、心臓の音が聞こえやしないかと内心ヒヤヒヤした。

       コツ・・・

「おい・・・・・・」

その時、一人がしぃか達の牢の前で、足を止めた。
ギクッ!としぃかとキャシィの心臓が跳ね上がる。
もしかして、鍵が掛かってないんがばれたんじゃ・・・?!

「なんだ?どうかしたのか?」

もう一人も、牢の前へ戻ってきた。
何?なんなの?!一体何?
しぃかの体が小刻みに震えだす。
キャシィの息ずかいも激しくなっている。
ばれているかも知れない・・・。
その恐怖に耐え切れなくなり、しぃかはキャシィの手を強く握り、心の中で神に祈った。
神様、お願い。これ以上の試練を与えないで。私達を、ここから生きて返して。
神様。神様、お願い・・・・。

「・・・・・・見ろよ。こいつら、手ぇ握り合って寝てるぜ」

一瞬の間。
牢内が静寂に少しだけ満たさせる。
その後、もう一人が

「マジかよ。こいつら、自分の立場が分かってないんじゃねぇの?」

といって、二人して下品な笑いをたてながら、部屋へ帰っていった。
バタン、とドアが閉まる音がした後も、しぃかは動かない。
というより、動けなかった。
緊張の連続で、心臓がいまだに激しく脈を打っている。
助かった・・・・・・。
恐る恐る瞼を開くと、キャシィの顔が映った。
彼女もまた動けないのか、硬直した表情でしぃかを見つめている。

「・・・・・・プッ・・・」

気丈で、にこやかないつもの彼女からは想像もできない顔に、思わずしぃかは笑ってしまった。

「ククッ・・・シィカチャンモ コンナカオシテルヨ」

「ウソ」

「ホント」

さっきの危機の後なだけに、余計に安心感で笑ってしまった。
否、大変なのは、この後だ。
それを二人とも分かっていたから、今は余計に笑っておこうとしていたのかも知れない。

805 名前: 木人 (ENZ832xY) 投稿日: 2004/05/06(木) 04:39 [ H6Czuz3s ]
見回りがあってから、どれほどの時間がたっただろうか。
周りから聞こえる音も、しぃたちの寝息だけだ。
奥の扉から聞こえていた話し声も、随分前にやんでいた。
絶好のチャンスである。
しぃかが決行を今か今かと待っていると、突然キャシィがムクッと上半身を起こし、
小声でしぃかに語りかけた。

「シィカチャン、オキテル?」

無論、寝るわけが無い。
しぃかはすぐに目を開けて、返事を返した。

「ダイジョウブ。オキテルヨ」

「ソロソロ、イコウ」

「・・・ウン」

二人はゆっくり立ち上がり、二人の牢屋の扉のへ近づいていく。
出来るだけ足音を立てないよう、静かに。

「ジャア、アケテ・・・」

「・・・ワカッタ」

キャシィはゆっくり扉に手をかけ、少しだけ押してみた。
キィ、というか細い声を上げて、扉は外界へと口を開く。

「マズハ ワタシカラ イクカラ」

「ワカッタ。キヲツケテ・・・」

しぃかに向かって小さくうなずくと、キャシィは極力音を立てないように扉を押し開け、
恐る恐る通路に出て行った。
先に話し会った結果、先ずはキャシィが階段を上がり、
様子を見て安全だと確認し、しぃかを呼びに戻るという事に決めた。
階段を上がることが出来たなら、次に様子を見に行くのはしぃかの番だ。
そういう風に順番に安全を確認していき、待っているほうは2分時間を数え、
もし確認しに行った者が戻ってこないようなら、
別ルートで行くか、もしくは牢に戻る。そうルールを設けた。
なにしろ、脆弱なしぃ二人だけなのだ。失敗する危険は大きい。
だからこそ、もしもが起こった時は一人だけでも助かるようにしようと決めたのだ。

「1,2,3,4,5,6,7,8・・・」

しぃかは牢の中に腰を降ろし、心の中で時間を数え始めた。
無事キャシィが戻ってきてくれる事を願いつつ。

「45,46,47,48,49,50・・・」

一秒一秒が酷く長く感じられた。
もしかしたら、見つかっているのかもしれない。
全てばれて、恐いモララーがこっちに向かっているのかもしれない。
様々な不安が、心の中に渦巻いていく。
それでもしぃかにできることといったら、時間を数え、キャシィが無事帰ってくるよう祈る事しかなかった。
不安と恐怖に、押しつぶされそうになりながら。
そうこうしながら、しぃかが時間を数え始めてもうすぐ2分に達しようとしていた時、階段に人影が現れた。
咄嗟にしぃかは奥へと身を隠す。
誰だろう。キャシィだろうか。それとも、制裁を与えるべく現れたモララーだろうか。
あいかわらず、心臓はなりっぱなしだ。この様子じゃ、今宵は落ち着きそうもない。

806 名前: 木人 (ENZ832xY) 投稿日: 2004/05/06(木) 04:40 [ H6Czuz3s ]
「シィカチャン・・・」

小さな声が、しぃかの耳に届く。
キャシィの声だ。しぃかはまたも、ふっ、と安堵の溜め息が無意識に出してしまった。
だが、もしもという事もある。しぃかは用心して、少しだけ身を動かして階段のほうを覗いてみた。
間違いない。キャシィ一人だけだ。心細そうにこちらの方を見つめている。
早く安心させてあげたい。そう思い、しぃかも扉を用心深く開けて、キャシィのほうへ近づいていった。
暗がりの中で、二人はお互いの無事を確かめ合った。

「キャシィチャン、ブジデ ヨカッタ・・・」

「ソンナニ シンパイスルコト ナイノニ。 ウエハ ダイジョウブ ミタイダヨ。イコウ」

気丈を振る舞い、少しだけキャシィは笑って見せた。

「ウン・・・」

ひとまずは、危機は無いようだ。しかし、まだまだここから。
すんなり行ければベストだが、そうも上手くいけるだろうか・・・。
しぃかはそんな漠然とした不安を抱えつつも、キャシィに手を連れられて歩き始めた。
ふっ、と視界に他のしぃ達が移る。
幸せそうな寝顔をしていた。良い夢を見ているのだろうか。
きっと彼女達の寿命は、もう長くは無いだろう。
そんな彼女達を助ける事は、出来ないだろうか・・・。

(やめよう・・・)

この事については、散々キャシィと意見をぶつけて、決着をつけたのだ。
どんなに助けたいと願っても、私達にできる事は無い。
仮に鍵を奪うためにあの片目のモララーに向かっていったところで、二人とも返り討ちにあうのが落ちだろう。
よしんば上手くいったとしても、そんな大人数で脱出なんて、不可能に決まっている。
つまらない正義のために、命を捨てるのはよそう。
そう結論を出したのだ。
しぃかは、痛みで悲鳴を上げる良心とモラルを必死で見ない振りをして、キャシィの後に続いて歩き出した。

彼女らは、致命的なミスを犯していた。
『彼ら』の話し声が消えたのは、二人ともが眠りに付いたからではない。
片方だけが眠ってしまったからなのだ。
一番の致命的ミスは、彼女らがそこに気付けなかった事。
そして一番の不幸は、彼に脱走を気付かれてしまった事。

ついに、砂時計が動き出す。
彼女らの命のリミットは、一粒づつこぼれて闇に消えていった。

やたらと長い階段を上がって木製の扉を開くと、妙な匂いが鼻を突く。
しぃかは、まだ街にいた頃を思い出した。
そうだ。この匂いは、血と、腐肉の匂い。
ようやくしぃかは、キャシィの表情が堅いわけが分かった。
ここが暗くてよかった。もし照明があったりしていたら、
ここから先を歩く勇気は潰えていたかもしれない。
それにしても、なんと言う皮肉だろう。
彼女らと同じようにしてさらわれて来た、いわば仲間の死によって、
最も彼女らが渇望する下界を思い出すとは。

「シィカチャン、 コノヘヤノ オクニ、 トビラガ アルデショ?
ホラ、 ヒカリガ サシコンデル トコロ。 ソノサキニ、 チイサナ ヘヤガアルノ。
 ソコハ、 マダ アンゼン ミタイ」

真っ暗で分からなかったが、段々と目が慣れてくるにしたがって、
この部屋の在りようが分かってくる。
確かに、キャシィの指差すほうには、光で区切られた四角いドアが見えていた。

「ワカッタ。 ソコヲツギノ キョテンニ シヨウ」

807 名前: 木人 (ENZ832xY) 投稿日: 2004/05/06(木) 04:46 [ H6Czuz3s ]
しぃかには、キャシィの表情まではこの暗さのせいで読み取れなかったが、
上下に振れるのだけは確認できた。
先にキャシィが歩き出す。続いて、次にしぃかも。
瞬間、踏み出した足の裏にヌチャッとした感触があった。
驚きで声を上げそうになるのを、しぃかは必死で我慢した。
なんという事だろうか。
ここには、殺されたしぃの死体が、無造作にそのまま捨てられているのだ。
しぃかは全身を恐怖に振るわせた。
どんな殺され方をしたんだろうか。惨たらしく殺されたのだろうか。
あの日聞いた悲鳴の持ち主が、いまだにここの床に横たわっているのだろうか。
その死体を、踏みつけて通らねばならないのか。
とてもしぃかは次の一歩を踏み出せない。
まるで、足元から死が染み込んで来るような気がした。
ぐずぐずしてる間に、キャシィは扉に到達し、慎重な手つきで扉を開け、光を部屋へ差し込ませる。

「ウッ・・・・・・!!」

しぃかは思わず目をそらしてしまう。
床一面、いたる所に広がる血と肉の海。
そっけなく置かれているベッドに乗った、もう何処の部分かすら分からない塊。
それらがしぃかの視界いっぱいに広がっていたからだ。
吐き気がこみ上げてくるのが、はっきりと分かる。
思わず倒れてしまいそうになった。

「シィカチャン、ツライノハワカルヨ。デモ、コレデ ドコヲアルケバ イイカ ワカルデショ?
ガンバッテ、コッチマデ キテ」

キャシィの優しい声が聞こえる。
確かに、血で濡れたりするのは最小限で抑えたい。
しかし、その為には死体も一緒に見なくては・・・。
助けを訴えるように、しぃかは弱々しい視線をキャシィに飛ばした。
そして、絶句してしまう。
少し頭を捻れば分かる事だった。
キャシィは、しぃかが死体を踏むのを出来るだけ避けさせるため、最短ルートで扉に近づいていったのだ。
どれ程自分が汚れようと、構わずに。
キャシィの両足には、血と肉片がこびりついていた。

(にげるな、臆病者)

自分で自分を戒め、しぃかは勇気を持って再び歩き出す。
一歩、一歩、ゆっくりと。
その時、避けて通れない道にぶつかった。
跳んでも届かないような広さで、一匹の死体が潰れていた。
しぃかは一度大きく深呼吸し、意を決してその血の沼に踏み込んだ。
いやな音を立てて腐肉が足の裏で潰れていく。
歩くたびに彼女の血が跳ね上がる。
それでもしぃかは、吐き気が出そうな気持ちを抑えて歩き続けた。
そして長い時間をかけて、ようやくキャシィの元へたどり着いた。
近くで見ると、キャシィはうっすら涙目になっている。

「ゴメンネ、 キャシィチャン。 ワタシ・・・」

うつむき加減で謝るしぃかの頬に、キャシィはそっと手を添えて励ました。

「キニシナクテイイヨ。 ソレヨリ、 ハヤク ツギニ イコウ?」

「ウン。アリガトウ・・・」

キャシィの優しさに胸を打たれながら、しぃかは涙を拭って次の部屋へと足を踏み入れた。

808 名前: 木人 (ENZ832xY) 投稿日: 2004/05/06(木) 04:46 [ H6Czuz3s ]
「・・・ワァ・・・・・・・」

その時、眼前に広がる夜景を見て、しぃかは思わず言葉を失った。
うっそうと茂る森を、風が音を立てながら流れてゆき、
さらさらと流れる小川に波を立てて消えていった。
そしてそのはるか上空では、とても大きな雲間に浮かぶ、更に大きな満月が荘厳に光り浮かんでいる。
久しぶりに見た、外の景色。
こんなにも心を打つなんて。
当たり前だった風景画。無くして初めてその美しさを思い出すなんて。

必ず、ここから二人で出てみせる。
何があろうとも、必ず。
部屋中に満ちた月光の中で、しぃかは思いをよりいっそう強くした。

改めて確認してみると、この部屋は随分と小さな造りをしていた。
あるのは椅子と、中には何も入っていない少し大きな壷が一つだけ。
扉は、今入ってきたところと、もう一つ。
窓だけがやたら大きくとられていた。
そしてどうやら、窓から身を乗り出して見たところ、ここは3階らしい。
3階から地下に降りる階段を造るなんて、妙な建物だとしぃかは思った。
再びキャシィと話し合い、二階まで降りて、窓を探して飛び降りようと決めた。
正面扉はがどこにあるのかも分からないし、恐らく簡単には開かないだろうと推測したからだ。
尤も、それは建前に過ぎない。
できるだけ早くここから出たいという本音があるから、そう決まっただけだ。

「ジャア、 コンドハ ワタシガ イッテクルカラ。キャシィチャン、 ココデ マッテテネ」

「ウン、 キヲツケテネ」

しぃかは少しだけ扉を押してみる。
抵抗は少なく、意外とすんなりあいた。
開いた隙間から頭を出してみると、廊下が延々と続いている。
いや、本当のところは分からない。
本当はもっと短いかも知れないし、長いかもしれない。
廊下にあるのは、たとえどんなに色彩の鮮やかな物があろうと、
全てを黒く塗りつぶしてしまう、底なしの闇だけ。
それがあるために、距離が分からないのだ。
しぃかは、扉を閉めて廊下に出てみると、
大口を開けている怪物の前に立ったような錯覚に襲われた。
負けるものか。
自らの恐怖に打ち勝つように、力強く一歩を踏み出した。

キャシィの待つ部屋では、しぃかが扉を閉めるのと同時に、逆方向の扉が開いた。

しぃかは壁に手を当てて、少しづつ前へ進んでいく。
何も見えない。さっきの部屋と違って、廊下には窓が無い。
照明すらないものだから、突然階段でも現れたりしたら、間違いなく落ちてしまう。
気をつけて進まなければならない。
そのため、どうしてもゆっくりと歩かねばならなかった。
だが、それらはある一つの事実を示唆している。
ここに住むものは、夜には活動していないのだ。
だからこそ、照明は少ないのだろう。
さっき見た月は、ちょうど空の頂点に登っていた。
時間に余裕はある。これはチャンスだ。
焦らなくても、きっと大丈夫。
しぃかは、わずかながらも希望が見えてきたような気がした。

809 名前: 木人 (ENZ832xY) 投稿日: 2004/05/06(木) 04:47 [ H6Czuz3s ]


         「シィカチャン ニゲテ─────!!!」


突然、静かな廊下に、キャシィの絶叫がこだまする。
悲鳴がしぃかの心臓に突き刺さり、三度跳ね上がった。
背筋が一瞬で冷たくなったのがよく分かった。
今の声は、ただならぬ雰囲気ではない。
まして、『助けて』では無く、『逃げて』では尚更。
引き返すべきだろうか。それとも、このまま逃げるべきか。
無論、逃げるべきだ。
しぃかが行った所で、何も状況に変化は無いだろう。
それに、そういうルールも設けている。
どちらかが死に瀕しても、もう片方は迷わず逃げるようにと。
頭では十分すぎるほど理解している。既に、安全な場所はなくなったのだ。
一秒でも早く逃げ出すべきなのだ。
しかし。
体が動かない。
別に逃げるのが嫌というワケでも、キャシィを助けようと決めたからでもない。
ただ単純に、体が恐怖にすくんで動かないのだ。
後ろすら振り向けず、正面を向いたまま硬直している。
右手を壁について、前の闇を凝視したまま、汗をダラダラ流しながら。

     ギィィ・・・

どこかの扉が、開いた音がした。
まずい。見つかってしまう。
逃げなきゃ。今、今、今、今、今、

今すぐに!

しぃかは駆け出した。
後ろを振り返らず、ただ真っ直ぐに、全力で。
キャシィの無事を信じて。心のどこかで、分かっていても。

「ハァッ! ハァッ! ハァッ! ハァッ! ハァッ! 」

何も見えない真っ暗な闇の中、しぃかはひたすら走り続ける。
不思議と涙があふれてきた。
戻ったところで何も出来ない。生きている望みは低い。
そうだ!私は逃げる事しか出来ないんだ!
自己弁護を繰り返し、しぃかはなおも走り続ける。



右足が、宙に放り出されるまで。

810 名前: 木人 (ENZ832xY) 投稿日: 2004/05/06(木) 04:48 [ H6Czuz3s ]
男はただ眺めていた。
中庭で世話をしている薔薇に水をあげながら、
温室の中から眺めていた。
『三階の構造は複雑だ。最初はよく怪我をしたものだ。
今だそれが癒えない者もある。命を落とした者も』
先代の言葉を思い出しながら、何気なく眺めていた3階にポッカリ開いた穴から、
一匹のしぃが勢いよく飛び出てきた。
最初はそれが何か、男には分からなかった。
漆黒の闇の中へ現れた、一筋の白い流星。
そういう印象を受けた。
それが落ちて行く様は、とても綺麗だった。
ふわふわの毛がゆらゆらなびいて、手足が空しく宙を泳ごうともがいていて、
そして、彼女の顔はとても驚いていた。
時間という概念を忘れ、男は一心にしぃかに見入っていた。
空から堕ちてくる、彼女の姿に。

しばらくして、しぃかは地面へその体を叩き付けた。
ゆっくりと、体がひしゃげていく。
男にはその映像すらスローモーションに見えていた。
まるでマッチ棒みたいに、頼りなく、あっけなく折れていく手足。
あちこちからこんなにも詰まっていたのかと驚くほど、突き出してくる物凄い量の骨。
鮮血のドレスをひらひらはためかせて、タンゴを踊っているようだった。
やがてその激しいダンスも終わり、彼女は静かに地面に伏せる。
もう動く気配は無かった。
男は如雨露を置き、薔薇を一本轢引き抜いて、ゆっくり温室のドアを開け外にでる。
少し湿った空気を男は感じた。
月の綺麗な夜だ。
こんな夜は、なんだか落ち着かない。
何か起きそうな予感で、心が高揚する。
男は見上げていた視線をしぃかに移し、一歩一歩近づいていく。
遠くまで飛んでいる肉片もあった。
血もまた然り。壁に随分かかっている。
後で掃除させなきゃな、と男は思った。

811 名前: 木人 (ENZ832xY) 投稿日: 2004/05/06(木) 04:54 [ H6Czuz3s ]
「ハァ・・・ハァ・・・ハ・・ァ・・・ハッ・・・」

しぃかはまだ息をしていた。といっても、文字通り虫の息だ。
男はそんなしぃかの傍らに立ち、無言で見下ろす。
その眼の中には、どこか冷淡なものがあった。
まるで、観察しているかのように。

「・・・今晩は」

しぃかは眼だけを動かして、男のほうを見る。
涙でにじんで、全てがぼやけて見えた。
今、自分がどうなってるのかもしぃかは理解していない。
何故立てないのか、何故息をするのがこんなにも苦しいのかすらも。

「アナダ、ダヴェ?」

吐血しながらもしぃかは、月を背負って立つ男に向かって疑問を口にする。
何か考えておかないと、脳が休んで、眠ってしまいそうな気がしたから。

「・・・君にステキなプレゼントを贈りにきたんだ」

男はかがみこみ、大きく見開かれたしぃかの眼を覗き込む。

「ほら、綺麗な色の薔薇だろう?僕が世話をしてるんだ。
 特別に、君に一つ差し上げてあげよう」

右手に構えた薔薇を、しぃかの目の前に持っていてやる。
しぃかの意識はそこにしか向いていない。
薔薇を右にやればしぃかの眼も右へ、
左にやれば左に動いている。
その様子を見て、男は昔飼っていた犬のことを思い出し、思わずフッと笑った。

「君は可愛いね」

しぃかは聞いていない。何もかもの意識がが薔薇に向いている。
しかし、男は構わず話続ける。

「きっとこれも似合うよ。さぁ、どうぞ・・・」

しぃかはギシギシ音を立てながら、右手を上げた。
そして男から、逆方向に曲がった手首を器用に動かし、
唯一まともな形をしている親指と薬指で薔薇を挟んで受け取った。

「アリア"オ"ウ」

男はにっこりと微笑を浮かべ、立ち上がって、また温室のほうへ戻っていく。
しぃかには、目が動く範囲でしか男の後姿を追う事は出来なかった。
首が、既に半回転していたから。
しぃかは右手に持った薔薇を持ち上げたまま、いつまでもいつまでも見続けていた。
綺麗な薔薇。キャシィちゃんにも、見せてあげたかった。
もって行ってあげよう。そして、二人で眺めよう。
きっとキャシィちゃんは欲しがるだろう。
そうしたら、何にも言わずにあげよう。きっとキャシィちゃん、喜ぶだろうな。
ああ、キャシィちゃん、キャシィちゃん・・・。
私、もう一度、キャシィちゃんに・・・・・・会い・・・た・・・・・・・・・・・・。



男は、温室のドアの所でしぃかの方を振り返り、暫くそのまま見つめていた。
やがて、静かにしぃかの右手が地面に倒れるのを見た後、少しの間目を瞑って考え事をして、
ゆっくりと瞼を開き、再び温室の中へと帰って行った。
もう、しぃかの方を見たりはしなかった。



蒼い月光が降り注ぐ、静かな夜の出来事だった。